22【狐社】七

 弐朗の絶叫を聞いた観光客が足を止め、参道や社務所の前に十人足らずの人溜まりができていた。

 弐朗は青年を口止めすべきかどうか一瞬悩んだ。

 が、青年は周囲を巻き込んで騒ぐほどのアクティブさは持ち合わせていないらしく、誰とも視線を合わせないまま弐朗の横で息を整えている。


 その人溜まりの中から、タールのようにぬるりと刀子が現れ、次いで虎之助も人を押し退けながら弐朗の元へ寄ってくる。


 弐朗は思い出したように索敵を行った。

 しかし目の前にいる虎之助の他は、雑多な気配を掴むばかりで、祈祷所の怪鳥らしきものの気配を捉えることはできなかった。


「じろくんの魂の咆哮ほうこう、しっかりとーこにとどきましたよ! おー、からすさんげっとだ! なんで? なんで? いいなあ、とーこもほしい」

「めっちゃ腹から声出したしな! この鴉はあれだ、ヨズミ先輩へのお土産みたいな? そうだ、トーコ! このオニーサン、to-maさんだぞ! お前も好きなホラゲーの実況もしてる、縛りプレイの人!」

「! ひとが破裂するほいーるの! どこまでもせぐうぇいで走りぬけるとまさん! わー! はじめましてとまさん。とーこです!」


 不意に話を振られた青年は「エッ!」と驚き顔で弐朗を見るが、弐朗は刀子に青年を任せ、自分は虎之助の腕を叩いて先へ進むよう促す。

 青年は戸惑ってはいたが、一人で祈祷所に戻る胆力はないらしい。刀子に話し掛けられるまま歯切れの悪い返事をしている。


 立ち止まっている通行人たちは「さっき誰か叫んでなかった?」「転んだとか?」「あの男子高校生、鴉持ってない……?」とさざめいていたが、直接話しかけてくることもない。


 足早にその場を離れながら、弐朗は怪訝な顔で鴉を見詰めてくる虎之助に祈祷所で起きたことを手短に説明した。


 虎之助はスマホでゲームなどしない。実況動画も見ない。故に、青年が拡散力のある配信者であると説明しても、反応は鈍い。


「で。なんでそのまま祈祷所に置いてこなかったんですか。連れてきてどうすんです」

 隣を歩く虎之助に呆れたように指摘され、弐朗も「それは俺も考えたけどさァ!」と口を尖らせて反論する。


「あの人絶対一人じゃ逃げらんねェし。動画とか撮られてネットにあげられたら面倒クセェじゃん。あの怪鳥が何なのかはわかんねェけどさ、もし狂いが成ってんだとしたら、あんま動画とか出回らないほうがいいだろ?」

「ネットの情報なんか鵜呑みにする人いるんですか。好きに騒がせておけばいいじゃないですか。まずけりゃ地元の人間がどうにかしますよ」

「あれ。お前、目撃者全員ぶっ殺すぐらいの保守過激派かと思ったけど、案外そうでもないの?」

「俺たちが使い手だって露見しそうな時は殺しますけど。今回の鳥は別にどうでもいいです。もうネットである程度話題になってるんですよね。だったら今更……目立ちたがりが「河童が出た」って騒いでるのと大差ないでしょう。拡散力だかなんだか知りませんけど、先輩は有名人が河童見たって言ったら信じるんですか? それともなんですか、先輩、祈祷所で抜刀したんですか」

「してないしてない! 抜刀できねェから逃げてきてんだって! 追いかけられたらどうしようかと思ったけど、今んとこ大丈夫っぽいし。……あの鳥、何しに出てきたんだろな」

「使い手襲ってるのがその怪鳥なら、先輩を襲うつもりだったんじゃないですか。もう一回呼んでくださいよ。生捕りにして下山しましょう」

「どうやって持って下りるんだよォ、人間サイズだっつぅの!」


「じろくーん、とらくーん、しばらく、しばらくおまちくださーい。とーまるさんがしんでしまいますー!」


 虎之助とのおしゃべりに夢中になっていれば、大分後ろから、弐朗たちを呼び止める刀子の声が聞こえてくる。

 気付かない内に後続の刀子たちと距離が開いてしまったらしい。

 二人が参道の横に避けて暫く待てば、相変わらずうきうきしている刀子と、どろどろに疲弊した青年が牛の歩みで追いついてきた。

「to-maさんてとうまるさんってゆーんスか! 古風な名前ッスね。そういや自己紹介もしてなかった。俺、弐朗ッス」

 弐朗が青年の顔を覗き込みながら話し掛けても、青年は返事をする余裕もないらしく、両手で震える膝を押さえてぜいぜい息を吐いている。

 代わりに答えたのは、呼吸の乱れどころか、息をしているのかどうかも謎な刀子だった。


「とーまるさんのとーまるは、とうがらしの「唐」に、ほんまるの「丸」でとーまる、苗字だそうです! とーまるさんのおひざはもうげんかい。ここが玄界灘げんかいなだ。じろくんとらくん、さきいっちゃう? とーまるさん、とーことふたりでのんびりあがる?」

「じょ、女子高生と二人、は、ちょお、困ッ……」

「じゃあto-ma……とまさん、一人でゆっくり上がるッスか? そのほうが自分のペースで上がれるッスもんね」

「いや、でも、さっきの……またきたら、ひ、一人じゃ、どうにもできんし……」

「じゃあ他の観光客と一緒に下山したらいいんじゃないですか。妖怪が出たんで一緒に下りてくださいって声掛けてみたらどうですか」

「そんなん不審者やん……! 無理無理!!」

「とりあえずとまさん、次の休憩できるとこまでもうちょっとなんで、頑張ってくださいッス。そこなら一人でも大丈夫ッスよね。俺らテッペン目指してるんで、あんまゆっくりしてらんねェんスよ!」


 休憩と聞いた虎之助が「またちんたら休むんですか」と不満気だったが、次目指す社はご神水で茹でた茹で卵が食べられるスポットなんだと弐朗が教えた途端、「さっさと行きましょう」と切り替えてきた。


 唐丸は目的地の見えない参道を見詰め、遠い目をしている。

 一人は心細い。女子高生と二人きりは気まずい。男子高生二人のハイペースはきつい。結局のところ、置いて行かれたくないのであれば、唐丸は足の限界がくるまで歩き続けるしかないのだ。


 虎之助が荷物を持ち、弐朗と刀子で両側から唐丸の腕を引き、なんやかんやと弱音を吐く成人男性を激励しながら歩き続ければ、十分足らずで次の目的地が見えてくる。


 細い参道の片側に売店、その向かいには年季の入ったテントと野点のだて傘、緋毛氈ひもうせんの敷かれたベンチが幾つか。

 弐朗が足腰がぐにゃぐにゃになっている唐丸をベンチに座らせている間に、刀子はデジカメを手に売店へと瞬間移動し、虎之助は茹で卵の入ったざるの前で買い方を確認している。


「じゃ、とまさんゆっくり休んでてください! 俺らそのへん見てくるんで」

「なんなん、自分らなんでそんな元気なん……」

「若さと体力、気合いに根性ッスよ!」


 弐朗は力強く自分の太腿を叩いて笑って見せる。

 それを見上げる唐丸の顔は祈祷所で怪鳥を見た時と大差ないものだった。

 唐丸からしてみれば、弐朗もまた、怪鳥と同程度に未知の生き物ということか。


 弐朗は虎之助がざるの茹で卵を食べ尽くす前に二つを確保し、ひとつを刀子に、もうひとつを自分で食べながら、滝を探して周囲をうろついた。

 父親の話では、茹で卵を食べられる社には滝行ができる場所があり、霊験あらたかなご神水も汲める、ということだった。治癒系の血刀を持つ自分たちのような使い手には大変御利益のある、一度は参拝しておきたいスポットでもあるらしい。

 しかしどこにも滝らしきものは見当たらない。滝場を示す小さな看板はあっても、その先に見えるのは塚に囲まれた狭い路地だけだ。

 暗く湿った路地は石畳が敷かれているが、人の気配もなく、入りづらい。

 まさかこんな場所に滝があるわけないよなと半信半疑で鳥居を抜け、塚の間を進んだ先ー…果たしてそこに在るものを滝と呼んでいいのかどうか。


 弐朗は「ええ?」と思わず声に出して凝視してしまった。


 塚の奥、苔生した岩肌から半月状の石樋いしどいが突き出していた。

 そこから勢いよく流れ出る水が、地面に無造作に置かれた青いバケツに注がれている。近くには立て置かれた柄杓。


 滝か? 滝ー…なのかもしれない。


 弐朗は清水で見た三筋の滝を思い出し、あれが滝ならこれも滝、と自分に言い聞かせる。

 しかし二日連続で滝に裏切られたという思いは打ち消せない。

 不気味なほど大人しい鴉を小脇に挟んでボディバッグからペットボトルを取り出し、残り僅かだった中身を全て飲み干して、弐朗は滝の水を汲んだ。


 弐朗が滝に首を傾げながら売店の前に戻る頃には、虎之助はざるの茹で卵を全て食べ終え、ペットボトルも一本空にしており、刀子は売店に「ご神水くーださい!」と声を掛けていた。

 どうやら弐朗の汲んだ滝の水はご神水ではないらしい。

 本当のご神水は湧水で、売店に声を掛けると無料で空いているペットボトル等に入れて貰えるものなのだという。

 しかし弐朗は敢えて汲み直すことはしなかった。

 虎之助が空にしたペットボトルに新たにご神水を入れてもらい、無駄に二本持って帰ることにした。


 あれも思い出、これも思い出、だ。

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