21【狐社】六
もしかしなくてもオニーサン、ゲーム実況者の
あの、変態的なまでの縛りプレイで有名な。
そう尋ねようとした矢先、弐朗の頭に何かが当たり、地面にぽとりと転がり落ちる。
それは何の変哲もない木枝だった。
祈祷所は木に囲われている。木枝が落ちてきてもなんら不思議はない。
が、見上げた先、正午前の明るい陽射しを遮る木々に、弐朗は思わず「うわ」と気の抜けた声をあげてしまった。
弐朗の声につられて上を向いた青年も、ヒェ、と裏返った声を漏らす。
木の葉に紛れ、数えきれない数の鴉がそこに居た。
いつの間に増えたのか、木の枝という枝に
弐朗は驚きはしたものの、ゴミ置き場を狙う鴉が電線にびっしりとまっているところを見たことがあるため、それほどおかしな光景とは考えなかった。
一瞬。清水での一件が脳裏を掠めたが、河川敷で鳶が襲ってくる例や、蝋燭を持ち去って山に火を点ける鴉の例もある。
青年はスマホを持ち上げ、鴉林と化した祈祷所を動画に収めている。
「めっちゃいるッスね。京都では割とよくあることなんスか?」
「え、あー…どうやろ。ゴミ荒らす鴉の話はよう聞くけどなぁ。……鴉ばっかで、ハーピーはおらんか。ただの鴉でもこんだけおるとおっかないなァ」
「俺、昨日、清水で鴉が修学旅行生襲うの見たッスよ。数羽で群がってやばかったッス!」
「そうなん? そのニュース、ドリムク検索したら出てけぇへんかな。……ン? え、なに、それ、俺らもこいつらに襲われるってこと? ウソォ。俺、野生動物とかよう触らんけど、自分、大丈夫なほう……?」
「ダイジョブなほうッス! どんとこい! 動体視力には自信あるッス!」
そんな話をしているそばから、頭上に居た鴉の内、数羽が地面に下り立ち、弐朗たちの元へ跳ねながら近付いてくる。
観光客慣れしているのか、餌を貰う習慣でもあるのか。
弐朗が「あっちへお行き!」と手で追い払っても、数歩離れては、また、てちてちと戻ってくる。
その数は瞬く間に増え、完全に取り囲まれるのに一分もかからない。
座って動画を撮っていた青年も流石に恐怖を感じたか立ち上がり、弐朗の背中に隠れながらキョドついている。
「に、逃げたほうがええんちゃうのこれ。こんなんヒッチコックやん」
「ひっち……? ソッスネ、社務所のとこまで下りましょーか。じゃあ俺が先に歩いて蹴散らすんで、」
「置いてかんといてや!」
「置いていかないッスよォ。ヤバそうだったら走るかもですけど、ちゃんとついてきてくださいよ!」
弐朗は足元の小石を幾つか拾ってから、前に回していたボディバッグを背中に戻して軽くその場で弾み、気合を入れ直す。
虎之助との打ち合わせを今一度思い返してみる。
青年から話を聞いて、なんでもなければ放置、怪しければ捕獲、逃げるようなら挟み撃ち。
青年の言葉の真偽はわからないが、今のところ脅威は感じない。
話を聞いた感じでは「放置」が妥当だ。がしかし、青年が真実ただの一般人なら、こんな状況で放置していくわけにはいかない。
血刀を抜きさえしなければー…、抜刀したとしても目撃さえされなければ、臨機応変にやっていいとヨズミも言っていた。
弐朗は足元をうろつく鴉を爪先で払いつつ、石段を目指して足を進める。
するとすぐに頭上から別の個体が飛来し、弐朗のワッチキャップをつついてくる。
弐朗がそれを手で払う後ろでは、青年も同じようにつつかれているらしく、素っ頓狂な声が聞こえてくる。
「ウワ! ワ!? ちょヤバ! イタタ! こわぁ!? アカンこれ死ぬ死ぬ、アカンやつ! 前進めん! 待って待って!!」
「! その喚きっぷり……やっぱりオニーサンto-maさんだ!? SPOの実況配信してる、プロ開拓民のto-maさんッスよね! いつも配信見てます! チャンネル登録もしてるんスよ俺! あ、目とか柔らかいとこつつかれるとヤバいんで、頭からジャケット被っといたほうがいッスよ」
「ええ!? いや、そうやけど! 配信しとるけど! ちょお待って今それどころやあらへんやん!? うばばば! な、なんなんこいつら全然逃げへんが!」
「to-maさんちょっと頭下げて」
弐朗が振り返って指示を出せば、青年はすぐさまジャケットを頭から被って下を向く。
それを確認した弐朗は片手に持っていた石を振り被って投げ、青年に群がる鴉を数羽撃ち落とし、飛び立つ前に首を掴んで一羽だけ掴まえておいた。
弐朗にはわからなくても、ヨズミや鬼壱に見せれば何かわかることがあるかもしれない。
「追い払ったんで今スよto-maさん! 行きましょ!」
「い、行きましょて、おま、なに持って……。よう持つなそんなもん!?」
「ほらはやくはやく!」
青年はジャケットのジッパーを一番上まで上げ、かろうじて目元だけ出しながらもたもたと弐朗の後ろをついてくる。弐朗一人なら走り抜けて突破も容易いが、見事に足手まといな青年が居るため強行はできない。
中央の建物を迂回し、どうにか石段近くの鳥居に辿り着いた時には、鴉は弐朗たちを遠巻きに囲みながら、きょときょとと首を動かして上を見上げていた。
弐朗は青年を鳥居の下に押し込み、鴉が見上げている先へ視線をやる。
不意に陽が翳り、ばさりと大きな羽音が頭の上から降ってくる。
赤い祈祷所の上に、大きな鴉が一羽、羽を広げて留まっている。
木々の隙間から差し込む白い光。
逆光でただひたすら黒いそれは、翼の端から端で三メートル近くある。
その両翼の真ん中には、どう見ても鳥のものではない胴体がついているが、影になっているためはっきりはわからない。
丸く大きな塊にしか見えない影が、く、と首を伸ばし、頭が生え出る。
頭の上に四つの突起、顔の中央にはぐるりと丸い赤い円。
鳥おどしのようなひとつ目は、しかし本物の目ではなく、どうやら面のようなものをつけているらしい。
弐朗の後ろで青年があんぐりと口を開けてそれを見上げていた。
大鴉が羽を畳み、屋根の上から覗き込むように身を屈めてくる。
首を傾ける度、く、く、と顔の中央で赤い輪が回る。
これが何かはわからないが、初見で足手まといを連れて応戦するには無理があることぐらいは、弐朗にもわかる。
「ワーーーーーーーッツ!!!!」
弐朗は絶叫した。
目を剥いて大きく口を開け、腹の底から声を出し叫ぶ。
すると屋根上の大鴉がびくりと揺れ、弐朗の後ろに居た青年もつられて叫び、転がるように石段を駆け下りていく。
弐朗は大鴉が面食らっている間に青年を追って石段を下りた。
もたつく青年を追い抜けば、「待って待って! 置いてかんといて!」と裏返った声で叫びながら追いかけてくる。
弐朗は青年が気を抜かないよう、待つことはせずそのままひょいひょいと石段を数段飛ばしで下りる。
弐朗が参道に下り立っても、青年はまだ石段の中腹を下りていた。
とりあえず、青年と大鴉の虚を衝くことはできた。
大声を出して威嚇するのは熊に遭遇した時の対処法だが、得体の知れない鳥にも有効らしい。
青年に撤退を促し、
「なんなん! 自分なんなん!? やめえやいきなり叫ぶん!? もーー!! 置いてかんといてて言うたのに自分だけさっさと逃げくさりよってほんま、もーー!!」
遅れて参道に立った青年が、肩で息を吐きながら俯いたまま文句を言ってくる。
「や、俺もビックリしてつい。思わず。サーセン、to-maさん遅いから途中で抜かしちゃったッス」
「ハァ!? あんな石段二段跳びで下りるほうがどうかしとるわ!! あぶないて! あぶない! なんやこいつ息も切らさんと……ッ。ちゅうか、あの、あれ、さっきの見た? 見とったやんな? あれどうした? 追いかけてきとる?」
「とりあえず追ってきてはないみたいッスよ」
俯いていた青年はそこで漸く顔を上げる。
石段を駆け下りた名残りか、それとも興奮しているからか、顔が赤い。
自分が見たものの異質さを受け止めきれないのだろう、口端は引き攣り、言葉を紡ぎ出す唇は
青年は生唾を飲み下してから、震える声を絞り出して言った。
「あれ、あれー…、ハーピーやったやん、なァッ!?」
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