46【顛末】一


 漆黒よりも黒い丸が自分を覗き込んでいた。


 次に弐朗が目を覚ました時、目の前には、親の顔よりも見慣れた幼馴染の顔があった。

 意識の浮上は自然なものではなく、刀子に瞼を持ち上げられての強制覚醒。

 弐朗は瞬きできない瞼を震わせながら「オハヨ」とぎこちなく起床を告げる。


「おきた? じろくんおきました? おはようございます! とーこです! おしごといっぱいたまってますよ! はりあっぷ!」


 眼球が触れ合いそうな距離まで顔を近付けてくる刀子に、弐朗は限界まで枕に頭を沈めて回避を試みる。が、避けることはかなわず、結局刀子の睫毛に目を刺され悶絶しながらの起床となった。


 弐朗は違和感の残る片目を押さえつつ、正座の体勢でぐるりと首を巡らせる。

 場所は大仏旅館、布団の上には正座の自分。

 隣には顔を覗き込んでくる刀子。

 部屋には自分たち二人しかいない。

 微妙に見覚えのない部屋なのは、二間あるというもう一方の部屋だからだろう。

 布団の傍らには、血塗れのチューブとそれを乗せる平たい皿が置いてある。


 襖の向こうに人の気配。


 弐朗がチューブに視線をやれば、刀子が「それはですね!」とここに至るまでの事情を説明してくれた。


 すっかり明るくなった明け方、刀子が一人で留守番する大仏旅館にヨズミたちが戻ってきた。

 ヨズミは気絶した弐朗を横抱きに抱えており、いつになく上機嫌だった。

 ヨズミの後ろには、鬼壱に呼び出されて出て行ったはずのさわらが付き従っていた。さわらは十九二振りと百八十センチはありそうな青年を担いでいた。口に咥えたハンカチは血塗れであり、刀子が受け取って広げてみたなら、切り落とされた指が数本包まれていた。

 ヨズミは弐朗を畳に下ろすと同時に、自分は座布団を引き寄せてそのまま潰れてしまったのだという。


 刀子はさわらから事情を聞いたが、さっぱりわからなかった。


 身元不明の青年が誰なのかは運び込んださわら自身もわかっておらず、刀子はさわらに風呂を勧めたあと、ヨズミ、弐朗、青年、と、三者三様死屍累々の有様を眺め、とりあえず寝床を整えた。

 布団を敷き、ヨズミを横たえ、弐朗と青年の汚れた衣類は引ッ剥がして畳む。

 着替えは、青年にはヨズミ用の浴衣を、弐朗には虎之助の荷物を漁って引っ張り出したTシャツを着させた。

 風呂上がりのさわらには自分の浴衣を渡し、片手の指が落ちているため支度に手間取るさわらの髪を整えてやっていると、今度は鬼壱が意識のない虎之助を担いで帰ってきた。

 鬼壱は山に話をつけに行ったあと、なかなか帰らせてもらえず難儀していたところをヨズミに呼び出され、これ幸いと高瀬川沿いの料亭に出向き、そこに転がされていた虎之助を引き取って帰ってきたのだという。


 とりあえず誰でもいいから起こして事情を説明させよう。

 鬼壱の提案で、手始めに一番起こしやすそうな弐朗に白羽の矢が立った。

 弐朗は頬を叩いたり冷たい水タオルを顔に当てたりと色々試された。が、一向に起きる気配がなく、覚醒には時間がかかると判断され放置された。


 次に白羽の矢が立ったのがヨズミだった。

 小一時間寝て酔いが醒めたヨズミは、鬼壱が声を掛けただけで目を覚まし、若干朦朧としながらも料亭と神社で起きたことを掻い摘んで説明した。


 高瀬川沿いの料亭には青い天狗面をつけた「高雄たかお」を名乗る天狗一派数名がおり、ヨズミが訪れた時、既に虎之助は意識がなかった。抜刀する間もなく軽く捻られたらしい。

 一緒に乗り込んだ根岸は無事だったが、余興で始めた花札勝負に勝ち過ぎたことで高雄の不興を買っており、負けられない戦いに発展していた。

 何がどうしてそんなことになったのかー…高雄は住処である山の一部を賭け、根岸は自分と虎之助の命を賭けるに至っていた。

 わざと負けようものならその場で心臓を掴み取られる勢いだ。

 意図せずその争いに巻き込まれたヨズミは、粘り強く高雄に交渉し、花札勝負を白紙に戻すことに成功した。


 代わりに始まったのが、飲み比べだ。

 ヨズミは根岸の代わりに勝負を引き継がされ、高雄は自分が勝てばヨズミを娶ると言い出した。


 なるほど、鬼壱が危惧していたのはこれかと思わず納得の要求に、ヨズミは「いやいやそれはおかしな話でしょう!」と大きく首を振り、返す言葉には、


「四十八に名を連ねるお山の方相手に、負けて嫁ぐなどもってのほか。それは私が勝って初めて得ることのできる誉れある座であると心得ます。ですのでこうしましょう。私が勝てば、貴方は私を娶らねばならない。貴方が勝てば、私は今宵のお代を全て肩代わりする。勿論、この広間におられる全ての方のお代です。なんならこの料亭全てのお代でも構わない。うん、それがいい。総仕舞いと参りましょう! どうせ私が勝って貴方の妻になるのですから!」


 こうしてヨズミは自分の嫁ぎ先を賭けて天狗に飲み比べを挑むことになり、飲める限り飲んで飲ませて飲まされながら、限界突破する前に潔く負けた。


 その勝負の最中に、根岸は料亭から逃げていた。

 普段なら決して見逃すことはないヨズミも、天狗相手の飲み比べの最中となればさすがに全てを見張る余裕もない。

 気付いた時には根岸は見張りの木端天狗を騙し、料亭から姿を消していた。

 しかし根岸の気配はしっかり捉えている。

 ヨズミはこの段階ではまだそう慌ててはいなかった。


 ヨズミは宣言通り、その夜料亭で発生した支払いの全てを肩代わりした。


 高雄は、ヨズミが端から負けるつもりの勝負を仕掛けたとわかっていて、敢えて受けたようだ。

 自分に損のないよう丸く収めてくれたヨズミを高く買い、木端天狗に命じてけもの道を案内させ、旅館最寄りの出口まで送り届けてくれた。


 へべれけに酔ったヨズミが木端の案内でけもの道を抜けた先が、神社の唐門。


 そこでは弐朗と根岸と見知らぬ青年、離れた場所でさわらと童鬼、叫鬼が暴れ回っていた。


 ヨズミはヨズミであるが故に、瞬時に事態を把握した。

 料亭から逃げた根岸が旅館で保護していた叫鬼を持ち出している。

 そしてさわらが童鬼を抜刀し、十九同士のプロレスが始まっている。

 倒れているのは弐朗が通話の際に言っていた「会ってもらいたい人」なのだろう。

 根岸はその人物と弐朗に血刀らしき槍を向けている。

 うむ。混沌だ。


 考えても仕方ないと開き直ったヨズミが声を掛ければ、根岸は瞬時に自身の不利を悟り、叫鬼を放棄して逃げる動きを見せた。

 ヨズミは根岸を追うつもりだったが、抜刀に失敗した弐朗が倒れ込むのを見てその場に留まった。

 根岸確保よりも、十九の確保、叫鬼を大人しくさせるほうが先だと判断したのだ。

 ヨズミはぐらぐらに視界が回る中、弐朗に託された俄雨八振りで鴉を撃ち落とすことに成功。鴉から奪い返した叫鬼の柄を弐朗が持つ鞘に納めて漸く、境内は静けさを取り戻した。


 しかし意識のない弐朗と青年、あちこち血塗れの上に指の取れたさわら、泥酔のヨズミという状況は、どこからどう見ても通報案件であり、依然として状況はよろしくない。

 ヨズミは安堵の息を吐く間もなく弐朗を回収し、さわらに青年を担がせて旅館へと逃げ帰ったのだった。


「じろくんに輸血したのはとらくんです。よずみせんぱいが、じろくんがおきないのは血がたりないからだって。じろくんねてたからちゅーぶでぶすっと。なんとりっぱな輸血袋。とらくんいかりのですろーど! よずみせんぱいはいまおふろで、おとなりにはとらくんとさわちゃんとしらないおにいさんがいます。きいちさんはおでんわしてくるってろびーにいっちゃった。は、そうだ! じろくん、さわちゃんのゆびつけてあげないと!」


 刀子に言われ、そうだったそうだった、と弐朗は手を引かれるまま襖を開け、隣の間へ顔を出す。

 隣の間では先日は中央に置いてあったテーブルが隅に寄せられ、片側には布団が二組敷いてあった。

 その片方には虎之助が横を向いて寝転んでおり、もう片方に北沢が仰向けに寝かされている。


 浴衣姿のさわらはテーブルの横で置物のように正座していた。

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