8-5:赤毛の魔導師 カラナ

「来ないでよ……!」


 頭を大きく振って、サフィリアが後ろに下がる。

 役に立たなくなった錫杖しやくじようを取り落とす。大きな音を響かせ、カラナの足元へ転がって来た。


 ちらりと背後を見る。

 彼女の背後には、ヴェルデグリスが輝いている。


 進退きわまり恐怖の表情をたたえるサフィリアに、ゆっくり語りかける。

「……もう、終わりにしましょう。貴女あなたがクラルを救いたい気持ちは良く分かったわ」

 『封印の間』のすみに寝かされた、クラルの亡骸なきがらに視線をやる。

「でも、クラルが望むハズがないでしょう?」


「…………」 

 押し黙るサフィリアに、ゆっくりと残った左腕を差し出す。

 手のひらを上にして――

「サフィリア。あたしのところに戻っておいで……」


 願いを込めて――呼びかける。

「…………」

 目をつむり、口を硬く結んでサフィリアは沈黙した。

 やがてそのあおい瞳でカラナを見つめる。


「……ゴメンね、カラナ……!」

 カラナの腕を振り払い、ヴェルデグリスに駆け寄って行く!


 走り去る、魔女の背中を見つめる……。

 もう、彼女はカラナのもとへは戻らない。


 頭をちから無く振り被り――伸ばした左腕の指先に魔力ちからを集める。

 狙いは――サフィリアの小さな背中。


 ヴェルデグリスの結晶体に両手を付き、サフィリアが”解放の言葉マギコード”を組み立て始める!


 もう、対話の時間は無い!


 極めてシンプルな構成文が描かれて行き――

「え……?」

 ――驚いた様に、サフィリアがその手をめる。


 立ちすくむ少女の右肩を――鋭い閃光が射抜いぬく!

「ぎゃッ!」

 悲鳴を上げて倒れ伏すサフィリア!

 血しぶきがヴェルデグリスに飛び散る!


 その結晶体の向こうから現れたのはローザ。

 鬼の形相ぎようそうでサフィリアをにらみつけている。


「……外したか……ッ!」

 憎々にくにくしく顔を歪め、ローザがひざを着く!

 その姿はボロボロだ。七色のローブは燃え落ち、全身が血にまみれ、右腕をなかばから失っている!


 肩で荒い息をつき、ローザは床に倒れ伏した。

 サフィリアが、撃たれた右肩を抑えて身を起こし――おびえ切った表情でローザを見据みすえる。

 ふらふらと立ち上がり、ヴェルデグリスの結晶に背中を預ける。

「サフィリア! お願いだからこれ以上、抵抗しないでちょうだい!」

 少女の胸に、光弾の標準を合わせたまま、カラナが警告する!


「……カラナ」

 呆然ぼうぜんとした表情で、サフィリアがつぶやいた。

 その顔には、追い詰められた恐怖が浮かんでいる。


「分かったんだ! サフィリアは魔女じゃない!」

「何を……言っているの!?」

 少女の思わぬ言葉に、カラナは混乱した。


「カラナ! 戯言ざれごとだまされてはいけません!」

 ローザの言葉が、カラナの意識を揺り戻す!

「サイザリスは時間稼ぎをしているのです!」


「お願い、信じてカラナ! 分かったんだよ! サフィリアは魔女なんかじゃない!」

今更いまさらそんな嘘が通じると思うの!?」


「サフィリアは嘘なんかついた事ないよッ!」

 叫びながら――サフィリアがゆっくりと、左腕を背中に回す!

 腕を伸ばせば、ヴェルデグリスに指が届く!


 床をいながら、ローザが必死に腕を伸ばす!

「撃つのですカラナ! もう、貴女しかいない!」

 ローザの言葉が、カラナの背中を押す!


 サフィリアが涙を溜めてカラナに訴える!

「お願いだよ!  あの中にいるのは……――」


 その言葉が終わる前に――カラナは目を硬くつむって――

 ――指先にちからを込めた……!


 無音の空間に――軽い音が響く……。


 ゆっくりと……恐る恐る眼を開ける。

 カラナの指先に、光弾はもうない。

 サフィリアが声にならないうめき声を上げ、胸元に開いた穴を見下ろす。


 心に積もっていた色々なものが、溶け落ちて行く。

「サフィリア。あたしはもう……あんたを信じられないわ」


 胸に開いた穴を中心に、群青ぐんじよう色のローブが真っ赤に染まって行く。

 その姿が、ゆっくりと崩れ落ちた――。


 背後には、更に”マギコード”を描き進めたヴェルデグリス。カラナの死角で、”マギコード”を描き込み続けていたのだ……。


 胸を両手で押さえ、床に倒れて痙攣けいれんするサフィリアを見下ろす。

 その様子を見て、ローザが安心した表情で、床に崩れ落ちた。

 倒れたサフィリアの周りに、大きな血の海が広がって行く。


「貴女の事……妹の様に思っていたのに……」

 少女のかたわらにひざを降ろし、その小さな手を握る。

 サフィリアの眼はすでにごり、生気せいきを失っていた。血でまみれた肺に空気を送ろうと、唇がわずかに上下している。


「良く……やりげました、カラナ」

 ゆっくりとローザがカラナに歩み寄り、その肩を優しくいだく。

「貴女は頑張りました。

 その貴女を、サイザリスは裏切り、最後には騙してまで魔力ちからを取り戻そうとした事は――とても残念でなりません」


 既に動かなくなったサフィリアを見下ろすカラナの顔に手をえ、金色こんじきの瞳で見つめて来る。

「さあカラナ。元老院に戻って傷の手当てをしなければ……!

 このままでは貴女もわたくしも……サイザリスの道連れになってしまいます」


 ローザの言葉に、カラナは弱弱しく首を横に振った。

「……もう少し……サフィリアのそばにいさせて下さい……」


 ちからなくつぶやくカラナに、ローザが寂しげな眼差しを送る。

「……分かりました。

 それでは先に戻り、アコナイトに救援を送る様に伝えます」


 ローザが失った右腕を押さえてゆっくりと立ち上がる。

「カラナ、必ず帰って来るのですよ?」

 床に座り込み、少女の亡骸なきがらを抱き締めるカラナを見下ろす。


 身体を引きずりながら、彼女に背を向け『封印の間』を去って行くローザ。

 入口でもう一度カラナを肩越しに見送り、その姿が螺旋らせん階段へと消えて行く。


 物言わぬ少女を抱き締めて嗚咽を漏らすカラナを……くすりと嘲笑わらう声が聞こえた、気がした。


 ***


――――お願い、信じてカラナ! ――――


 脳裏に、サフィリアの叫び声が木霊こだまする。

 カラナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


 彼女の横には、紅蓮に染まったヴェルデグリス。

 サフィリアが書き遺した”解放の言葉マギコード”がいまだに浮かび上がっている。

 ローザに撃たれる直前、サフィリアはヴェルデグリスの開放を中断した……。

 その表面に描かれた”解放の言葉マギコード”は書きかけだが――誤りはない……。

 にもかかわらず――だ。


 ヴェルデグリスに触れたサフィリアは、過去を見た筈だ。この深紅の魔導石は、彼女に何を見せた?


――お願い、信じてカラナ! サフィリアは魔女なんかじゃない! ――


 あれは、真実か? それとも、カラナを騙す為の嘘だったのか……?


 カラナは、嘘だと思った。

 何故なぜなら、サフィリアはカラナを裏切ったからだ。カラナを裏切って、ヴィオレッタなどと手を組んだからだ。


 カラナを騙して、ヴェルデグリスの封印を解こうとしていたからだ……!


 ヴェルデグリスにひたいり付けて、カラナは目を閉じた。

「……違う。裏切ったのは、あたしの方だ……。

 あの子は……あたしに嘘なんてついた事なかった!

 あたしが信じてあげなかったから、嘘をついたんじゃないの!?」


 ヴェルデグリスに触れた後も、サフィリアはクラルを救いたい――その一心で行動していただけだ。

 サイザリスの復活を恐れ、約束を破って彼女のそばを離れたのはカラナの方だ。


 彼女を見放して、逃げたのだ。

 命を奪って、目をそむけたのだ。


「どうしよう……あたし……! とんでもない事をしてしまった……!」


 今更、貴女を信じると言ったところで、サフィリアはカラナを許してくれるだろうか?

 ゆっくりと腕を伸ばし――ヴェルデグリスの表面に触れる。

 あれほど恐ろしく、怒りと憎悪にまみれて感じた紅い光が――今はカラナを包み込む、暖かく、優しい光に感じる。


 ヴェルデグリスを見上げる。

「サフィリアは言ったわ。この中にいるは、魔女じゃないって……」

 その結晶構造の奥に見える、紅い影に語りかける。


 カラナは涙を流して泣いた。

 悲しいからではない。


 誰かに助けて欲しくて泣いた……。


「サフィリア……貴女の言葉を信じるから……!

 ヴェルデグリスに封じられているのは魔女じゃない……!

 信じるから、あたしを許して……!」


 必要な"解放の言葉マギコード"は、分かっている。

 コラロ村で、ヴィオレッタが見せてくれた。


「助けて……サフィリア……!」


 サフィリアの書き遺した"解放の言葉マギコード"に指先を振れる。

 眼を閉じて――意識をその末端へと集中して行く。


 カラナの魔力が、組み上がり――サフィリアの魔力と重なり合って”解放の言葉マギコード”を引き継ぎ、完成させる!


 カラナの触れた場所を中心に――その結晶構造が崩れ始める!

 表面にびっしりと走ったヒビから、膨大な光が放出されて行く!


――ようやく、ようやく解放される! ――


 カラナの耳に届く、男とも女ともつかないノイズがかった声。


――思い出した! 思い出しました! 其方そなたの怒りと悲しみを、このわたしが包み込んであげましょう! ――

 

 地鳴りが響き『封印の間』を、閃光の様な”深紅”が包み込んで行く!

 カラナ視界が紅蓮の炎のごとき光に包まれ――その姿も飲み込まれて行く!


 目の前が赤一色に染まる寸前――カラナは見た。



 光の中から伸びた、血まみれの二本の腕が――彼女の身体を包んで行くのを…………。

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