38【北沢】一


 北沢鉄平は口数の少ないぶっきらぼうな青年だった。


 弐朗の質問にも全ては答えず、三つ問うて漸くひとつ答えが返ってくるような有様であり、弐朗は状況を把握するためにかなりの時間を費やすことになった。

 ただそれでも、無愛想を極める後輩と日常的に接している弐朗からしてみれば、北沢はまだ親切な部類に思われた。


 聞けば、北沢は根城にしている空家に戻る最中、狂いの気配を掴んであの路地に足を運んだのだという。

 狂いの処理は勿論だが、本当の目的はその所持金だったようだ。

 路地奥の狂いの他に、いまいち掴めない何かの存在を感じ取った北沢は、それを隠密中の地元の掃除屋と判断し、そのまま狂いを諦めて路地を後にしようとした。

 が、そこに弐朗たちがやってくる。

 五条坂にいた連中か。狂いの気配に様子見にきたか?

 出入り口を塞がれ、奥にも抜けられない。致し方なく空家の陰に潜んで三人組の様子を窺っていれば、どういうわけだか自分の名前が会話にあがり、聞き覚えのある声、見知った顔があることに気付く。

 東京にいるはずの元後輩、根岸常彦が、見覚えのない少年二人と共に自分を探している。

 まず思い浮かんだのは、根岸が敵対していた連中に目を付けられ、巻き込まれてここにいるという可能性。

 次に、根岸が奴らに取り込まれ、自分を裏切って追手となった可能性。

 どちらにしろ見付かるわけにはいかない。

 弐朗が路地の奥で掃除屋と接触し、狂いを任せ、三人が立ち去る一部始終を確認した後、北沢はひっそり路地を出ようとした。

 ところが弐朗が足を止め、何を思ったかいきなりスマホを向けて写真を撮り始めたため、北沢は深く考える余裕もないまま咄嗟に弐朗を昏倒させたー…と。


「つまり俺が拉致られてんのは、メイン動機は金で、次が写真消させるため、そのついでに何で根岸と一緒にいるのか確認しときたかった、って。そういうことッスか」


 弐朗は北沢からお裾分けされたジャーキーを食べつつ、北沢の隣に座って問う。

 北沢は「お前の金で買ったやつだから好きに食っていいぞ」と寛容だった。

 弐朗は根岸の財布から出ている臨時収入に思いを馳せたが、特に何も言わず有り難くジャーキーを食べた。言わなくていいことをわざわざ言う必要はない。


 それにしても、路地で遭遇した地元の使い手といい、北沢といい、自分たちが五条坂で暢気におばんざいを食べていた時から気配を掴まれていたのは情けない話だ。

 自分と虎之助はよほどわかりやすい気配をしているということだろう。

 弐朗が隠密の大切さを噛み締めながら、見慣れないロゴが入った袋をまじまじ眺めていれば、北沢が「ここの近くにあるスーパーなんだよ、ハピロク」と教えてくれた。どうやら「ハピネス6HARA」という浮かれた名前のスーパーがあるらしい。京都のローカルスーパーなのかもしれない。


「まあ、そうなるか。いざとなりゃ賽銭泥棒でもするかと思ってたんだが、色々事情があってやれねえし……。このナリに加えて住所不定、連絡先もないときちゃあ日雇いの仕事もな」

「どんな事情が。いや、でも、賽銭ドロはやんないほうがいッスよ。罰当たるスよ。その包帯、怪我ッスか。まだ傷口塞がってないなら、ワンチャン、俺の血刀で治せるかもッスよ。あと、なんで根岸と一緒にいるのかって話ッスけど、俺らは単に巻き込まれただけで北沢さん探してるのはあいつッスよ。あいつ、北沢さんおびき出すために京都でめちゃくちゃやってんのに、北沢さん全然気付かなかったんスか」

「いや、そこがわかんねぇんだよ。なんであいつが俺探しに京都まできて、妖刀振り回してんのか。あいつが血刀使いって。……信じらんねえ」

「本人も血刀のこと知らなかったぽいスよ。気配は無自覚に偽装してたとかで。ホントかどうか微妙スけど。つか、北沢さんと根岸ってどういう関係ッスか」

「……どういう、って。中学が同じで、あと、うちのアパートの隣のマンションに住んでるー…近所の奴、ってだけなんだが。特に親しいわけじゃねえ。無関係の奴揉め事に巻き込むわけにいかねえから、あんま接点持たねえようにしてたしな。一般人のくせに視える奴なんだなとは思ってたが、偽装って……そんな気配誤魔化せるもんなのか。あいつ、視えるせいか境界曖昧な連中にしょっちゅうちょっかい出されてて、何回か片付けてやったことがある」

「近所の先輩がいなくなったってだけで、東京から京都まで探しにきたりするもんスかね。しかも転校してまで」

「いや、こねぇだろ。普通。何考えてんのかわかんねえ奴だとは思ってたけど……」

「何か裏あるんじゃねッスか。行動力異常過ぎるッスよ。さっき北沢さんが言ってた敵対してる奴らって何なんスか。北沢さんはなんで京都に? 根岸は、なんか怪しい物売りから情報やら羅針盤やら買って北沢さんが京都にいるって特定したらしいッスけど」


 弐朗の問いに、北沢は険しい表情で正面を向いたまま無言で返してくる。

 言いたくないのか、言えない事情があるのか。

 できればここは聞いておきたい内容だ。

 弐朗は意識して話題を変えることはせず、食べ終えたジャーキーの包装をビニール袋に戻すついでに、北沢が他に何を買ったのかひとつずつ並べて確認する。

 すぐに食べられるおにぎりや巻き寿司、飲み物の他には、包帯とガーゼが大量に買ってある。汚れた包帯を替えるつもりだったのだろう。怪我のことも一切触れずに流されたが、包帯に滲む血はそこまで古くはない。


 たっぷり数分黙った北沢が、深い息を吐いて右手で髪を掻き混ぜる。


 弐朗がソフトケースに入った包帯でお手玉をしつつ「包帯替えるなら手伝うッスよ」と声を掛ければ、北沢は諦めたように肩の力を抜き、「頼めるか」と綿棒の頭のように丸くなっている左手を差し出してきた。

 一呼吸おいたことで心境に変化があったのかもしれない。

 そして弐朗が包帯の端を探し出して解き始めるのを見下ろしつつ、言うのだ。


「簡単でいいなら、事情、説明する。だからお前から根岸に、俺のことは探す必要ねえって言っといてくれるか。自分のことで手一杯で、他に構ってる余裕ねえんだよ」


 弐朗は「言うのはいンスけど、根岸が納得するかどうか」とぼやきつつ、北沢のコートの袖を捲り、肘関節手前まで巻いてある包帯を手早く巻き取っていく。

 北沢の腕は硬く、見てわかるほど血管が浮いていた。血色が悪く見えるのは灯りが乏しいからかと思ったが、どうやらそれだけではない。包帯の下から現れた腕は、末端に進むにつれ土気つちけ色になり、手首から先に至っては肌の色とは思えないほど青黒くまだらになっている。


 包帯と、緩衝材の如く詰め込まれていたガーゼの全てを外した時、その手の中に鋭利な刃物が握られているのに気付いた弐朗は「もしかして騙された?」と思わず北沢を見上げた。

 しかし北沢はそれを使って攻撃してくることもなく、細くすぼめていた手の平を開いて握っていたものの正体を弐朗に見せ付けてくる。


 北沢の手の平から、黒く鋭い刃物が生えていた。


 弐朗の血刀、磔刀俄雨と変わらない大きさのそれは、手平の皮膚を突き破り肉の裂け目からしっかり覗いている。

 突き刺さっているというよりは、突き出ている。

 どう見ても、飛び出しているほうが鋭く、刃先だ。

 弐朗が両手で北沢の手を握り、傷口を開くように両側から力を加えれば、北沢が眉根を寄せて「イテェ」と苦情を言ってくる。

 刃物は手の平の中、手首近くまでは芯らしきものが埋まっているのがわかる。


「……穂先に触るなよ。神経通ってるみてえに痛ぇんだよ。それ以上抜けねえし、戻せねえ」

「抜けねえって、北沢さん、これ」

「怪我じゃねえ。どっちかっつうと病気なんだろうな」

「いや、北沢さんこれ。アンタ、これ」


 弐朗が言い澱んだその先を、北沢はさも当然のように補足してくる。


「狂いかけてんだよ」


 抜刀も納刀もできなくなった血刀を手にそう言う北沢に、それでも、と弐朗は思うのだ。


 それでも、血刀使いの自覚もないくせに、妖刀片手に無差別に切って回っている根岸に比べればー…、

 狂いかけだと自嘲する北沢のほうが、よほどまともに見えた。

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