1-6:わたしの名前は……

 少女のケガが快方かいほうに向かい、リリオから外出の許可が下りたのは、三日後の事だった。

 早朝、リビングでいつも通り朝食を取る少女の姿を、テーブル越しに対面しながらカラナと母のブランカがながめている。


 相変わらず丁寧ていねいに丸パンを小さくちぎっては口に運ぶ。

 実際のところ、この娘の体調は、保護した翌日の段階で驚くほど回復していた。

 しかし、正体が分からないこと、また落ち着いた時間を持たせれば記憶を取り戻すかも知れないと言う、村長ローレルの判断もあって、そのままカラナの家であずかっていた。


 結局、記憶は何ひとつ戻らなかったのだが……。

 いや、正確にはこの少女、すべてを忘れてしまっているワケでもなかった。


「このパン、おいしい!」

「そうだろう? この村の畑で育てた小麦をったものよ」

 笑顔でパンを口に運ぶ少女に、ブランカが相槌あいづちを打つ。


 まず、見たままであるが、”言葉”は忘れていない。はきはきと良くしゃべる。

 流暢りゆうちようにテユヴェローズの言語をあやつるその姿は、この国に長く身を置いていることを想像させた。

 しかし、外見はどう見てもこの国の者ではない。

 外国人だから言葉が通じるのはおかしい――と言うのも暴論ぼうろんではあるが。


「ご馳走様ちそうさまでした!」

「すっかり元気になったね。ずっと家の中に閉じ込められてて退屈でしょう?」

 ブランカが、食器を下げながら少女の気持ちを代弁だいべんする。が……

「ううん」

 首を大げさに横に振って少女は否定した。

「カラナさんに貸してもらった本を読んでたから退屈しなかったよ」


 療養りようよう中、カラナは当りさわりのない小説や伝記などの本を少女に貸し与えた。退屈しのぎと言う面もあったが色々確認したい事があったからだ。


 この少女、読み書きが出来できる。

 まあ、魔導の心得こころえがあるので文字が理解出来るのは予想していたが。

 読ませればよどみなく読み、書かせてもキレイな文字を書く。

 このコラロ村では、少女と同じくらいの年齢で読み書きがしっかり出来る者は二割いるかいないかと言ったところ。首都テユヴェローズの住人でさえ十人が十人、すべて読み書きできるわけではない。

 また、算術などもばっちりである。


 容姿、学力、作法、どれを取っても平民以下の出身とは思えず、やはり上流階級の人間であることを連想させた。


「……カラナさんは、その……テベユ……ろーず?……って街にお出かけしちゃうの?」

 食事を終えた少女がこちらに小首をかしげながら聞いてくる。

テユヴェローズ・・・・・・・、この国の首都よ。

 警備とか、例の『ハイゴーレム』の輸送とか……もろもろのお仕事でね」

「へぇぇ……」

 言い間違いとずれた発音を訂正する。


 完璧とも言える才女さいじよっぷりを見せる一方で、歴史や社会的な知識は完全に抜け落ちている。この国の地名や街の名前ひとつ覚えていないらしい。


「……さて、お嬢ちゃん。 今日は少しお出かけしようか?」

「外に出ていいの!?」

 カラナの言葉に嬉しそうに反応する少女。テーブルに乗り出し大きな瞳を輝かせる。

「リリオも、身体を動かしても良いって言ってるし……」

 姿勢を直して続ける。

「村長が、貴女と会いたいとおっしゃっているのよ」

「村長さんが……?」


 少女が落ち着くまで、カラナの家で様子を見る。

 言い出しっぺは村長ローレルだが、当の本人は好奇心が抑えられないらしく、顔を合わせるたびに、「まだ会うことはできないのか?」と聞いてくる。

 その内、家に押しかけて来そうな勢いだった為、このタイミングで会わせることにした。


身支度みじたくはできるかな?」

「はい!」

 イスを飛び降り、着ていたワンピースを脱いで、ブランカから渡された自身のローブにそでを通す。薄汚れていた群青ぐんじよう色の上着やローブは、しっかり修繕しゆうぜんされキレイに仕上がっていた。


「? このイヤリングは?」

 着替え一式の中に、赤い宝石がついたイヤリングを見つけ、疑問符を浮かべる。

「貴女が持っていた宝石よ。 何に使うものか良く分からなかったから、勝手ながら加工させてもらったわ」

 テーブルに頬杖をついたまま、ブランカが手先の器用さをほこってくる。

「へぇ……?」

 まったく見た覚えがないらしく、不思議そうな顔をしつつも、すぐに機嫌きげんを取り直し左耳にイヤリングを着けた。

 ブランカが少女の金髪をくしでとかし、仕上げに後ろ髪をハーフトップにまとめる。

 カラナの家に運び込まれた時の容姿そのままである。


 それを見届け、カラナは台所の先にある物置に向かう。

 木の扉を開け、雑多ざつたに置かれた小道具の中から、例のモノ・・・・を取り出した。


「はい。これで完成よ」

 手にした錫杖しやくじようを、少女に差し出す。

「あ、わたしの杖! 無くなったと思ってた!」

 嬉しそうに錫杖を受け取る少女。

 先端にはめ込まれたあおい魔導石が、太陽光を受けて不規則に輝く。


 それまでの少女の振舞ふるまいから、安心はしていた。

 だがそれでも、手が汗ばむ。ブランカの顔にもわずかだが緊張きんちようが見て取れた。


 魔法の使い手の少女と、その魔力を魔法へと変換するための武器――魔導石。

 このふたつがそろえば、『ゴーレム』の群れを一掃いつそうできる戦力が整うのだ。


 カラナたちの心配をよそに、少女は手にした錫杖の持ちごたえを確かめている。

 当人の身のたけほどもある大きく重い錫杖だが、難なく扱ってみせ、くるりと振り被って先端の魔導石をひたいに寄せた。

 目を閉じ軽く何かを呟く少女。呼応する様に魔導石がわずかに光を放つ。

「よし! 完璧!」

 大きくうなずく。

 魔導師が、魔導石と自分の魔力をリンクさせる動作だ。

 一度手元を離れた魔導石を身に着ける際は、必ず行う。魔導師に取って無意識に出来なければならない必須ひつすの行動である。万が一忘れた場合、戦闘中に魔法が発動しない、と言う致命的な事態におちいる。


「準備はできたかしら?」

「はい! オッケーです!」

 ぴしっと敬礼のポーズを取る少女に微笑ほほえみかけて、カラナは母親の方を見やった。


「じゃあお母さん。 ローレル様のところへ行って来るね」

「村の連中がその子に興味津々しんしんだろうから、あんまり連れ回すんじゃないよ。み上がりなんだからね?」

「分かってるわ」

 返事をしながら玄関の扉を開け――かけたところで少女が止めた。


「ちょっと待ってカラナさん!」

「ん?」

 忘れ物かな?と思って振り向くと、少女がきょとんとした顔でこちらを見ていた。

「名前!」

「名前?」

 カラナのオウム返しに、うんうんと頷く少女。

「そう名前! わたし、このまま名無しさん・・・・・じゃ不便でしょ?」

「それもそうね……」

 結局、この子は自分の名前も思い出せなかったのだ。


「だから、わたしに名前をちょうだい!」

「は?」

 思わぬ提案に間抜けな声を上げる。様子を見ていたブランカが、大笑いしながら話に入り込んで来た。

「そりゃあ良いね! カラナ、名付け親になってあげな!」

「えええ!? ……いや、あたしそう言うの苦手で……」

 たじろぐカラナを他所よそに、目を輝かせながら少女は期待の眼差まなざしを向けて来る。

 ……まあ実際、名前なしは今後のことを考えると不便なのは確かだ。

「そしたらね……」

 窓際へ行き、出窓に飾られた赤い花を指でで、この花の名前を告げる。


「サフィリア」


 少女の方へ向き直る。

「この花の名前よ。あたしの誕生月たんじようげつの花で、あたしのお気に入り。

 この名前を、貴女にあげる」

 わぁ! と歓声を上げて、少女は軽く飛び跳ねた。

「よろしくね、サフィリア」

 大きく会釈えしやくする少女。

「よろしくお願いします! わたしの名前はサフィリアです!」

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