47【顛末】二

 襖の動きに気付いたさわらが猛禽類のような目を半眼にし、眩しげな顔で弐朗の腹辺りをっと見詰めてくる。


 刀子が整えたのだろう。いつもは後頭部でざっくりとまとめるだけの飾り気のないさわらの髪が、今は頭頂部にふわりと軽いお団子になっている。

 その髪をまとめているのは、藤色の蜻蛉とんぼ玉がついた古風なかんざしだ。

「オハヨ。さわら、お団子似合うじゃん。そのかんざしカワイーなー。前からそんなのつけてたっけ?」

「おはようございます。これはいつも身に付けているものですが。あの、阿釜さん、神社では」

「そうでしょう、そうでしょう! おだんごいいでしょう!? きょうのさわちゃんはとーこぷろでゅーす、ふきのとういめーじでふんわりえありーにしあげました! きいちさんにも「なんかのってる」とおほめのことばをいただいた自信作です! ふじいろがすてきなこちらのかんざしは、なんと、きいちさんからのおくりものだそう。じつにすばらしい」

「神社では大変もうしわけ」

「なんかのってる? お褒めの言葉? 褒めてるのかそれ? エー、かんざしプレゼントとかキーチさんやるなぁ! なになに、どういうシチュでもらったワケ!? 誕プレ!? クリスマス!?」

「……あの、阿釜さん。できれば指をつけて頂きたいのですが」

「あー、そうそう、それそれ。指全部拾ったかぁ?」


 さわらは浅く頷くとテーブルの上の器を見せるように座る位置をずらし、弐朗が座れるスペースを空けて深く頭を下げる。


 重そうな硝子の灰皿の中には、色のない指が四本、ジップ付きの小袋に入れられ氷水に浸けられている。見覚えのあるキャラクターものの小袋は刀子のものだ。


 弐朗は腕を枕に険しい顔で寝ている虎之助の様子を確認してからさわらの隣に腰を下ろし、俄雨を抜いて指を繋ぐ作業に取り掛かった。

 寝ている間の輸血で血は十分に戻っている。抜刀で血が抜けても貧血の症状は出なかった。


 さわらの指を丁寧に繋ぎ合わせながら、弐朗は北沢による昏倒から抜刀失敗で気絶に至るまでの自身の不甲斐無さと、自分の所為で根岸を取り逃がしてしまった、という自責の念に落ち込んでいたが、努めて明るく振る舞った。


 弐朗の治療が終盤に入ったところで、風呂場から物音とドライヤーを使う音が聞こえ始め、見計らったかのように鬼壱がロビーから戻ってくる。

 部屋の扉は、刀子がありもしない合言葉を鬼壱に強制しながら開けた。


 適当な合言葉で部屋に入った鬼壱は、寝ている虎之助と北沢を跨いで広縁の椅子に移動し、治療を終えた弐朗に「お疲れさん」と労いの言葉を掛けてくる。

 鬼壱も昨夜は殆ど寝ていないはずだが、顔に疲れの色はない。


「……で。起きていきなり抜刀させた上に、畳み掛けるようで悪いんだが。こいつ誰?」


 椅子に深く背を預けながら、鬼壱は顎で北沢を示し軽く首を傾ける。


 弐朗は「あ、この人は」と言い掛け、洗面所から聞こえてくるドライヤーの音へ意識を向けたあと、「ヨズミ先輩戻ってからのがいいスかね?」と鬼壱へ問い返す。

 その返しに鬼壱は「それもそうだな」と呟き、一度は襖に向けた視線を弐朗へと戻しながらもそのまま首を巡らせ、窓へと顔を向けて長い息を吐いた。

 真っ直ぐ見つめ返しても鬼壱とあまり視線が合わないことに弐朗は少しの違和感を抱いた。なんとなく、視線が顔よりも下に向いているような気がする。


 数分もすれば、黒の襟シャツとチノパンに着替えたヨズミが、完全に髪を乾かしてすっきりした様子で部屋に戻ってきた。


「おっと、皆揃ってるな。お待たせしたかな? おはよう!」

「ヨズミ先輩、なんで仕事着なんスか。このあと狩り行くんスか」

「いや? 鬼壱クンたちもいるから無難な着替えを選んだだけさ。風呂上がりにタイツもないだろう? 私の浴衣はに貸してるし、制服はアルコール臭かったからクリーニングに出してるしで、これか、あとは派手なのしかなくてね。あ、そうそう、弐朗クンとトラクンの制服も一緒にクリーニングに出してるよ。ただ、キミのパーカーは諦めたほうがいいかもしれない。あちこち穴だらけで襤褸雑巾だ」


 言いつつ、ヨズミは片手で口元を押さえて弐朗の首から下をまじまじと眺めてくる。

 そういえば、どこを見ているのかよくわからない刀子はともかく、さわらと鬼壱もやたらと胸元辺りを眺めていた。


 弐朗は自分の胸元へ視線を落とし、嗚呼、なるほどと深く項垂れる。


 尻まで隠れるオーバーサイズのTシャツは虎之助のものだ。

 身に付けるものに無頓着な後輩は、ローマ字で大きく「KOUMINKAN」とプリントされたTシャツだろうと気にせず着こなす強者なのだ。

 弐朗を着替えさせたのは刀子だと本人の口から聞いている。

 Tシャツの他には修学旅行のために新しくおろしたボクサーパンツしか身につけておらず、現在進行形で女子三人の前で下着を晒している状況に弐朗は「ヤッチマッタナ」と思いはするのだが、今更取り返しはつかない。

 何より、女子三人が恥じらっていないのだ。ここは開き直るしかない。


 弐朗が「これ俺のじゃないんで」「トラのなんで」と真顔で鬼壱とさわらに説明していれば、寝ていた虎之助が起き上がって殺意の籠もった目を向けつつ「人の着替え借りといて随分な言い草ですね」と地面を這う低音で文句を言ってくる。

 どうやら虎之助は睡眠をとっていたわけでななく、不貞寝をしていただけらしい。

 見知らぬ青年相手に人見知りを発揮しているのか、会話の続かないさわらと二人が気まずかったか、根岸の暗示に掛かっていたバツの悪さからか。

 まあ、そんな気はしていた弐朗である。


「起きてンのかよォ、トラァ。オハヨ! 昨日は心配掛けてごめんなあ。あと、お前が血ィくれたんだよな! おかげでしっかり抜刀できたわ、サンキュな! 着替えはできれば公民館以外がよかったっつーか。他に何持ってきてんの? 椰子の木とイルカのやつ? 犬のやつ?」

「気持ち悪い。人の服覚えてる暇あったら方程式のひとつでも覚えたらどうですか」

「キモチワルイ言うな!! 俺は普通! お前が無頓着過ぎるんです! お前が思ってる以上にみんな人の服とか週間ローテーション見てるからな? あ、あとお前、暗示どうなってんの。解けた?」

「……解けてますよ。その話題、苛々するんで、今はこれ以上聞かないでもらえると助かります」

「よしよし。じゃあトラクンも起きたことだし、昨夜失踪している間に何があったのか、彼は一体どこの誰なのかー…改めて説明してくれるかな、弐朗クン」


 虎之助の機嫌が悪化しそうな気配を察したヨズミは、すかさず指先を鳴らし弐朗に会話の切り替えを指示してくる。


 指のつき具合を確かめていたさわらと刀子、広縁で椅子に座る鬼壱も弐朗に顔を向けてくる。

 弐朗は全員に見詰められながら、昨夜自分に起きたことの一部始終を説明した。

 鬼壱だけは、弐朗が話している間、ずっと視線を弐朗の腹辺りに向けていた。


 斯々かくかく然々しかじか


「……というわけなんス」

 弐朗はありのままを話した。


 弐朗と一緒に根岸から話を聞いた虎之助は当然のことながら、何故かヨズミと鬼壱も「北沢鉄平」という血刀使いの存在に反応を示した。


「聞いた名前だ。東京じゃあわりと有名な使い手らしいよ。確かに、うちの先代が何度か彼に説教している。今時珍しい硬派な使い手だとかなんとか、まぁ、褒めてたね。まさかこんなところで出会うとはねえ」

「名前は初めて聞きましたけど、夏前ぐらいにヤバそうだった使い手が東京からいなくなったって話なら聞いてます。槍使いでかなりの使い手だったとか。それでパワーバランス崩れて荒れてるって。真轟さんとこの情報源どこですか」

「うちの父と、東京在住の情報通な知り合いだね。直接聞いたわけじゃないからー…透平さんか、黒服経由で聞いたんじゃないかな。キミは?」

「さっき阿釜の口からちらっと出た、茨城の十九ですよ。毎回じゃないですけど、たまに会合に顔出す人です。俺は直接連絡取り合ってはないですけど、御大とは繋がってるんで、そこから」


 ヨズミは改めて北沢を覗き込み、傍らに膝をついて状態を確認しながら口元に手を当て黙り込む。

 北沢の顔左半分はすっかり傷も癒え、血管が浮き出て破れていたのが嘘のようにつるりとしている。

 左手の平も同様、槍の穂先で裂けていた部分はすっかり閉じていた。

 明るい場所で見る北沢は、異常に血色が悪かった。

 死人のように色がない。

 ただそれでも、弱いが呼気はあり、心臓も動いている。

 間違いなく生きている。


 ヨズミは鬼壱を振り返り、「奇鬼殿に話を聞くことはできるかな?」と鬼壱の足元に置いてある黒鞘の刀へ視線を向けつつ問う。

 弐朗は何故ここで十九の名前が出るのかわからず、ただ忙しなく瞬きをしながらヨズミと鬼壱を眺めていた。


 ヨズミは言った。


「根岸クンが持って行ったあれはー…多分、妖刀だ」


 その言葉を聞いても、弐朗は何が起きているのか、どうしてヨズミが苦い顔をしているのか、よくわからなかった。

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