06【清水】五

 本堂を拝観はいかんするためのチケットは既に教師から手渡されていたが、弐朗は無造作にボディバッグに突っ込んでいたため、探し出すのに苦労した。

 先に門をくぐった刀子は、もたつく弐朗を待ちながら「おとなはきっぷをなくさないのです」と得意顔をしている。


 刀子に遅れて門をくぐった弐朗は、奥で人だかりができていることに気が付いた。


 有名な舞台が混み合っているのかと最初は思ったが、何やら尋常でない甲高い声も聞こえてくる。

 舞台からの飛び降りがことわざにもなっている場所だ。思いのほか危険な場所なのかもしれない。

 先程の胎内めぐりの件もある。

 慎重に行くべきかどうか一瞬悩んだ弐朗の横で、刀子が「あっ」と何かに気付いたような声をあげた。


「よずみせんぱいだ!」

「えっ、どこ」


 身長百五十センチの刀子は完全に人垣に埋もれていたが、弐朗の手を取るとそのまま人混みを掻い潜って舞台の端へと進んで行く。


 見晴らしの良い、拓けた場所だった。

 まるで燃えているかのように辺り一面、赤色に覆われている。紅葉もみじだ。

 舞台を囲う欄干らんかんは観光客の胸に届かない高さ、飾り気のない色褪せた檜の床板は、色付く木々の上に張り出しているかのような印象を受ける。

 舞台から見渡せる地上部分には、水場と、そこに注ぐ三筋の水路のようなものがある。弐朗の想像とは大分様子が異なるが、あれが三種のご利益がある滝なのだろう。


 刀子が言ったように、確かにそこにヨズミが居た。

 他校の女子高生に囲まれ、にこやかに記念撮影をしている。どうやら黄色い悲鳴の発生源はここらしく、ヨズミが女子高生の求めに応じて握手を返す度、裏返った甲高い声が響き渡る。

 弐朗はぽかんとした顔でそれを眺めていた。

 弐朗たちに気付いたヨズミが取り囲む女子高生に謝罪を入れつつ、人垣の間を縫って近付いてくる。弐朗はヨズミと女子高生の集団を見比べながら「何があったんすか」と直球で聞いた。

 ヨズミは「それがね」と苦笑いを浮かべながら、周囲に聞かれたくない部分だけ小声に落として簡単に説明してくれた。


「気になる気配があったから舞台にきてみたら、あちらのお嬢さん方が鴉に襲われていてね。危うく舞台から転落しそうになっていたから、助けたんだよ。勿論特別なことはしていない、普通に手を掴んだで引っ張り寄せただけさ。そうしたらこの騒ぎだ。なかなか離してくれないから参った」


 ヨズミが肩を竦めながら話す中、弐朗のスマホが通知音を鳴らす。

 ゲームの通知なら放置だが、鳴ったのはSNSの通知音だ。

 一応確認、とスマホをタップし、弐朗は思わずそのまま画面を見詰めてしまった。


 同グループのクラスメイトが「すごくね?」と送ってきたのは動画だった。

 舞台を見上げる位置から撮ったものらしく、紅葉に囲まれた何十本もの柱の上、せり出した舞台の欄干のところで女子高生が数人、騒いでいる。五羽程度の鴉が女子高生に群がり、それを避けようと手で払ったり屈んだりしているのだ。

 その内の一人が欄干に背をつけ、身を反らした瞬間、大きく上体が傾いた。女子高生の両手は空を掻き、身体を支えることもバランスをとることもできていない。鴉はそれでも女子高生の髪や手をつつき、群がる。動画を撮っているクラスメイトが掠れた声で「まじかよ」「やばいって」と呟いている。画面が揺れているのは手が震えているからだろう。

 落ちる、と思った瞬間、勢いよく欄干から身を乗り出して女生徒の腕を掴み、思い切り引き寄せて抱き留めた人物が居た。

 ヨズミだ。

 ヨズミは倒れ込む女生徒を横抱きに抱え、鴉を手で払いながら堂々とした身のこなしで舞台の奥へと退避する。

 動画は、下から一部始終を見上げていた観光客のどよめきと拍手で終わっている。


 いつの間にか横から覗き込んできていた刀子と揃ってヨズミを見上げれば、ヨズミは「誰からだい?」と胸の前に腕を組みながら首を傾げている。

 思った以上に九死に一生スペシャルな動画とヨズミのナチュラルプリンス動作に、これは助けられた女子高生、舞台からは落ちなくても恋には落ちるな、と弐朗は遠い目をしてしまう。罪作りとはこういうことを言うのか。


「なんかクラスの奴が下で動画撮ってたみたいで。先輩が女子高生掴んで引っ張り上げるとこ。ヤバかったッスね!? これ何メートルぐらいあるんスか、下手したら死ぬんじゃ」

 弐朗が送られた動画をヨズミに見せれば、ヨズミはそれを一瞥してから「私のドリムクにも動画送っておいてくれるかな」と告げ、舞台に振り返って「どうかな」と赤々とした木々を眺めている。

「十二メートルぐらいだったかな。わりと死なないらしいよ、ここから飛び降りても。昔は願掛けで飛ぶ人が結構居たというが、八割ぐらいは死ななかったそうだから大丈夫さ。勿論、打ち所が悪ければ駄目だろうけどね。それにしてもー…なんだったのかな、あの鴉は。追い払ったらそのまま何処かに行ってしまったが……動画を撮ってくれたキミの友人に感謝だな。後で確認しよう」

「がんかけ! ならばとーこもとばねばなりますまい!」

「それはいけない刀子クン。怪我をしたらニュースだが、無傷でもニュースだ」

「だめですか! めりぽぴ断念、じつにおしい。はっ、そうだ、よずみせんぱい! じろくんもさっき胎内めぐりでひとだすけしたんだよ! お相手はかわいい女子高生さんでした。じろくんのあれはなかなかのいけめんむーぶでしたよ?」

「おやおや。恋が始まりそうかい?」

「こいにおちるおとがしました! あかいみはじけました!」

「始まんねッスよ!! してない、音してない! そう、そのことで俺らからも報告が」


 弐朗は刀子とヨズミに「からかうの禁止!」と憤慨して見せつつ、胎内めぐりで起きた出来事を掻い摘んで報告した。


 報告を受けたヨズミは顎に手を当て少し考える仕草を見せる。

 そして「どうせなら場所を変えて話そうか」と、弐朗と刀子を伴って石段を下りた先にある水場へ移動する。

 弐朗が有難い滝三種類を全て飲み、刀子が滝の向かいのこじんまりとした授与所でお守りを物色するのを見守ったヨズミは、うん、とひとつ頷くと話し始めた。


「やはりどう考えても、偶然、弐朗クンたちの後ろに居た女子高生が怪我をして、偶然、私の目の届く範囲に居た子たちが鴉に襲われた、というのはおかしな話だ。何らかの存在、意図を感じる。どうせ今夜旅館で鬼壱きいちクンたちに会うんだ。この件を伝えて、今京都で何が起きてるのか詳しい情報をもらってくるよ」


 弐朗は家族や真轟の黒服、隣町の知人のためにお守りを幾つか手に取っていたが、思わずそれらを全て箱に戻してヨズミに振り返る。

 まだ紅葉こうようも始まらない初秋に、真轟屋敷と銀南高校まで乗り込んできた二人組の妖刀使い。

 六目りくめ鬼壱きいち水芽みずめさわらに会う予定があるのか、と。

「エッ、エッ! ついでの用って、あの人らのことだったんスか!? イイナァ! 俺も会いたいッス!」

「さわちゃんもきますか!? とーこもあいたい! あいたい!」

「修学旅行は夜が愉しいんじゃないか。鬼壱クンたちには会おうと思えばいつでも会えるだろう? 此方はただの業務連絡さ。気にせず、旅行を愉しみたまえよ」

「いや、まぁ、それは……確かに! 夜はみんなでSPO(※スマホで遊べるMMORPG)の素材集めしようって話してたんでー…」

と、言い掛けて、弐朗は思わず隣で謎の動きで踊っている幼馴染を見る。


 あれ。そういや、刀子、夜俺らと同じ部屋ってマズくない?


 刀子も素材集めの頭数に入れていた弐朗だったが、よくよく考えなくても男子五人の部屋に女子一人は問題がある。担任が何も言わないため何も考えていなかったが、どうするつもりなのかよくわからない。


 女子の部屋に混ぜてもらう? 教師の部屋に入れてもらう? それとも何事もなかったかのように、俺らの部屋で一緒に寝る? 俺はいいけど残りの四人はどう考えているのか。多分「別にいいけど」「紅葉くれはのさんも一緒にゲームしようぜ」ぐらいの気持ちでいるのでは。


 ヨズミは龍の描かれた紙の入った三角錐のお守りや、ぺらぺらの一枚紙のお守り等を幾つか手に取り、即決で購入している。刀子は未だに「いいなー、いいなー」とヨズミを羨ましがりながら、桜模様の鈴やら「幸」と縫いつけられたお守りやらを手に取っている。


 弐朗はヨズミの腕を引き、振り返るのを待って「行きます!」と力強く申し出た。


「行きます、俺とトーコも! 先輩たちの旅館に! 俺らも当代なんで! 鬼壱さんやさわらに挨拶しときたいんで! なっ、トーコ!」

「はい! とうだいですので! はせさんじます!」

「そうかい? まぁ、来たいなら来てもいいよ。鬼壱クンたちは東山付近なら出てこられるって言ってたから、キミたちのホテルに近い旅館を押さえてるんだ。キミたち、博物館の近くの東山ホテルだろう? 京都駅近くのスターリングなら優待券があったんだが、あんまりキミたちと離れてもね。何かあった時にすぐ使える足もないし。彼等は部活動終えてからくると言っていたし、夜の七時は回るだろうからキミたちも食事を済ませてからゆっくり来たらいい。キミたちがくるまで引き留めておくよ」


 とりあえずヨズミたちの旅館へ押し掛ける承諾を得て、弐朗は「後のことはその時になってから考えよ!」とその場は流し、自分も慌ててお守りを買った。

 鬼壱からの助言に「お守りはなるべく買ったほうがいい」というのがあったのもあるが、最初からお土産は八つ橋とお守りだな、と考えていたのだ。ヨズミと虎之助にも買う予定だったが、二人が京都にきているのに買うのもな、と今は数に入れなかった。


「よし、じゃあ滝は飲んだし、お守りも買ったし。次はどこだトーコ!」

「ぬー。はしってもいい?」

「!? いいけど、なんで! 遠いのか?」

「えっとね。本堂のあとに滝にきてしまったので、ここからおくにある塔までいって、そこからべつのみちで本堂までもどって、おじぞうさまたくさんみて、そして丑の刻参りの神社にいくるーとです! 舌切のお茶屋さんはあきらめます! ちゃだんご、おまっちゃ、ひやしあめ。それでも、塔をいくならはしらねばなのです。塔をあきらめて石段もどっておじぞうさまもありです」

「いや、走ろうぜ!」

「さすがじろくん、そうこなくては!」

「元気でよろしい。私はゆっくり見て回るから、行っておいで」


 どうやらヨズミは走っての観光には付き合ってくれないらしい。

 軽く手を振られ、弐朗と刀子は「そんじゃまた後で、先輩!」「ではいってまいります!」と敬礼を返し、滝を後にする。

 三時十五分には集合写真を撮った石段前に揃っていなければならない。

 しかし回れるところは可能な限り回っておきたい。

 例えそれが、なんだかよくわからない建築物だったとしても。


 弐朗と刀子は走り出した。

 その先に待ち構える塔があまりパッとしないコンパクトなものだったとしても、見た、行った、という事実を胸に刻むために。


 弐朗と刀子が集合場所に到着したのは、三時二十五分、出発ぎりぎりの時間だった。

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