43【彼誰】三

 たった今、根岸を待ち伏せするのかと聞いたところなのに。

 その対象が、顕現させた十九を手に何食わぬ顔で鳥居の奥から歩いてくる。


 暫く開いた口が塞がらなかった弐朗も、根岸が近付いてきたなら手首を掴むさわらの腕を振って「後ろ! 後ろ!」と声を荒げる。

 

「さわ、さわらッ、後ろ!! 根岸!! 根岸がいる! 捕まえるのは俺じゃなくてあっちだろ!?」

「キーチさん、根岸が出た! あれ!? キーチさんは!?」


 何が起きているのかわからず狼狽える弐朗に、振り返って根岸を確認したさわらが怪訝な顔で弐朗に向き直り、言う。


「根岸さんが? どちらに。きいちさんしかおられませんが」


 さわらの後ろで根岸が声を上げて笑っている。

 参道では、北沢が叫鬼に包帯を燃やされながら抵抗している。


 やられた。

 さわらには根岸が鬼壱に見えている。

 暗示だ。虎之助にやったのと同じだ。

 こいつまたやりやがった!


 憤慨する弐朗を他所に根岸はさわらに「そのまま離さないで」と拘束の継続を指示し、弐朗の横を通り過ぎて参道へ足を進める。


 弐朗は根岸を掴もうと手を伸ばした。

 しかしそれは弐朗の手を掴むさわらが許さない。

 雑巾のように捻り上げられ、弐朗の左手首が軋んだ音を立てる。


「いやお前さわら、あれがキーチさんに見えてんの!? マジで!? 根岸だぞ、あれ根岸!! 声だって全然違うじゃん、ふざけてんじゃん!」

「阿釜さん、何を仰っているのかよくわかりません」

「ホント、何言ってんだろね。にやられて混乱してるんじゃない? 嗚呼、それで失踪してたのかも」

「なるほど」

「なッ!? いや根岸にやられてんのはお前ださわらぁッ!! 騙されんな! キーチさんが叫鬼顕現させて襲わせるわけないだろ!? キーチさんは奇鬼の主なんだろ!? ちょっと考えればわかるだろーがッ! 考えろ! そんでもって根岸、お前は待て、行くな、お前、おまッ」


 弐朗は左手首を握り込むさわらの指を右手で抉じ開けようとするが、さわらの指は鉄のように食い込んでピクリとも動かない。

 なら、さわらの手首を切り落としてことが終わってからくっつければ、と抜刀を試みるも、指を擦り合わせるよりも早くさわらが竹刀袋で弐朗の腹を打ち、弐朗の靴底が浮くと同時に地面にうつ伏せに倒して背中に膝を押し付けてくる。

 小さい頃から散々、刀子の皮剥で解剖ごっこや人体パズルをやってきた弐朗だ。死なない程度の打撲や切断は慣れている。

 腹を打たれた痛みは然程ない。

 ただ、息ができず、呼吸が整わないだけだ。


 石畳に胸を押し付けられながら、弐朗は顔を上げて根岸を見る。


 根岸は弐朗とさわらに背中を向け、叫鬼と揉み合う北沢を傍観している。まるでたまたま通り掛かっただけの通行人のような、無責任な佇まいだ。

 北沢は巻き直したばかりの包帯を全て焼かれ、剥き出しになった左手から覗く槍で叫鬼と応戦している。触れるだけでも神経に触られるようで痛いと言っていた切っ先だ。痛覚が鈍っている弐朗にはわからないが想像を絶する痛みに違いない。

 その激痛を堪えて叫鬼を撃退したところで、次から次へと鴉が襲い掛かってくるためキリがない。


 根岸はその様子を眺めながら「北沢センパァイ、」と緊張感の無い声を掛ける。


「なんで槍出さないんですか? 血刀っていうんですよね、センパイのそれ。俺、久しぶりに見たいんですけど。センパイが槍振り回してるとこ」

「オイッ、やめろって! 北沢さんは今は抜刀できねえンだよ! 治療が必要なんだ! お前北沢さん探してたんだろ!? 北沢さんにもそれ説明してあるし、お前と直接話すって、了承済みでここにいるんだよッ! 俺も北沢さんも逃げねえからちょっと落ち着け、落ち着け!」

「落ち着いてまぁす。っていうかジロセンパイには聞いてないんですけど」


 弐朗はさわらの下で魚のようにびたびたと跳ねたが、さわらの尖った膝が背中に食い込むだけで微動だにしない。自分より小柄なはずのさわらが岩のように重い。


 群がる鴉を打ち払い、叫鬼の一瞬の隙を突いた北沢が神社の入口へ走り出す。


 「逃げないから」と言った直後の逃走であれば、当然弐朗は「え、逃げるんスか」と慌てたが、引き止めることなどできるはずもない。いきなり襲われ満足に応戦もできない以上、逃走は至極当然の選択だ。


 それに気付いた根岸が手を振って何かを投げれば、北沢は足を取られたようにその場に倒れ、その北沢の上に叫鬼が飛び乗ることで逃走は阻止される。


 群がっていた鴉に啄まれたのか、北沢の顔左半分は血に塗れ、肉が千切れていた。遠目に見ても顔の輪郭が崩れているのがわかる。

 弐朗は稲荷神社の頂上で目を潰されていた被害者を思い出す。参道に落ちていた片目を見付けなんとか俄雨で固定したが、彼女は両目を抉られ、突かれた場所には穴が開いていた。


 喚いても根岸には届かず、暴れたところでさわらは振り落とせない。

 だからといって黙って根岸の行いを眺めているわけにはいかない。

 自分が北沢をここに連れてきたことに責任を感じているのもあるが、それ以上に、根岸にこうまで好き勝手やられては腹の虫が治まらない。


 弐朗は肩越しにさわらを振り返る。

 さわらは弐朗の背中に膝を乗せ、背中でひとまとめにした両手を掴んでいる。


 さわらが根岸と北沢に注意を向けていれば、と期待したが、さわらは真っ直ぐ弐朗を見下ろしており、弐朗が手を動かせば隙なく手元にも視線を配る。弐朗がこの状態から抜刀する可能性もしっかり警戒しているのだ。

 弐朗は指先を弾いて俄雨の抜刀を試みるが、先ほど同様、弐朗が抜刀する前にさわらの手にがっちり指を固定され抜刀を阻止される。


 弐朗は鋭く舌打ちした。

 それに気付いたさわらが「すみません、きいちさんの御用が済むまで大人しくしていてください」と事務的に謝罪してくるが、弐朗の指を締めつける手を緩めることはない。

 さわらは片手に持っていた十九、童鬼の本体鈴鹿みづちの入った竹刀袋を地面に置いている。油断しているわけではなく、弐朗が動けばすぐに対応できるよう両手を開けたのだろう。

 自分の上に乗っているさわらの位置を再度確認しながら、弐朗はぶつくさと小声で文句を零した。

 そのぼやきを拾えなかったさわらが自分の肩口に顔を近付けた瞬間を見計い、弐朗は勢いよく顔を仰け反らせ後頭部で頭突きをお見舞いしようとする。

 が、それすら難なく頭を抑え込まれて不発に終わる。


 だが、次の瞬間、さわらは地面から真っ直ぐに伸びた黒い刃先に肩を貫かれ、大きく均衡を崩す。


 弐朗の汚れた白フードを突き破り、地面に刺さった俄雨が刀身を伸ばしていた。


 弐朗は続け様に二回舌打ちし、舌で抜刀した俄雨を地面に刺す。

 そうして、首を振り上げる動作で一気に最大まで刀身を伸ばした。

 一振りは反射的に仰反ったさわらの腕を貫き、もう一振りはブレザーを貫いて脇腹を掠める。

 さわらは予想外の事態に目を見開いて思考停止している。

 手の拘束が緩んだ一瞬に、弐朗はすかさず指を擦り合わせてもう一振り抜刀し、握り込んできていたさわらの指を切り落としつつ深く手の甲に突き立てる。

 さわらの手の甲から血が球になって零れ落ちた。

 手の甲の俄雨の刀身を百五十センチほど伸ばせば、俄雨の根元が地面に刺さり、さわらの手は勢いよく突き上げられる。

 当然さわらは膝を押し込んで弐朗を抑え込もうとしたが、肩を貫く一振りと手に引っ掛かって伸びる俄雨が邪魔で深く体重を掛けられない。


 弐朗はその隙に、身を捩ってさわらの下からぬるりと滑り出た。


「痛くなくても切れるからな、下手に動くなよ!? 指全部拾っとけッ! あとでつけてやるから! あと、わわさんは抜くなよな、叫鬼と鉢合わせさせるとキーチさんが困るだろ!」


 そんな弐朗の忠告も聞かず、さわらは手の平が真っ二つになるのも厭わず無理矢理俄雨を引っこ抜こうとしている。

 仕方なしに弐朗は駄目押しで更に二振り抜刀し、それをさわらの足の甲と太腿に突き刺して最大の二百センチまで刀身を伸ばした。

 痛みはなくとも、長い刃物が引っ掛かっているのだ。動きづらいだろう。

 時間稼ぎにはなる。

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