16【先触】二

 弐朗は嫌な予感がした。


 なんとなく、父親がきているような、そんな気がしたのだ。


 裏門の気配は特に移動するでもなく留まっている。

 虎之助の「索敵してください」が、この気配を掴ませるためのものであれば、虎之助もまた、この気配に何か感じるものがあって確認することにしたのだろう。


 となれば、自分も確認に行くのが筋というものだ。


「センセエ! トイレ!」


 弐朗は手を挙げると同時に立ち上がり、そわそわした様子を隠しもせず教師に離席の許可を請う。すると教師も慣れたもので、「漏らすなよ」とだけ告げ、あっさり離席を許可してくれる。

 普段からトイレ離席の多い弐朗であれば、クラスメイトも「お前またかよ」と笑うだけで、特に気にした様子もない。


 鳥おどしのような目で自分を見詰めてくる刀子に、弐朗は忙しなく瞬きを繰り返して「確認してくる」という意図を伝えてみるが、それがどの程度刀子に通じたかはわからない。


 跳ねるように教室を飛び出し、廊下を走って階段を目指す。


 すぐ隣の教室から「アガマァ、廊下を走るな!」と鋭い注意が飛んできたが、弐朗は一言「スンマセン!」と返し、速度を緩めずそのまま階段を駆け下りて昇降口に向かう。


 全校生徒分の下駄箱が並ぶ昇降口は広く、下駄箱を仕切り代わりに学年ごとに分けられている。

 既に一時間目の始まっているこの時間、今頃登校してくる生徒もおらず、昇降口は照明も点いていない。


 ぱっと顔を覗かせて一年の下駄箱を確認するが、そこに虎之助の姿はない。

 念のため虎之助の下駄箱を開けて中を確認してみれば、きっちり揃えられた緑ラインの上履きだけが入っており、靴は入っていなかった。

 弐朗の知る限り、虎之助はこの数年で二足のスニーカーを履き潰している。今履いているものは高校に上がる直前に替えたものであり、黒地に白のラインが入ったシンプルなものだ。虎之助は踵を踏み潰すこともなく丁寧に履いている。


 その虎之助のスニーカーが、ない。


 裏門に向かうなら、昇降口とは反対の通用口や、渡り廊下から出たほうが近道だ。それを、虎之助は律儀に靴に履き替えて裏門に向かったのだろう。


 弐朗は思い立って三年のエリアに移動し、ヨズミの下駄箱も確認しておく。

 二段組みの上段に収まる青ラインの上履きと、その上に乗せられた四つ折りのメモを見た時、何か違和感を感じたものの、それよりもヨズミも校舎に居ないという事実に焦りを覚え、深く考える前に身体が動き出していた。


 自分も合流すべく慌てて上履きからブーツに履き替え、ポケットに入れていたワッチキャップを深く被り、弐朗は昇降口を飛び出した。


 短距離走の勢いで裏門に向かって全力疾走したなら、校舎の角を曲がろうとしている虎之助の背中を見付けた。


 勢い余って追い抜いた先で立ち止まり、弐朗は虎之助が歩いてくる短い間になんとか息を整える。

 虎之助は弐朗に近付いてもそのまま立ち止まることなく横を通り過ぎ、特に何を言うでもない。軽い一瞥が向けられた程度だ。

 弐朗が慌てて横に並び、話しかけて漸く返事が返ってくる。


「う、裏門の奴のことだよな? 索敵しろって、さっきの。お前が授業中にDダイレクトMメッセージ送ってくるとか珍しいからさぁ! そいつの気配掴んだからだろ? お前、誰がきてるかわかってんの?」

「個人特定できるほど精密じゃないんで……。喧嘩売られてんのに買わないわけにいかないでしょう」

「え。なんでケンカ売られてるって話になんの。え?」

「売ってるようなもんじゃないですか。隠す気もない殺気立った気配ばらまいて、挑発してんですよ、これ」


 虎之助は不機嫌さを取り繕うこともなく真っ直ぐ裏門に向かって歩いて行く。

 決して早足ではないのだが一歩が大きいため、ついて歩こうとするとどうしても弐朗は早足にならざるを得ない。


 虎之助は殺気立った気配と言ったが、弐朗は「お前がそれを言うのか」と目を丸くして虎之助を見上げてしまう。


 お前だってわりといつもトゲトゲしてるし、近付くなオーラすごいし、殺伐としてるし、似たり寄ったりな気ィするけどなぁ……、なんて口に出して言おうものなら、真横から手が伸びて顔面を掴まれかねない。クレーンゲームの要領でぶら下げられる。


 そうわかっているからこそ、何も言わず見上げるだけに留めたのだが、虎之助はそれすら許してはくれないのだ。


「なんスか、その目」

「え。ウン? イヤ。別に。いや、別にってこたないか。お前冷静そうに見えてわりとケンカっ早いよな、と思って」

「は?」

「やめろよォ! 「は?」とか言うなよォ! だってお前今だって「ヨォシ叩き切っちゃうぞー」みたいな顔してんじゃんかよォ! ケンカっ早くないって言うなら、誰がきててもお前、ケンカ腰でいくなよ? 俺の親父とかきてても首刎ねようとすんなよ? お前がウチの親父のこと嫌いなの知ってるけど、あんま邪険にすると余計にメンドくさいから勘弁してくれよ!?」


 頼むぞ、と追い縋りつつ言えば、虎之助は「嫌いなんじゃないです。関わりたくないだけです」と吐き捨て、ついでのように前後左右でうろちょろ動く弐朗にも「アンタは煩わしい」と眉間に皺を寄せて言う。


「わずわわしいってなんだよォーーー!!? わびしいみたいな意味!? え、マジで……、わずわわ、らわ……? どういう意味?」


 ノミのように跳ねる弐朗に、虎之助はそれ以上言葉を返すことはなかった。

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