40【北沢】三

 真轟のおじさんたちはことある毎にカラオケ大会を開催する。


 盆暮正月、花見、月見、地蔵盆に秋祭り。

 年間行事があろうがなかろうが関係ない。

 彼らはただ、隙あらば食って飲んで歌って騒ぎたいだけなのだ。

 この時ばかりは、普段は実家に寄り付かないおじさんですら、高過ぎる敷居を跨いでマイク争奪戦に参加する。

 真轟のカラオケ好きは何も先代清嵩に始まったことではなく、清嵩の祖父の代から脈々と続いているという。

 おじさんたちが住む母家おもやは当然のことながら、黒服くろふくとう迎賓館げいひんかんにもカラオケ設備が揃っている。

 物置にはおびただしい量のレコード、8トラック、カセットテープ、VHD、レーザーディスク、CD等が、歴代再生機器と共に大事に保管されている。


 真轟の歴史はカラオケと共にあったと言っても過言ではない。


 宴席では、未成年はテーブルを分けて隔離されている。

 弐朗たちは大人連中から離れた場所でサビ抜きの寿司桶とオードブルを囲み、瓶ジュースで乾杯しているのだが、ゾーニングしたところでハッスルぶちかますおじさんたちの大音量カラオケからは逃れることができない。

 弐朗は父親が得意顔で持ち歌を歌い始めると居た堪れなさで心が死ぬ。

 虎之助は蛇蝎だかつの如く嫌っているが、決してマイクを握らず、黙々と料理を食べ続けるだけの大人しい虎之助の父親が、弐朗は羨ましくて仕方がなかった。

 弐朗にとって、父親の持ち歌のイントロは、耐え難い地獄の始まりを知らせる警報だった。アーティストに罪はないが、父親が好んで歌うというだけで一気に地雷と化す。


 そんな思い出したくもない記憶と共に、脳裏で繰り返されるフレーズがある。

 繁華街で客引きをやっている、金髪を尻尾のようにくくった落ち着きのない黒服。カラオケ大会ではタンバリンからハモり、合いの手、振り付けまで万能にこなし、盛り上げ役として大活躍する。

 あれの持ち歌が、確かこんな出だしだった。


 俺んとこ来ないか、って。


 瞬間的に現実逃避した後、弐朗は首を振って思考を軌道修正する。

 今は黒服ビィの完璧な振り付けを思い出している場合ではない。


 このまま北沢を行かせるのはまずい気がする。北沢は連絡手段を持っておらず、また、索敵や結界を駆使して使い手から身を隠している。この機を逃せば次に会える保証はない。京都で幾つか身の振り方を提案されているようだが、人間を辞めるだとかいう物騒なものもあった。それなら、自分の「分離」も十分試す価値はあるのでは? 自分はまだ成功率が低いが、施術経験も豊富な父親なら、多少特殊な状況であっても問題なく抜き取れるはずだ。狂いから抜けるのなら、狂いかけの北沢から抜くのだって難しくない。それに、「分離」であれば抜き取った後暫くは血刀を保存しておける。北沢が望むのであれば、再び血刀を戻すこともできるのだ。元鞘というやつだ。フィジカルとメンタルを整えてから戻せば、納刀不全も改善するかもしれない。京都に比べれば自分たちの地元のほうが北沢の地元である東京に近い。衣食住も提供できるし、真轟の黒服という融通の利く働き口もある。北沢を抑えておけば根岸の暴走もコントロールできる。

 北沢にとっても悪い話ではないはずだ。


 怪訝な顔で振り返る北沢に、弐朗はワークブーツを履きながら「えっとですね、」とまとまらない考えをそのまま口に出した。

 それを聞いた北沢は眉間に皺を寄せ「俺がお前らのとこに?」と弐朗の誘いを反芻し、すぐに首を振る。


「いや、お前らのとこなんか行ったら即首刎ねられるだろ。お前の親父が狂い掛け見逃すわけがねえ。行けるかよ」

「狂いならそりゃ刎ねるッスけど、北沢さんまだ成ってないし! うちの先代がアレなのは俺らも重々承知してるッス。親父は黙らせるんでホント。京都でお世話になってるとこが気になるなら、それも、ヨズミ先輩が話付けてくれると……思うッス! なんで是非、今から俺と旅館に戻ってヨズミ先輩と話してみてくれませんか」

「……そこまでしてもらう義理もねえし」

「でもここで北沢さんと別れたら、この後何かあっても連絡とれないじゃないスか! 一回、とにかく一回先輩と話してみて、検討してもらって、駄目だったら帰ってもらっていいんで! それに、やっぱ北沢さんから直接根岸に事情説明したほうがいいと思うンスよ。俺から言っても、あいつぜってえ納得しねえっつうか」


 弐朗が根岸の名前を出せば、北沢は包帯に覆われていない右半分を僅かに歪ませる。

 上手い話には興味が無さそうな北沢も、自分の後輩が迷惑を掛けていることには思うところがあるらしい。

 弐朗は手早く靴紐を結びボディバッグを背負うと、勢い良く跳ね飛んで北沢の横に並び立つ。

 多少の立ち眩みはあったものの、目覚めた時にあった頭痛は大分気にならなくなっていた。


 北沢の良心に付け込むようで気は引けるが、根岸の存在を利用することに躊躇いはない。


「北沢さんが俺らのとこで元気にしてるって分かれば、根岸もあんな無茶する必要なくなるんじゃないスかね。北沢さんが連絡入れられないんなら、俺が定期的に根岸に連絡入れてもいいッスよ」


 それに、自分たちは明日には京都を離れる。話せる時間はあまり残っていない。

 今も自分を心配して奇行に走っているであろう刀子を思えば、一刻も早く連絡を入れて安心させてやりたい。

 しかしここでそれを持ち出して決断を迫るのはあまりに性質たちが悪い。


 北沢は寺の敷地と外界を隔てる門の手前で歩みを止め、隣でスマホ片手に跳ねている弐朗を見下ろしてくる。


 少し間があった。


 が、弐朗が急かさずに粘り強く待てば、根負けしたのは北沢のほうだった。


「……お前らの地元に行くかどうかは別として。話するぐらいなら、まあ。別にこの後何か用があるわけでもねえしな。根岸のことは、確かにお前の言う通りだ。俺を探してあいつがあちこち迷惑掛けてるんなら、俺がけじめつけるべきだ」


 「それにお前には金も借りてるしな」と律儀に付け足してくる北沢に、いや、だからそれは別にいいんスけど、と手を振りながら、弐朗は「じゃあ北沢さん連れてくって連絡しますね!」とアプリ通話で刀子を呼び出し、スマホを耳に当てる。


 弐朗からの呼び出しに刀子は秒で応答した。


『じろくーーーーーーーーーーーーーん!!!!』

「おわッ、早ぇな! そうだよ、オレオレ! ジロくんだよ!」

『もー! もー! もーーー! じろくんのばかばか! とーこすっごく心配したんだよ!? 心配しすぎてぷんぷんだよ、さたにっくぷんぷんへっどだよ! よかったー、じろくんだ! え、じろくんですよね? ほんもののじろくんですよね? は、もしやこれがうわさのおれおれさぎ』

「いや、なんでだよ俺からの着信って表示出てんだろ。俺だよ弐朗だよ!」

『じろくんはもう殺されていて、だれかがじろくんのすまほからとーこに連絡を? ゆびを切りとられて? だから指紋認証はきけんだとあれほどいったのにじろくん!』

「あるよ? 俺、指全部あるよ? 死んでないよ? 無事です! ごめんなあ、心配掛けて! ちょっと色々あってさぁ。今からそっち帰るから! あ、ヨズミ先輩とトラもそこいる? いるならちょっと代わってー…」

『はっ。それがですねじろくん。それが』


 弐朗はスマホを耳に当てつつ、門をくぐって寺の敷地から一歩踏み出す。

 北沢もそれに続き、弐朗の通話を黙って聞いている。


 スマホの向こうで刀子が背筋を正し、声をひそめたのがわかった。


『いま旅館にはとーことさわちゃんしかいないのです。じろくんがいなくなってからいろいろ、ほんとうにいろいろあったのね』


『とらくんはおおあばれし、つねぴこくんは逃げ、よずみせんぱいは川へ、きいちせんぱいは山へいってしまいました。あ、そしていまさわちゃんもおそとに。え、きいちせんぱいがきたの? そうなの? いっちゃうの? いってらっしゃい! きをつけてね! ということで、いまはとーこだけになりました!』


 弐朗は天を仰ぎ、瞠目どうもくした。


 あれ、これ俺の所為か? 俺が北沢さんに拉致られたから?

 弐朗の隣で北沢も明け始めた東の空を見上げている。


 気合を入れて状況を説明し始める刀子の声が、未だ眠りから覚めない京都の細路地に吸い込まれていく。


 遠くで明け鳥が鳴いていた。

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