15【先触】一
その日は朝から落ち着かなかった。
空気が乾燥しているのか、産毛が毛羽立つようなちりちりとしたむず痒さを感じる。
低気圧が近付いている、と、朝の天気予報でお馴染みの予報士が言っていた。
それでなんとなく空気が帯電しているような、そんな感じがするんだろうかと首を捻りつつ、弐朗は気も
同じクラスの刀子も今日は朝からそわそわとした様子を隠しもせず、
今も自分の席に座ったまま梟のように首を傾けている。
弐朗は慣れていたが、刀子の真後ろや隣りに座る生徒は、刀子を直視しないように教科書を立てたり顔を伏せたりして目を逸らしていた。幼馴染ながら結構な呪い人形っぷりに弐朗も思わず真顔になる。
弐朗は昨夜の分離失敗について、今の今まで空っぽの頭を上にしたり下にしたりしながら色々考えたが、全く何も閃かなかった。
何故分離できなかったのか原因がわからない。
原因がわからないから対策の立てかたもわからない。
そしてそんなことを考えているから、授業内容もちっとも頭に入ってこない。
日本史の教師が
弐朗は自分に関係のあることなら興味が湧くが、それ以外はさっぱりなのだ。
血刀の仕組みや強くなる方法、分離を成功させる秘訣とかについて実習ありで教えてくれる授業があれば真剣に聞くのにな、と、頬杖をつきながら思ってみたりする弐朗である。
銀南高校だけでも四人は使い手が居るのだ。
抜刀はしないが血縁者も含めれば十人近い。来年になればヨズミの代は卒業するが、今中学三年の後輩達が入ってくる。つまらない数学や役に立たない古文を教わるぐらいなら、身体の動かし方についてもっと学びたい。ぶっちゃけ体育の時間もっと増えろ、などと考えていれば、
「阿釜ァ。先生今面白い話してたぞ? 聞いてたか?」
と、教壇で片手にチョークを遊ばせている教師に、呆れ混じりの声で名指しされてしまう。
弐朗は素直に「スイマセン聞いてませんでしたァ! もっかいお願いします!」と起立しながら再教授願うのだが、二度目に聞いてもやはり内容は右から左に抜け、聞いた端から忘れていく。さっぱり興味が湧かない。
そんな時だった。
弐朗の制服のポケットでスマホが小刻みに震える。
教卓で小言を言っている教師の目を盗み、席に座りつつ机の中にスマホを忍ばせ、通知を表示しているアプリの画面を確認する。
意外にもメッセージの送り主は無愛想の
授業中に虎之助からメッセージがくることなど滅多にない。
寧ろ休み時間だろうが帰宅後だろうが、「連絡するからな」と前もって通達しておかないと確認すらしないのがあの後輩だ。
辞書でも忘れたか、体操着か。いやでも俺の体操着なんかあいつパツパツじゃない? そもそも学年の色違うし、着るわけないか。じゃあなんだ。昼飯の要求か。苛々するから殴らせろとかだったらどうしよう。昼休みか放課後ならいいぜ! とか返してみる?
そんなことを考えながら開いたメッセージには、スタンプも前置きもない、用件のみの短い本文が一行きり。
『索敵してください』
索敵。
隠密ではなく? なんで今、索敵。
弐朗はちらりと刀子の様子を窺うが、刀子には連絡が入っていないのかこちらを振り向くこともなく、熱心に授業を聞いている。よくよくメッセージを見てみればヨズミと刀子を含んだ四人のグループ宛ではなく、弐朗個人宛に送られてきているダイレクトメッセージだ。
刀子は教師が話していない時にもうんうんと頻りに頷いているところを見ると、内容が頭に入っていない可能性もある。
弐朗はスマホをポケットに戻し、机に両肘を突いてこめかみを指で押さえつつ意識を集中させる。
教室で索敵したところで、弐朗が捉えることのできる気配は校舎内に居る生徒や教員、あとは近隣に住んでいる使い手のものだけだ。
ヨズミのように広範囲の索敵ができる人間は限られている。
こんな索敵に一体何の意味がー…と適当に索敵を切り上げようとしたところで、弐朗は反射的にビクリと肩を震わせてしまった。
隣に座るクラスメイトが「居眠りしてんなよ」と茶化してくる。
周囲に気付かれるほど大きく身動いたことに恥じ入る余裕もなく、弐朗は片手で口元を押さえて索敵へ全神経を注いだ。
なにかー…、
何か居る。
大きいというよりは、密度の濃い重い塊のようなその気配。
弐朗は自分を基点に、校舎入口に向かって数メートル低い位置を移動する気配を「虎之助だ」と確定させる。根拠は特にない。
あるとしたらそれは単なる状況判断であり、「三年のフロア……一階歩いてるけど、ヨズミ先輩はこんなにすんなり気配掴ませてはくれないハズ。刀子は気配は掴めないけどこれいつもの天然隠密だし、目の前に居るし、ない。一年のフロア、三階に本来居るハズのトラの気配がないから、じゃあ一階のあれがトラ」という、消去法で決め打ちしたに過ぎない。
となると、校舎からかなり離れた場所、裏門付近にある重い気配は一体誰のものなのか。
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