第3章
少し、思い出話をしようと思う。
理由なんてないけれど、何となく、感傷的になることが誰にでもあるんじゃないかな。
例えば自分のまわりの環境が変わって、昔のことが恋しくなったりとかね。過ぎたことにしがみついているみたいでかっこ悪いけど。でもそれ自体は、決して悪いことではないのだと思う。
誰だって、これまでの上にこれからがあるんだもん。たまには振り返ってみてもいいじゃない。
私は小学校四年生の時、転入した学校のクラスメートという形で春風夢理に出会った。
実は、不思議だけれど私にはこの時期より前の記憶がほとんどない。親に聞いても、「いい子だったわよ」とかそんな曖昧な話しか聞けなくて、だから私の『これまで』にはぽっかり穴が空いていたりする。不便なことはないけどね。たまにわけもなく不安になるくらい。
そして、確かな記憶をたどるとそこには必ず夢理がいたりするのだ。それがどういう意味なのかなんて考えたこともなかったけれど、もしかしたら雪ちゃんが言うように、私は随分と前から、夢理のことが気になっていたのかもしれない。なんだか悔しいよね。
『お前、なんでここにいるんだ?』
これが、夢理とあって最初にかけられた言葉だったように思う。赤いワンピースを着て頭を二つに括ったあの頃の素直な私は、歓迎されてないのかと思って泣きそうになっていた。でも、夢理の中ではそういうことではなかったらしくて、慌てて私を笑わせようといろんな話をしてくれたのをよく覚えている。
興味のある話でもないのに、よく覚えているのはやっぱり嬉しかったってことなのかな。
『お前、お守りって持ってるか?』
『オマエじゃないよ。ひよりだよ……』
『じゃあ、ひより。お守りってこんなやつ』
『ううん、持ってない。その小さい袋に何か入ってるの? 見せて見せて』
『ダメ、これは開けちゃいけないんだぞ。開けると逃げちゃうからな』
『逃げちゃうの? 何が?』
『わかんない。本当はわかるはずだったんだけどな。ばあちゃんが言ってたんだ。「この中には不思議な力の源になるものが入っていてお前を守ってくれる。でも開けると効果がなくなってしまうから絶対に開けちゃダメだ」ってさ。きっとちっこい妖精か何かが入ってるんだと思うんだ。トンボみたいな羽のキラキラしたやつ。だから今日暗くなったら誰もいないところで中を見てやろうと思ってた。こういうのってわくわくするだろ?』
『うん。でも、開けたら守ってもらえないよ』
『守られなくてもよかったんだよ。俺は強いからな。でもやめた。これには泣き虫なお前を守ってもらうことにする。だから開けない』
『オマエじゃないよ。ひよりだよ。……それじゃあ、くれるの? お守り』
『あげないよ』
『くれないの?』
『あげない。これは俺が持ってて、泣きそうな日和を俺がこいつで守るんだ』
え、なんか思い出美化されてない?
九月十一日 十二時十五分
あれから、
私が夢理を連れて文月さんのところへ行ったあの日から一週間がたった。
七日。
百六十八時間。
一万八十分。
六十万四千八百秒。
どんな風に置き換えてもそれが長いのか短いのかなんてわからないけれど。
それでも、一週間。
いや、まだ後日談とかじゃないんだけどね。
キーンコーンカーンコーン。
「お、もうチャイムか。じゃあ、次の問題からは宿題にするからちゃんとやってくるように。やってこなかった人間がいたら、卒業式に配られる紅白饅頭はみーんな先生のものだ」
……そんなバカな。
大勢の生徒からひんしゅくを買い、大ブーイングを受けながら科学の保科先生は教室をにこにこ顔で出てゆく。あの人は本気で楽しんでいるんだろうなぁ。生徒からの評判も、実のところそんなに悪くない。ま、あの程度の冗談なら思春期真っただ中のこーこーせいにも通用するということなのだろう。
ということで本日の三限しゅーりょー。世はお昼休みに突入なのです。
「ひー、よー、りーん!」
「ん、ゆきちゃ……」
「のわわわ」授業の終わりとほぼ同時に私の席に駆け寄ってきた雪ちゃんが、すでに人の立ち去った隣の椅子につまずく。言葉にするならドンガラガッシャーンかな、そんな音をたてて盛大に周りのものを巻き込みながら倒れた。近くにいた人間が私だけだったのが救いだったかもしれない。
「もー、周りが見えてないぞ、この幸せ絶頂不良娘がー」
高校生活における一週間は、同じサイクルの平凡な日々の連続。のようで、実は大きく変わっていたりする。
「わかる? そっかー、わかっちゃうかー。ごめんね!」
起き上がりながら謝罪の言葉を口にしている雪ちゃんの顔は満面の笑みだ。表情筋を制御できていない、造語で表すなら『こぼれきった笑み』とでも言えばいいのかな。打った額は真っ赤だけれど、転んだことなんてちっとも堪えてないみたい。
「えへへへ」
「えーい、うざったい!」もちろん本気ではないけれど。私自身も、本当はすごく嬉しいしね。
あれから一週間。
雪ちゃんは、生徒会長さんとカップルになっていた。
恋人同士。
相思相愛。
恋愛関係。
口に出すと照れてしまうような言葉で二人は繋がりましたとさ。よかったよかった。
「でねでね、こうくんが言うの、『奇跡だよ。キミと出会えたことがじゃない。キミの瞳に僕が映ったことがだよ』だって。きゃー」
あー、そういえばそういう大仰な話し方をする人だったっけ。というか単に気障なだけでは? しかもよく考えるといっている意味がよくわからない。ま、雪ちゃんが幸せそうだからそれでいいんだけどね。
「でもね……」
今まで笑みを全く崩さずにのろけ続けていた雪ちゃんの顔が突然曇る。
「ど、どうしたの?」
「もしかして、私達もう倦怠期なのかな。彼に送ったメール、返信が来ないの」
「え、そんな、いつから?」
「二限目の終わり」マダニジカンモタッテイマセンヨ、コラ。
「雪ちゃん、今ものすごーく幸せでしょ?」
「うん、えへへ」即答ですか。
訂正。雪ちゃんは幸せなのでもうどうでもいいです。べー、だ。
にゃおーとか言いながら机に伸びている親友さんは放っておいて、今朝購買で買ったパンを取り出す。んー、別に今日は品薄なわけじゃなかったんだけどね。
「あー、チャレンジ商品。ひよりんってば、いつの間に勇者になっちゃったのですか」
「え、これ食べたら世界救えちゃうの?」
「というか、そのパンで世界が滅ぼせる……」どんなパンだ。
そんなに警戒するほどのものだろうか。最近ちょくちょく手を出して慣れてきてしまった私には雪ちゃんのこの反応はちょっと新鮮かもしれない。
「意外といけるんだよ。一つ食べ「いやいいよ」早いからね! 私まだ言い終えてなかったからね!」
もー、どんなにおいしくても雪ちゃんには絶対あげないと心に決めました。ふんだ。
ちなみに今日のメニューは、おろしポン酢ピザトースト、ベーコンレタスプリンサンド、フレンチ風アボカドまんデミグラスソース和え。きっと、おいしいはず。……自信、なくなってきたけど。
「最近、夢理君見ないねー。さびしーよー」
雪ちゃんが唐突に、そんなことを言う。
はむ、「寂しくはないでしょ」はむはむ、「今までだって、ずっと教室になんて来なかったじゃない。授業も出ないで、探すのはいっつも私の仕事」
迷惑な話ですよ。迷惑な話ですともさ。
「それでもここまでじゃなかったよぅ。ま、ひよりんは密会してるみたいだからあんまり変わらないかもしれないけどね」ごっふぉふぉ。危うく人生で初めてベーコンとプリンを同時に吐き出すところだった。
「密会ってことないでしょ!」
「にゃはは」「ゆーきーちゃん!」しかも笑い方が人魂と一緒。
ふー、と息を吐いて呼吸を整える。いや、私も動揺しすぎだとは思うけどね。
一週間前から、春風夢理の姿はもはや教室では見当たらない。
朝のホームルームから、放課後まで。確かに三回に一度くらいは国語の授業を受けていたこれまでとは違うかな。
当たり前といえば当たり前なんだけどね。
昔、夢理にきいてみたことがある。
『夢理って、授業に出ないのに何でわざわざ高校生やってるの?』
『変か?』
『変でしょ』
『へへへ』
喜ぶところじゃない。
『高校生ってさ、何か始まりそうな感じがしないか? 確信とかじゃないんだけど漠然とさ。きっと何かが始まるんだよ。それは十六歳とか十七歳とかって年齢の話じゃなくて、高校生。中学生でも大学生でもなく、高校生。……だからかな』つまり学生なめてるんですねわかりました。
『で、何かってなによ』
『物語。なんかこうすっげーわくわくするような感じのやつな』
抽象的な言葉ばかりを羅列されて、あの時私は夢理がなにを言いたいのかわからなかった。今ならわかるってそういうわけでもないけれど。
つまり夢理は、この学校でずっと『特筆すべき物語の時間』とやらを待っていたのだと思う。そのためだけに学校に来て、友達もつくろうとせず、授業にも出ないで噴水に座って本を読んでいましたと。
最低条件だけクリアして、必要のないことには関わらずに。
バカだと思う。
夢見がちな中学生乙女よりもたちの悪いロマンチスト。
少しの根拠もないことを平気で信じられる危ないドリーマー。
けれど夢理は結局、その夢を叶えた。
文月さんと、出会った。
だから夢理はもう、この教室に来ることはないのだと思う。その必要すらも、なくなったのだから。夢理にとってここは目的ではないのだから。
本来なら、誰にとってもそうあるべきなのかもしれないけどね。進学校であるこの学校は大学への通過点と捉えるべきなのかもしれないし、そしてその大学ですらも自身の将来の夢に向かう一過程でしかないのかもしれない。
けれど、そんなのってつまらない。少なくとも私にとって雪ちゃんとこうしてお昼を食べている『今』は夢よりも大切なもので、失いたくない幸せなのだから。
『今』と『未来』を天秤に掛けた時、私の場合はどちらに傾くんだろうね。
「大人になんて、なりたくないなー」と高校生の神楽日和はおもっていますよー。聞こえていますか? 未来の私。
「へー、ひよりんでもそんなこと考えるんだ」
「考えるよ。私だって年相応の女の子だもん」
「恋する乙女だもんね」
ちょっぷ!「いたっ!」
おっと、手が勝手に。もー何とかしなきゃねこの体質。
「ウソだー、今のは絶対に故意だったって」
「え、恋?」
「わー、ひよりんにあからさまにとぼけられた! 訂正しますひよりんは故意する乙女だー」
「雪ちゃん、言ってることがめちゃくちゃだよ。話題が泳ぎ始めてる」
「泳ぐ? 鯉?」なにこの濃い会話。
はむ、雪ちゃんとのおしゃべりは楽しいけれど、はむはむ、食事が進まないんだよね。けれどこれはちょっと、いや、ちょっとどころじゃない驚きかもしれない。まさかおろしポン酢とピザがこんなに合うなんて。
「あれ、そういえば雪ちゃんお昼ごはんは?」
私はもう半分ほど食べ終わっているのに、雪ちゃんは未だ机になにもだしていない。いつも通りなら、やっぱり雪ちゃんも購買のパンだと思うけれど。チャレンジ商品ではないにしてもね。
「ふ、ふ、ふ、」その不敵な、もとい素敵な笑みはなんなのでしょうか。
「よくぞ聞いてくれました。っじゃじゃじゃーん!」
楽しそうに雪ちゃんが自身のバッグからそれを取り出す。
もしかして聞いて欲しくて、聞かれるまで出さないつもりだったのだろうか。それだと……もし、聞かれなかったら?
それはともかくとしてこの物体……うーん、説明した方がいいのかな。
艶のある漆塗りの黒。そこに丁寧に描かれた金の雄鶏。二十センチ四方はある平たい直方体が二段の……これは所謂、
重箱。
「あのねあのね。あのねのね。こうくんが作ってくれたの。お弁当」……の粋ですかこれは?
白ごはんにだし巻き卵、きんぴら、塩ジャケ、ほうれんそうのおひたし、ミニトマト。他にも私の知識じゃ名前がつけられないようなおかずがずらりと並んでいる。しかもまだ一段目。
「そんなに、食べきれるの?」
「大丈夫だよ。時間はできる限りのーんびり使わないとね」
いやいや、量の話だったんだけど。
「私がこうくんの作ってくれたものを残したりするはずないでしょ」
「今さらだけど、普通逆だよね! 私は、『今日、こうくんのためにお弁当作ったのー』っていう女の子らしい雪ちゃんを想像していたよ」
「その考え方はひよりん、古いのですよ。今どき女の子らしさ、男の子らしさなんて論じるひつよーないのです」
古い、か。そうかもしれないけど。いつか、夢理も言っていた。らしさなんて、自分らしさだけで十分だって。
それでも、ガツガツという擬音そのままに重箱をむさぼ……いや、喰らいつ……じゃなくて、召し上がる? (混乱)かわいい女の子って不思議な光景。
でもなんだろう。
今の雪ちゃんをみてると、好きなんだなぁって真っ直ぐ伝わってくる。今までの雪ちゃんだったら考えられない――ということもないけど――この行動は、愛情表現とやらの一つに含まれてしまうのかな。
やっぱり女の子って恋をすると変わってしまうものなのでしょうか。私も? 私も変わった?
変わりたいとは、思わない。なんだかんだいって私は、『今』の私は、『今』の私の事が好きだから。でも、
「あうう、おなかの許容量が……」
「当たり前でしょ。手伝おうか?」
「こういうのはきっと妥協しちゃだめなのです。うぅ……が、がんばるもんね」
今の、変わった後の『今』の幸せそうな雪ちゃんを見ているとそれもいいのかなって思っちゃうよね。
あいつは今頃、なにしてんだろ。今日も雨だから、またイルカにでものってるのかな。
はむ、うん、やっぱりデミグラスソースはイマイチ。
「そういえば、ひよりん。さっきの時間なにしてたの? 科学の時間なのにあの、えっと……パルメザン? してたよね」ちーず、はしてませんが。
なにをどう違えたらそうなるのかよくわからないけれど、多分、手算の事だ。神楽式高次手算。文月さんから刺激を受けたのは、夢理だけじゃないからね。けど、それをどこまで雪ちゃんに説明したらいいんだろう。一連の不思議な体験を、私はまだ話していないのです。
「んと、あのね……」
リンリロリンリロリンリン――言葉を探しあぐねていた私を助けるように、携帯電話が鳴った。さっきまで授業中だったからマナーモードにしているので、実際には音の流れていないバイブレーションだけなわけだけど、そこは使いなれた携帯、振動だけで脳内再生できてしまう。
これは、昔大好きだった小さな女の子たちが魔女見習いになるアニメのオープニングだ。ってことはEメールじゃなくて着信? 珍しい。
ポケットの中からそれを取り出す。知らない番号。だれでしょう?
雪ちゃんに、一言断って電話に出る。にやにやしているけど、なにを勘違いしているんだろうね。
「もしもし、どなたですか?」急いで出てきた廊下は少し肌寒い。
「ひよりん、私のこと忘れちゃったの? そんな。ずっとずっと友達でいようねって言ったのに。一緒に駆けまわったあの草原も、あんなに熱く語り合ったあの日々も、全部、全て、みんな、ことごとく、欠片も残さず忘れてしまったというの? でもね、私のな「えいっ」ピッ、ツ―ツ―ツ―。
さてと、次の授業は数学だっけ。因数分解の早解き五〇問の小テストがあるから早めに準備しなくちゃね。
リンリロリンリロリンリン――と、教室に戻ろうとしたところでもう一度着信がある。同じ番号。これ、でなくちゃいけないのかな。
「なんですか、宇佐木先生」
「冷めてるなー、神楽。担任の先生から直々にお電話があったら多少はウキウキするもんだろ。それともあれか? なにか叱られるような、やましーい事が心の中にあって出たくなかったパターンか? 大抵の事なら笑って聞き流してあげるから話してみなって。先生は自分のクラスの女の子が大好きなんだ」
「そのセリフ、先生が男性だったら確実にPTA会議ものですよ」
「そんなことにはならないね。クラスの女の子はみんな私の事が好きだからさ」どこからくるんでしょうね、その自信は。まるで誰かさんみたい。
「現に神楽も私の事、好きだろ?」
「いいえ」
「嘘つき」
天の邪鬼なだけですよ。
「それで、なんのようですか?」電話越しに問いかけながら、廊下のガラス越しに教室の時計を覗く。いつもどおりなら、うーん、テストは受けられないかな。でも、普段ならば放送で呼び出すところを電話で連絡してきた事を考えると別の急用なのかもしれない。
「わるいんだけどさー。春風夢理、探してきてくれない?」なにも変わらない。いつもどおりだった。
「あ、今なんで電話だったんだろうって考えてるだろ? いやね、本当は放送って大変なのよ。二つ隣の第三放送室まで行かなきゃできないからさ。で、今日掃除したら見つけちゃったんだよね。いやー、ラッキー」
…………携帯電話を?
そういうことだからよろしく、という言葉を残して通話が切れる。うーん、見てみたいかも。綺麗になった(かもしれない)家庭科準備室。今までを知っているから、ちょっと想像しがたいものがあるよね。
「さて、いきますか。本当に迷惑な話だけれど」そう思うのはやっぱり私が天の邪鬼だからで。最近の私は、それを自覚しすぎているのかもしれないね。
「ゆきちゃ……」「いってらっしゃい」「宇佐木先生からだって知ってたの?」「知らないよ。知るわけないじゃん」「じゃあ」「だって、ひよりん嬉しそうだもの」だそうですから。
私が帰ってきた時にはあの重箱は空になっているのかな、なんてことを考えながら私は授業開始直前の教室を出た。
十三時十五分 四限目
『春風夢理の携帯電話にはアドレスと電話番号が一件ずつしか登録されていない』という話は、この学校では割とポピュラーな噂だったりする。
すなわち『神楽日和のアドレスと電話番号だけ』。
春風夢理が他の人間と電話、或いはメールをしている姿を見たことがない、更にいえば想像もできないというのがその理由らしい。
まあ、もっともだとは思うんだけどね。社交性? 社会性? 協調性かな? 難しい言葉はよくわからないけれど、いうなれば仲間意識のようなものが極端に希薄である夢理を知っていればそんな噂になってしまうのも仕方がないと、当事者の私ですら考える。
けれど、この噂が真実でないということを知っている人はどれだけいるのかな。
そんなことを考えながら螺旋階段を下る。毎回思うことだけれど、これだけ大きな校舎なのだからエスカレーターかエレベータの一つや二つ作ってもいいんじゃないでしょうか。
ご立派に噴水なんかはあるのにね。そのあたりこの学校の方針はよくわからない。
いいんだけどさ。きっと、わからなくても。
「ん?」
ポケットの中で、携帯電話が揺れている。まさかまた宇佐木先生かと思ったけれど、表示されている名前は……タイミングがいいというかなんというか。どうせ出ないと思ったからこちらからは掛けなかったんだけどね。
二階から一階に繋がる階段の踊り場で立ち止まって電話に出る。近くの教室は今は授業中ではないみたい。
ピッ。
そうそう。
『春風夢理の携帯電話にはアドレスと電話番号が一件ずつしか登録されていない』という噂は間違い。
なぜなら、『春風夢理の携帯電話にはアドレスも電話番号も一件も登録されていない』のだから。
「もしもし、えーと、日和?」
「そっちから電話掛けておいて疑問形って。まーた、間違い電話消すの忘れたでしょ。そろそろ着信履歴から掛けるのやめて登録したら?」
「いいんだよ、これはポリシーだからな。それに基本的にはお前からしか来ないんだからさ」
「それでいいの?」
「いーだろ」……いや、にやけてないって。
「で、日和今どこにいる? お前探して久しぶりに教室に行ったら、数学のなんとかってセンセーに『テスト中なんだからもっと静かに騒げこのばかもん』ってつっぱねられたぞ。あいつ、自分の言ってること理解してるのかな」
「静かに騒ぐってすごい表現。チャップリンみたいな感じ?」
「サイレントの喜劇王をバカにするな」
「してないってば」そういえば、しっかり観たことはなかったかもしれないけれどね。
なんとなく、本当になんとなく、近くのガラス窓に近づく。左手で霜を適当に拭き取ると、その向こうは連日と変わらない雨だった。昼間からほんのり薄暗い空に気付いて、今さらながらに心細さを感じる。
「螺旋階段」
「ん?」
「あんたが聞いたんでしょ、私の居場所。下から数えて最初の踊り場」
「ああ、わかった。じゃあ、そうだなひとつ上がって二階の第二図書室まで来てくれ」
「なんで私があんたの方に行かなくちゃいけないんでしょうか」ほんとに、誰のために授業中の廊下を歩きまわってんだか。
「ばーか、俺はまだ教室前だって。そこにいたら寒いだろ」
「あ、いや……う、うん」いつの間にそんな気遣いできるようになったんだろう。成長してる? 私が意識しすぎてるだけなのかな。
「見せたいものがあるんだ。もっかい言うぞ、見せたいものがあるんだ。すぐにそっちに向かうから、期待しとけよ。ワクワクしとけ。じゃな」高揚した夢理の声の残響をピッ、と無機質な電子音がかき消して通話が切れる。
えーと、なにか間違ったかもしれない。私が宇佐木先生から頼まれたのは、春風夢理を探すこと。ひいては夢理を授業に出させることだったはずだ。電話が通じたのなら、それを伝えればよかったはずなのに。
「ま、そもそも先生に突っぱねられたみたいだしね」この分なら、私が連れて行っても授業には出られなかったかもしれない。猪宮先生、夢理の事嫌いだからな。夢理が数学を嫌いなのとどっこいどっこいだと思うけど。
はぁ、とため息を一つついてゆっくりと階段をのぼる。
寂しいと思った。
きっとそれは、雪ちゃんが感じていたものとは質の違う別のもの。あんまり会えないーとか、そういうのじゃなくて。
誰がみても誰が聞いたとしても当り前のように、それは自業自得なのかもしれない。全ての人に平等にある権利を、チャンスを蹴ってきたあいつの、自然な帰結なのかもしれない。けれど、夢理の居場所がどんどん少なくなっていくことを私は初めて寂しいと思った。
現実と真実。
見えていた虚構と本来あるべき姿。
夢理は、その壁を隔てた向こう側の存在になってしまうのかな。夢理はそれを望んでる?
心配とは違うよね、きっと怖いんだ。夢理が手の届かないどこかにいってしまうような気がして。
…………そうなったとき、夢理は私を連れて行ってくれるのかな。
「夢理の物語の先に私はいる?」
言葉になった不安にはもちろん返事なんてなくて、宙に浮いた言葉は近づいた第二図書室の喧騒に飲み込まれていく。どこかのクラスが授業中みたい。貸切状態では、『図書室の中ではお静かに!』の張り紙もまるで効果がないようだった。
だから当然だけれど、図書室の中には入れない。ま、夢理が人に気を回すなんて本来ありえないといっても過言ではないレベルの話なのだ。これぐらいのオチは想定の範囲内だよね。
夢理は私なんていなくても、生きていけるのだろうから。きっと本さえあればそれだけで、たとえ誰がいなくても気になど留めないのだから。
私はただのおせっかい焼きなんだろうね。
はぁ、と今度は自然にため息がこぼれた。
「らしくねぇぞ、ため息なんて」
「ほんと、なんでこんなことで私が……って誰のせいじゃー!」いつの間にか後ろに立っていた夢理に裏平手でつっこみを入れる。ほんとにことごとくタイミングの悪いやつ。
「いや、俺のせいなのか?」「当たり前でしょ」「当たり前なのか?」
はい、理不尽ですが何か?
「まぁ、それはいいや」わ、軽く流された。「見っせたいものがあるんだ!」
『んだ』の部分を必要以上に強調して、夢理はいままでと表情を一変させる。まるで好奇心旺盛な子供が今まで大人ぶっていたみたい。……例えようとしたんだけど、これじゃそのままかもしれない。子供だし。
子供だけど……ううん、いいよね。その先はまだ、雪ちゃんの前だけで。
だって私は、天の邪鬼なのだから。
「いいか」と夢理が言ったところで、脇の図書室の中がわっと盛り上がった。男子のばか笑いと女子の逃げるようなけれど楽しそうな悲鳴が聞こえる。うーん、授業中になにしてるんだろうね。
「ここはうるさいな。歩きながら話すか。これはちょっと集中力がいるんだ」
「あんたは周りがどんなにうるさくてもなんにも気にせず小難しい本を読んでられるじゃない」
こと好きなことに関しての集中力なら夢理以上の人間を私は知らない。呼びかけても気づかないくらいだもんね。
「ばーか。集中力がいるのはお前だよ」ああ、そういうことか。……どういうこと?
言われていることがよくわからないまま、夢理について歩き出す。今まで歩いてきた方向とは逆の道だ。特別棟二階。図書室より奥のこの先はあまり行ったことがないんだよね。
当たり前だけれど上履き越しに触れるリノリウムの床は硬質で、感じるはずのない冷たさが心細さを助長しているみたいだった。それは夢理が横にいても変わらない。
「それで、見せたいものって?」
「その前に、考えてほしいことがあるんだ」夢理は話しながらなにかを探るように右手を背中に担いだバッグに入れた。手が止まる。けれど出さない。そのまま、何かをたくらんだような顔でこちらを向く。
「消しゴムってなんだと思う?」なにその質問。
「消しゴムっていったらあれでしょ。その、四角くて、ぶよぶよしてて、人に貸した時に使ってなかった角を使われると無性にくやしいやつ」どんなに仲のいい子でもイラってするよね。
「なんか極端に私的感情の混じったイメージだけど、まぁいいか。ん、じゃあ消しゴムってなにをするためのものだ?」
「文字を消すためでしょ。鉛筆とかシャーペンとかのね。最近では消しゴムで消せるボールペンもあるみたいだけど」
「それは正しいと思うか?」
「いいじゃない。ボールペン使ってても、うっかり間違えちゃうことぐらいあるでしょ」
「そうじゃない。なにをするためのものかって方だって」ああ、そういうこと。
「違うの?」当たり前だと思っていることを聞かれると、自信はあるのに不安になったりするよね。
「いいよ、それが正しいとする。『消しゴムは鉛筆で書かれた文字を消すためのもの』である。じゃあ、次の質問。文字を消すってどういうことだ?」
「どういうことって……」
そんなことは考えたことがない。文字を消すとはどういうことなのか。私の苦手な思考分野で、夢理の大好きな話なのは間違いないよね。つまり唯一の答えが存在しない、哲学的な設問。生活に即しているのに宙に浮いた問いかけ。
慣れないことを考えていたせいで、横を歩いていたはずの夢理に二歩ほど遅れていた。なーに考えてるのかなこいつは。無言で背中に聞いても返事はないけどね。
「消すってことは、失くすってことじゃない? そこにあったものを失くす。書かれていた文字をなかったことにすること。存在を……」
言葉の途中で夢理が割り込む。
「消しゴムでこすると文字の存在が消えるか?」
「えっと」頭が混乱しているのが自分でもわかる。私の言ってること間違ってる?
「当たり前のことだけ考えろ。今生活している現実の範疇で考えていい。今のお前は、俺が何かを企んでると思ってるだろ。それに振り回されてるんだよ。深読みするからわからなくなるんだ。質問は簡単だぜ。文字を消すとはどういうことなのか」
夢理の言葉を素直に受け取ってみる。単純に簡単にオーソドックスに質問に答えてみる。
「文字を消すってことは……文字の存在をなくすこと。だってそうでしょ。文字は形に意味があるんだもの。形を失えば誰もそれを読めない。それは文字にとって存在を失うのと同じことだと思う」一呼吸置く。「これが私の答え」
消しゴム一つになんて会話をしてるんだろうね。
「じゃあそれが前提だ」
そう言って、夢理は右手をバッグから取り出す。握っているのは話題になっている消しゴム、ちなみにカバーが青と白と黒の一般的なタイプのものだ。それから、ノートと鉛筆?
夢理が急に立ち止まって、反応が遅れた私が今度は二歩進んだ。振り返って、向き合う形になる。
「試してみようぜ」そう言って夢理はおもむろにノートを開いた。普通の大学ノートだよね。七ミリ幅で罫線の入った、それ以外は何も書かれていない白い紙の束。
夢理自身もそれをほのめかすような事を言っていたけれど、なにか企んでいるのはわかっている。手つきが昔トランプのマジックを見せてくれた時と同じだからだ。事務的な動作とは違う魅せる所作。
あの一見なにもなさそうなノートになにか仕掛けがあるのかな。
余談だけれど、夢理はマジックの時にもトランプに仕掛けがあるかどうか事前に確認させてはくれなかった。『どんな馬鹿でも確認してわかるようなタネをしかけてたら確認なんかさせないだろ。確認してもわからないからカードを渡すわけだ。見てもわからないのが明白なんだから確認する必要なんてない。わかるだろ、普通のトランプだ』だそうだ。それはマジックを見る側の人間が決めることだと思うんだけどね。そんなことを言ってしまったら、マジックというエンターテイメント自体が破綻してしまうのだから。
夢理はノートを左手で抱えるようにもって、残りの手でペンを構えている。んー、これはおかしな表現かも。両方に役割があるのだから残りの手なんてないのか。
「なんて文字がいいかな……ああ、そうだ」
夢理は一瞬考えてさらさらと文字を綴っていく。悔しいけれど、夢理は意外と達筆なんだよね。程良く形を崩してあるけれど、読める。でも……ねぇ。
「もう少しかっこいい言葉はなかったの?」
「文学少年はメタ的なことが大好きなんだよ。ちょっとワクワクするだろ?」
ノートには細い鉛筆の筆跡で『消しゴムで文字の存在は消えるのか』と書かれている。文系人間の考える遊び心っていうのは私には理解できないな。
「いいか、消すぞ」
夢理がゆっくりと、文字を消しゴムでこすっていく。消しゴムは新品だ。さっきまでビニールに包まれていていたのではないかと思うほど、真っ白で使用感のない 直方体。その角がノートに押しつけられぐにゃりと歪む。前に後に動かされる中でただただ白かったそれは文字を形作っていた炭素を纏い徐々に黒い部分を見せ始める。
ノートに書かれていた、文字が消える。意味を無くす。存在を失う。間違っていないはずだよね。
夢理が手を止める。
「文字は形を失ったよな。存在を失った。これが現実だ、日和の言っていたことは間違いじゃない」
「なにそれ、じゃあなんで……」今までの話は全部無駄だったってこと?
「なぁ、これ何だと思う?」夢理はノートの上に散らばったチリのようなそれを指して言う。
「これって、消しかすでしょ」
「そ、消しかす。文字を消して残るもの。まぁかすだよな。じゃあさ……」そう言いながら、夢理はノートの上のかすを集めて摘まみあげる。摘まみきれなかったものはまたノートに落ちて……
「例えば、こいつが文字の形を記憶していたとしたら……だ。どうなると思う?」
頭に電撃が走ったような気がした。
考える。消しかすが文字の形を記憶していたならば。
考える。消しゴムで消すという動作が存在を消すとは別の意味をもつ事柄になる。
考える。文字は一時的に情報を縮小化されているとしてだ。
考える。私達が読解可能な形を失っているだけなのだとしたら。
考える。考える。何が起こるのか。
考える。いや、違う。
考える。考えるべきことはそうであったらどうなるのかということではないはずだ。
考える。思考の想定範囲を自分の知っている常識の範囲から逸脱させる。
考える。どうしたらそのことが意味を成すのか。
考える。情報を保存しているのならまたそれを開示することができるのかもしれない。
考える。例えるならPC上で圧縮されたファイルを解凍プログラムで再表示するように。
考える。どうしたら圧縮された文字を復元できるのか。
考える。考える。復元をするには今ある現実には何が足りないのか。
考える。或いはなにが邪魔になるのか。
考える。考える。理想と現実との差異。
考える。考える。夢理の求める解答。
考える。考える。そこにたどり着くまでの道程。
考える。考える。至るまでの道筋。
考える。考える。導くための計算式。
考える。考える、考える考える考える考える……。
夢理が私に何をさせようとしているのかは、もう理解していた。
本来ならば夢理自身がおこなえばいいことだ。
私の発想力ではそれは生み出せないものだから。
けれど夢理にも足りないものがある。
だから役割を分けたんだ。
文学少年と数学少女に。
突飛な仮定と緻密な過程に。
パンクしそうな思考回路の代わりに、両手が動き出す。役割の違う左右の手に別々のものをインプットし、相互の干渉によって思考では追いつけなかった計算をこなしてゆく。
体が熱い。興奮しているのがわかった。答えに近づいている。導いたことのない種類の答えに、触れられるところまで来ている。
けれど、どうしよう。こんなもの、言葉で表現できる範疇を超えている。
「日和はそれを、正確に精密にイメージするだけでいい。かつて、ウィトゲンシュタインは著書の中で『言語の限界が思考の限界だ』と偉そうに語ったが、安心しろ。それはちっちゃい『現実』って世界の中での話だ。今、日和の頭のなかにある答えはその世界の外側に必ずある。だから確信しろ、そして表すんだ」
夢理は持ち上げていた消しかすをノートの上にのせた。
『それ』は確実に覚えている。自分たちが消したものの形を。
そして、それを元に戻すための答えは、文字通り私の手の中に収まっている。
なにも言わなかった。そういう類のものではなかったから。
けれど、事象は始まる。動き出す。ゆっくりとけれど着実に、乱雑に纏められていた消しかすが列を作り、跡を残しながら移動していく。まるで消しゴムで消すという動作の逆回転をみているようだった。文字が形を成していく。
「すげーだろ?」夢理が楽しそうに言う。
「すごい。……不思議」文月さんに出会った時とは違う、別の種類の驚き。ただただ受動的だったあの時とは違う。
「不思議だけど、私理解してる。でもこれって、どういうこと?」
私の頭は、さっきまでとは別の事でぐちゃぐちゃになっていた。それは今起こったことが指す事実を受け入れられていないから。その事実が裏付ける事柄を心が拒否しているから。だってそんなのって……
「日和、」
けれど、続く夢理の言葉は私の質問に対する答えではなかった。
「……タマ?」
夢理の驚いたような視線に合わせて、振り向く。
今まで歩いてきた硬い、冷たい廊下の遠くの果てで、小さな球体が一つゆらゆらとその形をうつろわせながら、こちらへ近づいてきていた。
見覚えは間違いなくある。
「コロ……だよね」「タマだ」「でもちょっと様子が変じゃない?」なんだか弱っているみたいに見える。
雰囲気でしかわからないけれど。いつもならもっと元気に、それこそはしゃいだ子猫みたいに跳んで向かってきてくれるのに、今はまるで人が足をひきずっているように、不安定で壊れそうな動き方。
雰囲気の話をすれば、違和感はそれだけじゃないよね。
静かすぎる。
いくら離れたといっても、授業中の図書室がほんの二十メートルくらいの範囲にあるのに。それなのに、何も聞こえない。
先生が話しているのかな。それとも生徒全員が本を読み始めた? でも、そんなレベルの変化じゃないことは明白だった。
耳が痛くなるほど無音の静寂の中で、隣にいる夢理の呼吸の音だけが増幅されたように頭に響く。
まるで私たち以外の人間がいなくなったような――違う、もっとおおきな……ありのままに表現するなら、わたしたちが今までいた世界そのものが目に映る部分だけを残して、気配を消したみたいだった。
心なしか窓から入る光も小さくなってしまった気がする。
そういえば、外は雨だったはずだ。
「なに、これ?」
すがるように、問いかける。わけがわからなかった。
不思議なことは、たくさんと言っていいくらい経験した。今だって私には理解できないこともたくさんある。でも、こんなことは初めてだった。
これは、怖い。
なにかいけないことが起こってしまうような予感が、体を強張らせている。体感の温度が更に下がったように感じるのも、錯覚なのかどうか自分ではわからなかった。
夢理からの返事がない。
それは、多分夢理にもわからない事態が起こっているってことだよね。そして私と同じように警戒している。
本当は今すぐ逃げ出したいけれど、動けない。動き出せない。
「ねぇ、夢理……」声に出した瞬間、漂うようだった人魂が動きを止め、突然重力に掴まれてしまったかのように廊下の床に落下した。
「コロっ!」
「まて、日和! 今はだめだ」
飛び出そうとした私の腕を夢理が掴む。人差し指を口元に当て、動きをとめるように促す。
早くコロのところに行ってあげたいのに、どうして? でもその答えは、敏感になっていた鼓膜にすぐに届いた。
コツッ、
と音が聞こえた。
コツッ、
足音。
近くじゃないよね。静かな廊下に響く硬い靴音は、普段以上にその位置を正確に教えてくれる。
コツッ、
コロがいるこの廊下の先。その向こうは螺旋階段だ。
コツッ、
長方形に区切られた、廊下と踊り場の境にゆっくりと人影が現れる。あれはちゃんと人だよね? 雰囲気と状況だけなら、幽霊と言われてもきっと驚かない。いや、それはそれで驚くだろうけど。足音がするのだから、きっと足はある。
完全に踊り場に出て、人影はこちらを向いたようだった。
遠くてよくはわからないけれど、黒い学生服で長身。あとは、腕に何かつけているように見えた。……え?
「なに……それ……」
私の声がその人まで届いたのかもしれない。届かなかったかもしれないし、本当はそんなこと関係なかったのかもしれない。
人影が右腕を突き出して、
メギュオっと、廊下が歪んだ。
まるで空間そのものがひずみを起こしているように壁が内側に潜り込み、床が波を打ってこちらに向かってくる。
漫画かアニメの世界のように現実味がないけれど、硬いリノリウムに入ったひび割れや砕けた窓ガラスの散らばった破片が、それが実際に起きていることを無理やり認識させる。そしてそれらも、この歪みの波に呑まれていく。
爆発するような音が連続していた。軋みから完全な破壊に変わる瞬間の壮絶な痛みを伴う破砕音。
眼前の廊下すべてが襲ってきている。比喩にしたいけれど、きっとそうしたら間違いなんだよね。
「なに突っ立ってんだ、逃げるぞ」
夢理に腕を掴まれて、自分が呆然としていたことに気が付いた。わかってるよ、理解はしてる、でもどうしたらいいのかがわからない。計算している時間だってない。
「だって、コロが……」
「間に合わないだろ、ばか。俺たちのほうが危険だ。それに、」
途中から聞こえてなかった。
コロが、呑み込まれた。
そしてそれとは無関係に、波が、加速した。
「あ、」
「走れ、多分あれは、」
夢理に引かれて、駆け出す。この廊下は……どこに続いてるんだっけ。思い出せない。階段に差し掛かる。私たち、何階にいたんだったか、それもわからない。
ただ、前を走る夢理の姿がデジャビュのように懐かしく映っていた。もう一週間も経つんだっけ、あの時は、私が手を引いて……なんかこんなんばっかりだね。
不意に、つながっている左手に目がいく。痛いくらいに強く握って、まるで男の子みたいだ。失礼だけどね。
走りながら、呼吸を整える。振り返る勇気はないけれど、聞こえてくる音は波が背後に迫っていることを示していた。
「ごめん、夢理。やっと冷静になった。走りにくいから手、放して」
「え、あぁ、おう、たすかる」夢理は息も絶え絶えだ。ほんとに体力がないんだから。
夢理が一度放した手を、今度は私が握りこむ。
「え?」「あんた、遅すぎ!」「のわぁ、うおおおおおおおおおおお」
無理やり引っ張ったから、体制を崩したのかもしれない。後ろが見えた夢理から「もっと早っ」とか「あ、危」とか聞こえてくるけれど、もうすでに全速力だった。これ以上はどうしようもない。
夢理から主導権が移った瞬間から、どこに向かうかは決めていた。多分、夢理も同じだったのだと思う。あてずっぽうに進んでいたように見えたけれど、そこへ向かうための道はまだ波に呑まれていなかった。
下へ、走る。
もう馴染みのあの扉。
この異常事態の中でも、繋がらないとは一分も思わなかった。
ドアノブに触れる。冷たいと思う間もなく開ける。その先は光だ。
十三時五十七分
ザーっと、雨音が聞こえた。
なんとなく、それは漠然とした根拠の一つもない期待だったけれど、ここに来ればどうにかなる気がしていた。それは、半分は正解なんだと思う。
「扉」という境界を越えて、廊下の波が襲ってくることはなかった。当然だよね。さっきまでいたところとこのもはや見慣れた屋上とはあの扉を開いた一瞬しか繋がっていないのだから。扉を閉じたその瞬間から、『あちら』と『こちら』には距離ができる。
逃げ切れたら、それでよかった。だってそうでしょ。いきなりだったんだもの深く考える時間なんてなかった。ううん、きっとどんなに時間があったって、わたしなら同じことしかできなかったんだと思う。
一つの状況に複数の選択肢があるなら、ここに来たことは唯一と言ってもいいくらいの正解だった。
だから、こんなことは予想の外だったんだ。
「文……月……さん?」
夢理が、倒れている文月さんを抱える。一瞬遅れて私もすぐに寄り添った。もちろん傘なんてなくて制服がすぐに水浸しになったけれど、そんなことにかまっていられる状況じゃない。
文月さんの肩に触れた右手がずるっと滑った。黒い冬服を着ているから気づきにくいけど、赤黒い液体が大量にしみ込んでいる。
生温かくて、鉄臭い。
血。
夢理が叫ぶ。
「日和、まずは屋根のあるところに運ぶぞ。このまま体温が下がったらまずい、ような気がするんだ」
「なにそれ。怪我をしてて出血してて温度がどんどん低くなってるんだから、体温を下げちゃいけないのは当たり前でしょ。でも怪我をしてるなら、むやみに動かすのも危ないんじゃ……。ちょっと、夢理!」
私の声も聞かずに、夢理は文月さんの上体を持ち上げ、ひきずるように屋根の下まで連れて行く。言葉ではとめたけれど、医療や看護の知識のない私にはそれ以上の事は出来なかった。
「夢理、大丈夫なの? 文月さん」
「まだ何とも言えない。ただ、軽く調べた感じ外傷がないんだ。傷も怪我もない。けど体温はあるし、呼吸も脈もあるから、多分大丈夫だと思う」
「傷がないって、どういうこと? そんなはずないでしょ」
そんなはず、ないよね。だって、目の前にいる文月さんは、全身血だらけで……私の手だって。
「あるんだよ。現に今ここでそんなことが起きてるんだ。多分俺たちの知っている血液と、真実における血液では意味合いが違う。これは推測だけど、出血には受けたダメージの大きさだったりその個所だったりを表すマーキングくらいの意味しかないんだ」
壁に寄りかかる形で意識を失っている文月さんの長い黒髪の先から、黒いしずくが落ちる。私にはそれが、少しずつ削り落ちていく命の欠片のように見えて焦燥感が空回る。
「きっと、重要なのは体温の方なんだ。真実では熱がそのまま生命になる。人魂なんかはその最たるものだろ。だから体を温められれば……って、そうか人魂!」
夢理が立ちあがる。そのまま「コロ! ミケ! いるんだろ」と呼びかけると、端に設置された大型の貯水タンクの陰から人魂が一匹出てきた。一匹だけだ。当然だよね、本当のコロは私達の前で『波』に呑まれてしまったんだから。
「ニャハハ」こちらに近づきながらミケが嗤うと、大して多くもない物陰から魚やエイや、わけのわからない海の生き物たちが少しずつ出てくる。様子を窺うようにゆっくりと、まるでなにかに怯えているみたい。
ミケが文月さんに寄り添う。前にコロが夢理の服を乾かした時よりも、ずっとずっと優しい温もり。きっとこれがコロでもタマでも同じだったのだと思う。コロ……。それに、タマはどうしたのだろう。
「ねえ夢理、ここでなにがあったの? みんな怖がってる。怯えてるよ。それにさっきの廊下で襲ってきたものはなに? あれは、間違いなく夢理を狙ってたよね。どういうこと?」
夢理は考えるように顎に手を置いて、いつもの癖でつま先でリズムを刻み始めた。
「……全部は答えられないぞ」
「うん、わかってる」
一呼吸置いて夢理が話しだす。
「まず俺たちは、七不思議が全部真実に関する事柄だと自然に思いこんでいたんだ。『魚』から始まり『人魂』『幻想曲』それから『扉』。これらはすべて、おそらく七番目にあたる『真実』へ導くための地図みたいなものだったんだ。だから、七不思議の中に他の要素があるなんて思ってなかった」
他の要素。七不思議。私達がまだ遭ってなかったのは……
「そっか、『暴れ廊下』! あれは七不思議の一つだったんだ。でも他の要素っていうことは、さっき私達を襲ったあの『波』は真実とは関係ないってこと?」
「いや、きっと関係ないわけではない。ただ真実そのものでもないんだ。ここで倒れている魔女が俺たちを襲ったと思うか? 俺たちはこの世界の、大きな意味での世界の、まだ一つの面しか知らないんだよ。まだ読まなくちゃいけないことが山ほどある」
最後はいつもの調子で、夢理は言い放った。
世界は、物語。その言葉を思い返すたびに私は、世界に拒絶されているみたいな感覚になるんだよね。どこか私の性質が周りにある全てを反発しているような、そんな気にさせられる。
『物語喰らい』――世界を糧に生きている夢理とはやっぱり私はちがうのかなぁ。
文月さんを見る。ミケの看病(と言っていいのかな)のおかげか血色がよくなってきているように見えた。表情も柔らかい。
「ねぇ、どうして文月さんは襲われたのかな? どうして夢理は襲われたの? 文月さんは、夢理は何をしようとしているの?」
私にはわからないことばかりだった。誰も教えてくれないから。人のせいにするのは簡単で――でも理由はそれだけじゃないんだよね。
私があまりに無知で、無自覚で、無関心だったからなんだと思う。意識をして、見ないふりをしてたんだ。
私が文月さんと出会ったあの日から、夢理に七不思議の話をしたあの時から、私たちは大きな物語に巻き込まれてる。それはもう受け身のままでいられるほどやさしいものではなくて、私自身の目の前で起きていること。
ずっと他人事だったんだ。でも、もうこれは私の物語に、なりつつあるのかもしれない。
「それは……いや、先に俺から聞かせてくれ。タマを」「コロね」「廊下で見つけた後――あ.の『波』が襲ってくる直前、……俺はよく見えなかったんだ。見てなかったわけじゃない。違和感はあったし、なにかが近づいてくる気配もあった。だからずっと廊下の先をのぞいてたし、瞬きだってしなかった。でもな、最後までなにも見えなかったんだ」
「……え?」
思い出す、記憶を辿る。廊下の向こうからコロが近づいてきて――そう、足音が聞こえてきて、それから……。
「あの時――廊下が歪みだす一瞬前だ、日和『なにそれ』っていったよな」
言った。だって見えたから。廊下の向こうから確かに出てきた……
「日和、お前なにを見たんだ?」
そんな……、そんなはずない!
「夢理は、本当に見てないの? なにも、誰も? 螺旋階段を上ってきたじゃない。こちらを向いて、腕をあげてそしたら、廊下が……ぐにゃって……」歪んだ、その先は夢理にも見えていた。だから私の腕を引いて逃げた。
コロのことも夢理は見えていた。当前だよね。夢理が先に見つけたんだから。それに気づいて私が振りむいた。
「誰か、いたんだな?」夢理の口が私に向けて問いかける。夢理はあの人を知らなくてそれがどんな人物なのかを聞かれているなら答えようがある。でも違うんだ。
存在を認識していなかった。
夢理には見えていなかった。
私には見えて、夢理には見えない。
私が知っていて、夢理は知らない。
そんなこといくらでもあるように思える。
それが個人ということのように思われる。
どんなに近くても夢理は私じゃないのだから。
近づきたくても私は夢理になれないのだから。
でもそんな話の次元はとうに超えているんだよね。
認知すらできないほどの圧倒的な差が私達にある。
嫌な予感がして、それはなんの根拠も確証もないままにどんどん膨らんでいく。
信じたくなくて、否定するための何かを探すのに見つからない。見当たらない。
それなら、あの『波』はきっと夢理を狙っていたんじゃなくて――
「私、だったんだ」
だから私に近づいて、私の周りに近づいて。
「日和?」
「私、行かなきゃ。……行って、会って、それから全部聞かなくちゃいけない」
「なにか、わかったんだな。それなら俺もいくよ」
「ううん。夢理は文月さんについていてあげて。それにきっとこれは私が聞かなきゃいけないことなんだ。ほら、私達って分野があるでしょ。夢理には夢理の、私には私の。もしかしたら数字で会話することになるかも」
「…………」後半は、大ボラだったけれどそれはそれで効果があったようだった。夢理が口を閉じる。もしかしたら、なにかを察してくれているのかもしれないけどね。
好奇心だけでずかずか行動するくせに、繊細な部分では一歩引けるのが何気に夢理のすごいところかもしれない。そんな場面あまりないけれど。
「一つ聞かせて。夢理はこの扉を出たら、またあの『波』が襲ってくると思う?」
「ないだろ。そんなこと」即答される。「あれが俺の見た『現象』じゃなくて、日和の見た誰かの『意思』なら、少なくとも目的地まではなにもないはずだ。……その後は、どうなるかわからないけどな」
「ん、そっか」それで十分だった。それ以上の保証なんて、きっとどこにもないのだから。
横たわる文月さんから少し離れて、ミケが「ニャハハ」と笑う。ここだって、安全なわけじゃない。
「夢理、気をつけてね」「逆だろ、ふつーは」「あー、そうかも」「これもってけよ」「え、なにそれ?」「いーから、なんかあったらすぐ連絡しろよ」「あんた電話が来てもあたしかどうかわからないじゃない」「わかるよ、日和からしかこないからな」「もー」それでいいなら、まぁそれでもいいけどね。
今度はドアノブをその冷たさに気がつけるくらい握りこんで、それからゆっくり開けた。
光がなんだか眩しかった。
十四時三十二分
「『人魂』、『扉』、『空飛ぶ魚』、『幻想曲』、『暴れ廊下』、それから『真実』――どんなに数えても、一つ多いんだよね」つぶやく声が、無人の廊下に響く。
いつのまにか、私達が真実とは違う『なにか』に巻き込まれているうちに-、世間は今日最後の授業が始まっていた。今はむしろ終りに近い。私達のクラスの授業はなんだったかな? あぁ、そうだ体育だっけ。
歩きながら私は簡単な足し算をしていた。さっき夢理から渡された手帳にまとめられていた、簡単なはずの足し算。
雪ちゃんに話した四ケタまで暗算ができるというのは掛け算割り算に限った話で、加えて引き算なら十二ケタ、足し算なら十五ケタまでなら三秒以内に答えが出せる。そのはずなんだけど……。
屋上から『扉』を開いて廊下に出ても、夢理が言うように『波』が襲ってくることはなかった。結構緊張したんだけどね。だからひとまず職員室の方へ向かった。来客用玄関のすぐ前にある職員室前の壁には校舎全体の見取り図が設置されている。行くべきところはわかっていても、その位置を知らなかったんだよね。
長い時間生活しているこの学校という空間に私の知らないところがあるということ、もはやそれは私にとってなんの不思議でもなかった。きっと認識していなかったんだ。できなかったんだと思う。
夢理にあの人が見えなかったのと同じように。
私たちが七不思議とか真実とかっていうものに関わる前から、それらはずっと隣り合わせに存在していたことを改めて感じさせられるよね。感慨深いというかなんというか。
意識をして探せば、そこはすんなり見つかった。
五階特別棟の最奥。隣は週に二回は授業で通う音楽室だ。知らなかったはずのない知らない場所、そこへ向かって歩き出す。
「『人魂』、『扉』、『空飛ぶ魚』、『幻想曲』、『暴れ廊下』、で『真実』……六個」
あらためて数え直してみたけれど、やっぱり数は変わらない。同じ式なんだから当たり前だけどね。一たす一たす一たす一たす一たす一は六。唯一無二で六。
つまり私が出会った七不思議の数は六個で……まぁ、七不思議なんだから全部で七個でしょ。そうすると、数が合わないんだよね。夢理と私が調べた噂では、あと『窓ガラス』と『合わせ鏡』が残っている。
噂が全て実際の七不思議に関わっているとは限らないのかな。そもそも七つにこだわる必要だって、私にはよくわからないしね。
立ち止まる。
見慣れた音楽室は無音だった。授業をしていないみたい。覗くと、普段は賑やかなたくさんの楽器が今は静かに眠っている、なんていったら少しはメルヘンなのかな? 大きな音を立てたら楽器に「うるさい」なんて怒られて――わかっている。これはほんの少しの現実逃避。
本当は進みたくない。
でも進まなきゃいけない。
すぐ横にある準備室にも人の気配はなかった。
その、隣。
豪奢な文字で『生徒会室』と書かれた札付きの扉の、金属質で質素なドアノブに手を掛ける。
光なんてなかった。もちろんどこか遠くに繋がることもない。
「よく来たね」と人の気配よりも先に声がした。
だから私は、開いた扉をゆっくり閉めて、椅子に座るその人の姿が視界に入ってから答える。
「呼ばれたんだと思ってました。生徒会長さん」雪ちゃんなら迷わず『こうくん』って呼ぶんだろうけどね。「夢理風に言うなら、導かれていたんだと」
部屋の中は想像していたよりも広い。机やものが整頓されているせいでそう感じるのかもしれないけれど、それにしても広すぎるように思う。四十人が一度に授業を受けられる音楽室と同じ大きさの部屋に両手を広げた程度でしかない机、椅子が一つずつ。あとは隅に本棚が二つと金属製の棚が三つあるだけの簡素な空間。
片付いている、なんていえば聞こえがいいけれど、そんな感じじゃないんだよね。ここが生徒会室だということを踏まえなければ、きっと生活感がないという言葉がぴったりと当てはまるんだと思う。人がこの部屋の中にいた気配が、こうしてその部屋の中で人と向きあっていても感じられない。感じ取れない。
文月さんの空間を『異常』と表現するなら、この空間は『異様』って言ったらいいのかな。ただ立っているだけで胸のあたりが気持ち悪い。うあー。
「導くという言葉には、なにか大きなものの意思を感じないかい?」今在さんが口を開く。「崇高と言い換えてもいい。それは法であったり、論理であったり、先人であったり、色々だろうけどね。そういう意味では、君は確かに導かれたのかもしれないよ、神楽日和さん」
導いたのは僕ではないけどね、と軽口のように付け加えて今在さんは立ち上がった。本棚に近づき、形だけ本を探すようなしぐさをする。
「それで、なにから聞きたい?」
なにから、聞こうか……。聞きたいことがありすぎて、何を優先すべきなのかわからない。まだ混乱している、のかな。
「えと……、あなたは誰で、何者なんですか?」
「そう来たか。最初の質問としては悪くないけれど、いささか急ぎ足になってしまうね。勇み足ともいうかもしれない。現段階で答えるならばこうだ。僕は今在光、この学校の生徒会長をやっている。それ以上ではあるが、少なくともそれ以下じゃない」
「それは全部、私の知っていることです。だからここにたどり着けたんだから。それでは答えにならないはずですよね。大事な部分をあからさまに全部ぼかしてるじゃないですか」
「しょうがないことなんだよ。うん、何を知るべきなのかを正確につかむということは、単純なようで実は非常に難しいことなのかもしれない。いいだろう、たまには僕自身がだれかを導いても文句は言われないだろうからね。君が今本当に聞くべきことは僕が何者なのかということではないんだよ」今在さんが本を一冊抜き取る。「君は自分が何者なのかすらも正確にはわかっていないのだからね」
「私が何者なのか……どういうことですか?」私の知らない……私のこと?
「それはね……。あ、お茶でも出そうか?」「結構です」「いいダージリンの葉が入ったんだよ」「結構です」「ちょっと待っててくれるかい。すぐにお湯を沸かすよ」おい、こら。
今在さんは私の遠慮を気にも留めずに本を机に置いて、流れるような動きでその机の引き出しからティーポットを取り出した。
いやいや、明らかに引き出しの方がティーポットより小さいんだけどね。それに、なぜかガスコンロもその引き出しから出てきたように見える。そのまま火にかけてしまったけれど、中に水は入っているのかな。
「細かいことを気にしないのも、人生を楽しむコツだよ」
「この部屋の異様さに自覚はあるんですね」
「もちろんだよ。僕が一番、この空間に恐怖を抱いているのだから。この『理の狭間』の空間にね」
まぁ、僕自身も同じようなものなのだけど、と今在さんが笑う。自嘲交じりのなんだか寂しい笑い方。
「話をもどそう。まずは前提から、世界とは、」「……物語」「そう、物語だ。誰もが持っていて誰もがその中心にいる。それが『現実』の在り方。複数の世界が同時に存在し、ある時は重なり合いながら共存している。『現実』とは君たちが今まで暮らしてきた秩序であり理のことなんだ。ここまでは理解できているかな?」
「わかっているつもりです。そして、それが本来の姿でなかったことも」『現実』は『真実』が形を変えたものだと、文月さんは言っていた。神様がいなくなって、人間が生まれて、そうしてできたもの。
「では」こちらを窺いながら今在さんが言う。
「今と本来が違うものだったとして、別のものだったとして、果たしてどちらが存在していることが正しいのだろうか? 真実と現実と、どちらが正義なのだろうか?」
ポットから湯気が噴き出して、ヒューと鳴る。今在さんはそれを片手で持ち上げて、いつの間にか用意されていたカップに注いだ。金縁の高そうなカップ。
「どうぞ、熱いから少し冷まして飲むといい」……猫舌なのばれてるのかな。
「……いただきます」今在さんからカップを受け取る。中の液体は濃い紅色で香りが強かった。甘い、それでいてまろやかな香り。紅茶のことなんてよくわからないけれど、確かにいいものなのだろうと思う。
何よりこの温度を感じられない無機質な部屋の中で、温かいものに触れていられることに安心感を覚えた。実を言えば早くこの部屋から離れたいのかも。
両手の中でカップをゆっくりと回しながら、今在さんの質問の意図を考える。
「つまり、その正義という名目で文月さんを襲ったんですか? 彼女がいなければ、真実は存在できないから。だから真実を消すために彼女を傷つけた」
「言葉の中に込められた敵意がまっすぐに伝わってくるよ。まぁ、私が敵対しているものが真実なのは間違いないけれどね。しかし、大元を辿れば、原因は向こうにある。君は、あの魔女の目的を知っているかい?」
目的……、「文月さんは真実を蘇らせることだと言っていました」あれは、そういう意味だよね。
「きれいな言葉だね。あの魔女の得意分野だ。彼女の言葉は無駄に詩的で、認識を歪ませる。ある意味魔法だよ」
「どういう意味ですか?」「わかりにくいってことさ。本質を隠すからね」あぁ、よくわからなかったのは私のせいじゃなかったのか。
「いいかい。『真実』がその形を失ったのは人間が生まれたその瞬間だ。純粋な一つのモノだったその世界は、他の世界の発生により干渉されることになった。大きな大きな神の世界は、小さな物語の集合体に飲み込まれていったんだ。そうして存在している現在の世界の在り方を彼女はもとに戻そうとしている」
嫌な予感がする。いや、もしかしたら感覚じゃなくて理屈でも、もう理解し始めているのかもしれない。あの時の文月さんの会話で、夢理が気付いて私が気付けなかったこと。
「つまり、彼女はこの世界から人間すべてを消そうとしているのさ」
「でも」今在さんの言葉を否定したくて、無理やり出した言葉はけれど続かなかった。
人間がいなくなれば個々の持つ物語は消滅する。観測する人間がいないのだから、本もテレビもラジオも物語たり得なくなって……。
真実は真実本来の形を取り戻す。
「やはり先に、僕という存在を説明しようか。僕は僕を『魔女狩り』という言葉で表している。複数の物語の集合体である現実が自己防衛のために無意識下で作り出したシステムの総称さ。ヒトの姿をしている今のこの形を一応分けて『今在光』と呼んでいるに過ぎないんだよ」
「それじゃあ、あなたは文月さんを消すためだけに存在している人間だっていうんですか?」
「いいや、便利だからこの姿をしているだけさ」今在さんは、そっとカップに口をつける。「僕は人間じゃない」
ふと、雪ちゃんのことが頭をよぎった。どうしよう雪ちゃん、彼人間じゃなかったよ。けどお互いが愛し合っているのなら、そんなことは問題にならないのかな。
「君は、春風夢理という存在をどのように評価しているだろうか?」
今在さんが話題を変える。変わったよね。まさか夢理も人間じゃないなんて言い出すのかな。
「夢理は、本が主食の変態です。ずーと本ばっかり読んで、おとぎ話みたいな世界を夢見るロマンチスト。叶えちゃいましたけど」あと計算能力ゼロ。あと馬鹿。
「夢理君は一日に何十冊もの本を読むね。それも選んで物語ばかりだ。物語は世界。彼は、物心つく以前から尋常じゃない量の世界を食い散らかしてきたんだろう。もちろん物語は読まれたところで減ったり消えたりすることはないが、読んだ本を一字一句記憶している彼の場合はそのまま自身の世界の拡大につながっている。これがなにを示すか、本当は君ももう気付いているんだろう?」
世界は物語。物語は世界。ここ最近で、何度も何度も確認させられる理。それならって、考えなかったわけじゃなかった。夢理が他の人とどこか違うのは初めからわかっていたことでもあるしね。それは、文月さんと出会ってから加速したんじゃないかと思う。
多分、気付いたんだ。自分の可能性に。きっかけがなかっただけ。
「まさか、じゃないんですね。夢理ももう人間じゃないってことですか」
「神はこれまでにたった一人しか現れたことがないからね。正確に定義するのは難しいが、彼は大量の物語を吸収することで限りなくそれに近い存在になっていると言えるだろうね。その力の片鱗は、君もほんのさっきその目で見たのだろう?」
消しゴムが文字を記憶しているなんて現実は存在しない。そして、あれは真実でも起こっちゃいけないことだったんだ。もしかしたら、鉛筆も消しゴムも真実の中には存在していないかもしれない。
それなのにあの時、消えた文字が復元されたのは……、夢理が神として夢理自身の世界を具現化させたから。現実に対して、目に見える形で影響を与えられるくらいに大きな世界が夢理を中心に回っているってことなんだ。
「私が何者なのかっていうのは、そういうことだったんですね。文月さんが言っていました。真実では魔女はいつも神と一緒にいて、神は魔女を媒介に世界を映しだしていた。つまり、私は夢理の魔女だった」
カップを持つ手が、少し震える。それが今在さんに伝わらないように語調を強める。
「廊下が襲ってきたとき、私は夢理が襲われたんだと思ってました。私が襲われる理由なんて思いつかなかったから。だって、普通の女子高生のつもりだったんですよ。普通に友達がいて、普通に進路に悩んで、普通に美味しいもののこととか考えて、」普通に、恋もして。「でも、あなたの狙いは初めから私だった。だから私だけに接近したんですね。あなたは、魔女狩りだったから」
それは、つまり今この場で襲われてもおかしくないということだ。怖くないわけないよね。自然に体がこわばって、カップを落としそうになる。
「警戒しなくても、今僕は君に何かしたりしないよ。できるならば、お茶会などせずに攻撃しているさ。そもそも、現実が真実や他の世界に干渉するというのはものすごく無理のあることでね。対価というのかな、相応の代償が必要なんだよ」
今在さんは参ったよ、とでもいうように両手の平を頭の位置でひらひらさせておどける。代償っていうのは、力の源になるものっていうことかな。さっきの攻撃で、今はそれが足りなくなっているっていうことだと思う。
「対価って、なんですか?」敵である私にそんなことを話してくれるとは思えないけど。
「敵である君にそんなことを話すと思うかい?」まぁ、そうだよね。
「と言いたいところなんけどね。残念なことに君には知る権利がある。君には酷な話になるだろうが、さてどうする?」
知る権利……、今在さんの言っていることがうまく飲み込めない。敵としての私になら言わないということは、私自身に近いということなのかな。
「聞きます。初めに今在さんが言っていたこと、やっぱり私には何を知るべきなのかよくわからないけれど。よくわからないから、手に入れられる情報はすべて聞きます」
「そうか。これについてはどちらが正しいのか僕は答えを持たないよ。だから君がそう判断するならば、それでいいのだろうね」
今在さんが手に持っていたカップをおく。そういえば一度も口をつけていないけれど、私のカップはもう冷たくなっていた。
「『魔女狩り』というのは現実の生み出した存在でありながら、現実とは別の存在形式をもっていてね。だから通常では人間に認識されることはない。それだけ存在が希薄なんだ。初めて君と出会ったとき君がすぐに僕を見ることができたのは、魔女という特質からだ。その関係上魔女という存在に対してのみ僕は影響力が強いからね。逆に言えば、魔女がいなければいない存在なんだよ魔女狩りは」
誰の目にも映らないというのはどんな感覚なんだろう。私には想像することすらできない。
「しかし、存在の自立ができなければ外の存在とは戦えないからね。まれに特異点と呼ばれる人間がいるんだよ。僕に気付くことができ、ぼくを見ることができる人間がね」
それって、「雪ちゃん……」そういえば、お弁当全部食べれたのかな、なんて……。
「今の僕はユキとの絆で存在している。彼女との出会いは間違いなく奇跡だよ。親友の君には悪いが、うまく使わせてもらっている」
「使う……」て何? 何それ、まるで道具みたいな言い方。
「今在さんと雪ちゃんとは恋人関係で、」
「恋なんて幻想だよ。僕にとっては言葉のあや。ユキにとっては勘違い。そしてすべての人間にとっての心の拠り所。それが恋であり愛だ。それだけだよ。実際にはそんなものは存在しない」
「やめて! あなたがそんなこと言わないで!」雪ちゃんは本当に本当に今在さんのことが好きで、周りのことなんて何にも見えなくなっちゃうくらいずっとずっと今在さんのことばっかり考えてて「こうくんって、雪ちゃんは今まで見たことないくらい幸せそうにあなたの名前を呼ぶのに、それなのにあなたは!」
私が声を荒げても、今在さんは冷静な態度のままで口を開く。
「もしかして、君は自分が春風夢理に恋をしていると思っているのかい?」
「な、」そんなこと今は関係ない。
「ずっと彼のそばにいたいと思ったり、離れていても彼のことが気になったり、或いは思い返せば彼とのことばかりが頭に残っていて、それを春風夢理に対する恋心だと自分で解釈しているんじゃないかい? いや、これは話を逸らしているわけではないんだ。共通項だからね。認識の違いを正してあげようと思ってね。もし、君が今僕が言ったような事柄を恋と呼んでいるのならばそれは誤りだ。それらはすべて、神と魔女との関係から生まれるものだよ。恋じゃない。君たちはそういうものなんだ」
………………………………………………………………………………………………は?
恋じゃない?
こいじゃない?
コイじゃない?
故意?
濃い?
鯉?
夢理へのこの気持ちが恋じゃなくて、私が夢理の魔女だったから起こる錯覚?
「魔女は固有の物語を自身で持たないからね。神と世界を共有することになる。君は春風夢理と出会う前の記憶や記録が欠落しているんじゃないかな。そして彼との思い出とその周辺事実のみが君を構成していく。まぁ、実際それらから恋や愛というものにつなげてしまうのも無理はないと思うけれどね」
記憶?
記録?
欠落?
転校してくるまでの記憶がない。
記憶を辿ると必ずそこに夢理がいて。
でもそれは全部魔女だから?
魔女だから?
まじょだから?
マジョだから?
マジョ。
マジョ?
「大分混乱しているようだね。お話はこのくらいにしようか。これから僕は準備に入る。本気であの魔女を消すためのね。もちろん君もターゲットだ。これから君がどうするかは君の自由だよ。抵抗してもいいし、すべての人間のために何もしないでくれてもいい。時間はお互いにまだあるからね。ゆっくりと休むといい」
バツン、とミミモトでオトがシタ。
イシキは、ソコで、トギレル。
十七時三十分
冷たい。それから、硬い。
胸ポケットに入れていた携帯電話が揺れていて、あぁ私はこれで起こされたのかと気付く。
重たい体を無理やり起こすと、ようやくここがどこなのか理解できた。普通教室棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下だ。両側の壁がガラス窓に囲まれてるのは、この学校では渡り廊下しかないもんね。三階か四階か、ここから見える景色だけじゃ何も変わらないからよくわからないけれど、つまり私はこの廊下で辺りが真っ暗になるまで気を失っていたらしい。
それにしても。
こう見えてわたしだって女の子なのだから、体を冷やさないような配慮があってもいいと思う。私であるはずの体が氷のように冷たくなっていた。さて、私は誰に対して憤っているんだったろう。霧がかかったようにまだよく、頭が働かない。
真っ暗と言っても、そういえば今日の天気は雨だったっけ。携帯電話に表示された時刻はそれほど遅い時間じゃなかった。けど、生徒会室に入った時の時間を考えると二時間以上はここで眠っていたことになるのか。
そうだ、私はさっきまで生徒会室にいて、今在さんと話をしていて……。なぜかその先は考えたくなくて、とりあえず思考を切り替える。電気、つけなくちゃ。
携帯の明かりと壁に触れた手の感触を頼りに電気のスイッチを探す。ついでに確認した受信メールは夢理からのものだった。八件、それから通話の着信で五件。心配させちゃったかな?
疑問形になったのは、やっぱり私があまのじゃくだから。
「あ、あった」
上下に二つ並んだスイッチを同時に押す。長い廊下を渡る合計十六本の蛍光灯が予想以上の明るさで辺りを照らした。暗闇に慣れ始めていた目には、少し眩しすぎるくらいだ。
「とりあえず、夢理のところに向かわなきゃ」連絡を返すのは道すがら、歩きながらでいいよね。
深夜と言われても見分けのつかない、人気のない今の校舎は少し怖い。さっきまでいたところに比べればへでもないけどね。それでも不安はぬぐえなくて、手に持っていた携帯を握りしめる。
外の雨は、そんなに強くないみたいだった。そもそもよく見えないんだけどね。磨き抜かれた窓ガラスが蛍光灯の光を反射してまるで大きな鏡みたいになっているせい。外が暗いせいで、それは映りこむ自分の姿がはっきりと確認できるくらいになっていた。そういうのも、やっぱりちょっと怖いよね。
――本当にいいの?
「…………!」今何か、聞こえた?
心なしか速くなっていた足が止まる。誰かの声が今確かに聞こえたよね。一応振り向いてみたけれど、誰もいない。当然進行方向にも動きのない暗闇があるだけだ。
――本当に、このままで……。
いやいやいやいやいやいやいやいや、ものすごく怖いんですが! やっぱり、誰か話してる。
辺りにはもちろん人影なんてなくて、窓に映る自分の姿がこちらを覗いているだけだった。
あれ? さっきは気が付かなかったけれど、両側に窓ガラスがあるせいでお互いに映った鏡像をさらに映しあっている。
端的に表すなら巨大な合わせ鏡だ。無限に反射された私が一斉にこちらを見ている。なんだろうこの違和感。
「あ、そうか。一斉にこっちを向いてるから変な感じがするのか。だって、半分は後ろの窓ガラスが映してるんだから、背中が見えなくちゃいけないんだもんね」
……………………。
「……………………………………………!」声にならない叫び。
――本当にいいの?
――このままでいいの?
無数の私の中のいくつかが問いかける。ううん、私まだこの状況に対応できてないんだけどね。本当は一目散に逃げ出したいのに足が震えて、動き出そうとしてくれない。
これ、多分七不思議だよね。数が合わなかったのは、『窓ガラス』と『合わせ鏡』の話が同じものだったからなんだ。噂が広まっていく過程で、二つの言葉になっちゃったってことなんだと思う。
それがわかっていても、怖い。生理的な怖気の走る、数の恐怖。
――このまま夢理に会っていいの?――答えも出ていないのに――納得できていないのに――あの生徒会長に言われたままを受け入れるの?――本当にそれで――全部間違いだった?――今までのこと――これまでの気持ち――
右から左から、いくつもの私から言葉を投げかけられて、私の頭はすぐに飽和した。意味を理解する前に先の言葉は次の声に塗りつぶされて、うまく処理できない。
それでも何とか考える。
「ここにいる全部が、私なのかな。私が考えないようにしてきたことから、逃げるなって言ってる?」
私の一人が言う。
――今、目を背けていることはなに?
「別に、逃げてるわけじゃないんだよ。ただ今は先にやらなきゃいけないことがあるだけ」
別の私が言う。
――答えが出るのが怖い?
「そうじゃない。今は、だって、今在さんが文月さんを狙ってって」
これじゃあまるで私が自分自身に、言い訳しているみたいだ。
――恋じゃない。
――それを自分で納得してしまうのが、そんなに怖い?
無表情で声を発する自分の姿を見たくなくて、目を伏せた。
今在さんの言葉が頭の中で蘇る。夢理は神で、私はその魔女で、私が夢理に対して持っていた感情は全部、魔女として必然のことで、だからこれは恋じゃない。
――そうなのかもしれないって、思ってるんでしょ?
私の一人が笑う。
――自分に夢理と出会う前の記憶がないことも、気が付けば夢理のことばっかり考えていることも、全部説明できちゃうもんね。
「…………」否定する言葉が見当たらなくて、声にならない。
きっと、もともと確信があったわけではなかったんだよね。絶対にこれは恋だ、なんて言えるほど私は恋とか愛とかいうものをよく知っているわけではなくて。普段雪ちゃんが楽しそうにそういう話をしてくれるから、私の中にあるこれも恋だったらいいなって、多分そんな風に思ってしまったんだと思う。
違うと言われれば、そうかと納得してしまうくらいにはおぼろげな、淡い期待みたいなものだったんだ。
――私って、そんなに素直だったっけ?
「え?」
顔を上げると、それまであった違和感はもうなくなっていた。
左右の窓ガラスが交互に光を映しあった、無機質な普通の合わせ鏡があるだけ。
「あ、……いかなきゃ」そうだ、夢理のところへ行く途中だったのだから。
震えの止まった足を速めて渡り廊下を抜ける。辺りは暗かったけれど、ところどころにある常夜灯を頼りに進むことにした。階段だけは明かりをつけて駆け降りる。
一階。いつもの鉄の扉で立ち止まる。ここを開けば夢理がいるはずだ。
文月さんは、意識を取り戻したかな? 夢理がついてるから大丈夫だとは思うけれど、あのべっとりとついた血の記憶が不安を加速させる。それに、彼女にも聞かなきゃいけないことがあるよね。
正直、今夢理に会うのは怖い。やっぱり、まだわからないんだ。自分の中にあるものが本当に恋じゃないのか。ただの必然が重なって起こった錯覚だったのか。
でも、私あまのじゃくだから。
すんなり飲み込んだりなんてしてあげない。
そうして私が私を否定して、自分に向けられた雪ちゃんの気持ちを否定させるのが今在さんの目的なんだから。
私、信じてるんだ。根拠もないし、証明もできないけどね。
きっと、今在さんも私と同じぐらいあまのじゃくなんだって。
ドアノブを握る。何をしたらいいのかも本当は全然わかってない。でも、進むしかないから、きっと私にしかできないことがあるから。
だから、想像もできなかったんだ。
扉を開いても、私が光に包まれることはなかった。
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