1-5:記憶喪失

 深い深い眠りの中、闇の底に光る赤い一筋の光。

 どこからともなく聞こえる声。


――苦しい――


「どうしたの?」


――早く、早く解放して――

「あなたは誰?」


――分からない……分からない―― 


***


「じゃあ、村に到着するまでのこと、何も覚えていないの?」

「うん!」

 少女は元気良く首を縦に振る。


 夜が明けた頃、人の心配を他所よそに彼女は目を覚まし、すっかりと回復していた。

「大した回復力ね」

 やや驚いた様子で、しかし安心した面持おももちでリリオが微笑ほほえみかける。

 早朝、心配したリリオがカラナの家を訪れた。少女が目を覚まし、おぼつかない足取りながらも階段を降りて、一階のリビングへやって来たタイミングだった。


 リリオ、母のブランカと共にテーブルを囲んでいる。

 カラナの隣には、その少女。まだうまく動かないらしい小さな左手に持ったスプーンで、野菜のスープを口に運んでいる。

 彼女に、カラナは問いかけ続けた。

「名前も……どこから来たのかも、覚えていないのね?」

「うん……。ホントに何も、覚えてない」

 少女を除く三人は顔を見合わせる。


 傷も治り体力も戻って来たのはよかった。

 しかし、少女は『ゴーレム』をぎ倒すまでの記憶を失っている様子だった。

「って言うか、その『ゴーレム』? ……って言うのと戦ったのも、良く覚えていないんだけどね!」

 自分の状況をあまり深刻にとらえていないのか、今は空腹を満たすことで頭がいっぱいなのか、少女は軽快な口調で続けた。

「最初に覚えているのは……あなたの顔かな?」

 くるっとこちらを見上げ、屈託くつたくのない笑みを浮かべる。カラナも微笑み返した。


 病み上がりながら姿勢よく、がっつくこともなく、スープを口にゆっくりと運ぶ姿は育ちの良さを連想させる。

 年齢としは、カラナよりも一回り下だろうか。

 ややくせのある金髪を肩まで下ろしている。まだ血色は悪いが、白い肌に大きなあおい瞳。顔立ちも整っており可愛らしい。

 いまはリリオが気をかせて持って来たシンプルなワンピースを着ている。


「ご馳走様ちそうさまでした! 美味おいしかったです!」

 食事を終え、少女はブランカに向けて軽く頭を下げた。

「どこから来たのかねぇ? 出来できたお嬢さんだし、良いところのむすめさんかもね」

 空になった食器を下げながら、ブランカは少女の金髪の頭を軽くでた。


 ぱっと見でこの辺りの者でない事は分かる。

 テユヴェローズ共和国を含む周辺国の人種は黒髪か赤毛であり、ここまで見事な金髪はこの辺りではまず見かけない。まとっていた上着やローブの意匠いしようも、見慣れないものだった。

 この少女に対する興味は尽きないが、当の本人は自分の事よりも窓から見える外の景色に興味を奪われている様子である。


 それに気が付いたか、リリオが二階へ戻る様にうながした。

「さぁ、食事が済んだところでベッドに戻りましょう。お薬を飲んで、傷の具合をさせてちょうだい」

「はーい」

 素直に従う少女。


 病み上がりなのもあるが、まだ彼女と村の者を接触させたくはない。

 無害な様に見えるが、一昨日おとといこの少女が圧倒的な魔力ちからで『ゴーレム』の群れを一掃いつそうしたことはほぼ間違いない。少なくとも、騎士団の一部隊に匹敵する戦力を持ち合わせていると言うことだ。

 念のため、武器である錫杖しやくじようは、物置に隠してある。

 特に気にしていない様だが……


「じゃあ、あたしは仕事に出かけるから、大人おとなしくしているのよ?」

「わかった! ……って、カラナさんのお仕事って兵隊さん?」

「まぁ、そんなところよ」

 立ち上がり、#腕輪__バンクル__#を身に着ける。はめ込まれた魔導石に軽く意識を集中し、呼応してわずかに光を帯びたのを確認する。

 一連の動作を見ていても、少女は特別なことでもないと言った風に、ニコニコとこちらを見送る準備をしている。

 紅竜騎士団ドラゴンズナイツのことは知らないが、やはり魔導石周りに対しての知識は残っている様だ。

 自分の胸の高さくらいにある少女の頭をひと撫でし、自宅を出る。


 玄関先の三段ほどの石階段を下り、母の農園のあいだを通って村の中心の方へ。

 村の家々は復旧の目途めどが立ったとは言いがたい。小道のあちこちに廃材が山積みにされ、修復のための木材が並べられている。


 向かった先は、村の入口付近にある紅竜騎士団ドラゴンズナイツの詰め所だった。

 石を組んで造られた堅牢な三階建ての建物である。側面の壁には、アーマーと同じマーカーが色鮮やかに描かれている。


 襲撃翌日はローレルに呼び出され、昨日きのうは下水道で少女を保護し、結局今日この日まで、まともに紅竜騎士団ドラゴンズナイツの詰め所に足を運ぶ時間がなかった。

 中では部下たちが忙しく働いていたが、目先の問題が解決したためか、混乱した様子はない。――カラナが詰め所を訪れたのは、その問題の元凶に会うためだった。


「ベロニカ、例の『ハイゴーレム』は?」

 入口のすぐわきにある階段前で警備する二十歳はたち手前の若い騎士に声をかけた。

 カラナより若干じやつかん色の薄い赤毛をショートにまとめた部下の女―――ベロニカが、こちらに向けてピシッと敬礼する。

「はい。特に変わった様子はありません」

「案内してくれる?」


 ベロニカに導かれ、階段を下り、地下の留置場へ入る。

「『ハイゴーレム』を生きたまま捕縛したのは、これが初めてで……。

 正直、どう扱って良いか苦慮くりよしています」

「基本的には人間と変わりないわ。ただ、”彼女”たちは体内に埋め込まれた魔導石でいつでも魔法を使えるわよ。そこに注意することね」

「そこは抜かりありません」


 階段を降りた先に、松明たいまつに照らされた分厚い鉄扉てつぴが現れる。

 ベロニカが腰の鍵束からジャラジャラと鍵を選び、一本を鍵穴に差し込んで回した。ガチャリとじようが外れる重い音がして、鉄扉がびついた音とともに開かれる。


 扉の先は、ゆっくりすれ違える幅のまっすぐな通路が十メートルほど伸びており、その先はどん詰まり。左右の壁には、のぞき窓の付いた鉄製の扉がそれぞれ三個ずつ、計六部屋が並んでいる。


 中で見張りをしていた数名の騎士たちがカラナの姿を認めて敬礼する。それに軽く返しながら、目的の扉の前まで移動した。

「扉を開けてもらえる?」

「はい」

 開かれた扉をくぐり部屋の中にはいる。


 逃走防止用にひときわ頑丈に組まれた石の床、壁。

 木製の簡素なベッドと、ランプが置かれたテーブル。

 そしてそのテーブルに向かい、『ハイゴーレム』が無表情に座っていた。


 部屋に入って来たカラナに見向きもせず、ただ壁の一点を見つめている。扉を後ろ手に閉めながら様子をうかがいつつ、距離をはかって"彼女"に近づいて行く。


 ランプの薄暗い光が、『ハイゴーレム』の顔を下から照らす。

 人間であれば十七か八くらいの少女。

 常にニタニタとした笑いを浮かべる『ゴーレム』は気色きしよくの悪さしか感じないが、自我を持ち、表情のある『ハイゴーレム』は近くで見れば中々の美人である。

 『ゴーレム』は基本同じ容姿をしており、目鼻立ちに多少の違いがある程度だ。この個体は、やや青みがかったボブカットの黒髪が特徴的だった。


 お決まりの黒いローブは没収され、今は麻でできた囚人服を着ている。そで口から見える細い手首と足首には黒鉄くろがねかせがかけられ、ひたいには同じ素材の鉢金はちがねがはめられている。

 “彼女”らは人間の様に魔導石を装備しない。体内に埋め込まれている。

 多くは額に埋め込まれており、これを用いて魔法を操る。

 従って、魔導石を無効化しない限り、手足を拘束したところで何の意味もない。

 額の鉢金は、その魔導石を封じるための拘束具だ。


「気分はどうかしら?」

 予想通り、反応はない。相変わらず、カラナを無視して虚空を見つめている。

 構わず続ける。


「貴女にはアナスタシス教団所属の『ハイゴーレム』である嫌疑けんぎがかかっているわ」

 相手から目を離さず、テーブルの上に積もったほこりを指でこすり取る。

 もう何年も使用していなかったのだろう。コラロ村の様な小さな農村で、留置場が役に立つことなど滅多にない。

 ため息をついて、『ハイゴーレム』と対面する様にイスに腰かける。


「後日、貴女を首都テユヴェローズにある教団本部へ連れて行くわ。村襲撃の証拠品としてね。その後は……」

 ――この娘は処分される。

 カラナの飲んだ言葉が伝わったか伝わらなかったか、『ハイゴーレム』の黒い瞳がわずかに動いた気がした。視線は相変わらず明後日あさつての方角だが。


 相手にしても無駄なことは分かっていた。

 “彼女”たち『ハイゴーレム』は、主人マスターであるアナスタシス教団から、感情抑制マインドコントロールを受けている。決して不利になることは口にしない。

 今日、ここに来たのは伝えるべきことを伝える為の、事務的な手続きだ。


「わかっているとは思うけど、変な気を起こさない様にしてちょうだいね?」

 念のための警告をして、カラナは席を立ち、扉の方へと足を向けた。

 扉の前で歩みを止め、一拍いつぱく置いて肩越しに声をかける。

「ところで……お腹は空いたかしら?」

「……はい」

 やっとマトモな返答が返って来た。落ち着きのある、りんとした響きの声。

「……そう。答えてくれてありがとう」


 重い音を立てて、鉄扉が閉められる。

 錆びて回りにくい鍵に悪戦苦闘し、ようやく鍵をかけて、ベロニカが向き直った。

「どうでしたか?」

「相変わらずのシカトよ。『ハイゴーレム』だから少しは話せると思ったけどね」

「そうですか」

 思った通りと言う表情で、ベロニカは首を振った。


「それはそれとして」

 やや腰をかがめて、ベロニカの顔を覗き込む。

「……ベロニカ。貴女、あの『ハイゴーレム』に何か食べさせた?」

「え……? いえ、何も……?」

 深くため息をついて続ける。

「すぐに水と食事を与えなさい。

 “彼女”たち『ゴーレム』だって、食事を必要とするのよ。

 餓死させた、なんてなったら騎士団の立場がまずくなるからね?」


 焦って一階に駆け上がって行くベロニカの後ろ姿を見届けて、カラナもゆっくり階段を登る。

 記憶を失っている魔導師の少女と、村を襲撃した『ハイゴーレム』。

 ローレルへの報告材料がそろったところで、カラナは村長宅へと足を向けた。

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