9 真野さんはゆりかもめに揺られて夢を見る

 真野聡史は東京臨海新交通臨海線の車両に揺られながら、疲労の籠った溜め息を発した。


 いわゆる「ゆりかもめ」と呼ばれるこの車両が、彼はたまらなく好きだ。都心の鉄道なのに、どこか江ノ島電鉄のようなのびやかな雰囲気が見受けられる。不思議なものだ。ゆりかもめと江ノ電とは、成り立ちも使用している車両も外の景色も全く違うのに。


 座席に腰を下ろした真野は、徐々にこみ上げる眠気に流されながら今日という日を回想する。


 その時、半目の視界に船の科学館が映った。そういえば子供の頃、この科学館で母親に二式飛行艇のプラモデルを買ってもらったっけ。ふと、真野は己の過去を胸の内の引き出しから引っ張り出した。


 だがそれは、僅か数秒で引き出しに戻される。そんなことを懐かしんでいる場合ではないからだ。


 *****


 東京ビッグサイトで開催された『AI EXPO』。テクノロジーメディアとも契約している真野は、取材のためにここを訪れた。


 会場について真っ先に向かったのは、シンガポールのMALS社のブースである。この会社の社員と真野は初対面ではない。既に何度も、このテのイベントで会っている。


 エンジニアのエリザベス・リーは、今や真野の友達のような存在だ。


「ミスター・マノ、また会いましたね!」


 華人とマレー人の混血であるこの女性は、弾けるような笑顔で真野を迎えた。


 挨拶もそこそこに、エリザベスはRickについて切り出した。ニューワールド・サイエンスも採用している、例の出版社向けAIだ。


「Rickはここ半年ほどで物凄い成長を見せました。もしかしたら、当初の我々の想定がある意味で台無しになってしまうかもしれないくらいに」


 笑顔でそう語るエリザベス。真野に資料の入った紙袋を渡しつつ、7インチのタブレットを彼の目の前にやった。


 そこからエリザベスがRickについての説明を始める。AIはビッグデータを基に自己学習するもので、それは時折開発者の想定外の動きを見せる。Rickもそれに漏れず、このよう進化……というよりも突然変異を遂げた。


 時間にして10分弱ほどの説明だが、その間に真野の顔色が変わった。エリザベスの言う「突然変異」の中身に、彼は文字通り震え上がったのだ。


「……つまり、Rickは当初SNSから人々が何を求めているのか、どのような事柄に関心を示すのかということを調べるためのものでした。しかし、それを突き詰めていけば“議題に対する世論”を極めて高い精度で予測することができます」


「世論を予測、ですか」


「Rickが整理したデータを利用して、新しい形のRickを再開発した……と言えばいいのでしょうか。本当は、新しいRickは今までのRickとは全く別のものなのですが、話にするとややこしいので、ここではRickが公立の中学校からハーバード大学に飛び級入学したと考えてください」


「は、はぁ……?」


「たとえば、次のアメリカ大統領選挙で民主党候補者が当選したという架空の記事を作って、それがSNSでどのような声を得るのかを測定する実験を行いました。もちろん、実際にその記事を公開したわけではありません。仮にそれをオンラインで配信した場合、SNSでどういう反応があるのかをRickに予測させるのです」


「どうなったんですか?」


「やはり、反移民的なヘイト投稿が目立ちますね。しかし学費ローンの返済に苦しむ高学歴の若年層や、薄給に苛む公立学校の教師から好意的な投稿が得られるとRickは予測しています。その投稿のひとつひとつを、Rickはちゃんと作成してくれます」


「本当ですか! それは膨大な数になると思うのですが……」


「仰る通りです。この実験でRickが作成した予測投稿は約10万件。ですが、それらをカテゴリー分けするとせいぜい数通りにしかなりません」


「それはもう、単にSNSで今のトレンドを調査するという目的を越えているような……」


「だからこその“突然変異”です。発売前の雑誌の内容をRickに認識させて、それがどのような評価を得られるのかを予め知ることが可能になります。記事内に不謹慎な記載があれば、それを取っ掛かりにして炎上を予測することもできます。……ですが」


「ですが?」


「とある有名な雑誌の編集長さんに依頼されて、アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』をRickに認識させる実験を先日行いました。当然、炎上すると思っていたのですが……意外にもヒトラーを賛美する投稿が目立つ結果になりました。それだけ社会の右傾化が進んでいるということなのでしょうか」


「その編集長さんは、もしかしてニューワールド・サイエンスのアトキンソンさん?」


 するとエリザベスは、


「さすがミスター・マノ、話が早い! ミスター・アトキンソンとはお知り合いなのですね」


 と、嬉しそうに返した。


 *****


 ゆりかもめの車両はレインボーブリッジをとうに越え、あと数分で新橋駅に着こうとしている。


 このまま世界が終わってくれないかな。


 未だ半目の真野は、いっそ今座っているシートと同化できないかと思案している。それだけゆりかもめが好きだし、この車両から臨める水平線が好きだし、夢の旅路の終焉が嫌いだ。


 瞼の上に隠れそうな視界が、あの会社の思惑を見事に映し出している。


 ニューワールド・サイエンスは今後、次号の表紙やらゲラやらを小出しに公開してネット上の反応を窺う気だ。その反応は、蓄積すれば立派なビッグデータになる。Rickの飼料としてそれを大いに活用し、最終的には雑誌の内容一字一句に対する読者からの批評をRickに予測させる。


 その予測結果をどう利用するかは、ライター及び編集者の手腕によるだろう。ショーティー・ジョンが、『我が闘争』に刺激されて右手を掲げる現代人の味方をすることは絶対にない。


 が、それは結果的にライターがAI管理者に業種替えする近未来を暗示しているのではないか?


 綾部くんが、それを良しとするはずがない。僕だってAIの顔色を窺う綾部くんなんか想像もしたくない。真野はそう考え出した。


 綾部くん、君が今対峙しているのはとんでもない相手だ。あの会社は、有り余る資金力でとんでもない怪物を養っている。もしかしたら僕ら日本のライターは、いずれ彼らの軍門に下るしかなくなるかもしれない。


 ただし、君だけはそうなってほしくない。君はこれまでも、そしてこれからもこの世界を自由に駆け、会ったこともない人間の批評に縛られない文章を書いて食べていくんだ。僕は所詮飢えも富みもしない程度の報酬しか稼げないライターだけれど、君はそうじゃない。


 君は文章を書くことで自由を手に入れた青年なんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る