19【会敵】三

 圧し合う時間は長くはない。瞬き二、三の間のこと。


 女生徒は左手で竹刀袋を持ち、右手で袋の紐を解いて刀の柄を握る。逆手に見えるそれはそのまま鯉口を切る動作となり、白い鞘の中から、かしゅり、と擦れる音を立て鈍色の刀身が覗く。

 女生徒は虎之助の薙ぎを受け止める鞘の尻を跳ね上げ、上向きに滑った錆前の下、虎之助の脇腹を狙って、抜く動作のまま切り込んでくる。

 しかし虎之助も黙って切られる男ではない。鞘を滑った錆前を引き戻す暇も間合いも無いと判断したなら、利き手の得物はそのままに、左手を突き出して刀の柄を握る女生徒の右手を掴み、至近で睨み合う。


 弐朗は声を掛けるなら今しかないと思った。

 再び間合いを確保したら、二人ともまた話し合う余地などないとばかりに切り合うだろう。虎之助が手を放してしまう前、女生徒が手を振り払ってしまう前に、どうにかして二人を落ち着かせなければいけない。


「……えっと! えっと!?」


 しかし何を言えばいいのかわからない。

 というか、何を言っても聞いて貰える気がしない。


 弐朗が慌てている間にも、虎之助は女生徒の右手を捻じり上げて柄から離させようと動き、それを察した女生徒が左手の鞘を振るって虎之助の側頭部を打つ。

 骨を打つ鈍い音と共に、虎之助が僅かに顔を引いたことで鞘の金具がこめかみの皮膚を引っ掛け、ぱ、と数滴血が散った。

 こめかみを打たれた虎之助が片足を引き、右手首を掴まれる女生徒もそれに引っ張られて片足が出る。

 全くの無表情で更に鞘を振るおうとする女生徒と、その女生徒の首を狙って錆前を突き出す虎之助を前に、弐朗は殆ど無意識に左右の手を振り抜いて「磔刀俄雨」を八振り全て抜刀していた。


 その時点では、弐朗は女生徒と虎之助、両方の足に俄雨を突き立て、動きを妨害するつもりだった。


 片方だけでは動けるもう一方が問答無用で殺してしまいかねない。

 女生徒の動きを阻めば虎之助が彼女の首を刺し貫き、虎之助の動きを阻めば、女生徒が虎之助の頭蓋骨を叩き割る。弐朗にはその動きがありありと想像できてしまう。

 虎之助の錆前を女生徒が避ける、その瞬間に、まず女生徒の足の甲、もしくはふくらはぎを刺す。その後は虎之助の足。狙い通りの箇所に刺されば、あとは刀身を伸ばし、物理的に妨害する。

 弐朗は両手に俄雨を構え、次に大きく変わるであろう体勢を予測しながら狙いを定めた。


 が、弐朗の予想に反して女生徒は向かいくる切っ先を避けることなく、掴まれたままの右手に持つ太刀を横倒しにし、鞘を持つ左手で峰を支えて突きを防ぐ。


 かっ、と金属が弾かれる硬い音と同時に、ぴんと張り詰めた甲高い音が響いた。

 それは空気を震わせる、聞いたことのない音だった。


 直後、錆前の先端十数センチが折れ飛ぶのを弐朗は見た。


 折れる、のか。


 威嚇する犬のように鼻頭に深くしわを刻む虎之助と、一瞬も視線を外さない女生徒の横顔が印象的だった。

 折れた切っ先は地面に落ちる前に形状を保てなくなり、雲散霧消する。


 女生徒が左手に持つ鞘を虎之助の喉目掛けて突き出す。

 その動きは剣道の突きそのもの。

 ただ、今はどちらも防具などつけてはいない。

 例え鞘であろうとまともに喉に食らえば死ぬ。


 虎之助が先端の折れた錆前を手放し、腕で喉を防御するのと、弐朗が女生徒の二の腕目掛けて俄雨を放つのはほぼ同時だった。


 黒い木の葉のような血刀、俄雨が、女生徒の左腕に二本突き立つ。


 虎之助が喉の前で構えた右腕、手首の外側を、白い鞘が鋭く突く。

 思いのほか固い音が響き、虎之助の腕が制服の下で有り得ない方向に折れたのがわかった。


 虎之助は利き腕が折れようとも呻き声ひとつあげず、左手に掴んだ女生徒の腕を強く引き寄せる。その勢いのまま腹部へと膝蹴りを入れれば、防ぎ切れなかった女生徒は腹を蹴り上げられ、両足が一瞬宙に浮いた。

 弐朗は思わず「やった!」と声を上げそうになったが、虎之助の表情が固いままなのを見てしまえば、声を掛けることも駆け寄ることもできず、虎之助の膝を受けた女生徒の丸まった背中をじっと見守ってしまう。

 行動阻害のために刺した俄雨も、この状況では伸ばすに伸ばせない。虎之助との距離が近過ぎるため、虎之助の邪魔になってしまうのだ。


 不自然な間があった。

 弐朗は嫌な焦りを覚え、ひりつく喉に唾液を流し込む。


「えっ、トラ、なんて」


 虎之助が何かを呟いた気がしたが、声が小さく、聞き取れない。

 聞き返した弐朗の目の前で、虎之助は女生徒の腕を掴んだままその場に膝をつく。


 一瞬、何が起きたのか弐朗にはわからなかった。


 改めて二人の様子に目を凝らせば、虎之助の左手が掴んでいる女生徒の右腕、その先の手には抜き身の白刃があり、それは今、後輩の脇腹に突き刺さっている。


 虎之助が膝蹴りを入れるため引き寄せた距離。

 膝蹴りがくるとわかっていて、女生徒は回避や防御ではなく自らも攻撃を選んだのだ。


 弐朗は両手に残っていた俄雨六振り中、四本をその場で投擲した。


 二本は治療のため、膝をついた虎之助の脇腹に。残り二本は、その虎之助に掴まれたままの女生徒の右太腿に一本、右肩に一本。全て狙い通りの位置ではあったが、女生徒の首を狙わなかった自分の甘さに弐朗が後悔したのはその直後だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る