彼女と師匠をRX-8に乗せて
8 成田じゃなくて羽田に到着なんだって
羽田に到着してから丸々3時間。勝明は待ちに待った。
40分遅れの飛行機に乗って来日してきたメアリーは、いつもの通りどこか含みのある笑顔を勝明に向けた。前回の彼女の離日は、たった1週間前のこと。往復のフライト時間も考慮すれば、一体何をしに祖国へ戻ったんだというツッコミが入りそうなほどの過密スケジュールである。
「ハイ、アキ! 元気そうね。仕事は順調?」
「誰かさんのお陰で難儀してるよ」
「あら、私がアキの仕事に対して何か邪魔したことがあったかしら?」
「……自覚がないっていうのは一番恐ろしいよね」
そう漏らしつつ、勝明はメアリーの100L容量バックパックをマツダ・RX-8の後部座席に押しやる。
慣れた仕草で助手席に搭乗したメアリーは、
「で、どこ行くの?」
と、勝明に問うた。
「……君はどこに行きたい?」
「あら、嫌だ。私はアキを頼ってきたのよ」
「そんなこと言われてもな」
勝明は苦みを含んだウィンクをしながら、バックミラーで後部座席を確認する。
朱色が鮮やかに映える着物を着た凪が、こちらを凝視している。バックミラー越しに彼女と目が合った。勝明はそれをしばらく見つめてみるが、どうやら機嫌は悪くなさそうだ。
「……アキ、どうしたの?」
凪の姿を見ることができないメアリーだが、さすがに勝明の不自然な様子には気づいているようだ。
「え? いや、何でもない」
「アキって、たまに変な感じで黙り込むわよね」
「そんなことないよ」
「そうよ。何だか私以外の誰かと会話してる感じ」
「……まさか」
勝明は自分でも歯切れが悪いと思う返事をしながら、クルマを発進させた。
その際にバックミラーに映った凪の微笑が、若干憎たらしく思えてしまった。
*****
「アキを頼ってきた」と言っているメアリーだが、その目的は決まり切っている。
浅草のホッピー通りで真野聡史が教えてくれたことと照合すると、RickとかいうAIはメアリーに何らかの指示を出している。世界中の読者が知りたがっている事柄を取材するつもりでやって来たのだ。それが何かは、もちろん勝明には分からないが。
世界中の読者が知りたがっている事項。
それは読者が、ニューワールド・サイエンスにどのような色調の情報を求めているかにもよるだろう。ニューワールドは政治誌でも経済誌でも、ましてやゴシップ誌でもない。設立以来、世界の文化や民族について美しい写真付きで解説してきた雑誌だ。
それだけならば彼女の好き勝手やらせておけばいいだけの話だが、都合の悪いことにニューワールドは日本の歴史関連雑誌を販売部数で脅かしている。
日本国内のどの雑誌も、ニューワールドに太刀打ちできるだけの企画力もなければ予算もない。しかもライターは総じて高齢化している。
そんな中でニューワールドが日本特集を組んだら、競り負けるのは目に見えている。人々が雑誌に金を出さなくなった現代、「そこそこ売れる」という中堅ポジションの雑誌は明らかに減った。この世界も貧富の格差が広がっているのだ。
そのようなどん詰まりの出版不況を踏まえたら、勝明がこれから取る行動は以下のようになる。
まず、メアリーに『趣味の歴史研究』の紙媒体創刊を知られてはいけない。情報が漏れたら最後、メアリーは趣味歴創刊号の企画の内容を必ず調べ上げるだろう。その上で、趣味歴の企画と同一線上の内容をぶつけてくる可能性は大きい。そうなったら、優秀な記者と高級機材をいくらでも使えるニューワールドの前に趣味歴は敗北する。雑誌のクオリティーでは絶対に太刀打ちできないのだ。勝明にとっては若干悔しいことだが、趣味歴の編集部が新雑誌に関する情報を極秘にした理屈は汲み取らざるを得ない。
だからこそ、ニューワールドが想像していない方向性の特集を一刻も早く考える必要がある。当然それは、日本人の琴線に触れるものでなければならない。
幸い、趣味歴のニューワールドに対するアドバンテージはちゃんとある。こちらは日本国内の読者だけを気にしていればいいということだ。要はその企画が日本人ウケするものであれば問題ない。が、現状どの雑誌もそれができず、読者をイギリス製の黒船に奪われ続けている。
勝明は雑誌の売り上げのことは考えないライターだ。しかしここは考えを曲げざるを得ない。それだけ日本の雑誌業界は弱体化しているのだ。この国の人々は記者の仕事を軽視し続けた上、「出版不況は若者の活字離れのせい」と情報媒体の進化を受け入れられない老人があまりに多過ぎる。そう、今でも——。
勝明が5分ほどかけて悩んだ末出した答えは、とりあえずRX-8を西進させることだった。
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