23【襲撃】二

 今朝はやけに空気がひりついている。


 ヨズミはスニーカーに足を通し、とん、と軽く爪先で地面を突く。

 玄関を出てすぐ、引き戸の横には、礼儀作法に厳しい叔祖母おおおばが定期的に入れ替えている季節の鉢植えがある。

 菊の全国大会が近付くと、大会に出す選定から外れた三本立てやら盆栽やらが、清嵩きよたかの元へ回ってくるのだ。まるりと整った大菊が頭を三つ並べている様は妙な迫力がある。

 それを横目に玉砂利と飛び石の敷かれた純和風の前庭まえにわを歩きつつ、ヨズミは毎日の習慣で軽く周囲に視線を配る。


 特に変わったところはない。


 と、断じ掛けたところで、ヨズミは庭の真ん中で立ち止まった。

 視線は正面に向いたまま、何処を見るでもない。

 ヨズミが視ているのは視界に映る整った庭ではなく、索敵の目で視る、使い手の気配だ。


 角度にして右斜め前、四十度。距離百メートル弱。

 黒服達が住む二階建ての居住棟の近くに、使い手の気配がひとつ。


 だだ漏れにポジティブな明るい気配で、それが繁華街で客引きの仕事をしている黒服であることがわかる。その黒服が、どういうわけだか、自分の部屋にも入らず、居住棟横の生垣の近くに留まっているのだ。

 酔い潰れて寝ているのか。それとも吐いているのか。

 常日頃から当たり前のように吐いていたり昏倒していたり行き倒れていたりする人物であれば、特に違和感はない。

 顔を横向けて肉眼で居住棟を確認するも、前庭からは黒服の姿は見えない。

 ヨズミはリュックからスマホを取り出し、時間を確認する。授業開始時間までまだ余裕がある。

 いつものこととは言え、確認しておくに越したことはないー…特に何もなかろうが、気付いたのなら朝の挨拶ぐらいはしていくものだ、と、ヨズミはスマホをリュックに戻しつつ、飛び石から外れ居住棟に向け歩き始める。


 本邸と居住棟を仕切る背の低い生垣を回り込み、顔を覗かせる。


 と同時に、ヨズミは殆ど無意識に、右手で作った拳を鎖骨付近に叩き付け「断刀だんとう断首だんしゅ」を抜いていた。


 かっ、と鋭い音が響き、抜き掛けの断首に鋭い衝撃が走る。


 ヨズミの口から、ふはッ、と笑うような声が漏れた。


 ヨズミはそこで改めて、嗚呼、攻撃されたのだ、首目掛けての横薙ぎ、黒い鞘のー…日本刀か、と自分が咄嗟とっさに防いだものの正体を知るのだが、その黒鞘を振り抜いた少年には全く見覚えが無い。


 不意打ちを防がれた少年は殆どない眉の根元を寄せ、低く屈んでいた状態から飛び退すさって背後に下がる。


 ヨズミは断首を抜き切って右手にだらりとさげ、状況を確認する。


 生垣に上半身を埋めるようにして転がっている黒服が一名。水商売の客引きや、嬢の送迎、代行運転等の雑務を務める青年で間違いない。時々高校に重箱弁当を届けにきたりもする。可哀想に、夜勤を終えて帰ってきたところを襲撃されたのだろう。血筋としては間違いなく使い手なのだが、どうしようもなく弱い。故に、少年に瞬殺されたであろうことは想像に易い。

 自分を攻撃してきたのは見慣れないブレザー姿の少年。右手に黒鞘の日本刀だけを持っているが、抜刀はしていない。心眼をらして視ても、気配は視えない。


 隠密状態で敷地に無断侵入、黒服と自分を襲撃。

 右手に持った黒鞘の太刀。


 聞きたいことは幾つもある。


 が、聞いたところでまともに答えはしないだろう。どうせ聞くなら、無力化した後でじっくり聞き出したほうが余程確実だ。


 なにより、随分良い不意打ちを頂いてしまったことと、朝っぱらから抜刀したことで、ヨズミはすっかり気分が良くなってしまっていた。

 

 少年が飛び退った先で体勢を立て直す前に、ヨズミはリュックを放り出し、大きく一歩踏み込んで右手に持った断首を振り抜く。

 首を刎ねてしまっては聞きたいことも聞けなくなってしまうが、どうせ避けるか防御するに違いない、否、してくれなければ面白くない、是非頑張ってくれたまえと勝手に期待を掛けた上での首狙いだ。

 今度は少年が黒鞘を縦に構え、ヨズミの重い一閃を受けて「げっ」と嫌そうな声をこぼした。

 細く簡素な黒鞘が大振りな断首を受け、流すようにゆるりと勢いを逸らす。

 続けて振り込んでも同じように鞘で受け流され、ヨズミの断首が断つのは空気ばかり。

 押し合いに持ち込んで至近で観察したいヨズミの思惑を知ってか知らずか、少年はのらりくらりと受けては流しを繰り返すばかりで、自分からは攻撃してこない。

 打ち合う気がないように見えるその様子に、ヨズミは少年が何かを待っている、或いは仕掛けているのだろうと気付きはするのだが、だからといって距離をとって様子を見るつもりは一切ない。


 半狂いの青年が迷い込んできたその日から、心眼の索敵範囲内に常に在り続けた猛々しい気配。

 それが今、ここ数日で最も自分たちに近付き、銀南高校の近くに留まっている。

 その一方で、目の前の少年の気配は今に至るまで一度たりとも掴めていない。

 つまり、あちらが陽動。


 此方が本命。真打。


 自宅を襲撃される心当たりは幾つもある。

 自分自身の因縁もあれば、自分が背負う「真轟」の因縁もある。厄介ごとの九割は先代や身内が作った負債だが、その後始末をつけるのも自分たち当代の役目であれば、文句は言っていられない。

 そんな事情から、身に覚えのない襲撃の可能性も捨てきれないヨズミだったが、タイミングから見て今回はあの半狂いの青年が狙いだろうと踏んだなら、やるべきことは自ずと決まってくる。


 最優先はこの少年の確保。


 半狂いの青年はくれてやってもいい。所詮しょせん何処の誰ともつかぬ流れ者、始末の仕方に特にこだわりがあるわけでもない。煮るなり焼くなり好きにすればいい。

 そんなことより、この少年。

 こっちを捕まえて話を聞くほうが断然手っ取り早いし面白そうだ。

 数日待って漸くのアタリだ。小物だろうが大物だろうか構わない、五月蝿い親族が出張ってくる前に釣り上げてしまいたい。

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