新しい雑誌ができるらしい

4 編集部にて

 静岡取材からちょうど1週間経った。ここは東京都千代田区神田神保町の片隅に建つ、大衆文芸館ビルの7階。


 会議室には既に、編集部の大久保学と『趣味の歴史研究』契約執筆者が3人集まっていた。これらの面子と勝明は初対面ではないが、一堂に会した状態で顔を合わせるのは初めてだ。

この3人、いずれも勝明より年上である。


 山木田美生、55歳。


 松島孝介、42歳。


 真野聡史、32歳。


 27歳の勝明がいかに若年か、この顔触れと並べるとよく分かる。そもそもライターという世界は、分野はどうあれ20代のうちから華を咲かせてやるだけの優しさは殆ど持ち合わせていない。それだけ人生経験を要求される職業でもあるのだが、逆に言えば勝明は例外中の例外に属する人間なのだ。


 そんな若者を「優秀」と取るか「変人」と取るかは、見る人による。


「やあ、綾部くん。久しぶり」


 優しい笑顔と共にそう声をかけたのは、勝明と最も歳の近い真野聡史である。


 主にアジア諸国の経済関連情報を執筆するライターだが、写真撮影の腕前も評価されて『趣味の歴史研究』に記事を卸している。若い頃は総合格闘技のプロ選手として慣らしていた、異色の経歴の持ち主でもある。もっとも、ライターなどという人種は皆異色であるが。


「待ってたぞ、相模っぱらの16号線兄ちゃん。例の金髪姉ちゃんとは上手くやってるか?」


 真野の横から豪快にそう話しかけた男は、ノンフィクション作家の松島孝介。無精髭面で、いわゆるべらんめえ口調に近い話し方が特徴の男だが、サミットや首脳会談等の重要催事の常連記者でもある。アメリカの文化や経済構造を分かりやすく解説した本が、2年前に大きな話題になった。


「さっきからお前ぇさんの噂話を真野の大将としてたんだ。いつ結婚するのか、それとも俺みてぇに女と内縁関係を続けるのかで1000円駆けるってぇ話なんだがな」


「僕は綾部くんがメアリーと結婚する方に賭けるけどね」


 そう言われた勝明は苦笑しつつ頭を抱え、


「それについては、Twitterで投票でもやろうかと思案してる最中です」


 と、返した。同時に勝明は、ロの字型に成型したディスクの一番奥で微笑むロングヘアの女性に目をやる。


 山木田美生。この4人の執筆陣の中では、一番知名度が高い人物。ヨーロッパのイベリア半島で栄えた歴代イスラム王朝の栄華と没落を書いた『イベリアのムスリム』は、歴史学者から「あまりに小説チックで正確なものではない」と非難されながらもベストセラーになった。そのお陰でスペインのパッケージツアーが売れに売れ、スペイン政府の観光セクションから表彰もされたほどだ。


 インテリ共が何と言おうと、魅力的なドラマを生み出す筆力で本を売ることに罪などない。


「綾部くん、あなた少し太った?」


 山木田は勝明にそう話しかけた。勝明は少し慌てつつ、


「いえ、体重はむしろ何百グラムか落ちてます」


 と、返す。


「そう……。ううん、気にしないで。何だか、前よりも落ち着いた雰囲気が出てきたから」


 そして山木田は、こう続ける。


「お母さんとは仲良くしてる? また一緒に飲みに行きたいわね」


「は、はい。流子さ……母にそう言っておきます、山木田先生」


 勝明はどうも、山木田が苦手だ。


 彼女は基本的に善人である。が、どうも逆らい難い。


 母親の職業柄、だいぶ多くの女性に囲まれながら育った勝明だが、山木田美生という人物は彼が今までに見たことのないオーラをふんだんに纏っている。ちょっとでも彼女に対して冗談を言おうものなら、皮肉の3倍返しを食らってしまうと勝明は考えている。これは憶測ではなく、実際にそんなことがあった。


「松島くんと飲みに行った時、綾部くんの話で結構盛り上がったの。取材先では気難しい青年とかワガママとか評判が立っているけれど、私たちから見ればまだまだ単なるスケコマシの坊やだっていう話になったわ」


「す、スケ……」


「あら、そうじゃないの? メアリーと付き合っておきながら、この前だってここの編集部で働いてるインターンの子とどこか行ってたでしょ」


 すると、それを聞いた学が顔色を変え、


「おい、それマジか!」


 と、勝明に詰め寄る。そんなわけないじゃないか学ちゃん、僕は大衆文芸館のスタッフに手を出さないことにしてるんだよと弁解する最中、


「今更言い訳吐くんじゃねえや。その娘と腕組みながら京王線に乗ってたのを、俺はしっかり見ちまったんだからよ」


 松島が追い打ちをかける。その光景を、真野が苦笑しながら見守る。


 どの世界でも、最年少は割を食ってしまうようだ。


 *****


「スケコマシの断罪は後にするとして、今日は皆さんに大事な相談があります」


 学はそう切り出すと、手元のタブレットを4人の執筆者に向けた。


 そこにあるのは、あの表紙だった。ニューワールド・サイエンス誌の「People Of Japan」号である。


 静岡取材の時にメアリーが勝明に見せたものとまったく同じ内容、ではない。写真が馬に乗った武士のものに変わっていて、しかもこちらは日本語版だ。白抜きで「ジパングの人々」と書かれている。実はこれが、4日前に英語版やスペイン語版などと共にネット上で漏洩した。


 が、写真が何に変わろうがそのようなことは微々たる差異だ。重要なのはそこではない。


 報道誌界隈はおろか、一般ニュースでもこの漏洩劇は大きく取り上げられた。しかも、勝明がメアリーの口から聞いた時よりもさらに細かい情報まで付加されている。3か月後の発売号がこの「ジパングの人々」即ち「People Of Japan」だそうだ。


 世界36ヶ国に支社を持ち、それぞれの言語に翻訳され180ヶ国以上の国民が購読するニューワールド・サイエンス。1834年の創刊以来、次号の内容を発売1週間前まで秘密にするという方針を貫いてきた。それが初めて崩れたのだ。


 しかも、数ページ分のゲラまで一緒に漏れている。


「ご存知かと思いますが、ニューワールドの表紙とゲラがネットに流出しました。しかもその内容は、よりにもよって我々が一番よく知っている国のことです。歴史関係の内容を取り扱う日本国内の雑誌は、相当動揺しているようです」


「そうなの? 所詮はよその雑誌のことなんだから、あまり意識しなくてもいいんじゃないかしら?」


 山木田の問いに、学は首を振る。


「それが、さすがに無視はできません。ニューワールドの影響力は世界的なものということもありますが、何よりニューワールド自体が日本国内の同じジャンルの雑誌より売れているということが大きいです」


「ああ、それは僕も聞いたことある」


 そう割り込んだのは真野だった。


「昔みたいに、それぞれニュアンスをずらせばどの雑誌も売れるというわけじゃないからね。紙媒体は売り上げの格差が深刻になってるっていう話でしょ?」


「その通りです。もっと言うと、世界の文化や地理学を取り扱った雑誌では日本でもニューワールドの独り勝ちのような状態になっています。それだけクオリティーが高いということでもあるのですが、日本の出版業界の驕りがたたったのだと思います。『向こうは外国でこちらは日本のことを取り扱っているから棲み分けできる』という安直な考えが、こんな状況を作ってしまいました」


「まあ、そのへんは仕方ないよ。ニューワールドは写真も多いし、世界中にアクティブな記者もいるし。ちょっとした旅行誌のような感じにもなってるよね。仮に1200円しか使えるお金がないのなら、僕だってニューワールドを買うと思う」


 そこへ松島が、


「情報漏洩が幸いして、3か月後だかのニューワールドが注目されちまったってことだな。そこへ持ってきて日本特集か。六星社の『日本史浪漫』とか太洋社の『歴史発見』とか、その辺りが割食っちまうだろうな」


 と、腕を組んだ。


「『歴史発見』は相当本腰入れた雑誌だよな。執筆陣に国立大の教授を何人も揃えてやがる。俺たちヤクザ共とは偉ぇ違いだ」


「でも、『歴史発見』は写真が少ないわ。若い子たちには少し難解な文章だし。それに、私の本にイチャモンもつけたことあるから」


 山木田はクスクスと笑いつつ、


「『日本史浪漫』のほうはよく読むけれど、あそこも執筆者がどんどん高齢化している感じね。20年くらい前は、30代のライターにもペンを取らせていたわ。その頃のライターが、新陳代謝されることなく今も書いてるのがあの雑誌の現状ね」


「それ以外の雑誌はどうなんですか? 新建社の『未知なる歴史』とか玲友堂の『ヒストリーマガジン』とか」


 真野の問いに山木田は、


「問題外ね。『未知なる歴史』は歴史雑誌じゃなくて言論雑誌よ。大家になり切れない自称愛国者の作家が、ただひたすら史実に脚色するだけの記事ばっかり。『ヒストリーマガジン』は記事よりも無駄に豪華な付録に力を入れてるところだし」


「まあ、こいつらはニューワールドの餌になっちまうのがオチだぁな」


 松島がそう締めると、やや力のない笑いが一同から起こった。


 シェアを独占しようとするニューワールド・サイエンスに対抗できる国内誌が、現時点ではまったく見当たらないということだ。


 そこへ学が、


「で、実はそれを踏まえて皆さんにお知らせしたいことがあるのですが……」


 と、切り出した。


「このニューワールドの発売予定日から2日後になるんですが、『趣味の歴史研究』は紙の雑誌を創刊します。……最初にお伝えしますが、この話は口外無用、極秘事項ということでお願いします」


 *****


 勝明は友人でもある学の顔を見てやることができなかった。


 著名な3人の執筆者に詰問される姿が、だいぶ痛々しいからだ。


「お前ぇさん、大卒のインテリでもうちょい頭が回る奴だと思ってたんだが……何か気に触れることでもあったのか?」


「いえ、我々は本気です。もちろん、社内ではだいぶ反対されたのですが……」


「そらそうだろう。今からでも遅かぁねぇぞ。ニューワールドの一件を言い訳にして、紙から手を引きな。さすがに勝ち目はねぇや」


 そう言われた学は首を横に振り、


「いえ、これは僕らの覚悟でもありますから。もちろん、失敗の可能性はちゃんと認識しています。それでもやる価値は十分にあると考えての判断です」


「ねえ、ちょっといいかしら?」


 山木田が割って入る。


「具体的にどういう趣向の雑誌になるかはまた聞くとして、ライターの頭数はちゃんと確保しているの? 新しい雑誌は、多少余分に書き手の目途をつけていないと長く続かないわよ」


「それは承知しています。まずはここにお集まりの皆さんに、骨を折っていただきたいと考えています」


 学の答えに、山木田はため息をつきながら微笑む。


「今から企画に沿った記事を書いてくれ、ということね。それならそうと、もう少し早くこのことを言ってくれればよかったのに」


「申し訳ありません。いかんせん、この新雑誌構想はギリギリまで内容を明かしたくなかったんです。それに……」


「それに?」


「具体的な企画についてなんですが、まだ決まってないんです」


「決まってない?」


「基本はWeb版の“気軽に呑気に歴史探検”というコンセプトでやりたいと考えていますが、紙の場合は毎月目玉の特集企画をやらなきゃモノになりません。ですが、それを事前に公開すると……」


「他の雑誌に同じテーマの特集をぶつけられるから?」


 山木田にそう問われ、学は頷いた。


「そう……。それにしたって、創刊号の特集をまだ決めてないっていうのは随分と強気な態度じゃないかしら?」


「恐れ入ります。何しろ、今は同業他者で潰し合いのような状況になっていまして、たとえば半年前には『鹿児島特集』で戦争みたいな状態になりました」


「大河ドラマに便乗して、同じ月にあちこちが同じテーマで特集組んだっていうハナシね」


「あの一件で一番割を食ったのは『歴史発見』でした。……ご存知かと思いますが、『歴史発見』はニューワールドとは逆で2ヶ月前から特集企画を公表します。ところが、これに『日本史浪漫』と『ヒストリーマガジン』が殆ど同一の内容の企画をぶつけてきました。結局、豪勢な付録と電子版書籍のある『ヒストリーマガジン』が『歴史発見』の売り上げをごっそり持ってったような形になりました」


「両方とも買って読んでみる、という読者が少なくなったというわけね」


「そんな豊かな時代は終わりました。今時、1冊千何百円もする雑誌を同じ月に何冊も買えるような人はそう多くないでしょう。先ほど真野先生がおっしゃった通り、1200円しか使えるお金がないのならみんなクオリティーの高い方を買います」


 学はそう溜め息をつくと、


「そんな中で新しい雑誌を立ち上げようとしているわけですから、確かにかなり無謀なのかもしれません。ですが、たとえ失敗したとしてもやる価値はあると考えています」


 と、力強く言い切った。


 以上のやり取りの間、勝明はただ黙っていた。時折頷くのみで、あとはまるで会議の内容を聞き流すかのような仕草を取った。


 その隣にいた凪も、勝明と概ね同様の態度だった。ただし彼女の場合は、幽霊故にたとえ居眠りをしても誰にも咎められることはないという利点を有していた。

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