35【路地】一
ドリムクに届いたヨズミの返信を見詰め、弐朗は思う。
やっぱりヨズミ先輩はデケエ。
大らかと言うか大胆不敵と言うか。
無鉄砲なわけではないと信じたい。
「近くに狂いっぽい気配掴みました。確認してきたほうがいいですか」と報告した弐朗に対し、ヨズミは「任せた!」のスタンプだけを返してきた。
心眼の広範囲索敵を持つヨズミがこの目立つ気配を掴んでいないわけがない。
捕捉した上でこの判断なのだろう。
任されていいのか。本当に?
暗示を掛けられている虎之助と、何をしでかすかわからない根岸がいるのに?
返信を見た虎之助は不満気だったが、それでもヨズミの指示に従うらしい。
弐朗が意外そうに見上げれば、「旅館に戻ってから見てこいと追い出されるよりはマシです」という納得のいく答えが返ってきた。
捕捉した気配を目指して歩きながら、根岸は「俺が言うのもなんだけど」と呆れ気味の声で言う。
「ヨズミセンパイって何考えてるのかよくわかんないですよねえ。折角捕まえた要注意人物ふらふら出歩かせたり、状態異常中の後輩を危なっかしい気配と接触させようとしたり。お目付役はそそっかしそうなセンパイ一人ってさぁ」
「先輩は面白くなりそうな方向に向かって全力で舵切ってくタイプなんだよ。誰がそそっかしいって? 喧嘩売ってんのか、ん? ン??」
「なるほどぉ……面白く、ねえ。気が合いそう。あ、二人とも、そのだだ漏れの気配ちょっと抑えてもらえる? 気配が北沢センパイかどうか確認できるまで、こっちのこと気付かれたくないからさあ」
「なんだお前、なんなんだおい? なんで上から目線なんだコラ?」
弐朗は根岸の脇腹を小突きながらオラついたが、根岸は平然と「だって俺のほうが気配の扱い上手いっぽいし」とほざいている。
「こいつをシメるのは後にしましょう」と冷静ぶったことを言っている虎之助も、今にも根岸の首をねじ切りそうな顔をしている。
三人は五条坂を下る途中に在る変わった名前のビル手前で右に折れ、細い道路を北上する。
一方通行の道の両脇には新旧様式様々な民家がみっしりと並んでいる。それらは通り抜けることは愚か、塀すらなく隣家と密接している。側面の窓がどうなっているのか弐朗は純粋に疑問だった。窓がないのか、あっても開けられないのか。中には電信柱や小さな社が家屋とほぼ一体化している家もあった。
弐朗は歩きながら気配を探る。
不安定な気配は道路を真っ直ぐ進んだ先、奥まった場所に在る。
周囲は建物が密集しているため見通しが利かず、十数メートルの距離に近付いても気配の発生源を視認することができない。もしかすると気配の主は屋内にいるのかもしれない。
すっかり暗くなった道で頼れるのは、疎らな街灯と民家から漏れる灯り、玄関灯。
あの建物の中かー…と覗くことができる距離まで近付いて初めて、弐朗はそこに新たな路地の入口を見付けた。
入口には両脇の建物に接した屋根付きの門がある。
目の前の路地は今立っている一歩通行の道路よりも更に狭く、三人並ぶと行く手を塞げる程度の幅しかない。味気ないコンクリートの地面は所々
民家ではないのか、どの家からも生活音らしきものは聞こえず、辺りはしんと静まり返っていた。
弐朗は路地の入口を通り過ぎてから足を止め、建物の陰に身を隠して耳を澄ます。
改めて気配を探ってみれば、路地奥の長屋にも数軒離れて二つの気配があった。
生活音や話し声はしないがいるにはいるらしい。
それらの更に奥に、件の狂いと思しき気配がひとつ。
根岸が「北沢センパイかも。見てきていい?」と路地に入って行こうとするのを腕を引いて止め、弐朗は虎之助を見上げる。
「これ、奥通り抜けられんのかな。崩れてたら逃すわけにゃいかねえよな。様子見て、駄目そうだったら気絶させて旅館まで持って帰るか」
「入口に貼紙あるよ。「通り抜けできません」「私有地につき撮影禁止」だってさ。さすがに観光客でここ入ってく度胸のある人いないでしょ」
「三人で行ったら対象に逃げられませんか。まとめて入って退路断たれても厄介なんで、根岸とここで待ってます。先輩、様子確認してきてください。こっちに逃げてきたら、要処理案件と見做して俺が首落とします」
「お前と根岸二人にして大丈夫なのかぁ……?」
「じゃあ俺が奥で始末してくるんで、先輩が根岸と待ちますか」
「お前最初から殺る気じゃん。いや、俺が行く。行って見てくる。対象が逃げたらお前が出入口で確保、確保な? 逃げずに反撃してきて、俺がヤバそうだったら根岸連れて助けにきてくれ……」
「え、ヤバ。奥にいるのが北沢センパイだったらジロセンパイ瞬殺されると思う。ここで単独行動とかホラー映画だと確実に序盤リタイア組でしょ」
「なめんな。こちとら反射神経と動体視力と逃げ足には自信あんだよ。不意打ち回避は俺の十八番だぜ」
根岸に「そうなの?」と視線を向けられた虎之助が、「虫並みの反射神経」と褒めているのか貶しているのかわからない合いの手を入れてくる。
弐朗は努めて前向きに、褒め言葉として受け取った。
アメンボのようにぴんぴんと跳ねて気合を入れ直し、弐朗は可能な限り気配を殺して路地へと踏み込んで行く。
路地を挟む長屋はどこまでも黒い。
気配のある手前の一軒と奥から二軒目の家だけ玄関灯が灯っており、伏せられた赤い消火バケツや、竹箒、鉢植え、自転車等が置いてある。
路地のどん詰まりにはかつての住人の趣味か、盆栽を並べ置く三段程度の棚があった。今は何も乗っておらず、手入れもされていないのだろう、雨風に晒され続け半分朽ちかけている。
その棚の陰に、蹲っている背広の丸い背中が見える。
街灯も無く、光源は最奥から一軒離れた長屋の玄関灯のみ。
色や形ははっきり見えないが、肉付きの良い中年男性のようだ。
背広の男は弐朗には気付かず、蹲ったまま大きく背中を揺らしている。
濡れた土を弄り回すような粘着質な音の中に、時折、金属の触れ合う硬質な音が混じる。
弐朗はこの時点で、嗚呼、こりゃだめだ、と分かってはいたのだが、万が一ということもある。可能性はいつだってゼロではないのだ、考えておいて損はない。
背恰好と大体の年齢からして根岸の探している人物ではないのは確実だ。まずそこは考えなくて良い。旅行者には見えないから、地元の人間か、仕事の都合でたまたま京都にきていた人間か。この路地の長屋に住んでる人間なのか。ただの酔っ払いが、迷い込んだ路地で吐き散らかして
それにしてはあまりにも、鉄錆臭い。
路地に立ち込めるむっとするような生臭さには覚えがある。
そこに僅かに混じる獣臭に、猫か犬かはたまた鴉か、と弐朗は片手で鼻を摘まんで眉根を寄せる。
視認できる距離で改めて気配を読めば、間違いなく、目の前の男からざらついた狂いの気配を読み取ることができる。
気分の悪くなるような濁った気配。
この距離で読み違えるはずもない。
幸いにも相手は弐朗に背を向けて泥遊びに熱中している。
これなら抜刀せずとも、背後から頭を掴んで回してやれば一発だ。
あまりもたもたしていると虎之助が根岸を連れてやってきてしまう。虎之助に任せたほうが確実に仕留められるが、血の後始末が面倒臭いのと、根岸が何をしでかすか予想がつかない。
長屋の住人に気付かれる前に。こいつが人目につく場所に出て騒ぎになる前に。首の骨を折って、所持品から身元を確認。死体回収、身内への連絡、説明その他後始末は京都の人たちに任せてー…、
と、弐朗が諸々の算段をつける、その目の前で。
音もなく、空から降ってくる大きな影がひとつ。
それはそのまま男の後頭部に乗る。
男は身構える間も、声を出す余裕もなく、額を地面に打ち付けて倒れ込んだ。
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