09【客亭】三

 弐朗は間髪かんぱつ入れず刀子を見た。

 弐朗も知りたかった。明日、自分たちが何処を観光する予定なのか。

 そんな弐朗の様子を、ヨズミと虎之助が「自分では把握してないんだな」と生ぬるい目で眺めていたが、弐朗は刀子を見ているため気付いていない。


「あさから伏見ふしみにあるおいなりさまの神社と、もみじと三門さんもんでゆうめいなおてらをみて、おひるごはんをいただきます! しにせの! しだしのおべんとうです! おひるからはせかいいさんのおてらに立体りったい曼荼羅まんだら五重塔ごじゅうのとうをみにいきます! 秋期特別公開の宝物館もみるのです! そのあとはおしろと、ごしょと、じんぐうをみてー、新京極しんきょうごくでおかいものしてほてるにかえります」

 刀子が宙にU字を描きながら「すべてばすでいどう」と付け加えれば、鬼壱は「欲張りツアーだなぁ」と笑いながらヨズミへと視線を移し、「伏見はまずいですね」とさらりと告げる。


 弐朗と刀子は揃って鬼壱へ顔を向けた。

 何がまずいのかと。


 しかし鬼壱は手の平を上にし「そっちに聞いて」とばかりにヨズミを示してくる。

 手を向けられたヨズミは「ウン?」と頬杖ほおづえの姿勢から肘を上げ、座椅子にもたれる角度を深くしながら「まぁ、ゥン」と苦笑いを浮かべた。


「例の襲撃事件の話だ。伏見の神社でも被害報告が出てる。目撃情報も。キミたちがくるまでに鬼壱クンと情報共有を行い、状況を確認した。今日清水であったことは全部話してある。その上で、件の襲撃と関係ありそうかどうか確認した。これまで現場に鴉が現れたことはあるのか、人の多い場所でも襲われることはあるのかってね。最終的には、自分たちよりも詳しい人物に聞いたほうがいい、という話になってー…その話の最中にキミたちがきた」

 弐朗はボディバッグから豆乳ドーナツの紙袋を取り出しながら、誰か他にも呼んだのか、と部屋の入口へと振り返るが、ヨズミは「追加の客はないよ」と顔の前でひらひら手を振って否定してくる。

 被害報告はともかく目撃情報ということは、犯行現場か、犯人を見た人間が居る、ということなのだろうか。


「全員揃ったし、じゃあお願いしようか」


 ヨズミは弐朗から受け取った豆乳ドーナツを手に、虎之助の隣りへ移動しながらそう声を掛けた。虎之助はヨズミが持ってきた紙袋を見詰め、なんですかそれ、と興味を示している。

 誰に何をお願いしたのかと、弐朗が視線を鬼壱に戻したところで、鬼壱の隣りに座るさわらが竹刀袋に手を伸ばすのが見えた。


 かちり、と小さく金属の触れ合う音が鳴る。

 鯉口こいぐちを切る音だ。


 瞬間、弐朗の脳裏に過ぎる裏門での一幕。


 虎之助の脇腹を刺し、自分の肺を突いたあの白刃。

 気付いた時にはもう目の前まで踏み込んできているさわらの、無機質な目。

 袖の下で腕の毛が毛羽立つのを感じる。


 弐朗は殆ど反射的に、さわらと刀子の間に割って入るように身体を動かしていた。

 刀子は「ふぁお!」と声を上げて後ろに仰け反り、さわらが少し身を固くする。


「御安心召されよ。抜いてはおりませぬ」


 不意に、幼い声がした。


 声の出処でどころは先ほどまでヨズミが座っていた上座である。

 弐朗が刀子とさわらの間に身体を挟んだまま振り返れば、そこには見知らぬ幼女が一人、極当然の顔で足を伸ばして座椅子に座っている。

 年齢は小学校低学年か幼稚園児程度に見える。畳につくほどに長い黒髪はどこか青味掛かり、耳の前に垂らした髪の先端に四角い飾りのようなものが連なっている。髪飾りの材質が何かはよくわからない。白い着物ー…白衣に、鈍い水色の行灯あんどんはかまと灰色の括り袴を重ね、足の甲まで覆う黒い脚絆きゃはんを身に着けている。

 が、なにより目についたのは、やたらと長い下がり気味の耳と、頭の両側に生えている大きな黒いつの


 何が起きているのかわからず思考停止する弐朗に、ヨズミが「さわらクンに敵意はないよ」と今更過ぎる説明をくれた。


「鈴鹿みづちの鬼神である童鬼どうき殿をね、顕現してもらったんだ」

「あれが童鬼、わわさんです」


 ヨズミの言葉を受け、鬼壱が手の平を上にして上座の牛角幼女を示す。

 弐朗は遅れてやってくる動悸と、自身の勘違いにドッと汗が吹き出すのを自覚しながら元の場所に戻り、後ろ手をついて大きく仰け反った。

「そういうことは先に言っといてくださいよォ……!」

「ハハッ、すまないすまない。では改めて、童鬼殿に自己紹介させて頂くとしよう。お初にお目にかかります。中部を取り仕切る血刀使いの総代、真轟が嫡子ちゃくし、ヨズミと申します。童鬼殿は既にお手合わせ済みかと存じますが、こちらから端塚虎之助、紅葉刀子、阿釜弐朗、私と共に狂いを狩る若い衆です。その節は未熟者の我々に稽古をつけて頂き、大変有難く存じます」

 ヨズミが幼女に深く頭を下げて礼を述べれば、幼女は伸ばしていた足を畳んで正座し、「おもてを上げい」の一言でヨズミの顔を上げさせる。

「十九が一柱、童鬼に御座りまする。なにを、見事ないくさぶりに御座りましたぞ。さわらにとっても良い仕合しあいとなりもうした。まことの未熟はあれのことよ。使い手が腕を落とされる等、死も同義。あってはならぬこと。あれにはわわより厳しう言うて聞かせもうした。腕を落とされる前にわわを呼ばずして如何いかにする、と。機会あらば次は是非、わわが御相手しとう御座りまする」

「それは有難い。お手柔らかにお願いします。ところで童鬼殿、本日御目文字おめもじ頂いたのは他でもありません。このところ京都を賑わせている無法者むほうものの件につきまして、お聞きしたい点が幾つかありまして」

 童鬼は「また出たか」と顔をしかめて話を聞く体勢に入る。

 ヨズミは童鬼に状況を説明する前にすかさず弐朗に視線を飛ばし、手元に豆乳ドーナツの袋と別の菓子箱を覗かせる。弐朗は瞬時に「お茶か」と察した。寧ろ此処に至るまで誰も淹れようとしなかったことにやきもきしていたぐらいだ。

 弐朗はヨズミの話を邪魔しないコンパクトな動きで茶櫃ちゃひつを引き寄せ、手早く人数分のお茶を準備し、茶托ちゃたくに乗せて各人の前に配って回った。刀子が均等に配ったお茶請けに真っ先に手を付けたのは虎之助だった。


 ヨズミは童鬼がお茶に手をつけるのを待ってから、自分も一口飲み、話し出す。


「先に、弐朗クンと刀子クンに情報を共有しておこう。襲われた使い手で、応戦した者は大半が入院するほどの深手を負ったそうだ。どれも致命傷には至っていないが、危なかった者も居たらしい。傷は殆どが裂傷だが、数人、火傷のような水ぶくれも。切られた箇所も頭の上から爪先まで、見事にバラバラだ。襲われるのは基本的には陽が暮れてから。逢魔おうまときにやられた者や、明るい時間帯でも、人気のない場所や暗がりでいきなり切り付けられた使い手も居る。それでも、襲撃者の目撃情報はゼロ、だ。至近で切られたわけではないという話から、何かしらの剣技や術、飛び道具を使っている可能性が高い。一人で夜道を歩いていると、いきなり鋭い痛みが走り、気付いた時には切り傷ができている、というわけだ。そして応戦すると意識を失うまでやられてしまう。誰も何も盗られていないというから、物盗りの類いでもない。使い手であること以外に共通点があるわけでもない。たまたま京都を訪れただけの旅行者もやられているわけだからね」


「勿論、使い手には可能な限り襲撃の情報を周知しているそうだ。が、用心していても今のところ撃退や捕縛には至っていない。そもそも、情報の周知が行き届かないんだろう。表沙汰にできない事情から、一般向けの放送や掲示を行うわけにもいかないからね。そうすると、知らずに一人で出歩く者が襲われる。有志で組まれた見回り組や自警団の目を掻い潜ってことを起こしているところを見ると、目がいいのか鼻が利くのかー…ただ闇雲に襲っているわけでもなさそうだ」


「で、今日我々が清水で遭遇した二件、胎内めぐりで起きた傷害と、舞台での鴉による襲撃だが。なんと、京都では鴉が人を襲うのは珍しいことではないそうなんだ。鴨川なんかではしょっちゅう鴉やとびに襲われる事件が起きているらしい。野性の鳶が菓子パンを人の手から奪って行ったりするんだそうだ。中には天狗が化けてやらかしてる場合もあるというから、じゃあ襲撃者も天狗や鎌鼬かまいたち髪切かみきりなんかの妖怪なんじゃないかと聞いたら、それは自分より詳しい相手に聞いたほうがいい、と」

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