34【散会】

 「あんまり遅くなってもあれなんでー…そろそろ、おいとまします」


 最後までのんびり箸を進めていた刀子が食べ終え、一息つくのを待っていたのだろう。鬼壱は傍らの竹刀袋とヘッドホンを引き寄せ立ち上がる素振りを見せる。

 それに合わせてさわらも正座のまま深く頭を下げ、無言のまま破れたうぐいす色の竹刀袋を手に立ち上がる。


「そんなに急がなくてもと言いたいところだが、キミたちも早く帰って休みたいだろう。特急と新幹線使っても京都まで四時間弱はかかるみたいだしね。特急で名古屋まで出て、そこから新幹線が一番早そうだ。最寄りの駅は鈍行しか出てないから、特急に乗るならここから一時間掛かる大きな駅まで車で行くのがいい。車を回させる。あと、荷物にならない程度にしたから、是非お土産も持って帰ってくれ」

「送って頂けるのは助かります。でもお土産って。そんな気を使って頂かなくて大丈夫なんで……」

「大したものじゃないから。紙袋三つ程度なら大丈夫だろう?」

「おっ、……多いですねえ……。え、もう用意しちゃってるんですか」

「うん。鬼壱クンの分と、さわらクンの分。それぞれ三つずつ」

「わぁ。まさかの一人三袋」

「大丈夫、軽いものばかりだから。お菓子とお茶、後は名物を幾つか。賞味期限も余裕のあるものしか入れてないし。あ、食べ物じゃないほうがよかったかな? ビール券とかお米券とかオンラインゲームのコードとかホテルの優待券とかタオルとかガウンとかあるよ。少し重たいが、水晶の灰皿とかどうだい。うちの会社の名前入りだ。詰め直そうか」

「や、食べ物で、食べ物がいいです。食べ物。ありがとうございます……」

「そうかい? じゃあ車に積んでおくから。降りる時に忘れないようにね」


 弐朗は押し負ける鬼壱の様子を眺めつつ、全員の弁当箱を集めてゴミの分別をしていた。箱を重ね終えれば、虎之助が「通用口のとこでいいですよね」と言いつつまとめてさっさと運んで行く。

 スマホを確認したヨズミが「車の用意ができたよ」と声を掛け、鬼壱とさわらを伴って玄関へと移動する。弐朗と刀子、遅れてきた虎之助もそれに続いて玄関を出た。


 庭に転がしていた狂いの屍骸は既になく、玉砂利には血の一滴もついていない。

 低い生垣の向こう、黒服の居住棟前に、先ほどはなかった白いバンが一台停まっているのが見えた。ヨズミが連絡した業者の車だ。如何にも社用車といった無難な見た目をしているが、乗っているのは頭のおかしい業者と狂いの屍骸なのだ。車体にポップな書体で社名を書かれても弐朗は違和感しか感じない。

 庭を抜けた先には、それとは対照的な黒塗りの車が停車しており、見慣れた黒服が後部座席のドアを開けてぼんやり立っている。


「おや。カメさんか。父についてなくていいのかい」

「社長には新木にいきがついてるんでェ……。お嬢のメッセージ見て、キヨ……社長が俺に行かせろって配車係に指示出したんですよォ。本来なら以助さねすけの仕事だろっつぅ。まぁ、夕方まで時間空いてるんで別にいいんですけどォ~…暇っちゃあ暇なんで。んで、あー…そちらが、例の」

「うん。十九の使い手の、六目鬼壱クンと水芽さわらクンだ。駅前のコインロッカーに荷物を預けてるようだから、それを回収してから大きい駅まで運んでもらえるかな。今なら十五時発の特急がロスがなくていいだろう」

「今が二時前なんでー…飛ばせばもう一本早いのも間に合いますけどォ」

「センチュリーが爆走してるとね、目立つんだ、カメさん。法定速度内で頼むよ」

「承知シマシタァ」


 マゴウコーポレーションの社長付き運転手である「カメさん」はいつでもこんな調子で非常に緩い。四十は越えている筈だが大人げからは無縁の人物であり、「運転手って運転してない時は何してるんスか」と問うた弐朗に、「色々」と言いながらパチンコのハンドルを回す仕草をして見せるような男だ。


 カメさんはさわらと鬼壱が後部座席に乗ったのを確認すると、運転席に戻ってシートベルトを締め、カーナビの設定を始める。

 鬼壱は重厚感のある車内にやはり遠い目をしている。社長とか言っていたが寧ろ組長、あちら関係の人たちが乗る車なのでは、という疑念が晴れないらしい。

 カメさんが全てのことに対して無頓着であるが故に、最後の挨拶に後部座席の窓が下げられるといったこともなく、黒塗りは無愛想にぬるりと走り出す。

 後部座席で鬼壱とさわらが戸惑い気味にヨズミに向け軽く頭を下げたが、それだけだった。


 刀子は「またねー」と声を掛けながらいつまでも大きく上げた両手を振っていたが、車が見えなくなれば手を下ろし、「いっちゃった」と残念そうに呟いた。


「カメさん、窓ぐらい下ろせよ……」

「実にカメさんらしい。あの無関心さを買われて父の運転手をしているようなものだからね、彼は。さて、見送りも済んだし中に戻ろうか。ところでキミたち、学校は何て言って抜けてきてるんだい?」

「とーこは「じろくんむかえにいってきます!」です!」

「……あ、俺、トイレ行きます、で抜けたまんまッスわ。やべ。え、トラは?」

「親父が倒れたって言ってあります」

「またかい。口実とはいえ、さすがに龍三郎さん倒れすぎじゃないかい? まぁ、キミたちの担任は心得てるから大丈夫だとは思うけどね。念のため私からも学校に連絡を入れておこう。弐朗クンは腹痛で早退、刀子クンはその付き添い。トラクンはー…そのまま早退で問題ないか。龍三郎さんに連絡は入れたのかな」

「必要ないです。掛けてもどうせ「そうか」で終わりですよ」

「全く、キミたち親子は! 仕方ない、私からメールをしておこう」

 他にも争った痕跡は残してないか、目撃者は居なかったか等確認し、てきぱきと事後処理の算段をつけながら颯爽さっそうと歩くヨズミに、弐朗は「あの」と声を掛ける。


 単なる狂い狩りだと思った仕事が、「十九」という思わぬ出会いを運んできた。

 これがヨズミの言っていた「新しいこと」の始まりなのかと、弐朗は期待を隠せない。

 

「これから俺らも「十九」探し、やるんスか! とりあえず東方面、東京とか行っちゃったりするんスか!」


 弐朗の父親たち先代も、若い頃から全国津々浦々、あちこち出向いて色んな騒動を解決してきたという。その武勇伝の大半が、解決する側ではなく問題を起こす側だったというのは最近になって知ったが、それでも、弐朗はこれが当代として初めての大きな仕事になるのだと思えば、どうしても前のめりになってしまうのだ。


 しかしヨズミからの答えは至って平坦、弐朗の勇み足を掬うかのように軽やかに返される。


「いいや? それは鬼壱クンたちの仕事さ。私たちは今まで通り。狂い狩りをしつつ、来年はいよいよ祭りの引継ぎがあるから、その準備だね」

「えっ! でもなんか鬼壱さんたち困ってるっぽかったし、呪いがどうとかこうとか。全然集まってないってー…」

「勿論、情報提供はするが、それ以上はお節介というものだ。向こうから請われればその限りではないがね。がっかりさせたかな?」

「がー…、がっかりは、してないッスけど! 俺はてっきり、鬼壱さんたちの十九探し、手伝うんだとばかり!」

「とーこもおてつだいするきもちでいました!」

「余計なことに首突っ込んでる暇があったら、やるべきことやっといたほうがいいんじゃ……。二人とも進級大丈夫なんですか。オープンキャンパス行ったり修学旅行に浮かれたりしてますけどー…来年は同学年とかやめてくださいよ」

「とらくんとじろくんとクラスメイトだ! わるくないですね、わるくないです」

「やったなトラ! 修学旅行一緒に行けるな! 来年はどこだろな。沖縄とか北海道とか? 一緒に羊の居る展望台行こうぜ! そんでジンギスカン食って白っぽい恋人買って帰ろうぜ!」

「止めてください」

「じゃあ、午後からはうちで勉強会でもするか。早退した以上、部活動だけやりに学校に行くわけにもいかないしね。学校では教わらない踏み込んだ民俗の勉強をしよう! 講師はみんな大好き鮫島さんだ!」

「やった!! 鮫島さん教え方丁寧だから好きッス!」

「やったーーー! さめじまさんおおきいからすきです!」


 弐朗の思考は目先の愉しいことに上書きされ、虎之助に言われた進級のことも、ヨズミが流した十九探しも、すぐに頭の端に追い遣られてしまう。



 今朝方感じた空気のひりつきは既になく、今はただ、低気圧がもたらす分厚い雲が疎らに空に散っている。

 深い緑は少しずつ枯れ色に移り始め、その内空はくすんだ青へと色を変えていく。

 つい最近まで騒がしく鳴いていた蝉に代わり、鈴虫が鳴き始めていた。 


 東京からきた、妖刀の気配を漂わせる半狂い。

 十九と呼ばれる妖刀を持つ血刀使い、鬼壱とさわら。


 来年には正式に当代としてお披露目を行い、祭り保存会中部支部の一員として活動していくことになる自分たち。



 ここがひとつの起点だったと弐朗が知るのは、まだ先のことである。



 【序章】完

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