32【追究】五

 ヨズミは興味深そうに根岸を見下ろしていたが、暫くすると「それも悪くないね」と思いのほか乗り気な様子を見せた。

 弐朗は思わず「先輩!?」とヨズミを振り仰ぐが、ヨズミは片手で口元を隠して含み笑いしながら「トラクン次第だが」と軽い調子で言う。


「なに。根岸クンは爪がなくなる前に自分から話すことを選んだだけだ、賢い選択じゃないか。尋問官を選びたいと言うなら選ばせてやろう。ただし、キミのトラクンはキミが思うほど優しくはないよ? 身内だろうと手加減はしない。彼に限らず端塚の人たちは大体そうなんだけどね。トラクン、ご指名だ。キミ、根岸クンとおしゃべりする気はあるかい」


 話を振られた虎之助は明らかに嫌そうな顔をしていたが、弐朗に顔を押さえ込まれる根岸を見下ろすと、「そっちのが手っ取り早いなら、まあ」と渋々承知した。


 「ただ、」と虎之助は条件も付けてくる。


「阿釜先輩も付けてください。ヨズミ先輩と六目先輩が嫌なだけなら、別に阿釜先輩が居ても問題ないですよね。こいつに色々聞きたいことがあるのは阿釜先輩なんで……。俺は話とかどうでもいいです。根岸が何も言わないつもりなら、疑わしい罪状全部被せて相応の処分与えればいいだけでしょう。こいつ処分して襲撃事件が収まるなら一件落着、十九云々うんぬんはそれこそ俺たちが首突っ込む話でもないですし」


 弐朗が自分を指差して「俺!?」と目を丸くする一方、口元を解放された根岸はすかさず「イイヨー」と虎之助の提案に乗ってくる。

 弐朗は口を押さえ直すついでに根岸の顔面をビンタした。根岸から話を聞き出すのが目的でなければ、この余計なことしか言わない口を今すぐ俄雨で縫い合わせてしまいたかった。


「よし、決まりだ。だがキミの持ち物はこちらで預からせてもらうよ。財布にスマホ、鍵。これは自宅の鍵かな? 勿論、この十九も。我々はここで待ってるから、好きなだけ話してきたまえ」


 弐朗は「俺らが部屋から出るんスか」と驚いたが、自分、虎之助、根岸の三人と、ヨズミたち四人に十九三振りのどちらが身軽かと考えた時、確かに、自分たちが出るのが筋だなとすぐに納得した。

 一瞬、風呂場や脱衣所で話を聞くことも考えたが、水音は愚か蛇口を捻る音さえ聞こえてしまうこの距離では、根岸がまともに話すとも思えない。

 刀子は「とーこもつねぴこくんのおはなしききたいのですが?」と残念そうにしていたが、鬼壱から「さわらと一緒に旅館周辺の観光どうですか」と提案されればすぐに思考を切り替え、いそいそとさわらにお手製の旅のしおりを見せ始める。


「根岸クンが何かしでかすようであれば、その時はキミたちの裁量で好きにしてくれて構わない。根岸クンにも言っておこう。何を企んでいるのか知らないが、通報、抵抗、逃走、どれも無駄だよ。まあ、着の身着のまま、身ひとつで行方をくらませるぐらいの覚悟があるなら話は別だが。そんな覚悟を決めるぐらいなら、大人しく事情を説明して鬼壱クンに詫びを入れたほうが賢明だと思うね」

「詫び。そういうのは俺じゃなくて御大にどうぞ」

「だそうだ。旅館の外に出るならあまり遠くへは行かないように。まあ、もう根岸クンの気配は覚えたから、どこへ行こうが追えるけどね」


 弐朗は押さえていた根岸の顔から両手を離し、湿った手の平を根岸のワイシャツで拭いた。根岸はそれをじっとり眺めていたが、再び顔を叩かれることは回避したいのか何も言わずにのろのろ上半身を起こし、結束バンドでいましめられた親指を外して欲しそうに動かしている。


 弐朗は「そんじゃ準備するッス!」と短く断りを入れるとすぐに行動に移す。

 手早く用を足し、洗面所で手を洗うついでに焦げて縮れた毛先を適当に切る。繊維の溶けたワッチキャップはもう被れないなと判断し、そのまま旅館のゴミ箱に捨てた。若干頭がすかすかするが仕方がない。白いパーカーについた鴉の足跡は、濡れタオルで拭いて可能な限り落とした。できれば着替えたかったが着替えはホテルだ。虎之助の着替えを借りたところでサイズが合わないことはよくわかっている。


 弐朗が身支度を整えて部屋に戻る頃には、根岸の拘束は解かれ、虎之助もいつでも出られる状態になっていた。

 黒猫姿の奇鬼は気付いた時にはもう居なかった。奇鬼がいつ顕現を解いたのか弐朗は全く気付かなかった。

 「いつでも行けるぞ」と顔を向ける弐朗に、虎之助が「どこでやりますか」と聞いてくる。

 実を言えば、虎之助が自分を指名してきたのが満更でもない弐朗である。

 普段あまりアテにされていない分、こうやって頼られるのは悪い気がしない。


「ロビーにソファあったしそこでいんじゃね」

「つか、腹減ったんですけど」

「そういや雀と鶉は食ったけど、昼飯まだだもんなあ。フロントで何か頼んでみるか? 軽食ぐらいなら出して貰えるんじゃね。おにぎりとか、サンドイッチとか」

「じゃあそれで」

「んじゃ、ヨズミ先輩、俺らロビーに移動します! 何かあったらすぐ連絡入れるんで……!」


 弐朗は虎之助と二人で根岸を挟むように立ちつつそう告げ、ヨズミたちに見送られて部屋を出た。


 時間は既に十三時を回っている。

 宿泊客は殆ど観光に出、従業員による清掃も午前中で完了しているらしく、館内は静まり返っていた。弐朗たちがロビーに着くまでに出会ったのは掃除用具を持った法被姿の老人だけだった。

 ロビーは正面玄関とフロントに面したこじんまりとしたスペースだった。

 嵌め殺しの窓からは大きな紅葉もみじの木と、赤絨毯の如き落ち葉が見える。窓の前には年季の入ったローテーブルが二つ置いてあり、それを挟んで三人掛けの革張りソファが四つ置いてあった。

 フロントは無人だった。この時間にフロントに用がある客もそう居ないのだろう。近くに誰か居ないか弐朗が首を巡らせて探している横で、根岸が遠慮なく銀色の呼び出しベルを叩いている。

 フロント奥のドアから出てきた人の良さそうな中年女性に弐朗はほっとしながら、まだベルを弄っている根岸を虎之助に押し付けつつ話し掛ける。


「あの、ちょっとそこのロビー暫くお借りしたいんですけどいいですか。それでできれば、何か食べられるもの、お願いできればなーって」

「ええ、ご自由に使って頂いて構いませんよ。あら、お客さん、お昼まだでしたか。お出しするんは大丈夫なんですけど、ほんまにお夜食やおつまみ程度の物しかないんですよ。お時間も掛かりますし。そやったら、七条坂、五条坂らへんまで出たほうがええもん食べられますけど」

「あ、いや。軽くつまめるものがあればなーって感じなんで……!」

「このへんでオススメのランチどっかありますかあ?」


 弐朗が軽食で話を進めようとするのを遮るように、横から根岸が顔を突っ込んで余計なことを聞いてくる。

 受付係は笑顔でカウンターの下から幾つか観光マップやリーフレット、近隣の飲食店のクーポンがついた広告を取り出し、「今からやったらちょうど空いてくる時間やし、ええあんばいやったねえ」と色々教えてくれる。

 弐朗は広告類を受け取ると「ありがとうございます!」と元気に礼を述べた。

 そしてソファに向けて歩きながら、受付係がフロント奥に戻るのを待って根岸の腹を殴った。


「おまッ、ふざけんなよお前! 軽食でいいっつってんのに! やっぱ逃げる気だなてめえ!」

「ちょ、なに。痛いんですけど。ええ? だって予定外の食事提供とか、旅館の人に迷惑じゃないですかぁ。それに俺、五条坂に行ってみたいおばんざいの店あってさ。どうせならそこ行きましょうよお。さっきのチラシにクーポンもついてたし」


 クーポン、と言われて弐朗は思わず手元の広告を見る。

 町屋改装、京野菜、おばんざい、定食はご飯&味噌汁セルフおかわり自由。

 悪くないどころか物凄く条件が良い。

 広告を覗き込んでくる虎之助が難しい顔で「おかわり自由って上限あるんですかね」と物騒なことを呟いている。


「所持金全部センパイたちに没収されてるし、実質俺の奢りみたいなもんでしょ。長話になりそうだし、美味しいもの食べながらゆっくり話しましょうよ。俺も聞きたいこといっぱいあるんで」


 絶対裏がある、何か企んでいる。


 そうわかっていても、弐朗はヨズミに「やっぱ外行ってきます! 五条坂のおばんざいの店ッス!」とメッセージを送ってしまうのだ。

 根岸の思惑に乗るのはしゃくだが、それよりも空腹の虎之助を放置するほうが余程リスクが高い。

 あと単純に京野菜のおばんざいが気になる。


 弐朗の危機管理能力では、所詮その程度の判断しかできないのだった。

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