26【怪鳥】三
真轟の黒服、イヌのお世話係
「血刀使いが身体から血刀を抜くように、妖刀使いは妖刀の鞘から刀を抜きます。妖刀にとって鞘は肉体そのもの。刀身が魂、鞘が身体。これは不可分のもの、刀と鞘が揃って初めてひと揃いの妖刀として成立します。妖刀の鞘は定期的に
弐朗は男子生徒が落とした棒を拾い上げて、初めて、それが鞘であることに気が付いた。
定規のように真っ直ぐな六十センチ程度の平筒であり、黒地に赤い三重の円が四つ並んでいる。上品な御椀のような光沢がある。弐朗にはよくわからなかったが、漆塗りなのかもしれない。鞘尻には波に似た模様の黒い金具がついていた。
いずれにせよ、弐朗のよく知る一般的な日本刀の鞘とは掛け離れたつくりだ。
黒塗りに赤円。
鳥おどしのようなその文様には見覚えがある。
怪鳥がつけていた、あの黒いひとつ目の面だ。
弐朗は気絶している男子生徒の懐やポケット、ベルトの間を手探りで探した。
男子生徒の所持品からは、必要最低限の持ち物である財布とスマホの他に、鞘と同じ意匠の
物は試しだ。弐朗はその柄が鞘に納まるものなのか、躊躇いなく差し込みに掛かる。
柄には刀身がなかったが、
柄は吸い込まれるようにぱちりと鞘に納まった。
途端にずしりと重さが加わり、鞘を持つ弐朗の手が沈む。
不意に、周囲を取り囲んでいた騒音が、さ、と潮のように引いた。
石段の下で暴れていた怪鳥の姿は何処にも見当たらない。
立ち込めていた熱気も騒音と共に風に流され、肌寒さが戻ってくる。
柄は赤く塗られた
もう一度抜けるか試してみたが、柄はがっちり鞘に固定され、かちりと鳴ることもない。
真轟本邸の前庭で童鬼を抜こうとした時と同じだ。
納刀はできるが抜刀はできない。
弐朗は確信した。
妖刀だ。間違いない。
なんでそんな物を一般人が持っているのかわからないが、これが妖刀なら諸々説明がつく。
あの怪鳥。鳥の足と羽を持つ、仮面の少女。
あれは、奇鬼や童鬼がやってみせた妖刀の実体化、「
この妖刀の刀身が顕現したものが、あの怪鳥なのだろう。
弐朗は鞘を片手に、気絶した男子生徒の手の甲から俄雨を抜く。
社の柱には男子生徒の手から溢れた血と、俄雨が深く突き立った跡が残っている。
おやおや? 傷だ。傷だぞこれは。
弐朗は顔から血の気が引くのを感じた。
無我夢中だったため配慮する余裕がなかった。致し方のないこととはいえ、神様を祀る場所に血と傷を付けたとあってはどんな罰が当たっても言い逃れできない。
弐朗はボディバッグからウェットティッシュを取り出して血を拭き、落ち着きなく柱の前をオロオロうろうろ歩き回った。
そして今はこれ以上何もできないと悟ると、社に向かって手を合わせ、何度も深く頭を下げた。
これはもう、包み隠さず神社の人に話してお沙汰を待つしかない。
それもこれもこのミント靴下野郎の所為だとばかりに、弐朗は男子生徒の襟首を掴んで石段を引き摺り、参道に投げ下ろす。
参道には至る所に鴉の死骸と羽が散っているが、動いているものは一羽も居ない。あのどこからともなく湧いてきた鴉たちは、現れた時同様、どこへともなく飛び去っていた。
虎之助は参道にある水道の前で足を投げ出して座っていた。
周囲の熱気が消えてもその顔は
男子生徒を引き摺って近付く弐朗に、「あの鳥いきなり消えましたけど」と掠れた声で呟き、弐朗が掲げて見せた赤鞘を見て「妖刀ですか」と面倒臭そうに納得した。
「こいつが柄と鞘だけ持ってたから、納刀したんだわ。そしたらいきなり静かになってさァ。お前も前に言ってたじゃん。妖刀はとりあえず納刀、みたいな」
「……なんで一般人が妖刀なんか持ってんですかね」
「な。どっから手に入れたんだろな? でもこれ日本刀っぽくなくね? つか、お前めっちゃ焼けてんなぁ。あーあー、手とか皮べろべろ。どうする、ここで治してく? 今なら余裕あるかもよ」
「……日本刀らしくないというか……時代が古いんじゃないですか。古墳とかから出てくるやつにちょっと似てます。治療より、先に鉄分補給させてください。二回連続で抜刀したんで、血が」
「古墳て。埴輪とか勾玉とかの古墳? それがモデルになってんのかな。お、そかそか。ほいじゃこれ鉄分サプリ。あと、売店でなんか食えるもんあるか見てくる! これそいつのスマホ。そいつと一緒に預かっといて」
弐朗は会話をいったん区切ると、スマホと男子生徒を虎之助に預け、男子生徒の財布と妖刀を持って売店へ向かった。
売店を覗くと、レジにはいつの間にか屋根から下りた刀子が座っており、両手で黒電話の受話器を持って「はい! はい!」と元気に誰かと通話してる。
弐朗は売店でペットボトルの水とちくわやジャーキー、おにぎり等を適当に見繕った。そして両手が焼け爛れている後輩を思い、道すがら包装を剥いてすぐに食べられる状態にしてから虎之助に手渡してやる。
火傷の所為で掴み辛そうではあったが問題なく食べ始めた虎之助を見て、とりあえず大丈夫そうだと確認した弐朗は、そのまま売店へ戻って刀子の通話が終わるのを待ちつつ男子生徒の所持金で精算した。
通話を終えた刀子は機械仕掛けの人形のような仕草で恭しく受話器を置く。
そのタイミングを見計らって「誰? なんて?」と首を傾げる弐朗に、刀子は「おでんわがなりましたのでとりました!」と元気に答えてくる。
「神社のおねえさんから、おわったのかって。おわりましたっておつたえしました! おわってるよね? そろそろごまかすのも限界だから、結界をとくんだそうです。だからもうすぐ、ここ、ひとがいっぱいあがってくるよ。じろくん」
「え。まずいじゃん。参道、鴉の死骸だらけだぞ。気絶してる犯人っぽいのもいるし、トラもあちこち火傷してんだよ。倒れてたオバチャンも応急処置しかできてないし。トーコはどっかやられてないか? ダイジョブか?」
「とーこは五体満足です! このとおり! ははー、ふつうのひとはからすさんがいっぱい死んでるのはいやだもんね? こんなにふぉとじぇにっくなのにね? あ、でもじろくん。ほら。きつねさんがからすさんくわえて運んでるよ?」
レジを迂回し大の字で無事をアピールする刀子に頷いていれば、刀子が売店の入口に立ち、「みてみて!」と弐朗を手招きする。
言われるがまま参道へと目を向ければ、確かに、そこには厚揚げのような色をした狐がいた。それも一匹や二匹ではない。あちこちから湧き出してくる狐たちは入れ替わり立ち替わり、参道の鴉を咥えて山の中へと連れ去っている。
奈良の鹿のように公認で飼育されている狐でもいるのだろうかとしげしげ眺めていると、売店の正面、社に続く石段からしずしず下りてくる人物がいる。
白衣に緋袴姿の目の細い巫女だ。
ぬるりと細長く、弐朗よりも背が高い。
弐朗が売店に入るまで、参道を上がってくる気配はひとつもなかった。
巫女は明らかに、石段の上、社と塚しかない場所から下りてきた。
身構える弐朗に糸目の巫女は言う。
「お疲れ様でした。この場の後始末は我々が致しますので、あなた方はあの人間と大鴉を連れて下山してください。参道では時間がかかりますから、けもの道をお使い頂くのがいいでしょう。
巫女が「これ、すこし」と声を掛け、参道に居た狐を一匹呼び寄せる。
弐朗は「結界を張るとか言ってた神社関係者か?」と黙って見上げていたが、巫女の背負う石段と社の存在に、あ、と思い出して慌てて口を開いた。
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