05【清水】四

 まず何処どこ見る? と問うた弐朗に、刀子は言った。


 タイナイメグリをします! と。


 なんとかめぐりは弐朗もやることリストに入れていた項目だ。暗い場所を手探りで歩き回るアトラクションと認識している。


 刀子に導かれるまま移動した先には、お堂のような建物の前で靴を脱ぎ、階段を下りていく観光客の列があった。

 ポシェットからがま口財布を取り出した刀子が、受付の老人にうやうやしく百円玉を二枚手渡すと、老人はポストカードとビニール袋を二セット刀子に手渡してくる。刀子はそれをひとつは自分に、もうひとつを弐朗の手に乗せた。コンビニで貰う袋と変わりないビニール袋は使い回しているのかくしゃくしゃだった。ポストカードには台座に座った像の写真が印刷されているが、弐朗にはそれが何の像なのかはわからず、持ち歩くのも邪魔なためそのままボディバッグにしまった。


 老人は観光客を一定数集め、胎内めぐりについてむにゃむにゃ説明し始める。


「おくつをぬいでこのふくろにいれるんだって。もっていくみたい。したはね、まっくらなので、ひだりてでおじゅずをさわりながら、ゆっくりあるきます! いちばんおくに、ひかってるいしがあるので、それをさわりながらおねがいごとをするのです!」

「これがタイナイメグリ?? え、これ、カイダンじゃん。階段めぐり? だっけ? 階段下りたら真っ暗で、なんか錠前じょうまえ触るやつだよな。小学生の時、遠足行った寺でやったやつ?」

「そうだよー。『おかいだん』は『戒壇かいだんめぐり』で『胎内めぐり』なんだよー。まえにとーこたちがやったおかいだんは、ありがたーい御錠前おじょうまえをさわってかみさまとのご縁をいただくというものです! ここのたいないめぐりはまたひとあじちがうのです! なんといっても、われわれのおねがいをなんでもかなえてくれるすーぱーなほとけさまのたいないをめぐっておねがいごとをきいてもらうというのがすごいのです! ばらばらさんばら、はぁ、ありがたや」


 刀子はポストカードを押しいただきながら頻りに有難がっているが、弐朗は「思ってたのとちょっと違う」と若干の戸惑いを隠せない。

 弐朗が父親から聞いた話では、かなり広い空間を手探りで歩き回り、光る石を見付けて触れば願いが叶う迷路のようなものということだった。

 が、視線の先にある階段の入口は小さく、入口と出口は並んでいる。少なくともー…迷路要素はなさそうだ。


 るんたるんたと左右に揺れながら下りていく刀子に続いて階段を進めば、すぐに手元も見えないほど真っ暗になる。


 暗闇の中、前を歩く刀子の気配を感じながら、弐朗は先程のヨズミの話について考えていた。


 正体不明の襲撃者。何かあった際、自分一人だけで刀子を守れるのか。

 刀子は神出鬼没で気配も掴みづらい。襲撃者に遭遇したところで、刀子一人なら何処だろうと紛れ込めるし身を隠すのも得意だ。ということは、隠密が下手で見付かりやすい自分が足を引っ張ることに?

 いやいや、自分は足速いし持久力にも自信がある。自分が囮になることで刀子が逃げられる確率もより上がるというものであって。

 だから決して足手まといなんてことはないんですよ!


 そんなことを考えていれば、何も見えなかった暗闇にぼんやり光る何かが見えてくる。


 触りながら願い事をする石だろう。石に触れ、時計回りに回している観光客の右手だけが見えている。

 すぐ前を歩いている刀子の背中が見える頃には、刀子も石に触れ、やたらリズミカルに撫で回しながら願掛けをしている。

 弐朗は考え事をしていた所為で特に願いを決めておらず、石に触ったはいいものの、何を願えばいいのかすぐには思い浮かばなかった。

 誰かが身動き、石を照らす光源が遮られる度、周囲は断続的に暗闇に飲まれる。

 そうだ、背が伸びますように、だ! せめてあと二十センチは欲しい!

 そう思いついて石を回そうとした時には、後ろを歩いていた二人組の女子高生が石を回す音が聞こえ、手元の見えない弐朗は数センチも石を回せなかった。


 後ろを歩く女子高生は、階段を下りる前からひそひそ声でしゃべり続けている。

 刀子が数段先を行き、弐朗も続いて階段を上がり切った時、後ろで続いていた小声の会話がにわかかに大きなものになった。


「ねえ、あんた、指、血出てない……? 出てるって。ほら、右手。え、なんで。どっかで切った?」

「え。なんかぬるぬるするとは思ったけど、ウソ、なんで。あ、痛くなってきた。なにこれ、なにこれ。ティッシュ持ってる? 絆創膏ばんそうこうある?」

「とりあえず外出て、外。え、えっと、あー、ティッシュはあるけど、絆創膏はないかも。係のおじいさんに聞こ」

「あっ、やだ、最悪! ウソッ。制服に血ついちゃってる! どうしようッ……」

「いやいや、ちょ、それよりすっごい切れてない、指!? ヤバいって、ヤバッ」

「なんでぇ……? 石触った時かなあ……?」


 弐朗は袋から取り出したブーツを履きながら振り返り、階段を上ってきた女子高生の手元を見る。

 紺のブレザーは知らない制服だ。他校の修学旅行生だろう。

 明るい茶髪の女子高生が左手で血塗れの右手を押さえ、その指の隙間から血が滴り落ちている。

 どうやら右手中指、その外側、第一関節と第二関節の間が切れているらしい。


 弐朗がボディバッグを漁って絆創膏を取り出そうとしていれば、女子高生たちがティッシュの上から更にティッシュで傷口を巻こうとしているのが見え、弐朗は思わず「ちょっとマッタ!」と勢いよく声を掛けてしまった。

 どうせ止血をするなら血を洗い流してから、ハンカチ等で押さえたほうが良い。ティッシュでは傷口に繊維が残る。

 隣で靴を履こうとしていたミント色靴下の男子生徒の前を会釈ひとつで横切り、弐朗は突然の制止に戸惑っている女子高生二人に声を掛ける。


「止血する前に傷口洗ったほうがいッスよ。どっかトイレとか水場ー…まで行かなくても、水持ってないスか。あと、きれいなハンカチ。汚れてもいいやつ」

「ハンカチ、えっと、ハンカチ……あります。ゴメン、私のトートに入ってるやつ出して。今私触れないから」

「あ、うん。あ、私ペットボトルの水なら持ってます! 飲料水なんですけど」

「味つきとか色付きじゃないなら大丈夫。水掛けるから血流して傷口洗って、あ、こっちの地面のが床濡れないか。靴履いてこっちきて」


 弐朗が先に地面に下りて呼べば、女子高生は板間に血がこぼれるのを気にしながら、もたもたと靴に足を入れて近くに寄ってくる。


 弐朗たちの後ろでは、後続の観光客や修学旅行生がざわつき始めていた。


「なんかあったんですか。怪我?」

「っぽいです。指、切ったらしいです」

「胎内めぐりしてる時に?」

「俺が出た時には騒ぎになってたから、多分そうなんじゃないですか」


 男子高生が後続の女性観光客に聞かれるまま答え、人の良さそうな老夫婦が心配そうに女子高生を見詰めている。やたら薄着の外国人観光客はスマホで動画を撮っていた。

 そんな中、刀子はティッシュで板間に落ちた血を拭き、怪我をしていないほうの女子高生が受付係の老人に状況を説明をしている。


 弐朗は女子高生の手に少しずつ水を掛けてやりながら傷口を確認した。

 かなり深く切れている。引っ掻けて切った傷というよりは、鋭利な刃物や紙で切ったような、真っ直ぐな切り口だ。

 血が流せたところでハンカチで傷口を押さえ、女子高生に左手で強く握るよう指示をする。

「傷口強く押さえて、あ、手は上げといたほうがいいッス。心臓より高い位置。はい、これ絆創膏。暫くはそのまま圧迫したほうがいいんで、貼るなら出血治まってからで。中指の背とかー…どっかにぶつけたんスか?」

 女子高生は傷口よりも血がついてしまったスカートが気になるらしく、視線はスカートの血痕に向いている。弐朗の質問には小さく首を振るだけで、怪我をした状況について思い当たることはないらしい。

「指先だし暫くしたら血止まるとは思うッスけど、修学旅行で来てるなら、先生のとこ行って診てもらったほうがイッスヨ」

 言いながら弐朗がペットボトルを返せば、女子高生は何故か恥ずかしそうにそれを受け取り、深く頭を下げて「ありがとうございました」と礼を言った。遅れて側にきた片割れも、同じよう頭を下げて礼を言ってくる。

 弐朗は若干の気恥ずかしさに「いえいえいえいえ」と手と首を振りながら、板間に座って見下ろしている刀子の元へ戻り、「とりあえず大丈夫っぽい」と伝えた。


 些細なことではあるが、自分でも誰かの役に立てるのだと思うとじんわりとした満足感がある。


「じろくん、じろくん。とーこはさくてきをしました」


 そんな弐朗の耳元に顔を寄せ、刀子はこそりと意外な報告をしてくる。


 弐朗は「なんで?」とキョトンとした後、ハッとして刀子を見た。


 ただの怪我ではない可能性もあるのか。

 まさか襲撃者が?


 弐朗も慌てて索敵をするが、見えている範囲に使い手の気配はない。

 姿が目視できる人物は、受付の老人も、怪我をした女子高生も、弐朗の前後に居た観光客も、全て一般人の気配だ。


「しましたが、けはいはぜろです。隠密つかってるかんじもないです。応急処置おつかれさまですせんせい。あのこのおけが、ふつうだった? すりきず? きりきず? きりぎりす? それとも! かみきず! 敬虔な参拝者に牙を剥くきらーぱわーすとーんてきな、しんじつのおくちてきな?」

「普通の切り傷。右手中指の背をスッパリ。願い事の石が噛み付くとかならもっと他にも被害出てるだろォ。俺も索敵したけど、使い手ぽいのは居ないっぽい」


 今索敵したとは言わず「当然やってましたけど」の顔で弐朗は返し、覗き込んでくる刀子の丸い目から視線を逸らす。


 特に気になる気配もなく、人食い石の真偽を確認する気はない弐朗と刀子であれば、この場に留まってやるべきこともない。


 少し悩みはしたものの、弐朗は中途半端に履き掛けていたブーツの紐をしっかり縛り直すと、じゃあ次行くか、と、気を取り直して本堂に向け歩き始めた。

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