第2章 お祭り 1
シーはベッドから跳ね起きた。
「なっ、何?」
声が震える。胸がどくどくなり、意識が覚醒する。それと同時に、あの夢を思いだした。
ドアが思いきり開け放たれた。シーの体がさらにびくっとベッドの上で跳ねる。
「大丈夫ですか?! 姫さま!」
「カイ……。驚かせないでよ」
そこに立っていたのは背の高い青年だった。
「だって、シーさまのおびえた声が聞こえたものですから、襲われたのではないかと心配して」
「はいはい、わかりました。もう出てって」
シーはカイの体を押し追いだそうとするが、カイは顔を向けて言う。
「また悪夢を見たのですか?」
結局カイの体を一歩も動かせず力尽きたシーは、ぺたりとカイの背中にはりついた。
「うーん」
「きっとわだつみ様のお告げでしょうね」
カイは暗やみの中でそっと口角を上げ、窓辺へと近づいた。
「海に出かけませんか? いい気晴らしになりますよ。ここのところずっと部屋にこもっていますけど」
「わだつみさまは怒っているのよ、私に。だから海には入らない」
シーは口をへの字にして窓によりかかる。そして、カイの方へ向けて言った。
「ねえ、もし島が海に沈んだらどうする」
カイは夜に紛れた地平線を眺めて迷うそぶりを見せた後、口を開いた。
「そうですね……。生き残れるでしょうか?」
海がザーザーと波立っている。いつも通りの子守唄のような優しい音で、シーが生まれた時から何も変わらない。
「今日も泳がれないのですか?」
カイが問う。
そういえば、悪夢を見る前はよく海に泳ぎに出かけていた。特に誰もいない早朝は大好きで、自分で海を独り占めできるような、そんな高揚した気持ちだった。
「うん、今日も無理。なぜか呑み込まれてしまいそうなの」
目には見えない、本能のような直感が、海を拒んでいた。
シーは今日も窓に広がる海をじっと見つめていた。
がやがやと活気のある声が、波にのってやってくる。
「うーん。ここらへんかな?」
人でごったがえす中、シーは隙間を縫い進んでいく。
今年は年に一度のお祭りだった。島国であるシャルリー国は、一年間の海の恵みに感謝し、また次の年の大漁を祈願する。
「姫さま、俺の側を離れないでください」
ずんずん先を行くシーに焦った声が追いかける。
「カイ。遅いわ」
「人ごみは危ないので俺の側にいてください。それが毎年の約束です」
カイは困った顔でそう言う。着衣はズボンのみで、銛をたずさえた青年の恰好は周りからだいぶ浮いている。すれちがう町の人々はその恰好に一度嘲笑の目を向けるが、その首にかけた飾りに気づいてその視線を改める。
その首飾りは少数民族ディリ族の長に与えられる、神からの贈り物だった。
「私とお母さまの毎年の約束のほうが重要よ」
とシーは言いながらも、カイとの約束を守り一緒に歩きだす。
お城から港までをつなぐ長い大通りの両側に屋台がたち並び、人々があふれかえっている。花が家々の壁や大通りの頭上にかけられ、軽快な音楽が聞こえて、パールの街は普段よりいっそうにぎやかだった。
シーは足取りも軽く、お祭りをあちこち見て回った。髪飾りや小物の露天にたちよったり、ココナッツジュースをカイにおねだりしたり。そうして太陽が頭上に位置し、お昼ごはんを二人で食べていたとき、シーは「あっ」と何かを発見したような顔をした。
「カイ、あった! いきましょ」
シーがうれしそうにかけだす。
「はい。姫さま」
カイはその後を、ふっと笑みをこぼして追いかけた。
シーはるんるんと野原を歩いていた。手にさげた軽い包みが、たまに腰あたりにふれる。
「よかったですね」
カイがやわらかな声でいう。
さわさわと、草が足下でゆれる。日はぽかぽかと暖かだった。春のまっただ中にいる、いい気分だ。
「うん」うなずいて、シーは立ち止まった。草原の続くなだらかな丘の頂上には、一つの岩が鎮座している。
(久しぶりだな。母さまに会いにいくの)
なつかしさなのか、胸がきゅっとしめつけられた。
カイが隣に立つ。二人で黙ってそこにたち、海の香りをすいこんだ。風がさーっと吹きつけ、草波が立った。若草色の匂いが、鼻をくすぐる。
きゅっとなった胸ん中に、春のうららかな風が吹き、心の中が一気にぶわっと広がった。
「行こっか」
「行きましょう」
どちらともなくそう誘い、二人は隣立って歩きだした。
そうして歩きだしてから数分後、王の所有地である草原に、あってはいけない人影を先に発見したのはカイだった。
「姫さま」
カイは声を硬くし、シーをかばうように前に立つ。
「だれ?」
シーはカイの背後から先を見た。四人、いや五人だ。石碑への道をふさぐように立っている。明らかに不自然だ。少なくとも、誤って侵入したわけではなさそうだ。
「賊です」
「賊!? この場所に?」
まさかと思った。しかしカイの言ったとおりだった。その人影がおのおの何かを手にしている。凶器だ。明らかにこちらを敵視している。
「姫さまを狙っている。姫さま、ここから—」
カイが途中で重い息を吐く。そして素早く背後に視線をやった。
「後ろにもいる」
「えっ」とシーがふりむこうとすると、カイの手がそれを制す。
「一人で逃げられますか」
カイが短く問う。
「無理よ。だめ、カイが危ない。賊相手で大勢いるのに、カイを残して逃げられない」
カイの口元がほっとしたように上がる。シーの耳元でカイがささやく。
「俺は大丈夫です。俺がここであいつらを相手にしますから、姫さまは走って今来た道へ逃げてください。すぐに人里が見えてきます。そこで助けを求めてください」
その間に、人影がどんどん近づいてきた。後ろからも、小走りする数人の足音がする。シーの心臓がばくばくとうるさく鳴り始める。だけどカイはいたって冷静だった。その様子で少し安心した。
「わかった。カイ、無事でいてね」
見上げると、カイは大きくうなずいた。
「約束します」
奴らが近くまで来た。ひひひっと下品な笑い声がする。
ふりかえるとその賊のリーダーらしき人物が、こちらに長剣を向けた。他の奴らはじりじりと周りをとりかこむ。
「何の用だ。お前ら」
カイが威圧的に声を発す。
「おい、兄ちゃん。そのお姫様をこっちへよこせ」
対して賊等は軽い調子で声をかけてきた。だが、その視線、構えに隙がない。
カイは無言のまま銛を突きだす形へともちかえる。
「へへっ、そうかい。言うこと聞かないと、痛い目に合うぜ」
賊(ぞく)等(ら)も武器を構える。長剣の切っ先が全てカイに向けられる。シーは恐ろしくて、カイの側を離れなかった。
草原がザワザワ騒ぎ立てる。双方どちらも動かぬまま、数秒がすぎる。見えない火花がカイと賊等の間で飛び散った。
ざっと土に靴がすれる音。
白刃の剣が迫った。空(くう)を切る音とともに銛が飛びだす。シーの胸の前で、二つの刃と刃が交差する。
太刀音が鋭く響く。
その音を皮切りに、周りをとり囲んだ数人が動きだした。カイを標的に剣をつきだす。
と、シーの目の前で交差していた二つの刃が消え去った。剣が吹き飛ばされる。銛の、あの黒い刃が一筋の線となり弧を描いた。瞬間に風が吹く。
連続して金属音が響いたかと思うと、十人ほどの賊等が全員吹き飛ばされていた。
「姫さま、今です」
血の気を引かせた賊等は、警戒しつつもすぐに立ち上がりこちらへ迫る。
シーは一つうなずき駆けだした。
鼓動が激しい。息づかいもどんどん荒くなり、でもひたすら走る。後ろはふりかえらない。カイが相手というなら心配はないが、逃げ続けた。
やがて体力が尽きて、シーはとぼとぼ歩いた。やっとふりかえっても、あの丘は見えない。町の線が見えてきた。
そこで、シーは立ち止まった。前方から、何かが近づいてくる。人だ。
さっきの賊と似たような格好の男が、シー一直線にこちらへ距離を縮める。
「なんなの……」
シーは数歩後ずさり、身を翻してまた走りだした。
「おい、待て!」
ずっと変わらない草原の景色がビュンビュン飛ぶ。海と草、ずーっと同じ景色で、方向が狂った。途中で、海が近づいてくると気づくが、ひきかえせずに無視して走る。一向にカイらしき人影は見えない。
ついに海がひらけた。
海面は数メートル下にあり、とても降りられそうにない。シーは海を注視し、そして背後の様子をうかがう。大丈夫だ、まだ遠い。
シーは延々と続く高崖の縁に沿って進む。逃げ道を探して視線をさまよわせると……。崖の途中で岩が崩れている。そこなら降りられそうだ。シーは足に叱咤をかけて急ぐ。
降りた先は砂浜だった。後ろで男の足音が聞こえる。走り疲れてくたくたで、動けそうもない。シーは足をひきずって何とか歩きだした。
(どうしよう。カイに助けを呼ばないと。……でも、ここどこだろう。カイは近くにいるのかな)
「カイ! カイ!」
大声で叫んでみた。声が反響する。
シーは耳を澄ませる。海に頼みをかけた。お願い、この声をカイまで届かせて。
だめだ。一向に返事はない。位置的には墓の場所と近い気もする。
と、背後で殺気がふくれあがる。地面を蹴るような足音がした後すぐ、シーは背後から強くつきとばされた。
「きゃあっ!」
どん、と衝撃がきて土の上に押し潰された。砂が口の中に入る。
走り続けたせいか、足は棒のようにつっぱっていて、息も上手く吸えない。体中がかっと熱くなった。
(もうだめかな)
心も弱音を吐き、あおむけになって空を見上げた。すがすがしいほどの青空だ。
(母さまの命日が、晴れててよかった)
影がおちる。その黒い影の中にきらりと光るものがある。
息を吐いては吸っていると、花の甘い香りがした。あの花を思いだす。桃色の、母さまが大好きだった花。
ナイフがシーの喉元におろされる。シーは目をぎゅっとつぶった。首にちくっとした痛みを感じた。そして—
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