19【狐社】四

「はっ、じろくん。境内にいのししがしゅつぼつだって。きつねじゃないんだ?」


 記念撮影を終えた刀子が注意書きの立看板を指差し、「くまはでないのかなぁ」と期待に満ちた眼差しを向けてくる。


「熊出たらさすがに山閉めて猟師呼ぶだろォ。熊よか怪鳥けちょう、時代は怪鳥だぜ、トーコ!」

「そうでした! みれるかなぁ、おばけとりさん。とりさんといえば、じろくん、じつはですね。おいけのちかくにあった、ろうそくいっぱいのおやしろね? あそこから、火のついたろうそくくわえてもっていっちゃう、できたからすさんがいるのだそうです!」

「こんな山の中で火点いたロウソク咥えて飛んでんの? 山、燃えねえ?」

「もえますとも。もえるおやまはあきのふうぶつしですね」

「……山火事は秋限定じゃないと思いますけど」

「なんですと。じゃあ、てるやまもみじは? やまむらもみじは? あきのふうぶつし?」

「誰ですかそれ」


 そんな雑談を交わしつつ、弐朗たちは石段を登る。

 石段は幾つかの休憩所と短い平地を挟み四ツ辻まで続く。

 時折、鳥居と木々の隙間から京都の街並みが見えた。

 立ち止まってそれを眺める観光客の横を通り抜け、弐朗たちは軽い足取りで最後の石段を踏み越えて四ツ辻に立つ。


 登ってきた参道、その木々の向こう、低い場所に市街。

 歪つな形の広場には向かい合わせに休憩所が建ち、その間に通った道の先に鳥居、左手の山には更に急勾配こうばいな石段と鳥居、正面の山には石段とやはり鳥居。

 四つの道が交わるこの場所は、確かに四ツ辻と呼ぶに相応しい。

 舗装された広場と剥き出しの地面に、色褪せたベンチが無造作に設置されている。そこには三ツ辻からの石段にやられた観光客が鈴生りに座っており、午前の白い太陽を背に、ぐったりしながら足を休めていた。

 三ツ辻では二筋は下りで一筋だけが上を目指すものだったが、四ツ辻では一筋だけが下りであり、残りの三筋がどこに続いているのか弐朗にはよくわからない。観光客の大半は右の道を進んでいるが、左と正面の道を進む姿もちらほら見受けられた。


 さて、次はどの道を進めばいいのかと刀子に顔を向ければ、刀子は丸い目を更に丸くしながら弐朗を見上げており、その横で虎之助も微妙な顔をしながら弐朗を見下ろしている。


 弐朗はそんな二人を交互に見比べつつボディバッグからペットボトルを取り出して一口飲み、蓋を閉めてバッグに戻し、それでも二人が動き出さないため「どした?」と聞いた。


「みられてるよ、じろくん」


 刀子は瞬きもせず、食い入るように弐朗を見詰め言う。

 弐朗は「俺が?」「誰に?」と首を傾げ振り返ろうとするのだが、それは虎之助が片手で脳天を掴み、阻止する。


「おい。振り返って逃げられたらどうすんですか。アンタがって言うか、俺ら三人とも見られてます」

「三ツ辻からいっしょのひとだー。でもあのひと、とーこ、ろてんのおねえさんのところでもみたよ。そのときはちょっとだけとーこのほうみて、すぐいっちゃったけど」

「ずっと後ろ歩いてましたけど、かなり無理してましたね。隠密はしてないです。気配は一般人。今は段差のあるところに座り込んでちらちらこっち見てきてます。スマホ八割、俺ら二割ぐらいの割合で」


 弐朗は掴まれた脳天が引っ張り上げられるような感覚を覚えつつ、俺も見たいんだけど、と虎之助に訴えてみるが、虎之助は「不自然なんでやめてください」ときっぱり断ってくる。


「え。なに。何か見られるようなことしたっけ。ポイ捨てとか不謹慎なこととか、なんもしてないよな俺ら。それともあれか、あのー…襲ってる奴かもしんないってこと?」

「どうかなー。ふきんしんだったかなー。もしかしたらとーこたちとおともだちになりたいだけかもしれないですね?」

「何か用があるのは間違いなさそうですけど。あっちから話し掛けてくる気はなさそうですね。……このままここに留まってやり過ごすのも手ですけど、さっさと移動して振り切ったほうが早いんじゃないですか。こんな人目のあるところでおっ始められても面倒臭いですし」


 弐朗は頭を伸ばしつつ思案する。

 どこの誰かはわからないが、三ツ辻からついてきている人物が居て、自分たちを観察しているらしい。何か気になることがあるのか。刀子は見る者によっては異質に視えることもある。奇異の目を向けられることはこれまでも何度かあった。しかし刀子と虎之助の反応を見るに、どうもその手の視線ではないようだ。

 ただの一般人なら、自分たちを追い掛けてきた理由は気になるが、わざわざ難癖をつける必要もない。ヨズミは「地元の不良や他校の修学旅行生とやり合うのも修学旅行の醍醐味だ」と笑っていたが、弐朗は不毛な争いをするぐらいなら観光に時間を割きたい。

 ただの一般人でないなら。もし、使い手を襲っている人物なのだとしたら。ここで自分たちが振り切った場合、どうなるのか。他の使い手を探して襲うのか。それとも無差別に一般人を襲うのか。

 どちらにしろ、虎之助の言う通りだ。人目のあるこんな場所では、何かあっても抜刀することすら難しい。


「ヨズミ先輩の話じゃ、襲ってる奴は人目につかないようにやってくるって話だったし。様子見も含めて、さっさとここ離れて人気の少ないところに釣り出したほうがいんじゃね? 結果的に振り切ることになったら、まぁ、それはそれで。トーコ、こっからどう進む?」

「そういうことなら、ここは、とけいまわりのるーとでいきましょう! こっちのほうがみちがけわしいので、ひとがすくないのです! 自信ないひとははんとけいまわりで参拝するんだって。こっちです、ここ、このみち!」

 刀子は言うが早いか、四ツ辻で下りを除いた三筋の内、ど真ん中の道を指差して「いざ!」と既に歩き出している。

 虎之助は「それってつまり復路の人が多いってことじゃないんですか」と不服そうだったが、渋々弐朗の頭から手を離し、そのまま強く肩を押す。

 弐朗は虎之助に追い立てられるまま、建物の横を通って細い参道へと足を踏み入れた。


 参道はしっかり舗装されており、三ツ辻からの石段に比べれば格段に歩きやすい。

 刀子は「つぎはとーこがめざすお社があるのです!」とはしゃいでいる。


「ここ! ここがおめめのお社です! あー、このこーー! とーこはこのおきつねさんにあいたかった!」


 四ツ辻から少し歩いた先に、刀子が目指していた神社は在った。

 参道の両脇、右側にこれまでに幾つも見てきたものと大して変わらない社、左側にはやたらと「目」を推す売店が建っている。

 刀子が言うように、ここは目に御利益のある社のようだ。

 そして社の横には、妙な体勢の狐像が口に咥えた笹筒から水を出していた。


 刀子は興奮を隠しきれない様子で賽銭を打ち込みふたつ並べて置いてある円座に正座して何度も柏手を打った後、アグレッシブな狐像の写真を撮り始める。

 弐朗も賽銭箱に五円玉を放り込んで柏手を打つ。

 隣立つ虎之助に「ついてきてんの?」と問えば、虎之助は弐朗を見るついでにちらりと後ろを振り返り「きてますね」と答えた。


「だいぶ足にきてるみたいですけど。今、通り過ぎー…、あ、座りました。店の前の椅子に座ってぐったりしてます」

「このまま上までついてくるつもりかぁ? どうする?」

「……二手に別れて挟み打ちにしますか。さっき、くれ先輩に聞いたんですけど、ここの少し先に社務所があるらしいです。で、社務所の正面に石段があって、そこが祈祷所で少し拓けた場所なんだとか」

「お。じゃあ俺が先行してそこ上がるから、トラとトーコが後詰めな。さりげなく話聞いてみて、なんでもなかったら放置、何かありそうだったら捕獲、逃げるようならお前らが退路断つってことで」

「他の観光客が上がらないようにくれ先輩に「凝視ぎょうし」頼んでおきます。くれ先輩、あつらえ向きに店で何か選んでるみたいなんで、このまま俺と置いてってください。俺から説明しときます」

「オッケ。じゃあ先行くわ」


 虎之助が柏手を打つのを合図に、弐朗は売店で豆書を物色している刀子の後ろを通り過ぎ、参道を進む。

 売店前の茣蓙ござが敷かれたベンチには、確かに、疲れ果てた様子の青年が一人、座っていた。

 年は二十代後半か、髪は黒く、前髪がやや重い。黒いスキニージーンズに緑のネルシャツ、アウターに古着のフライトジャケットを着ている。斜め掛けしている鞄は年相応とは言えない、チープなもの。何が入っているのかかなり荷物は多そうに見える。色が白い所為もあるだろう、元よりそういう顔立ちなのか寝不足なのか、目下の隈が目立つインドアな印象の人物だ。


 弐朗がゆっくり青年の前を通り過ぎれば、青年は顔を上げて弐朗と売店前の虎之助、刀子を交互に見比べ、げんなりした顔をしながらものろのろ弐朗の後をついてくる。

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