17【狐社】二

 女は身長百六十中頃、年は十代にも二十代にも見える。

 褐色肌に目の覚めるような青い目。混じりけのない金髪はぼさぼさと量が多く、二本の三つ編みにして胸の前に垂らしている。

 色彩も身体つきも明らかに日本人ではないが、だからといってどの人種かと問われると、西洋、南米、中東、東欧、どこの地域ともとれ、全く人種がわからない。

 呼ばれるまま近付いてみれば、女はモッズコートの下に深緑の法被はっぴを着ており、黒い襟に白抜きで「おもち商工会」と書いてあるのが見える。

 それだけでなんとなく、嗚呼、餅を扱う商工会の人なんだ、じゃあ大丈夫かな、と弐朗は警戒を解いてしまうのだ。


 弐朗と刀子が石段の中腹で「なんですか?」と問い掛ければ、女は「お守り買うサ?」とよく通る明るい声で話し掛けてきた。


「授与所の前に立ってたサ。どうせ買うならアタシから買うサ! セットで買えば割引アリ、今ならお得なオマケもつけるサァ。あるのはここのお守りだけじゃねぇぞ。サァサ御立会おたちあい、御用があろうが寄ってけ見てけついでに買ってけ、全国各地の霊験れいげんあらたかなお守りどもを! まずは京都にきたなら押さえておきたいド定番、神宮じんぐう天満宮てんまんぐう八坂やさか貴船きふね下鴨しもがも清水きよみず、ここらもいいぞ、セイメイ、イチヒメ、スズムシ、アジサイ、ミカミのお守り! 京都以外にも色々あるサァ、北は蝦夷えぞから南は琉球りゅうきゅうまで、健康、安全、金運、学業、出産、縁結び、厄除け、なんでもコイ。氣守きまもり、大開運、木小槌、お砂守りにこんぴら犬守り、天狗守り、酒難除守しゅなんよけまもり、的中御守。七支刀しちしとうデザインのお守りなんかどうサ? お守り以外も各種諸々勢揃い! 角大師つのだいし護符、熊野の護符、結界護符に各種呪符、アイヌの魔除けに災難厄除けヒトガタチャン、人を呪わば穴二つ、藁人形もあるサ。救民妙薬きゅうみんみょうやく五臓六腑ごぞうろっぷに効く薬の類いもお任せあれ、天然素材の六神丸ろくしんがんに天狗印の生薬しょうやく、漢方、民間薬、ガマの油にザンの鱗、伽藍坊がらんぼう泡盛あわもり、蜘蛛の糸玉いとだま、たぬき大福、地獄饅頭じごくまんじゅう。今ならなんと本場の職人が手縫いで作った針山ペナントのオマケつき。御望みとあらばガマの口上のひとつも聞かせてやるサ、他にもあるサ、見てくサァ!」


 気付いた時には、弐朗と刀子は石段を上った先、次の石段を見上げる場所で、体育座りをしながら女の滑らかな口上を聞いて拍手をしていた。


 女は大きな行商ぎょうしょう箪笥だんすに腰を掛け、足元に箪笥から引き出したお守りの入ったひきだしを幾つかと、色んな包みや紙袋が入った葛籠つづら唐草からくさ模様の風呂敷等を広げつつ、弐朗と刀子の拍手にしたり顔で笑っている。

 女の横には、まだ開店準備をしているたい焼きとこんぺいとうの屋台、盆栽を並べている露店が並んでいた。女の出店は違法行為や迷惑行為というわけではないらしい。


 弐朗が風呂敷の上に置かれたスニーカーをしげしげ見詰めていると、女が「それは掘り出しものサ!」と勢いよく顔を突っ込んでくる。

「それを履いて走れば駿足アキレウス、縮地しゅくちの夜叉も真っ青の韋駄天いだてんサ。メロスだってセリヌンティウスを待たせることなくひとっとび! その名も韋駄天スニーカー! 今ならお値段ポッキリこれきり!」

 女が言いつつ指を三本立てたため、弐朗が「三千円?」と問えば、「三万円!」と返る。

「たっか! いやいや、スニーカーに三万てそれもう正規の店で買えるじゃん! それに俺、薄っぺらい系のスニーカーなら星ついてるやつのほうがいいし」

「ホシ? どんなのサ。それは売れてるブランドサァ?」

「えぇ? どんなのってー…、待って、今画像検索する……これこれ、こんなの」

「ハァ、なるほど見たことある星サ」

「おねえさんおねえさん。ここは御朱印はいただけますか?」

「オ? ゴシュー…嗚呼、あれか。地獄顔パスのアタシが一筆書いてやればそこらの神社で朱印を集めるまでもねぇ。初穂料一万で書いてやるサ。サイン付きでレアサァ?」

「いちまん! さいんつき! れあ! これはおとくなのでは」

「騙されるなトーコ!! 御朱印で一万はヤバいだろ!」

「騙してなんかねぇサ。ちゃんと書くサァ。ちなみにお守りはどれでもひとつ千円。ふたつ買うなら合わせて千五百円。お前ら見たとこ修学旅行生サ。どっからきたか知らねぇが修学旅行じゃ行けるところも限られてるサ? こんだけあれば色も形も選び放題。こっちが恋愛、こっちが学業。お前ら見るからに頭悪そうサ、ほれ学業お守り買え買え。全国各地の天満宮が揃ってるサ。たくさん買えば天神も懐あったまってニッコニコサ!」

 刀子は引き出しに収まる色とりどりのお守りを、ほぉー、と食い入るように見詰めている。


 これはイカン、トーコのがま口が空になるまで買わされる! お守りはともかく、生薬とか漢方って言われると正直気になっちゃう! 俺まで買っちゃいそう! あの紙袋とか小分けの瓶がそれなのかなぁ、気になるぅ、見てえ。誰か助けて!


「ちょっと貴女あなた! いい加減にしなさいよ!」


 その時、弐朗の願いが届いたか、救いの声は天の声宜しく弐朗たちの頭上、石段の上から突き抜けるように響いてくる。

 弐朗はわらにも縋る思いで振り返り、石段の上を見上げた。


 赤い建物を背に、竹箒を持った巫女装束の女が一人立っていた。


 それは白衣はくえ緋袴ひばかま、赤い鼻緒の草履ぞうりを履いた色の白い女であり、腰の下まである桜色の髪を先のほうで緩くひとつにまとめている。

 年は十代から三十代、巫女装束であることから神社の関係者であることはわかるが、行商の女同様、人種がさっぱりわからない。

 弐朗は巫女の風変わりな髪色よりも、その少し下、白衣に包まれてぼよぼよ揺れるふたつの丸みを凝視してしまった。なんともだらしのない乳をしている。揺れ加減から見て、弾力よりも柔らかさが勝っているのは一目瞭然だ。

 巫女は何やら文句を言いながら結構な剣幕けんまくで石段を駆け下りてくる。

 そして弐朗たちの横に立つと、間髪かんぱつ入れずに行商の女に食って掛かるのだ。


「いつも言ってるでしょう! 出店の許可は出してるけど、常識範囲内の商売をしなさい! 御朱印に一万なんてどういうつもり!? ここの関係者でもない貴女が何の御朱印を書くって言うのよ!」

「サァ。こいつの地獄めぐりが面白可笑おもしろおかしいものになるように閻魔にお願いする文をチョチョッと。アタシのサイン付き」

「貴女のお墨付きなんて寧ろ余計な場所まで巡らされるわよッ……! あと、聞き捨てならない品が幾つかあったようだけど。ちょっと、見せなさい。何持ち込んでるの。見せなさいったら!」

「あ、コラ、勝手に触るんじゃねぇサ、営業妨害、営業妨害サ! やめろこのでか乳狐! 無駄にぶよぶよ太りやがって、水風船ー…、イヤ、煮込み過ぎた雑煮の餅みてぇサ」

「なッ、なんですッてェ!? なんで今私の体型の話になるのよ関係ないじゃない! あなっ、貴女ッ、取り消しなさいよッ!」

「五キロぐらい肥えたサ?」

「キャーーーッ!!」


 巫女が激高げっこうして掴みかかろうとするのをヒョイと避け、行商の女は手早くひきだしを箪笥へとしまい胸に下げていた鍵で箪笥の蓋を施錠してしまう。

 巫女は顔を真っ赤にして「言われるほど増えてないもの!」「せいぜい三キロよ!」と反論しているが、行商はまるで話を聞いてはいない。


 真横のたい焼き屋台で開店準備をしていた中年男性が、「またか」と呆れ顔で巫女の胸元を眺めている。

 刀子が興味津々に二人の言い争いを観戦しているため、弐朗はそっとたい焼き屋台に近付き、「あのォ」と控え目に声を掛けた。


「たい焼きふたつー…、や、よっつください。えっと、あの人ら、止めたほうがいいんスか」

「おっと、いらっしゃい。ちょうど焼き始めたところや、すぐできるで待っとってな。ああ、ええ、ええ。ありゃいっつもやっとる。ほっといたらええ」

「いっつも」

「ウン。こっちの緑のネーチャンはたまにここで行商やるんやけどな。自分は月に数回見かける程度やなぁ。それ見付けたら、あの巫女さんいっつも寄ってきてワァワァ言うとる。仲ええんやろ。よっつ、一袋に入れてええんか?」

「はぁー…まぁ確かに。仲悪かったらそもそも寄ってこないスもんねぇ。あ、えーと。ふたつ、ひとつ、ひとつ、で、三袋にわけてもらえますか。友達の分なんで」


「それ俺の分もありますか」


 弐朗が代金と引き換えにたい焼きを受け取っていれば、タイミングを見計らったかのように真横に虎之助が立ち、声を掛けてくる。

「先輩たち授与所に居ないんで探してたら、凄い悲鳴が聞こえたんで。何ごとかとー…何やってんですか、あれ」

 遠慮なく手を差し出してくる虎之助に、これがお前の分だよ、と弐朗はふたつ入りの袋をそっと乗せてやる。残りの二袋が弐朗と刀子の分だ。

 そして虎之助が視線を向けている巫女と行商の言い合いには、「気付いたらああなってた」と弐朗もわかっていない顔で返すことしかできないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る