6-6:ワタシノミカタ

 そこは、『封印の間』。

 サフィリアは、またもそこに立っていた。


 色を失った白と灰の世界で、サフィリアが耳に着けたイヤリングの紅い宝石だけが、煌々こうこうと光を放つ。


――ようやく、ここまで来た。――

――――さぁ、思い出すのです。自分自身の本当の姿を――――


「あなたは……ヴェルデグリスの中にいるの? その中に封じられたサフィリアの魔力ちからなの?」


――わたしの役目はただひとつ。貴女あなたをかつての記憶へと導く事――


 サフィリアの頭に直接響く声。

 男とも女ともつかない酷いノイズが、かかって聞こえる。


――それだけが、ただひとつ確かな、わたしの記憶――


 不意に、目の前が激しく光り――忘れていた光景が、眼前に広がった!


 目の前には、群青ぐんじようのローブをまとった金髪の魔女の後ろ姿!

 魔力ちからの乱流が引き起こす暴風に、ローブのすそがはためいている。

 かつての自分――サイザリス!

 その手が持つ錫杖しやくじようから放たれる雷撃が――ローザを空中に射止いとめている!


『わたくしの魔力を……封じるつもりですか!?』

『その通りじゃ!』

 空中でもがくローザに、勝ち誇ったサイザリスの声が響き渡る!

 それは紛れもなく、聞き慣れた自分の声。


 目を開けていられない程の激しい閃光の明滅めいめつに、サイザリスの後ろ姿がくらむ。

『これがわらわの切り札! 魔力を封じ込める魔導石、名付けて”ヴェルデグリス”よ!』


 拘束から逃れようとするローザだが、すでに魔力が引き抜かれつつあるのか、対抗できない。

『こんなことで、このわたくしが封じられるとは!』

 サイザリスがケタケタと笑う。

『魔力はお主に遠く及ばぬが、知恵ではわらわの方が上よ!』


「サフィリア!」

 唐突に彼女の名を呼ぶカラナの声が、木霊こだまする――――。


 ***


「サフィリア、大丈夫……?」

 不意に投げかけられたカラナの声に、サフィリアはハッと顔を上げる!

 目の前には、見慣れたカラナの顔。

 机を挟んで、彼女と向き合っている。


 ……どうやらうつらうつらして、夢を見ていた様だ。


 『封印の間』で、サフィリアがヴェルデグリスに触れてからすでに二日。

 ベッドの上でうなされる生活をいられた彼女だが、ようやく気持ちが落ち着き、身体を動かせる様になった。


 ここは元老院議事堂。

 二人は、その敷地内にある宿舎の一室を借りていた。


 同じ建物の別のフロアでは当然、勇者アコナイトや女神ローザが執務を行っている。これまで散々避けて来た元老院の膝元ひざもとに拠点を移したのは他でもない。


 ヴェルデグリスと接触して以降、次々と舞い戻って来る魔女の記憶に、サフィリアは恐怖を感じたからだ。

 眠るたびに――どころか目を閉じる度に、脳裏のうりに蘇る”あの日”の闘いの記憶。

 記憶は少しずつ、完全なかたちを取り戻しつつある。

 このまま行けば――その内自分は、サフィリアとしての人格を失い、魔女に立ち戻ってしまうのではないか?

 そんな恐怖に支配され、サフィリアはローザのもとを離れる事が出来できなかった。万が一の事態が起きた時、対応出来るのは彼女しかいない。


 借りている部屋は、ベッドとテーブル、机など基本的なものしか置かれていない簡素な部屋。青色が鮮やかなカーテンの向こうには、テユヴェローズの街並みが一望いちぼう出来る。

 その窓際の机にカラナと向かい合う。


 カラナが語ったのは、次なる作戦だった。

「……それでね、アナスタシス教団に持ち去られたフィルグリフを奪還しようと思うの」

 フィルグリフとは、例の”解放の言葉マギコード”と”破壊の言葉エンバーコード”が記録されたサイザリスのフィルグリフだ。

 大聖堂での出来事の後、クラルとともにあの場から無くなっていた。

 おそらく、逃走したクラルがアナスタシス教団本部へと持ち帰ったのだろう。


 残された時間は少ない。

 フィルグリフを取り戻し、"破壊の言葉エンバーコード"を手にする事は、とても重要な事だ。

 とても重要な事だとは分かっているのだが…………。


「カラナ……」

「ん……?」

 説明を中座され、カラナが疑問符を上げる。

 サフィリアは、顔を上げてカラナの瞳を見つめた。

「フィルグリフも良いんだけどさ! ……クラルはどうするの? クラルを助けなくちゃでしょ!?」


 サフィリアの言葉に、カラナが目を閉じて深くため息をつく。

「サフィリア、気持ちは分かるけれど、今はフィルグリフを取り戻して、”破壊の言葉エンバーコード”を知る方が先決よ!」

「でも、クラルだって”破壊の言葉エンバーコード”を知ってる! クラルを助け出せば、”破壊の言葉エンバーコード”も一緒いつしよに分かるじゃない!」


 カラナが赤毛の頭をかいた。

 分かっていないな、と言う表情でサフィリアを指差す。

「アナスタシス教団には、『ハイゴーレム』の記憶を抹消まつしようする技術があるわ」

「そんな!?」

「……残念だけれど、クラルは今ごろ、”破壊の言葉エンバーコード”はおろか、あたしたちとの思い出や、そもそも”クラル”って言う貴女がつけた名前さえ、初期化クリーニングされている可能性が高いわ」


 大きな音を立てて――サフィリアが拳を机に叩きつける!

 流石さすがのカラナも驚いた表情を見せた。


 震える声で、つぶやく。

「それでも、サフィリアは……クラルを取り戻したい……!」

「ダメよ!」

 サフィリアが――何よりも取り戻したものを、カラナは否定した……。

「もう時間がないのよ! クラルの記憶はアナスタシス教団にとって必要のないものだけれど、魔女の遺産であるフィルグリフは、やつらにとっても重要なもの。そっちの方が残されている可能性が高いわ!」

「クラルは重要じゃないって言うの!?」

「そんな事、言ってないッ!」


 今度は、カラナがイスを蹴って立ち上がる!

 両腕を机に叩き付け、サフィリアを上からにらみつけた。

「貴女はサフィリアでいたいの!? ……それとも、魔女として処刑されるつもりなの!?」

 机に着いたカラナの腕が、わずかに震えている。


 カラナの気持ちは分かる。

 ずっとここまで、サフィリアの為に戦ってくれたのだ。

 それでも――――


「サフィリアは……友達を助けたい」

「……話にならないわね」

 頭を下げ、震える声を嚙み殺して――カラナが呟く。

 怒りや失望を抑えて、何とか平常心をたもっている。そんな声だった。


 姿勢を立て直し、上からサフィリアを見下ろしたカラナは、厳しい視線を送って来る。

 彼女に、こんな視線を向けられる事になるとは、思ってもみなかった。

「今日はもうお仕舞しまいにしましょう。あたしは自分の部屋に戻るから……お互い、頭を少し冷やした方がいいかもね」


 淡々と言い放つと、カラナはこちらに背を向け、部屋の出口に向かって行く。

 その後ろ姿が、まるで自分と関わりのない他人の様に感じられた。


「カラナはもう……サフィリアの味方じゃないんだね」

 ぽつりと口を突いて出た言葉。

「…………」


 それに答える事も、振り向く事さえもなく――カラナは部屋の外へと姿を消して行った。

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