5 お前は杓子定規な子だの
大衆文芸館ビルを出た勝明は、そのまま神田神保町の古書店街巡りに移行する。
古本の町、神保町。勝明は大衆文芸館とのビジネス関係が発生する以前から、この町へ頻繁に足を運んできた。
「古本の流通量はその国の知識量」という、村井耕一東洋史学博士の言葉をきっちり守っている結果である。この村井博士は勝明の物書きの師。今では連絡がなくなってしまったとはいえ、勝明の行動は村井博士のそれに大きく影響されている。
たとえば、「電子書籍の確立は古本の地位を上げる」という発想。本の電子化が進むと、資料的価値は高いが一般大衆には全く注目されない本がどうしても貴重な存在になってくる。VHS化はされているのに、DVD化やストリーミング配信はされていない映画があるのと同じ現象だ……と村井博士は語っていた。
その教え子である勝明は神保町に来ると、毎回どこかしらの店で2、3時間は費やす。それだけの集中力を原稿執筆にも転用できればいいのにと自分でも思うが、古本探しはもはやライフワークとして定着しているのだから仕方がない。彼は村井博士の言説を、高校卒業から9年経つ今でも丁寧になぞっているのだ。
*****
「のう、勝明」
岩波文庫の棚を掻き漁る勝明に、凪が声をかける。彼女は今朝から勝明と行動を共にし、先刻の大衆文芸館での会議もしっかり見ていた。時折居眠りをしていたことは事実であるが。
「お前、なぜあの場で白状しなかった?」
「何をです?」
「ニューワールドの日本特集のことだ。あれがネットで漏れる前に、メアリーから直接それを聞いていたということだ」
すると勝明は手にしていた岩波文庫を棚に戻し、
「……歩きながら話しましょう」
と、凪を連れて古書店の外に出た。
目前の靖国通りとそれに沿う歩道は、勝明にとっては馴染みの散歩道でもある。いつも通りスマホを耳に当て、凪との会話の準備を完了させると開口一番にこう言った。
「紙媒体の雑誌の話なんて、あんまりしたくないんです。電子版をネットでダウンロードするご時世なのに、何が悲しくて紙媒体の売り上げがどうこうとか……。正直、『趣味の歴史研究』の判断には呆れてます。ライターに対して箝口令を出すのも、ちょっとアレかなと」
「勝明は紙の雑誌を出すのには反対しとるのか?」
「どうしてもやりたいのなら、電子版だけに絞るべきですね。ニューワールドみたいな図体の大きな版元ならともかく、そうでない日本の出版社が今更紙の雑誌なんて出したって結果は目に見えてます」
「紙の雑誌には関わりたくない、と?」
「物書きの仕事をくれるなら喜んで引き受けます。けれど、売り上げ云々の話に混ざりたくないです。ましてや、メアリーから聞いた例の表紙のことを打ち明けたら、僕はあの場でしつこく詰問されてますよ。どうしてそれをすぐに伝えなかったのか、お前はニューワールドの手先じゃないのかってね」
「手先? そんなことはない。お前はただメアリーから連れ込み宿で例の話を教えてもらっただけだろう。私はその場にいなかったから、詳しくは知らんのだが」
「その弁明も信じてもらえないほどピリピリしてるんですよ、今の出版業界は」
そう言い放った勝明は、突如歩みを止める。
「いや、待てよ……」
「どうした?」
「よく考えたら、僕がメアリーから特集の内容を教えてもらったあとにそれがネットで漏洩するって、ちょっと都合が良すぎないですか?」
「……ふむ、確かにな」
「振り返ってみると、これって全部ニューワールドが仕組んだことなんじゃないですか? つまり、予め故意に情報を漏洩させる前提でメアリーが僕に『People Of Japan』を教えた……。ロンドンの本部だって、SNSのプロフィール画像を例の表紙にしたんですよ。機密が漏れて慌てるどころか、むしろそれを宣伝のきっかけにしている感じがするんです」
「なるほど。しかし、ニューワールドがそのようなことをする意図は何だ? 長年守ってきた掟を破ってまで、そのような茶番を繰り広げるのか? それに何の利益がある?」
「……分かりません」
勝明は溜め息をついて数秒後、再び歩き出した。スマホは依然、耳に当てている。
幸い、神保町は悩み事を抱えながら散歩するには絶好の土地である。なぜなら、靖国通り沿いを歩く人の7割方は何かしらの考察をしながら歩いているからだ。神保町に集中する古書店と赤茶に焼けた古本が、関東各地から熟考家を呼び寄せている。
勝明は、この町の匂いが大好きだ。だからこそ、月1回はここへ来ている。
しかしそれは、僕の雑誌の対する態度と矛盾してるのではなかろうか? 近頃の勝明は、ふとそんなことを思案してしまう。あれだけ紙媒体の雑誌をこき下ろしているのに、大衆文芸館ビルを一歩出たら紙媒体の古本漁りに目の色を変えている。
「……勝明、お前はやはり杓子定規な子だの」
凪は勝明の内心を見透かすように、そう投げかけた。
「お前のことを滅茶苦茶だの常識知らずなどと抜かす戯け者もおるが、何てことはない。勝明はどのようなことでも寸分の違いを埋めんと気が済まんタチだ」
「……そうですか?」
「でなければ、たかだかよその雑誌の表紙ごときで頭を抱えておらなんだ。よいではないか、そのようなことは編集部に任せておけば。お前はお前の得意なものを悔いなく書けばいい。それに……」
凪は勝明の前を塞ぐように立ち、
「私はこれからも、3人で旅がしたい。勝明とメアリーと私の3人だ。お前たちの元締めが趣味歴だろうとニューワールドだろうと、そんなものはどうでもいい。私にとっては、勝明もメアリーも己の子に等しいからの」
そう言うと凪は勝明に背中を見せ、そのまま霞のように消えてしまった。
それと入れ替わるように、
「やあ、綾部くん。さっきはお疲れさん。今、暇してる?」
という、活発な男の声が勝明の肩を叩いた。
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