第8章 ソトノセカイカラ
71 蠢動
《ISAO 始まりの街 〈御光使徒救魂会〉クランホール》
照明を絞った薄暗い室内。
抑揚に乏しい旋律が繰り返し流れ、その旋律に、歌姫による密やかな詠唱が添うように重なる。
見渡せば、その場には大勢の人々がひしめいているのが分かる。
エキゾチックな香りが充満する中、彼らは皆一様に
〈集団催眠〉
この状況を表すのに最も相応しい言葉はこれだろう。
「今このとき、
そこに柔らかな若い男の声が響く。
「楽になったでしょう?」
そして続けられる詠唱。
〈御光に……全てを委ね〉
〈全てを委ねた先に 魂の安寧が訪れる〉
〈安寧の後には救いがあり〉
〈我らは安住の地へ導かれる〉
「御光と救済」
「御光と救済」
「御光と救済」
「御光と救済……」
どのくらいその状態が続いただろうか。
突如、室内に目の眩むような光が溢れ、そして急速に収束し消えていった。それに伴い、まるでスイッチが切れたように、一斉に人々の催眠状態が解除される。
「皆さま、お顔をお上げください。本日の御光との
締め切っていた扉が放たれ明るくなった会場で、参加者の人々が解散していく。そんな中、人の流れに逆行するように、司会をしていた若い男に近づく一人の少女がいた。
「導師様」
「あなたは確か……」
「リリカです。先日お誘い頂いたので、早速参加させて頂きました」
恥じらうように話しかけてくる少女に、男は正面に向き合い、優しい微笑みを浮かべて話しかける。
「リリカさん。本日はご参加ありがとうございます。祈祷会に初めて参加されてみていかがでしたか?」
「なんていうか、不思議な感じです。最初は緊張していましたが、音楽を聴いている内に段々とリラックスしてきて……お恥ずかしいことに、途中はぼんやりしてしまって、よく覚えていません。でも、終わったら凄く気持ちが軽くなっていました」
「初回でそれだけ効果があるのは素晴らしいですね。大抵は回を重ねるごとに徐々に効果が現れてくる方が多いんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。おそらく、リリカさんは御光との相性がとても良いのだと思います。数回の参加で、今抱えていらっしゃる不安は解消されていくことでしょう」
「たった数回で?」
「ええ。続けて参加されるほど、高い効果が早く現れます。宜しければ、是非明日もご参加下さい」
「明日は……導師様はいらっしゃいますか?」
「もちろん。私は御光の導きを絶やさぬように、常に祈りを捧げております。同じような不安を抱えている方が身近にいらっしゃるようでしたら、祈祷会にお誘い頂ければ幸いです。またお会いできる時をお待ちしています」
*
ギルドホールの脇にある休憩室。
そこでは、白い装束で身を固めた二人の人物が話し合いをしていた。今しがた導師と呼ばれていた青年と、歌姫と称される少女である。
「なにあの子。気持ちが軽くなったとか言っちゃって。タスクのことをずっと見つめていた癖に」
「そうだね。でも彼女が不安を抱えているっていうのは、嘘じゃないと思うよ」
「ふーん。なら、またあなたに依存する女子が増えるわね。どうするの? ハーレムでも作る気?」
「それはない。あれでも
「もしかして、個別にスキルを使った?」
「ああ。初回だから念のため」
「じゃあタスクに近づいて来たのは、スキルの影響かしら?」
「きっとそうだよ。スズが気にする必要はない」
「……ねえ。まだ増やさないとダメなの?」
これまで拗ねたような口調だったスズが、急に表情を曇らせて問いかける。
「ああ。使徒様の要求にはまだ全然足りていない」
「使徒様の指示通りに人を増やせば、本当に……このゲームから出られる?」
「スズ。また気持ちが揺らいでいるのか?」
「だって。この間のワールドアナウンスを聞いたでしょ? 私たちの知らない場所で、このゲームの攻略を進めて、結果を出している人たちがいる。なのに私たちは、まだ全然先に進んでいない。有名プレイヤーの成りすましまでしたのに」
表情を変えないタスクとは対照的に、スズは明らかに、ここ最近のISAOに起きた変化に動揺している様子だった。
「まだそんなことを気にしているの? 確かに嘘はついた。でも、自ら偽ったのはゲーム歴だけだ。あとは周りが勝手に誤解しただけじゃないか」
「タスクがあえて誤解を訂正しなかったからでしょ!」
「それは、あの時の状況からしたら、やむを得ない嘘だと何度言ったら……」
「嘘は嘘でしょ? 経験値の高いプレイヤーの振りをして、今だって何も知らない人を、みんなを騙しているじゃない!」
〈御光使徒救魂会〉が大きくなり、彼らの地位が上がるにつれて、意図しない経歴の詐称は、スズの心に疚しい思いとして重くのしかかってきていた。
「……必要悪だよ。嘘も方便っていうだろう? どんなに真実を訴えても、無名の俺たちの言葉には誰も耳を傾けてくれなかった。あのまま、馬鹿正直に助かる方法を説いて回っていたら、今と同じペースで大勢の人々の賛同を得るなんてとても無理だったよ」
「知名度が必要なら、今からでも調査班の人たちに協力すればいいじゃない」
「何を今更。サッサと海峡から逃げ帰ってきた挙句、嬉々として〈竜の谷〉や〈天馬山〉で遊んでいる連中じゃないか。レベルが高いことに
「それは、使徒様に会って話しを聞いて貰えば……」
「それは無理だよ。使徒様は、このゲームを終わらせるべく独自に動いていると仰っていた。それに、遊んでいる奴らには、既にログアウトする資格がないとも。その事実を伏せたまま協力し合うなんて不可能だ」
「……でも。でもね。そんな誰も知らないことをーー助かる方法を知っている使徒様って、本当に信じていいの? 使徒様のネーム表示は、どう見てもNPCだったでしょ?」
これまで何度も繰り返されてきた問いかけに、タスクが溜息をつく。
「あれは、敵を欺いてこのゲームに介入するために、NPCという形を取っているだけだよ。それに、初心者に毛の生えたような俺たちに、実際にこれだけの特別なスキルを授けてくれたのは事実だろ? 使徒様との出会いがなければ、今頃俺たちはどうなっていたと思う?」
「……もしスキルがなかったら? きっと私たちは今も怯えて、小さくなって逃げていたかも。そうだよね。使徒様は、私たちの味方のはず。 ……それなら、信じてもいいのかな?」
「ああ。使徒様だけが、このゲームのデスゲーム化を目論む〈大いなる意志〉に対抗できる技術と実行力を持っている。だったらスズ、僕たちの役目は?」
「みんなを集めて心をひとつにする。そうすればここから出られる。なら私も頑張らなきゃダメだよね」
そのスズの言葉が合図だったように、これまでの口調を一転し甘いものに変えたタスクが、彼女に縋るように呼びかけた。
「スズ。使徒様が信じられなくても、僕は信じられるだろう? 僕と一緒に行こう。来てくれるよね? 僕は、君がいないとダメなんだ」
「や、やだタスク。そんなこと言われちゃったら、ついて行くしかないじゃない! そういえば、今日の集会で、【同調旋律】と【亡我の調べ】のスキルレベルが上がったのよ」
「そうか、それは幸いだ。死に戻りは永遠に約束されているわけじゃない。〈大いなる意志〉の気持ちひとつで、いつでも本物のデスゲームになり得るんだから」
「まだ間に合うよね?」
「今なら。でも、その時はそう遠くないはず。できるだけ急げと使徒様は仰っていた。俺たちのすべきことは、一刻も早く人を集めて、ログアウトポイントに向かう。ただそれだけだ」
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