27【怪鳥】四

「あの、スンマセン! 俺、柱に傷つけちゃったんですけど……。その、慌ててて、気が回んなくて、つい! ホントスイマセンッシタ!」

「ええ、存じております。あの程度であれば直せますからお気になさらず」

「ホントッスか! 直るスか! よ、よかった……! 何か弁償とかあったら言ってください、先輩と相談します!」

「おねえさんはどちらさまでしょうか! おいなりさまのいちばんえらいひとですか? おいなりさまごほんにんですか?」

「申し遅れました。私はこのお山にお仕えする巫女の一人です。地頭じず様の命を受け、あなた方をお手伝いするため参りました。先ほどあなた様とお電話でお話されていた方が地頭様、最も長くお山に仕えておられる方です」

「なんと! とーこはすでにえらいひととおでんわしていた!」

「あのォ……けもの道ってなんスか? ど、動物の歩く道……的な?」

「近道のようなものとお考えください。人の足なら十分もあれば、お山を下りられると思います。店の番と尾崎さんは私が預かりましょう」

「オサキさん?」

「あなた様がここに運び入れてくださった女性です。尾崎さんに代わって御礼申し上げます。本当にありがとうございました。尾崎さんにはいつもお世話になっているのでー…。後のことは私にお任せください。さ、急いで」


 巫女が呼び寄せた狐が参道に座り込み、深く頭を下げる。

 狐は巫女から与えられた持ち手のある小さな提灯ちょうちんを咥え、頻りに頷いている。


 刀子が巫女から何やら説明を受けている間に、弐朗は座り込んだままの虎之助へと駆け寄り、手短に事情を説明した。


 虎之助は弐朗が説明を始めた時点で、先ほど受け取ったものは全て食べ終えていた。

 相変わらず顔や手の火傷は酷いが、食事で血不足は解消されたらしく、顰め面で男子生徒のスマホの画面を見ながら立ち上がる。

「まあ、観光地ですし。あの数の観光客をいつまでも足止めはできないでしょうね。というか先輩。もう十一時過ぎてますけど、集合時間大丈夫なんですか」

 虎之助は男子生徒のもじゃもじゃした頭をスニーカーの先で突いて意識の有無を確認しつつ、弐朗に男子生徒のスマホを投げ渡してくる。


 スマホのロック画面に表示された時計は十一時三分を示している。


 弐朗は慌てて自分のスマホでも時間を確認し、「ダイジョブじゃない」と小刻みに震えた。

 確か予定では十一時に拝殿前に集合だった筈だ。


「ちょ、ちょっとウダセン、俺らの担任に電話するから、そいつお前に任せていい!?」

「……それはいいんですけど。目が覚めて暴れられると面倒なんで、なんか手足拘束できるものありますか」

「結束バンドなら!」


 弐朗はボディバッグから結束バンドの入った小袋を取り出し、虎之助に放り投げる。

 受け取った虎之助は「普段から持ち歩いてんですか」と微妙な顔をしたものの、弐朗が担任に電話を始めればそれ以上は何も言わず、男子生徒の手足を結束バンドで縛って肩に担ぎ、刀子の元へと歩いて行く。


 虎之助と弐朗が近付いてくるのに気付いた刀子が、三人の代表気取りで「おさわがせしました」と深々と頭を下げている。そして巫女から受け取ったマッチを手に、提灯狐に案内されるまま売店の横から未舗装の山の斜面へと入って行く。

 男子生徒を背負う虎之助と、担任に連絡を入れる弐朗もそれぞれ巫女に頭を下げ、それに続いた。


 弐朗たちが斜面に入ってすぐ、参道に観光客が戻ってくる気配がした。

 弐朗はスマホを耳に当てたまま後ろを振り返ったが、少し斜面に入っただけにもかかわらず参道の様子は全く確認できなかった。

 ただ、行き来する何かの気配だけが、小波さざなみのように遠くに在る。

 刀子は足場の悪い斜面でしゃがみ込んで狐の提灯に火を入れ、左右の手で虎之助と弐朗の手を取ると、うむ、と深く頷いて言う。


「このきつねさんが道案内をしてくれます! けものみちは暗いのでまいごになりやすいそうです。ちょうちんのあかりをめじるしに、とーこがしっかりついていくので、じろくんととらくんはてをはなさないように! あと、あんまりおしゃべりはしないほうがいいそうです。みつかっちゃうんだって? ではきつねさん、よろしくおねがいもうしあげます!」


 虎之助は皮が捲れた手を思い切り握られ「くれ先輩、ちょっと痛いです」と物申したが、刀子は繋いだ手を上下に振るだけで、全く手加減する様子もない。


 刀子に手を引かれる頃には弐朗も担任への連絡を終えていた。

 どうやら銀南高校の生徒は、弐朗と刀子を除いて全員拝殿前に集合できているらしい。殆どの生徒が途中でルートを勘違いし、頂上に辿り着けないまま下山してしまったようだ。担任は「十分程度なら待てる」と言ったが、例え自分たちの下山が間に合ったとしても、この男子生徒を連れて修学旅行を続行するわけにはいかない。弐朗は自分たちを置いて先に進むよう伝え、担任はそれを承知した。

 弐朗は旅行を中抜けすることになってしまったことを刀子に伝えたかったが「しゃべらないほうがいい」という刀子の言葉に従い、ぐっと口を強く結んで無言で山道を歩いた。


 斜面は弐朗が想像していた以上に暗く、想像していたよりもなだらかだった。

 木々が陽を遮っているだけにしては見通しが利かない。狐が咥えた提灯のおかげで周囲数メートルは視認できるが、それ以上は影が重なり、木々の境界線が曖昧になっている。

 自分たちがたてる木枝や枯葉を踏む音、浅い息遣いの他に、すぐ横をすれ違う何かの気配を感じる。

 しかし見渡したところで何がいるわけでもない。

 不思議と、潮や炭、雨、花の匂いもした。

 弐朗は歩いている内に、自分が今何処にいるのかわからなくなるような奇妙な感覚に襲われた。見えている筈の足元がどんな地面なのか知覚できない。そんな筈はないのに、昨日の胎内めぐりがまだ終わっていないのではないかと漠然と不安になる。強く握ってくる刀子の小さな手と、先を行く狐の提灯だけが確かなものに感じられた。


 巫女はこの道を「けもの道」と言った。

 近道のようなものだと。

 本当にこの道を進んでいいのか。使っていい道だったのか。


 不意に、時間の感覚があやふやになった。


 弐朗が「もしかしてこれ何時間も歩いてない?」と焦り始めた頃、提灯狐が斜面を抜け、目の前にいきなり銅葺き屋根の乗った朱色の柵が現れる。


 狐は提灯を咥えたまま器用に柵の隙間を潜って砂利の上へと降り立ってしまうが、柵の隙間は精々腕が通せる程度であり、弐朗たちは柵を潜ることができない。

 柵の向こう側には小さな鳥居や絵馬が幾つも架かっていた。少し離れたところには砂利の上に賽銭箱のようなものが置いてある。

 狐は弐朗たちに振り返ると柵の前で二往復ほど行ったり来たりを繰り返したが、どうにも出来ないと悟ったのか、深く頭を下げそのまま右前に見える建物の裏手へと走って行ってしまった。

 狐の道案内はここで終了らしい。

 その後ろ姿を見守った刀子が「ありがとうございました!」と繋いだままの両手を掲げ、大きく手を振る。必然的に弐朗と虎之助も手を振って狐を見送ることになった。


「あ。わかった! ここ、本殿のうしろだ。いまめのまえにみえてるあれ、本殿だよじろくん! おおーー、すごい! あっというまだったね!」

「あっという間……だったのか!? なんかめっちゃ歩いたような感覚が……」

「ところでここからどうやって出ればいいんですか。屋根、乗り越えられないこともないですけど……十中八九、観光客に見つかりますよ」

「うんとね。右は石段があってね。とーこたちものぼった、授与所のまえの石段です。まちがいなくひとがいっぱいいますね! だから、左からまわりこんだほうが、ひとはすくないんじゃないかなー」

「おーし、じゃあそっちだな! トラ、そいつ担ぐの代わるか?」

「大丈夫です。それより、ヨズミ先輩に連絡入れてくださいよ。この後どうすればいいのか」

「あ、そうだった。報告しねえと!」

「じろくん、とーこがそれもってあげる! さあ、そのすてきなかたなをとーこにわたすのです!」


 弐朗がスマホを取り出すタイミングで刀子が両手を突き出し、妖刀を持ちたい、とアピールしてくる。

 弐朗は刀子にせがまれるまま、赤鞘の妖刀を刀子に渡した。

 刀子は手にした赤鞘に大いにはしゃぎ、ステッキのように振り回しながら、柵の途切れる場所を探して柵沿いに歩き始める。

 弐朗は刀子の手にある赤鞘の刀と、虎之助が担ぐ男子生徒を眺め、ヨズミに何から説明すればいいのかまとめられないまま、アプリの通話ボタンをタップした。


 勢いで捕獲してしまった、何処の誰とも知れない男子生徒と、怪鳥の姿を持つ妖刀。


 ヨズミがそれらをどう扱うのか、弐朗にはさっぱり想像もつかないのであった。

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