42【彼誰】二

 弐朗はスマホを耳に当てたまま何度も頭を下げ、通話を終えると短く息を吐く。


 とりあえず刀子に無事を知らせることができてよかった。自分を一番心配してくれるのは間違いなく刀子だ。なんなら両親よりも身を案じてくれる。そんな幼馴染をいつまでも不安にさせておくわけにはいかない。

 ただ、虎之助とヨズミの安否、そして逃げたという根岸のことを思うとおちおち安心してはいられない。


「ちょっと、ヨズミ先輩にも連絡入れたいんで、えっと……とりあえず大仏旅館方向に進んでもらってもいッスか。こっからどう帰ればいいのか、俺、現在地わかんなくて。ここどこなんスか」

「どこ、って……六原だな。大仏旅館? それこそどこだよ。近くに何か目立つもんないのか」

「えと。東山ホテルの真裏で、あとなんだっけな、耳の塚があるとかなんとか。あ、そうそう、なんか昔でっかい大仏があったとかで」

「……嗚呼、あの辺りか。結界残ってる神社があるとこだ。じゃあ、そこ目指すぞ。なるべく結界の中にいてぇんだよ」

「あ、そッスよね! 症状抑えたいスもんね!」


 移動を始める北沢に「よろしくッス!」と弐朗は深く頭を下げ、ついて歩きながらドリムクでヨズミの名前をタップする。

 呼び出し音を聞きつつ待つこと数コール。

 暫くするとヨズミの招き猫アイコンが点滅し、『弐朗クンか!』と勢いよく応答がある。


「ッス! 弐朗です! すいません、連絡が遅くなって!」

『無事なのか? 一体何があったんだい。今まで何を、いや、今どこに?』

「えっと、色々あって! 一応無事ッス! 今から旅館に帰ります! それであのォ、先輩に会って欲しい人がいて、その人と一緒に帰るつもりなんスけど、先輩のほうはー…。さっきトーコに連絡したら、根岸が逃げたとか、抜け出すのに時間かかるとか……?」

『会って欲しい人? 嗚呼、うん。こっちも色々あってね。今は高瀬川沿いの料亭にいる。根岸クンにはしてやられたよ。詳しく説明したいが、取り込み中なんだ。旅館には今は刀子クンとさわらクンしかいないから、お客さんと一緒なら、部屋には帰らず、庭かロビーで待っていてくれるかな。急いで片を付ける』


 ヨズミは畳み掛けるようにそう言い放つと、弐朗の返事を待たずにそのまま通話を切ってしまった。


 刀子が言っていたように、スマホの向こうは三味線やら鳴物やらで賑やかな様子だったが、愉しげと言うにはヨズミの声には常程の余裕は感じられなかった。

 しかしヨズミはやると言ったらやる人間だ。

 そのヨズミが「急いで片を付ける」と言うのなら、弐朗はそれを信じて旅館で待つだけだ。


 訝しむような表情で見下ろしてくる北沢に「大丈夫ッス、行きましょう!」と先を促し、弐朗は北沢に導かれるまま明け方の京都をうろうろと彷徨った。


 正直、北沢の案内がなければ目的地に到着するまでに倍は時間が掛かったなと弐朗は固唾を飲む。

 京都の道は碁盤の目がどうのと聞いていたが、どうしてなかなか、中学校らしきものを迂回したり袋小路をやり過ごしたりと、想像以上に複雑な道程だった。


 見覚えのある大きな道路を渡り、再び町屋に挟まれた細い道を進むこと数分。


 細かった一方通行の道が徐々に広くなり、二車線になったかと思えば、不意にぽかりと見通しが良くなった。

 左側に大きな石で組まれた石垣と生垣が続き、それが途切れたところで幅広の石段数段と石造りの鳥居が現れる。

 鳥居の先には赤い灯篭が並んでいた。

 ここが北沢の言っていた神社なのだろう。


 北沢はそのまま大股に石段を上がり、鳥居をくぐった先で立ち止まって長い息を吐く。まるで自宅に帰り着いたかのような、深い息だ。


「ここが目的の神社? 大仏旅館の近くッスか? 旅館どのへんスかね」

「旅館の位置知らねえよ。まあ、方向的には正面が東、真っ直ぐ先が東大路だからー…そっちなんじゃねえか」

「じゃあ、ここで待ってればラクエンとやらに行ってるヨズミ先輩の帰り道ってことスね? ここで一緒に先輩待ってもらっていいスか! 北沢さんも結界内にいるほうがいいんスもんね?」

「まあな。……ところでその、ヨズミ先輩とかいうの。もしかしなくても、そいつの父親もお前の親父の仲間だったりすんのか」

「あ、そうッス! そっか、言ってなかったスね。ヨズミ先輩の父親が、真轟清嵩きよたかさんっていって、会社の社長やってる人で。路地で一緒にいた後輩は端塚虎之助、おじさんは龍三郎りゅうざぶろうさんッス。さっき電話してたのが紅葉刀子、トーコの前の代はばーちゃんで、菜桐なきりさんって人ッス! でもトーコのばーちゃん、もう十数年寝たきりで入院してるんで、親父と一緒に狂い狩りしてたのはずっと前の話らしいスけど。北沢さん、親父と仲間の人らにボコられたって言ってたスけどー…」

「……真轟さんと端塚さんには殴られてねえけど。阿釜さんと真轟さんの手下みてえな人らに、立てなくなるまでボコボコにされた。短髪でトンファーみてえな得物ブン回してくる人と、絞技掛けてくるぬるっとした癖毛の人」

「あ、ニキさんとカメさんスね。先輩のおじさんの付き人と運転手してる人たちッス」

「まさかその人らまで京都来てねえよな」

「さすがに! ないッス! 俺ら四人だけッス!」


 「俺らは親父たちとは違うッス!」と弐朗が必死に言い募れば、北沢は「ならいいんだけどな」と警戒は解かないまま、呆れたように視線を遠くへ飛ばす。


 ふと、顔を明後日あさっての方向に向けた北沢が、そのまま一点を注視していることに弐朗は遅れて気が付いた。


 白々と明け始めた東の空の下、左手の奥まった場所に小さな石鳥居と、幾つかの赤い鳥居が並んでいる。

 その鳥居の入口に、自分たちのほうを向いて立っている小柄な人影がひとつ。


 鳥居の奥にもひとつ。


 北沢が片足を引くのとは逆に、弐朗は一歩進み出て「あれ!?」と声をあげた。


「さわら? さわらじゃん。北沢さん、ダイジョブッスよ。知り合いッス」


 弐朗が歩み寄れば、さわらはペコリと頭を下げて「おはようございます」と律儀に挨拶を返してくる。

 その手には見覚えのある、破れをかがり縫いされた深緑の竹刀袋。


「さわら、お前キーチさんに呼ばれて出てったってトーコが言ってたけど」

「はい。きいちさんがついてくるよう仰られたので、おともしています。阿釜さんは今までどちらに? 皆さん心配しておられました」

「それについてはホントご迷惑おかけしてマジスイマセンッシタ……。さわらも心配掛けてごめんなあ」

「いえ、自分は。あまり事情が飲み込めていなかったもので」


 さわらは弐朗失踪については何が起きているのかわかっておらず、何か役割が与えられればそれに従おうと控えていただけらしい。

 そのあまりにもらしすぎる返答に、弐朗は多少の残念感と安心感を覚えつつ、鳥居の陰に立っている鬼壱らしき人影を眺めながら言葉を重ねる。


「じゃあ、今からキーチさんと根岸探しに行くのか? 先輩ら、根岸の気配覚えたから追えるって言ってたもんな。根岸の奴、財布とか取り返しに旅館戻るかもって先輩言ってたぜ! あ、ここ結界内で索敵通んねえから待ち伏せしてるとか? キーチさんはあそこで何してんの?」

「ここで待つと仰っておられましたが」

「やっぱ根岸を待ち伏せか」


 そんな話をしている最中だった。


 弐朗の背後で大きな羽ばたき音と共に、「おいッ!」と怒鳴る北沢の声が響き渡る。

 

 振り返った先で、北沢は大きく翼を広げた鴉ー…顕現した叫鬼に腕を掴まれ、参道に引き倒されている。

 叫鬼が悲鳴のような鳴き声をあげれば、いつの間に増えたのか、それとも最初から枝葉に隠れ潜んでいたのか、境内の木々に留まっていた鴉たちが呼応するように激しく鳴き始める。


 明け方の静謐は鴉の声に破られ、肌を撫でる冷たい空気が俄かに熱を孕む。


 弐朗は反射的に首を巡らせ、境内に根岸の姿を探した。


 何をどうやったのかはわからないが、根岸だ。

 根岸がまた、稲荷神社の時のように叫鬼を使ってやらかそうとしている。

 それ以外にない。


 参道に引き倒された北沢はよれたスニーカーで叫鬼を蹴り上げるが、鉤爪で北沢の腕を掴んだ叫鬼は簡単には離さない。


「北沢さん! そいつとまともに組み合うと焼かれるッスよ!」


 弐朗は北沢に加勢すべく駆け出そうとするも、それは手首を掴んでくるさわらによって阻止される。


 何のつもりだとさわらを振り返った弐朗は絶句した。


 自分の手を掴むさわらの向こう、手を伸ばせば簡単に届く高さしかない小さな鳥居の中。


 赤円の鞘と刀身のない柄を手に、気負いのない調子で根岸が立っている。

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