僕の取材旅行は彼女と幽霊と母親と!

ジャワカレー澤田

—第1部— 金髪の彼女と幽霊の師匠と

1 「偶然」の再会

「綾部勝明」という名のライターの評価は大きく分かれている。国内の史跡について様々な雑学も混ぜながら上手に書き上げる、という点に関してはどこの配信元も共通認識として持っている。だが勝明は、編集部との約束を反故にされた場合、二度とそこでは筆を執らないというスタンスを徹底させている。それがたとえ口約束でも。


 此度の静岡取材も、そのせいでだいぶ揉めた。駿府城の天守台発掘に関する記事を書くことが決まりかけていたのに、あとから編集部がいろいろな注文をつけてきたからだ。綾部さんだけでは不安だから、取材には編集部員も同行する。だからその都合に合わせてスケジュール調整をしてもらいたい、と。冗談じゃない。僕のフリーライターの実績を評価しているから、おたくのメディアで執筆させてくれる段取りになったんじゃないのか。まだ30歳よりだいぶ手前のライターだからって、ナメてかかるんじゃない。


 だから勝明は、そのネタを別のメディアの編集部に持っていくことにした。大手出版社大衆文芸館の運営するWebメディア『趣味の歴史研究』とは、すでに数年来の付き合いだ。互いの気が知れている分、約束を反故にされる心配も殆どない。


「駿府城の発掘現場で、豊臣秀吉の城が見つかった件は知ってるよね? それを取り上げたいんだけど、どうかな」


 勝明は同い年の編集部員である大久保学に電話口で相談し、学は二言三言でそれを了承した。こういう時、「タメの以心伝心」は本当に役に立つ。


 そもそもは徳川家康が作らせた天守台を調査する目的で行われた駿府城発掘であるが、その最中に天正期、即ち秀吉時代の城の天守台が見つかった。これは史料にまったくないもので、まさに大発見だ。


 この発掘現場は公開されている。秀吉の城の発見以降、見学者は目に見えて増えたという話を勝明は聞いた。幸いにも、今は豊臣方の諸将の再評価が進んでいる。昔は悪役だった石田三成は、今では悲劇のヒーローのような扱いだ。


 それにしても、駿府城跡地を訪れる見学者は一様にして晴れやかな笑顔を浮かべている。


「スマイル0円」という日本独自の発想は「おもてなしの心」という見方もできるが、勝明自身は正直好きではない。日本では仏頂面の店員が少ない反面、明らかに無理をして笑っている場面をよく見かけるからだ。だったら仏頂面のほうがまだマシではないか、とも考えている。


 だが、今ここにある笑顔は真実の表情に他ならない。人は未知のものを初めて見た時、笑顔をこぼしてしまうものだ。かくいう勝明も、掘り起こされた石垣を前にして堅い靴紐をほどいたかのような笑みを浮かべていた。


 これだから史跡巡りはやめられない。取引先と喧嘩をしてまで来た甲斐があったみたいだ、と勝明は声に出さずに呟いた。


 *****


 ところがそんな爽やかな気分は、ある人物を目の当たりにした途端にあっさり崩壊してしまう。


 金髪のショートボブが特徴的な、肌の白い女性がいる。あの金髪は脱色したものではない。遠目で見ても本物の色合いで、彼女が西洋人だということはすぐに理解できる。


 その彼女も、勝明のいる方向へ首を傾けた。一瞬、驚いた顔を見せる。だがそれは文字通りの一瞬で、その後は悪戯っ子のような笑みを見せてきた。


 どうやら彼女も、この駿府城跡地の写真撮影が目的のようだ。勝明が持っているものよりも立派な一眼レフカメラをぶら下げている。


 勝明は十数秒思案し、ようやくその足を彼女の近くへ寄せた。たかだか30歩程度かもしれないが、勝明にとっては随分と長い距離である。


「偶然、だよね。僕は君にスケジュールを伝えたことはないから」


 勝明がそう声をかけると、


「ええ、偶然よ。私だって、商売敵を取材先に呼ぶことはないもの」


 と、ほぼネイティブに近い発音の日本語が返ってきた。


 *****


 メアリー・ホイットレーはカンタベリー出身のイングランド人だ。


 そしてジャーナリストとしての実績は、2歳下の勝明の遥か上を行く。何しろ、メアリーは世界各地に支局を置く科学・地理学雑誌『ニューワールド・サイエンス』で記事を書いているのだから。1834年創刊の名門誌で、地球上のあらゆる地域の自然、地理、気象、歴史、民俗、最先端テクノロジーを写真付きで取り扱う。


 日本においてもよほどの世間知らずでない限り、ニューワールド・サイエンス誌の表紙を見たことがないという者はいない。


 メアリーは、そんな超有名雑誌の執筆陣において「日本の隅々まで精通した西洋人ライター」としての地位を確立している。その知名度は、勝明ごときでは遠く及ばない。確かに勝明も大衆文芸館という、日本では五指に入る大手出版社のメディアで記事を書いている。しかし大衆文芸館は所詮、第二次世界大戦後に設立された会社だ。偉大なるヴィクトリア女王が大英帝国の君主になる前からあったニューワールド・サイエンス社とは、歴史も資本規模も比較にすらならない。


 しかも、勝明が筆を執るメディアはWeb媒体である。


「君には結構妬いてるんだよ。ライターとしての待遇の差は、一体どこにあるんだろうって」


 勝明のその言葉に、メアリーは苦笑した。


「嫉妬する必要なんてないじゃない。私はむしろ、アキが羨ましいわ。私よりもたくさんのメディアで書いてるから。個人の発信力で言ったら、アキのほうが上だと思うわ」


「僕としては、できれば1ヶ所の紙媒体で長く書きたいけどね。そのほうが楽だし、報酬だって高くなる」


「そんなことないわよ。だってニューワールドは、昔からケチで有名なのよ。私だって、空港のレストランで10ユーロ払うのに渋るくらいなんだから」


 そう言いながらメアリーは、ベッドの上で部屋の天井を見つめる勝明に抱き着いた。


 日本独自の形態であるカップル向けの宿泊施設、俗に言うラブホテルで一晩を過ごす羽目になってしまった勝明だが、もちろんメアリーとの連れ合いは今夜が初めてではない。考えてみれば、彼女との馴れ初めは自分がまだティーンエイジャーの頃だ。


 *****


「面白いもの見せてあげる」


 朝の5時過ぎ。砂時計型の裸体にシーツを巻いたメアリーが、ふとベッドから起き上がり勝明にそう言った。


 だが、この時の勝明は半ば寝ぼけているような状態だ。4時間ほど前まで何度も身体を要求するメアリーに散々付き合っていたわけだから、あと4時間は倒れていてもバチは当たらないだろう。しかしメアリーはそれを許さない。


「今度のニューワールドの表紙、興味あるでしょ?」


 メアリーがそう口にした数秒後、勝明はベッドから文字通り跳ね起きた。


 跳ね起きるだけの価値が大いにある発言だ。ニューワールド・サイエンスは月刊誌で、21世紀の今ではWeb版も運営しているが、紙媒体の本誌の表紙とその内容は発売日の1週間前まで一切公開されない。その時が来ると昔は新聞のプレスリリース、今はWebメディアで公表される。


 その秘密事項を、今から教えるというのだ。しかも、


「この表紙、来月号のものではないの。早くても3か月先か……もしかしたら半年以上先にこの特集が組まれると思うけれど」


「そんな先の特集を今から考えてるの?」


「珍しいことじゃないわよ。特に編集長が今のショーティー・ジョンになってから、何事もきっちり計画を立てるようになっちゃったわ」


 と、メアリーはタブレットを勝明の目前にやる。


 そこに映っていたのはレトロ調の日本列島の全体地図に『New World Science』と書かれた黄色のフォント、そして嫌でも眼球に飛び入る真っ赤なフォントでこの一文。


 People Of Japan


「文化人類学の特集かな?」


 するとメアリーは首を横に振り、


「それだけじゃないわ。知ってると思うけど、ニューワールドが扱うのは別に人文学だけじゃないの。日本の男はどうも人文学ばかり語ろうとするけれど、自然科学は万物の基礎だってことを忘れてるわね」


「そのあたりは君んとこの雑誌を読む度に実感してるよ」


 勝明はベッドの脇のテーブルに置いたガムを取り、口に入れる。


「で、この表紙の具体的な中身は?」


「それは最高機密ってやつ。ていうか、私もまだ知らない」


 メアリーは「けれど」とつなげ、


「ひとつだけ教えてあげる。ロンドンも東京の支局も、アキが記事書いてる『趣味の歴史研究』をかなり意識してるわ」


「そうなの? 『趣味の歴史研究』は日本人しか読まないローカルメディアだし、それに紙を出してない。歴史関連のメディアなら、紙媒体内のものを入れても他にも大きいとこがあるけどね」


「もっと自信を持って。ショーティー・ジョンはアキの引き抜きを考えてるくらいよ。ぜひウチでも書いてくれないか、って」


 メアリーはそう言うと同時に、タブレットを操作した。


 次に出てきた画像は、歴史人物の肖像画だ。勝明を始めとした日本人にとっては幼少の頃から見慣れた、あの人物の姿である。


「手始めに、この国の偉大なるタイクーンのことを調べようかなって思うんだけど。せっかくだし、アキも付き合わない?」

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