24【怪鳥】一


 唐丸を気にせず駆け上がれば、頂上まで十分も掛からなかった。


 道中、注連縄しめなわの張られた物々しい岩が見えたが、急いでいたため社に賽銭だけ投げて素通りした。如何にも虎之助の父親が好んで座禅を組みそうな、達人好みの岩だ。

 刀子曰く、ここは狐の相槌で打たれた有名な刀に所縁ゆかりのある場所らしい。

 こんな状況でなければ是非参拝したかったと弐朗は惜しんだが、今は頂上に居座るの正体を確認するほうが重要だ。


 ヨズミは「神社関係者によって結界が張られる」と言ったが、正直弐朗にはどこから結界内なのか全くわからなかった。

 ただ、頂上まで一本道にも関わらず、行き先を失ったように迷っている観光客を何組も見かけた。一般人には何か作用しているのかもしれない。


 弐朗は走りながら何度か索敵してみたが、どうも通らない。

 走っているから集中できていないのか、それとも場所や結界が関係するのか。

 とりあえず頂上を目指すことに変わりはないため、弐朗は早々に索敵を諦めた。


 延々続く急勾配の石段を駆け上がり、鳥居を抜ける。

 左手に売店、右手に塚群のある場所は狭い。

 人とすれ違うのがやっとの参道の真ん中辺りに社へ続く短い石段があり、石造りの鳥居が見える。

 弐朗は周囲に視線を巡らせる。

 ぱっと顔を上げると、案の定、そこかしこに鴉がいた。

 鴉たちは鳴くことも羽ばたくこともせず、木の枝や売店の屋根、灯籠、塚、電線などにとまって弐朗たちを見下ろしている。


「じろくん、ここがおやまのてっぺんです」

 刀子に言われて初めて気付く程度には、頂上らしさのない場所だった。


 売店と社、塚に挟まれている所為で見晴らしは悪く、高さを感じられる要素はまるでない。社もこじんまりとしており、今まで見てきた山中のそれらとそう大差ない。


 弐朗は「先にまだ何かあるのか?」とそのまま走り抜けようとする。


 が、その参道、石鳥居の正面に誰かが倒れているのを見付けたなら、その場で足を止め背後の刀子と虎之助が進んでしまわないよう片手で制し、息を詰める。


 倒れているのはエプロン姿の中年女性が一人。

 他に人の姿はない。


 弐朗は一度は立ち止まったが、転がっている女の生死を確認すべく周囲を警戒しながらさっと近付き、その肩に触れて「ダイジョブッスか。何があったんスか」と声を掛けた。


 弐朗は返事をしない女の顔を覗き込んでギョッとする。


 鴉に突かれたのだろう、顔中至る所に突き刺されたような痕があり、皮膚が破れて血に塗れている。両目は固く閉じられているが、その奥から血と何かべとりとしたものが溢れ出していた。

 女の顔の近くに、赤くまだらに汚れた何かが落ちている。

 楕円状の、茹でた白身のようなものだ。

 弐朗はそれを拾い上げて裏返し、血に濁った暗褐色の円形を確認して短く息を吐いた。

 眼球だ。


「……オバサン! ダイジョブッスよ、抉られてすぐならまだつくかもッ。……顔の傷も、今ならまだ治せるッスから! トラ、手ぇ貸せ。なるべく揺らさないようにしてこのヒト、そこの建物ン中避難させるぞ!」

 弐朗は近くに寄ってきた虎之助に声を掛けるが、虎之助は険しい顔のまま無言で弐朗の横を通り抜けてしまう。


 虎之助が売店の前に立ち、真っ直ぐ石段の上を見上げる。

 弐朗は虎之助の視線の先を追った。


 石段を上がり切った所に建つ、小さな社。

 その両側には社をぐるりと囲む細い路地と幾つもの塚。


 社ではブレザー姿の男子高校生が一人、弐朗たちに背中を向けて参拝している。

 結界が張られる前から居たのか。逃げ遅れたのか。


 弐朗は視線を上げ、嗚呼、違う、と何度も瞬いた。


 社の上に、黒い大きな鴉が羽を畳んで留まっている。

 祈祷所で見たあの面の怪鳥だ。


 怪鳥は少女の胴に、黒い鳥羽と、鳥の足を生やしていた。

 黒い前掛けと袖の破れた着物のようなものを帯で縛って留めている。

 よくは見えないが、下半身には白い布のようなものを着けている。

 剥き出しの太腿には梯子状に朱が塗り付けてあり、脹脛ふくらはぎから下は完全に鳥の足をしていた。

 顔を覆う黒面の中央には二重の赤い丸。

 面は赤い紐で留められているが、その紐が、頭部から突き出した黒い角に引っ掛けられている。

 弐朗が祈祷所で見た四つの突起は、この角と、蝙蝠のように立った耳だったのだ。


 男子生徒が振り返り、石段の上から弐朗を見下ろしてくる。

 癖のある黒髪にどこか眠たそうな目をした少年だ。


 社の上で怪鳥が黒羽を広げ、鳥の声で甲高く鳴いた。


 すると周囲の鴉も一斉に鳴き始め、一の峰は途端に音の渦に飲み込まれる。


 その中、石灯籠の鴉がぎゅぱりと羽を鳴らし、弐朗と虎之助目掛けて飛び掛かってくる。


 虎之助はすかさず右手を左掌に打ち付けて錆前を抜刀し、打ち返すかのように鴉を叩き切る。鴉は飛び込んできた勢いそのままに真っ二つに分かれ虎之助の後方でぼたりと落ちた。

 それを契機に四方八方から飛んでくる鴉に、弐朗は慌てて倒れている女に覆い被さって顔を隠し、虎之助が「クソが」と忌々しげに悪態を吐いて応戦する。


 峰の入口に居た刀子が、鴉の鳴き声に掻き消されながらも「じろくんだめです!」と叫んでいる。

「とーこのおめめでもぜんぶのからすさんはしばれません! これはゆゆしきじたい! ちょっとたかいところにのぼりますので、いましばらくおまちください!」

 どうやら刀子は「凝視」で鴉を縛ろうとしているらしい。


「おー! とりあえずそっちに居るやつだけでも頼む! トラ、俺このヒトそこに運び入れるからッ」

「援護しますから早く運んでください。邪魔です」

「ンあ!? なんて!? 聞こえねえ!」

「さっさと連れて行けっつってんですよ!」


 虎之助に尻を蹴られ、弐朗は「蹴るなよ!」と文句を言いながらも女のわきに手を差し込み、顔を鴉に突かれないよううつ伏せのまま引きずった。拾い上げた眼球は制服のポケットの中に入れた。

 鴉はそれでも弐朗たちに群がってきたが、弐朗は避難を優先し、締め切られている硝子戸を引き開けて女を売店の中へと引っ張り込む。

 波のように押し寄せる鴉が硝子戸に体当たりしてきたが、店内に滑り込んできたのは二羽だけだった。弐朗は一羽の首を掴んで圧し折り、もう一羽はコンクリの上で踏みつけて頭を潰した。

 引き戸を閉め切ってしまえば鴉は途端に興味の矛先を虎之助と刀子に向け、競うようにつぶてとなって突っ込んで行く。


 弐朗は仰向けに転がし直した女の顔を手早く検分する。

 瞼を持ち上げてみれば、眼球は二つとも無い。眼窩がんかはぽかりと開いていた。顔の傷は深いがまだ新しく、触れた先から手が血塗れになっていく。

 売店に人の気配はなかった。エプロンを着けているこの中年女性が売店の店員なのだろう。店員は完全に意識を失っており、弐朗が顔を触ってもぴくりとも動かない。

 弐朗はボディバッグからペットボトルのご神水を二本とも取り出し、まだ中身が減っていない、売店で分けてもらったものを三分の一ほど使って店員の顔を清めた。

 その後指先を擦り合わせて俄雨八振り全てを抜刀し、一振りを使って目立つ傷口から順に上書きするように刺していく。

 俄雨は切った部分の再生力を上げる。上書きすることで傷口が塞がりやすくなるのだ。最後は上書きに使った一振りを店員の顔中心にツトンと躊躇いなく挿し込む。

 ポケットから取り出した眼球も同じように水で洗い流してから、店員の片目、比較的状態の良い右側に押し込んで、こめかみに近い側面から横向きに俄雨を突き刺し、縫い止める。


「後でまた確認しにくるんで! それまで気絶しといてください!」


 弐朗は店員を地面に横たえたままそう声を掛け、ぱ、と身を翻して売店入口から外の様子を確認した。

 鴉の鳴き声が充満する一の峰では、虎之助が鴉に群がられながら一際大きな一羽、怪鳥と対峙している真っ最中だった。

 怪鳥は南国の鳥のような鳴き声を上げながら鳥の鉤爪で虎之助の右腕を掴み、空中へ引っ張り上げようとしている。

 虎之助は錆前を左手に持ち替えて怪鳥を叩き切ろうとするが、怪鳥に引き摺られ、羽ばたきが巻き起こす風圧で思うように身体を動かせないでいる。

 社の男子生徒の姿は、鴉が邪魔でよく見えない。

 刀子の姿も見当たらない。


 弐朗は六振りの俄雨を手に売店から滑り出て、顔に吹き付けてくるその異様な熱気に思わず息を詰めた。

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