20【会敵】四

 女生徒が虎之助の肩を蹴って掴まれたままの右手の拘束を解き、虎之助の脇腹から刃を抜く。途端に血が溢れ、虎之助のシャツはみるみる赤く染まっていく。さすがに至近では勢いが足りなかったか、それとも虎之助が咄嗟に腹に力を込めたのか。幸いにも刃は虎之助の腹を貫くには至っていない。

 

 虎之助は自身に俄雨が突き立っていることを確認し、防御と回復に専念することにしたのだろう。一度弐朗へと視線をやってから動く左手で左脇腹の傷口を押さえ、なるべく血が流れ出ないよう最善を尽くし始める。


 刺さっていた俄雨を全て抜き取った女生徒が身を翻して弐朗に突っ込んでくるのを、弐朗は残った二振りの俄雨を四十センチ程度に伸ばして応戦する。

 左腕に二本、右腿に一本、右肩に一本と、計四本の俄雨を打ち込んだにも関わらず、女生徒の動きに躊躇いはない。


 この血刀に痛みはない、脅威ではない、と判断されたのだ。


 実際、弐朗の俄雨は刺さっても然程痛みはない。

 ただ、その事実を知らなければ、通常は避けようとしたり防御したりといった何かしらの反応がある筈なのだ。隙が生まれればその間に次の手を打つこともできるのだが、女生徒は言葉の応酬おうしゅうの遅さからは想像がつかないほど、動きに躊躇いがない。


 速い、と思った次の瞬間には、弐朗の左手から俄雨が弾き飛ばされていた。


「ちょ、まっ!」


 虎之助の血に濡れた白刃が、容赦なく横薙ぎに弐朗の胴を分断すべく振るわれる。

 弐朗は無駄口を叩く余裕もなく、地面を蹴って後方に飛び、続け様に眼前に突き出される切っ先を避けて大きく仰け反った。

 仰け反り過ぎて後ろ向きに倒れそうになるも、そこは反射的に俄雨を持たない左手で地面を押して後方宙返りをし、女生徒から数メートルの距離を取る。


 トラの手当てしないと。脇腹って大丈夫かアレ。貫通してなかったし、致命傷でないならなんとか? あと右手、利き手なのに折れてんだろアレ! あいつが力で押し切れなかった奴相手に、俄雨一本で凌ぎ切れるわけないよな。でも続けて抜刀はちょっとヤバい、メンタルやられる。落とした俄雨拾えたら。どこに落ちたっけ。駄目だ探してる間なんかない。ヨズミ先輩に連絡しなきゃ。ああ~ッ、スマホ吹っ飛ばされたんだった! あれ絶対画面割れたよなぁ、クソォ! 血刀は折れるから切り結べない。トラの錆前が折れるなら、俺の俄雨なんか一発だろ。血刀が折れるの、初めて見た。血刀折る刀ってなんだ? ヤバくねぇ? なんなんだあの刀。刀もそうだけど、多分、単純にあいつの攻撃がヤベェ。でも動きも速い。速いっていうか、躊躇いが一切ない。素早さ自体は俺のが上かもだけど。あれホントに人間かよ。機械か動物なんじゃねえの。ガンガンきすぎ。どうやったら勝てる。勝ち筋が見えない。っていうか、次々攻撃してくるから考える余裕がない。


 回避に徹していればどうにか避けることはできるが、撃退は愚か、問い質すこともできない。


 考えをまとめる間もなく、間合いは詰められる。


 背中を向ければその瞬間に背後から切られるだろう。相手の動きを見ながらならどうにか避けられる。だからといって向き合っていては十分な間合いをとることもできない。近距離では分が悪い。せめて中距離、間合いがとれれば。


 逃げられない。受けられない。

 何かないのか、何か手は。


 突き出される切っ先を紙一重でかわしつつ、弐朗は虎之助から離れるよう少しずつ、植込みを背に後退する。

 考えがあってのことではない。自分が引きつけている間に虎之助が動けるようになればよし、ついでに何かいい手を思い付いてくれれば更によし、という、単なる時間稼ぎに過ぎない。

 完全に植込みに追い詰められてしまえば退路がないようにも思えたが、弐朗は跳躍には自信があった。いざとなれば木の枝を掴んで上に逃げてみる、という手もある。それがどう転ぶかは、やってみなければわからない。


「!!」


 不意に、背筋を撫で下ろすような悪寒が走り、弐朗の身体は意図せず強張った。

 ――あ、やばッ。

 誰がどう見てもそれは隙以外のなにものでもない。

 その一瞬を逃さず、女生徒は大きく一歩踏み込み、真っ直ぐ弐朗の胸目掛けて切っ先を突き出してくる。


 避けられない。上にも、左右にも、後ろにも。

 何処に逃げてもあの白刃の間合いだ。


 そう悟った弐朗は、身体の強張りを振り払うように腕を振るい、右手に持っていた俄雨を女生徒の首に突き刺すべく自ら間合いを詰めた。一矢報いる覚悟があったわけではない。「下がるよりは前だ」という、何の根拠もない無謀な前進だった。

 弐朗が踏み出したことで当初は心臓を狙っていたであろう女生徒の太刀は弐朗の胸、肺を突き刺し、そのまま弐朗の背肉を突き破る。

 途端、息が吸えず、弐朗は咳き込む動作を堪えられない。喉の奥からごぽりと生温かい液体が遡る。

 利き手の俄雨は女生徒の首に突き立つこともなく、弐朗はそのまま縋るように女生徒の首にしがみ付き、咳き込みながら大いに血を吐いた。

 女生徒はしがみ付かれた状態で肩口に血を吐きかけられ、迷惑そうに眉根を寄せた。そして弐朗から刀身を抜きつつ、首を圧し折ろうと鞘を持った手を伸ばしてくる。

 が、次の瞬間さっと顔色を変え、首に伸ばしていた手は弐朗を植込みに突き飛ばすものへと変わった。視線は弐朗の背後、植込みに向いている。


 木陰から、黒い袖と、白い小さな手が伸びていた。

 ひらり、と翻る手には、光を飲み込む小さな黒剃刀。

 そしてその後ろには、ぽかりと二つの丸が浮いている。

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