03【清水】二

 「降りる時に座席に何も残すなよ。バスは皆を降ろしたら今夜泊まる旅館に移動して、デカい荷物降ろしてくれるからな。運転手さんありがとうございます! ゴミあったらこれ、先生のゴミ袋に入れて。降りたらいったん集まって整列。人数確認したら移動して、クラス別に集合写真撮ります。後は三時十五分まで自由行動。三時半には全員で八坂やさかの神社に向かって移動。三時十五分に集合する場所は清水の入口、この後集合写真撮るところな。バス降りて、坂道上がった先にある拓けたところだから。そこに一人、先生残るから、気分悪くなったりなんかトラブルあったら戻ってこい。土産物屋いっぱいあるけど初日だからな? 買ってもいいけど買い過ぎるなよ? じゃあ、前の席から順番に降りまーす。降りてもすぐどっか行ったりするなよ、集合、整列な。話聞いてない奴は俺みたいに迷うぞ。聞いてなくても誰かについて行けばいいやとか後で聞けばいいやって人任せにするとああなるんだからな。すいません反省してます。ゴミは前に、前に持ってきなさい」


 担任が繰り返し同じ内容を説明するのを聞きながら、弐朗は必要最低限のものを入れたボディバッグを背負い、刀子ががま口ポシェットを整えるのを待って一緒にバスを降りた。


 駐車場のアスファルトを踏んだ瞬間、じわりとにじむ重い空気。

 風に乗って香る白檀びゃくだん抹香まっこうとは別に、足元から微かに漂ってくる古い土とかびの匂い。

 京都駅では感じなかったこの濃密な気配は、土地柄なのか、それとも何か別の理由があるのか。

 思わず片手で鼻を覆った弐朗の隣で、刀子は両腕を伸ばし大きく深呼吸をしている。

 そんな刀子と並んで担任に先導されるまま駐車場を出、少し歩けば、弐朗の眼前に絵に描いたような京都の観光地が現れた。


 アスファルトから石畳に切り替わる区切りには、弐朗が目を付けていた七味唐辛子の店。ショウウィンドウに所狭しと未加工の赤唐辛子が並んでいる。

 そして細い上り坂を挟んでずらりと並ぶ土産物屋。

 生八つ橋、おたべ、あられ、豆菓子等の銘菓に、抹茶を使った地域限定の駄菓子類。白菜、大根、壬生菜みぶな牛蒡ごぼうの漬物、変わり種では玉ねぎや南瓜までもが漬物になっている。如何いかにも古都らしい色とりどりの茶碗、塗箸、数珠、扇子、根付ねつけ、かんざし、お香、和傘。大中小取り揃えられた招き猫に木刀、提灯、キーホルダーや筆書き漢字Tシャツ。京料理、鰻、湯豆腐の食事処、一様に茶色い自動販売機。


 観光客は蜜を集める蜂のように店から店へと忙しなく飛び回り、目まぐるしく人が出入りする。団体行動中でなければ弐朗も入ってみたい店が幾つもあった。


 見飽きる間もなく賑やかな坂を上りきってしまえば、少し拓けた場所の先、石段を見下ろすように朱色の門が悠然と構えている。


 刀子を先導していたつもりがいつの間にか立場は逆転し、弐朗は刀子に肩を押されて石段前に整列し、微妙に落ち着きのない表情でクラスの集合写真におさまった。

 これが卒業アルバムに載るのだと気付いた時には撮影は終わっており、弐朗はうっかり帽子をとり忘れたまま写ってしまった。どうして誰も指摘してくれなかったのかと恨んだが、一年生の頃ー…なんなら中学生の頃から弐朗の集合写真はこんな調子であれば、すぐに諦めもつく。

 生徒が写真を撮っている間に手の空いている教師が団体割引で拝観料はいかんりょうを払ったらしく、弐朗の手元にも舞台と朱色の塔が描かれた入場チケットが回ってくる。


「どこから行く? 今十二時半で、三時十五分にここ集合ならー…舞台行ってから店見る?」

「何か食いたくね? 京都っぽいもの」

「新幹線で弁当食ったじゃん! まあ、俺はどっからでも。つーか何見ればいいのかわかってない。ついてく。紅葉くれはのさんは? どっから行きたい?」

「とーこはえんむすびの神社にいきたいです!」

「どこそれ」

「なんかあったな。敷地内にあるんだよな、確か」

「えんむすびの神社にはうしこくまいりでつかった木があるのです! 五寸釘ごすんくぎをこーんこーんと! あと、いしからいしのあいだをめをつむってあるくちゃれんじがあるのでそれをしたいです!」

「ウシノコク……って何。おい、ジロ。ぼーっとしてんなよ。お前知ってる? ウシノコクなんとか。紅葉さんがそれ見たいんだってさ」


 声を掛けられてはっとした時には、同じグループのクラスメイト五人と刀子が境内けいだい案内の前に立って行き先を相談をしていた。

 弐朗も慌てて会話に入ろうとして、ふと気付く。

 弐朗たちの班は全員で六人。弐朗と刀子を除けば、あとは男子が四人。

 しかし境内案内を見ている面子の中に、女生徒の後姿がふたつある。

 片方は背中を覆う長い黒髪ですぐに刀子とわかる。が、もう一方、灰色のカーディガンに青いタイツ、手荷物は何も持っていない後姿に、あれ、どこのグループの女子だっけとぼんやり考えながら横に立った瞬間、弐朗は小動物のように跳ね上がった。


 決して此処に居る筈のない三年生、真轟まごうヨズミが、胸の前で腕を組んで頷きながら境内案内を眺めている。


 弐朗は「そっくりさんか?」「何かに化かされてるのか?」と疑い半分で横から顔を覗き込む。しかしどう見てもヨズミに見える、ヨズミにしか見えない横顔に思考が停止する。

 ヨズミ本人がここに居る可能性と、ヨズミそっくりの何かがここに居る可能性、どちらがあり得るのか。

 クラスメイトたちもグループに混ざる見慣れない存在に遅れて気付き、「え」「あれっ」とそれぞれ顔を見合わせている。


 魚卵のような目で見詰め続ける弐朗には目も向けず、ヨズミそっくりのそれは言う。


「なんて顔してるんだい。本人だよ、本人。真轟ヨズミ。どうしてここにと聞きたい気持ちはわかるが、このまま長話を始めてキミの班員の観光時間を削いでしまうのはあまりに申し訳ない。というわけで、キミたち。すまないが暫く弐朗クンと刀子クンを貸してもらえるかな」


 どうやらまごうことなき真轟ヨズミその人であるらしい。


 ヨズミはポケットから取り出した一万円をクラスメイトのワイシャツの胸ポケットに差し込み、ポンと胸を叩いて「これで美味しいものでも食べたまえ」と微笑んで見せる。

 するとクラスメイトも現金なもので、「どうぞどうぞ」「なんか三年っぽい人居るなと思ってたんですよね」「ごちになります!」「また後でな、ジロ!」と、弐朗と刀子を置いてさっさと境内に逃げて行ってしまうのだ。


 弐朗が口を開いたのは、クラスメイトの後姿が完全に見えなくなってからのことだった。


「なんで居るんスか先輩!? ここ京都ッスよ! あれ!? 三年と合同でしたっけ修学旅行!?」

「あっはっはっは!」

「アッハッハじゃないッスよ! なんっ、なんで、ええっ? トーコお前知ってたの!?」

「いいえ! でもお写真のときに、とおくでたってるよずみせんぱいをはっけんしてました! いろんなせいふくいっぱい、よずみせんぱいをさがせ・いん・きょーと。せんぱいが「しー」ってしてたので、とーこはさぷらいずのけはいをさっちしておくちちゃっくでした」

「弐朗クンを撮影に集中させてあげたくてね。でもキミ、撮影の時から妙な顔してたから、てっきり見付かっているものとばかり。できればキミたちには何の憂いもなく秋の京都を満喫してほしかったんだが、事情が変わった。ここじゃ他の観光客の邪魔になるから場所を移して説明しよう。おいで」

「事情って、説明って。なんスか。なんスか」


 弐朗は全く事態が読めず、颯爽さっそうと歩くヨズミの後ろを慌てて追いかけることしかできない。刀子はよくわからない歌を歌いながら跳ねるようにそんな二人についていく。


 石段を上り、大きな赤い門をくぐり、また石段を上る。

 ヨズミは人の流れから離れるように、何層か重なった塔の横を抜け、黒い鉄柵で囲われくぐることのできない門の横へと足を進める。


 京都の街並みを見下ろせる場所へ移動したなら、ヨズミは「このあたりでいいか。やあ、通りが真っ直ぐ見えるな」と笑いながら弐朗と刀子に振り返り、話し始めた。

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