22【襲撃】一

 「お嬢、ちょっといいですか」


 ヨズミが一人、正座する広間。

 大きな一枚木で作られた机に並ぶ、手の込んだ、それでいてシンプルな和食。


 朝食を運んできた黒服に声を掛けられ、ヨズミは味噌汁が入った椀を手にしたまま「なにかな」と視線を上げた。


 ヨズミと両親の三人が住む家屋は真轟まごう本邸ほんていと呼ばれている。

 ヨズミが生まれてすぐ、父親が敷地内に新築したものだ。

 真轟の敷地は無駄に広い。ヨズミの祖父母や父親の伯父伯母、兄弟等の係累は母屋おもやに住み、祖父の代から仕える使用人や、父親の代になってから新たに雇った黒服たちは、アパートのような居住棟に住む。

 そして敷地内で、ご近所付き合いにも似た付かず離れずの親戚付き合いを続けている。


 真轟の敷地には、日本庭園であったり漆喰しっくい塗りの蔵であったり迎賓館げいひんかんであったり高級車の入った車庫であったりマイクロバスも複数台停められる駐車場があったりと、成金豪邸と嘲笑あざわらわれても仕方のないような建物が幾つも建っている。

 バリアフリーと言いながら迎賓館にエレベーターを付け、いっぱい貰ったからと言いながら数百万の錦鯉を泳がせるための池を作る。そんな父親、清嵩きよたかの背中を見て育ったヨズミは、金箔の乗った羊羹ようかんを好んで食べる程度には成金脳に仕上がっている。


 ヨズミが食べる朝食は、母屋の調理場で料理人が作ったものを、使用人が毎朝時間きっちりに本邸の広間まで運んでくる。

 タイミングが合えば母親も一緒に朝食をとるが、母親は仕事の関係で遠出をしていることが多く、滅多に一緒にならない。

 そして父親は仕事に遊びにと日々多忙なため、これもまた滅多に家に居ない。


 そんなわけで、ヨズミは一人で摂る朝食に慣れ切っているのである。


 この日、ヨズミに朝食を運んだのは、本来ならそういった雑用は管轄外の黒服だった。

 父親の大叔父おおおじだかにあたる、よわい八十にもなろうかという老人が飼っている犬の世話のためだけに雇われた体格の良い男だ。屋内だろうと常にサングラスを掛けている。


「お嬢が先日連れてきたそこない、いるじゃないですか」


 黒服はその大柄な身体には似合わない殊勝な態度で、ヨズミの顔色を窺うように声を掛けてくる。


「いるね。蔵の座敷牢に入れてるよ」

「始末はー…されないんですか?」

「様子見中さ。どうかしたかい?」

「いや、イヌが気にして吠えるんで。どうしたもんかなと」

「嗚呼、それはすまないことをした」

「昨夜は、その。何かされてました?」

「弐朗クンの「分離」を試していたよ。トラクン、刀子クンと一緒にね」

「はぁ、道理で……当代お揃いでしたか。分離はできたんですか」


 ヨズミが顔を傾けて「座りたまえよ」とうながせば、黒服は手に盆を持ったまま畳に膝をつき、小さく頭を下げる。


「剥がせなかった。東からのお客がどんな手土産を持ってきてくれたのか、見るのを愉しみにしてたんだけどね。弐朗クンはお客が本当に使い手なのか懐疑的だった。そういえばー…鮫島さめじまさんは東京の出身だったかな。東京には多いのかな? ああいう、剥がしにくい使い手は」


 鮫島、と呼ばれた黒服は、サングラスの下で目を細めて「大学が東京なだけで」と断りを入れ、出身は山陰地方です、とかしこまった調子で答える。

 

「大学出てから暫く山に籠もってたんで、今の事情はよくわからないんですが……。俺が東京に居た頃からよくわからない手合いはあちこち居ましたよ。十年ぐらい前の話です。自分の周りには憑物筋つきものすじが多かったですが、筋の分からない使い手も多かったかと。そもそも、剥がす剥がさないって話、俺はここにくるまでは殆ど聞いたことなかったです。そういう流れにならないじゃないですか、普通。剥がしたり無力化できる人等が居るってのは、まぁ、……人伝に聞いてはいましたが、それも噂話程度で。……剥がしづらいって、今回の奴、狂いじゃないんですか」


 ヨズミは浅漬けの白菜を噛みつつ、自身の昔話に居心地悪そうにしている黒服の背後を透かすように見詰める。


 ヨズミの索敵は父親譲りの技能「心眼しんがん」による広範囲高精密索敵であり、一般的な索敵とは別物の技能だ。

 本来の「心眼」は、相対した者の嘘偽りを見抜く技能であり、索敵の広範囲化は修練による副次的な効果と言える。

 また、嘘を見抜くといっても、万能ではない。相手の反応、特に目を見ることでことの真偽を見極めるため、相手に対策されてしまえば実力行使已む無しなところがある。実力行使の内容を具体的に言えば、顔を押さえ付けて瞼を押し開き、無理矢理瞳孔を見る、瞼を剥がす、顔面の筋を切って瞼を閉じられないようにする等だ。

 ヨズミの父親はあちこちに種をばら撒いたが、その種の中、唯一、心眼の素質を持って生まれたのがヨズミだった。

 ヨズミが腹違いの兄姉を差し置いて総領娘として育てられたのは、この心眼の有無によるところが大きい。

 ヨズミには血を持つ全ての生き物の気配が色付いて見える。

 使い手の気配は個性豊かに彩られ、それなりに距離があっても気配だけでそれとわかる。

 一方、一般人は彩度の低い似たような色をしているが、気を付けて注視すれば特定できる程度には、識別・判別が可能だ。

 

 少し離れた地下部分には、今も、不明瞭な明滅を繰り返す青年の気配が視えている。


「まだぎりぎり狂ってはいないよ。成る、成らないの線引きは曖昧だがね。しかしイヌさんの気に障るなら、何か手を打っておこう。いの爺様にネチネチ言われるのは御免被りたい」


 ヨズミから「手を打っておく」という回答があれば、黒服はホッとしたように肩の力を抜き、頭を下げて礼を告げる。


 ヨズミが最後の一粒まできれいに完食し手を合わせるのを待ち、黒服は「後は片付けておきますんで」と申し出る。それに短い礼を返して立ち上がったヨズミは、「それじゃあいってきます」と黒服に声を掛けて玄関に向かった。

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