10【客亭】四

 言いながらヨズミは豆乳ドーナツに手を伸ばし、「ねえ?」と首を傾げて鬼壱を見る。

 ドーナツ越しの視線を受けた鬼壱は薄っぺらい愛想笑いを浮かべ「だってそうでしょ」と緩い相槌を打った。


「妖怪云々なら、俺なんかよりわわさんたちのほうが詳しいの当たり前じゃないですか。本人がもう妖怪みたいなもんなんですから。それに、見回り組結成した人たちも一応使い手なんで、当然、妖怪がやらかしてる可能性も考えて対策してると思いますよ。まぁ、狂いはともかく、妖怪の存在に懐疑的な人も居ますけど。俺らも念のためお山の方々に聞いてはみたんですけど、知らぬ存ぜぬです。御助力願うと過剰な接待要求されるんで、必要以上に頼るのはナシで。奇鬼もわわさんも気配掴むのに協力はしてくれるんですけどー…怪しいなって気配掴んで俺らが行く頃には、やっこさん、逃げちゃってるんですよね」

「まッこと腹立たしい輩に御座りますれば、ちらりちらりといたずらに気を引いてみせ、振り回される我らを見て嘲笑うておるに違いありませぬ。忌々しい。我らはどしりと構え、向こうからくるのを待ってただ切れば良いので御座りまする」

「待っててもこないじゃないですかぁ。こんなことしそうな知り合いとかいないんですか、わわさん」

「なにをぅ。おりませぬ! 鴉と鶏であれば十九にもおりまするが、鴉は尾張の要石かなめいし、あれが動いたという話は聞いておりませぬ。鶏は先の大戦の折に八甲田山はっこうださんで行方知れずになりもうした。京におるのであれば、何故なにゆえ我らに顔見せに来ぬのか。また、天狗どもの仕業とも思えませぬ。あれらは人の子をさらいこそすれ、やたらに傷付けて捨て置いたりなどは致しませぬ。御山に持ち帰りまする。神隠しに御座りまするな。鎌鼬かまいたちにしたところで、傷を負わせたなら軟膏なんこうを塗りまする。他に人を好んで食らう妖怪なら幾らでもおりまするが、此度こたびかじり跡ひとつない。喰らうてはおりませぬ。斯様かようにわかりづらいことを致すのは、いつの世もひとと相場が決まっておりまする」

「ただのヒトなら、血刀使いだけ狙って襲う、なんてことは到底不可能だろうしねぇ。妖刀に憑かれた人間や、山伏や陰陽師のような、何かしらの修練を積んだ人間ならできないこともないが。そうなってくるともうただのヒトではない、か」

「だから、まあ。一般人、血刀使い、妖刀使い、妖怪、その他諸々もろもろ……どの可能性も捨てきれないんで、絞って対策練ることもできないんですよね、現状。後手後手なんです」

「目的もいまいちはっきりしないな。試し切りか、遊んでいるのか。金銭は盗られていないが、血刀使いの血や髪を集めているとか? まじないに使えないこともなさそうだ。何かをおびき出そうとしているようにも見える。事件を起こしたいだけなのかも。索敵で絞り込むのはー…」

「勿論やってはいますけど、狂いみたいに目立つ音出してくれるならともかく、居るのか居ないのかもわかんない状態なんで……。お手上げです」


 ヨズミと鬼壱がああでもないこうでもないと話し合う間、弐朗は上座の童鬼をぼんやり眺めていた。

 童鬼は時折周囲を見回したり、テーブルの下を覗いたりと退屈そうにしている。

 それに気付いた鬼壱が「奇鬼なら居ませんよ」と声を掛ければ、童鬼は機嫌を損ねたらしく、畳んでいた足を伸ばして豆乳ドーナツを食べ始めた。

 こうして見るとただの幼女の振る舞いだが、側頭部の黒い牛角はしっかり頭蓋骨から生えており、質感も角のそれだ。よく見れば、左側の角は根元部分を残して先が無い。折れたのかもしれない。


 黒い牛角。うしの方角にまつられ、戦災を司る猛々しい鬼神、童鬼。


 秋口の一件の後、弐朗たちは真轟の黒服、鮫島さめじまから数回にわけて講義を受けた。

 内容は妖刀「十九じっく」について。

 その成り立ちから現在に至るまでの歴史、扱い、地位、特徴といったものを、民俗学をベースにざっくりながら教わったのだ。

 勿論、鮫島も十九の全てを知っているわけではない。

 講義内容の典拠てんきょにしたという和古書の複写物を配られた時、弐朗は鮫島のマメさに感心した。

 さっぱり読めない原文の横に鮫島自らが現代語訳を書き込み、難しい単語には注釈、漢字には読み仮名まで振られていた。


 童鬼は十二支の「丑」の鬼神とされてはいるが、干支と五行の紐付けと同じよう、後付けで習合しゅうごうされたものだろうと鮫島は言っていた。

 ただ、こうして実際に童鬼の牛角を見てしまえば、丑の鬼神とされているのも全くの無関係でもないのかもしれないと弐朗は思う。


 かつて、十九は鬼神として広く畏れ敬われていたという。


 基本の三柱は天と地を治め、樹を守る。そこに厄災やくさいの九柱と人心じんしんの七柱を加えたものが、十九柱の鬼神。

 鮫島のプリントによれば、人々は自然の猛威や人の在り様の恐ろしさをそれぞれの鬼神に当て嵌め、崇め奉り、祈ることで災いから逃れようとしたらしい。

 十九柱の内、一柱を覗いた十八柱にはそれぞれ二柱ずつ鬼将がついている。対となる十八柱で、計三十六。十九の鬼神と合わせて「十九じっく三六さんろ」と呼ばれる。鬼将はそれ単体が神として社を持つものもあれば、狛犬や神の使いとして石像だけ残るものもあり、観光名所になるほど有名なものから、全く存在を知られていないものまでピンキリなのだという。

 童鬼の鬼将は牛、奇鬼の鬼将は猫だというが、弐朗は牛はともかく猫の狛犬は見たことがない。

 その牛の将を従える武神が幼女の姿で現れるだ等と、誰が予想できただろう。


 虎之助とさわらはヨズミと鬼壱の議論に耳を傾けてはいるが、特に口を挟むこともなく黙りこくっている。虎之助に至っては茶菓子を全て食べ終え、物足りなさそうに他人の茶菓子を見詰めている。

 刀子は授業を聞いている時のようにうんうんと頻りに頷いているが、あれは何も聞いていないことを弐朗はよく知っている。弐朗もそうだからだ。

 弐朗の視線に気付いた刀子が首を傾ければ、弐朗も首を傾け、どうすっかな、と思考は幼馴染の寝場所問題に傾いていく。


 この部屋の広さなら、刀子一人が増えたところで問題なく泊まれるだろう。その話をいつヨズミに切り出すか。さすがに、大勢の前で話題に出すのはデリカシーが無さ過ぎる。できればヨズミにだけ伝えて、よろしく取り計らって貰いたい。刀子の知らないところで話を進めてしまうのは刀子の意思を無視しているような気がしないでもないが、ヨズミから「泊まって行くかい」と声を掛けてもらって、そこで刀子が判断するのであれば、刀子の意思は尊重される筈だ。

 それはそれとして、泊まれるのであれば自分もこの部屋のほうがいい。

 修学旅行の夜は明日もあるのだ。クラスメイトと寝泊りするのは一日あれば十分だ。ゲームの素材集めはいつもの休み時間にやれる。恋バナ関係も、どうせ刀子のことを茶化され、幼馴染だし妹みたいなもんだから、と言い返すことになるのは目に見えている。虎之助も男一人で女子二人と同室は気まずく感じるはずだ。というか虎之助は自分と刀子が来なければヨズミと二人で泊まるわけだが、そのあたり何も思うところはなかったのかー…、いや、そういえばだいぶ渋ったとヨズミが言っていたか。


 弐朗は他人の茶菓子を睨みつけている虎之助に慈愛の眼差しを向け、自分の分を手に取り、立ち上がる。

 すると刀子も「こちらもどうぞ」と自分用に全種類ひとつずつ残し、後は弐朗の手に乗せてくる。弐朗は有難くそれらを預かると、両手にわっさり茶菓子を乗せた状態で鬼壱の後ろを通って虎之助の横に座り、そ、と手を差し出した。


 茶菓子を見下ろす虎之助の顔が思い切り不愉快そうなものになる。


「なぁ、トラ。お前ヨズミ先輩と二人でここ泊まンの、緊張しねぇの」

 茶菓子を差し出すついでにこそりと問えば、虎之助は「嫌に決まってるでしょう」と当たり前のように言い、弐朗の手から茶菓子を受け取って包みを解き、口に放り込む。


「有り得ないって先輩には散々言ったんですけどね。聞いて貰えませんでした。襲わないから安心しろとたしなめられましたよ」

「……立場が逆じゃね? いや、まぁ、ウン。なぁ、あれならホラ、俺とトーコも一緒に泊まってやろっか? みんなで泊まれば怖くない、みたいな?」

「俺は一人で一間に寝るほうがいいです。二間あるんで、ここ」

「何かあったらどうすんだよお前。相手はヨズミ先輩だぞ?」

「殴られたいんですか先輩」

「心配してやってんだろーが」


「聞こえてるよ、二人とも」


 ヨズミは鬼壱との議論を続けながらもしっかり釘は刺してくる。

 鬼壱もまた、ばっちり聞こえていたらしく、「ワカル」と言いたげな顔で含み笑いしている。

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