2 3ヶ月ぶりの師匠

 翌日、勝明とメアリーは静岡市内にある久能山東照宮へ足を運んだ。


「東照宮」と呼ばれる建造物は、日本各地に複数存在する。この神社は徳川家康を祀る目的で造られたものであるが、一方で家康本人の遺言で建てられた東照宮はふたつしかない。


 ひとつは言わずもがな日光、もうひとつは久能山である。話題性としては今も昔も日光のほうが圧倒的に大きい。双子だからといって、平等に光の当たる人生を送れるとは限らない。それと同じだ。


 社殿の規模で言えば、久能山は東照宮よりも小さい。しかしこちらの社殿は、日光よりも朱色が強いのが特徴だ。


「フィルムカメラを持ってくればよかった」と、メアリーは何度か勝明に愚痴を言っている。だがそんな彼女が今持っている機材は、何とデジタル中判カメラ。大して豊かではないフリーライターには手の届かない代物である。


 それにしても、空気が美味い。この久能山東照宮は標高200mを少し超えたところにあり、駿河湾も見渡すことができる。その代わり、1159段の石段を2本の脚で登らなければならない手間もあるが、勝明もメアリーも足腰にはそれなりの自信がある。


 平日ということもあり、参拝者はあまり多くない。勝明としては、そのほうが都合がいい。肖像権に関する事柄が厳格化された今、参拝者の顏が写真に写り込むのはいろいろと面倒だからだ。


 メアリーも、できる限り取材と写真撮影に専念したいはずだ。


 しかし、この女性はなかなかどうして元気がある。


 大学時代までは走り高跳びの選手で、今はカンタベリーに帰ると7人制女子ラグビーのチームで走り回っていたりする。スタミナはまさに無尽蔵と言っていいだろう。ただでさえ重い中判カメラを担ぎつつ、1000段以上の石段を登ってもまるでビクともしないのだから。


 一方で勝明は、少し疲れている。


 せっかく久能山に来たのだから、彼も手持ちのAPS-C一眼レフで朱の社殿や高所から臨む駿河湾を撮影している。しかしメアリーほど活発に動き回るだけの体力はなく、とうとう売店横のベンチに腰を下ろしてしまった。


 メアリーと過ごした昨夜の疲れもあるのか。そう考えていると、


「何だ、勝明もいよいよ歳を取ったのか」


 左手方向から声が聞こえた。勝明のことを呼び捨てにする、やや高圧的な口調だ。


 勝明が首を左に回すと、そこに座っていたのは紫色の着物を着た少女である。長い髪を後ろでまとめ、白い足袋に上等な雪駄を履いている古風な格好の小学生。いや、彼女は小学生ではない。小学生は今頃小学校で授業を受けているはずだ。


 勝明は数秒間唖然とし、やがてこう言葉を捻り出した。


「し、師匠……!」


 すると少女は、


「3か月ぶりかの。どれ、少し痩せたか? 流子は元気にしておるかね」


 と、ベンチから降りた。身長は140cm前後で、現代風の服を着てランドセルを背負わせればただの小学生と見た目は変わらないはずだ。


 だが、そんな彼女の姿を目視できる者は滅多にいない。それ相応の霊感がなければ不可能だ。


 幸いなことに、勝明は強い霊感を持っている。


 少女は現世の人間に「上村凪」と名乗っているが、勝明は彼女を「師匠」と呼んでいる。


 それは、勝明自身が今の仕事で凪に何度も助けられているからだ。


 何しろ、歴史に関する事柄を取り扱うライターである。読書量は誰にも負けないという自信はあるが、それでもたったひとつの脳では限界に突き当たってしまう。歴史についての的確な解説を施しつつ、読者に面白がってもらえるような記事を書くというのはインテリ連中が考えている以上に難しい。


 だが勝明の場合は、すでに200年近く幽霊をやっているらしい大先輩の知恵と知識を借りることができる。凪の経歴についてはどこまで本当なのかは分からないが、少なくとも彼女が正真正銘のベテラン幽霊であることだけは確かだ。


 霊感があることは、この商売においては決して悪いことではない。


「ふむ、今回は権現様のことを書くのか。まあ、久能山に来たということはそういうことだろう」


 凪はスマートフォンを耳にあてがう勝明に、そう話しかける。幽霊と公共の場で会話をする時は、勝明が電話で会話しているふりをする必要があり、自ずとこのような格好になる。


「いろいろ揉めたんですが、今回も『趣味の歴史研究』で書くことになりました。けれど、まさかメアリーも家康について調べているとは思ってませんでした」


「驚くことではないだろう。あの子はニューワールド・サイエンスきっての知日派だからの。私もメアリーの記事をよく読んでおるぞ。この前は夏目漱石の記事を書いておった。お前は読んだか?」


「はい、先々月のニューワールドですね。お前もこれくらい知的なこと書いたらどうだって、ウチの流子さんに言われました」


「お前は相変わらず母親に頭が上がらんな。マミーボーイというやつか」


「やめてくださいよ」


 勝明はそう返すと同時に、社殿の方向からこちらへ引き返してくるメアリーに視線をやる。


 足取り軽やかで、こちらに軽く手を振っている。一目見ただけで肩の凝りそうな中判カメラを首から下げつつこの態度なのだから、ライターという商売は何だかんだで体力勝負なのだと改めて実感してしまう。


「元気だの、あの子は」


「あれでも僕より年上ですよ」


「活力が全身から漲っておるな。……そういえば勝明、今日は西洋の暦では5月18日だったか」


「ええ、そうですが」


「今日はこのまま家に変える予定か?」


「はい、これから新幹線の切符取って帰るつもりです」


「いつものRX-8ではないのか?」


「RX-8は流子さんに分捕られ……いえ、貸しています」


「ふむ、まあよかろう。ならば、新幹線の予定は変更だ。明日も府中にいるようにしろ」


「……師匠って競馬好きでしたっけ?」


「馬鹿者、その府中ではない。静岡だ、静岡」


 凪は勝明を急かすように、


「よいか、今夜も府中の宿に泊まれ。明日、私が面白いところに連れて行ってやる。この機会を逃すでないぞ」


「は、はあ……。それって明日でなきゃだめなんですか。メアリーは明後日の便で一時帰国しちゃうらしいんですけど」


「明日を逃したらしばらく機会はない。メアリーの帰国が迫っているというのなら、尚更良い機会だ」


 語気を強める凪は、


「私がお前に損をさせたことがあったか。何かと詰めの甘いお前に知恵を与えておるのだ。四の五の言わず、私の言うことを聞け」


 と、勝明に念を押した。

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