04【捕獲】三
『うん。大丈夫、大分気配殺せてるよ、
弐朗が数分掛けて気配を落としたところで、いつの間に通話を終えたのかヨズミの指示が復活する。
弐朗は袖で額の汗を拭い、ずれかけていたニット帽を深く被り直した。
ついでにイヤホンも強く耳に押し込む。
まだ息は整わないが走る分には全く問題ない。
気合いを入れ直すようにその場で軽く数度弾んでから、隠密状態を保ったまま追走を再開する弐朗の耳元でヨズミの指示が続く。
『弐朗クン。方角を言うと混乱するだろうから、ざっくり説明するよ。キミの現在地から見て、走ってきた商店街が「下」、目指す材木置き場が「上」だ。対象はキミの左斜め上を、上に向かって走っている。左にはもう進まない。少し遠いが蛇みたいにねちっこい気配の「壁」を置いたからね。対象が索敵しながら逃げているなら絶対に進みたくない筈だ。ただ、今のままでは左にずれていて材木置き場には入らないから、刀子クンを対象が直進している道の真上に回した。刀子クンはまだ隠密だ。トラクンのバスは右斜め上にもうすぐ着く』
『今着きました』
『いいタイミングだ、トラクン。さあ、弐朗クン。カウント開始だ。対象がもうすぐキミの目の前を横切るぞ。右に逃がす前に材木置き場に追い立てろ』
「リョー、カイ、ッす!」
ヨズミが対象の動きをメートル単位で区切って伝えてくる。それに合わせて短距離走の勢いで走り込めば、すっかり日の暮れた濃い濃紺の景色の中、二つ先の細い交差点を横切ろうとする姿が見え、弐朗は腹の底から声を出し叫んだ。
「待てコラテメェ止まれ今すぐ止まれ大人しくそこでトマレェッ!!」
右に進まれると口煩い後輩が仁王立ちで待っているのだ。それに遭遇させるわけにはいかない。
交差点に差し掛かったばかりの対象は疲労困憊の様子で足を引き摺りながら走っていたが、弐朗の絶叫と猛進ぶりに仰け反るほど反応し、考える間も開けず交差点を左折し全速力で逃げ始める。
それはヨズミの狙い通り、材木置き場へと駆け込む動きであり、対象の方向転換を確認するなりヨズミが次々に指示を飛ばし始める。
『刀子クン、車を降りて材木置き場の左側から中に入れ。鉄扉が見えるだろう? 南京錠がついているが壊してくれて構わない。また付け替えるだけさ。トラクン、弐朗クンの姿が見えたね? 追え。各人、索敵解禁だ。対象の気配を追いつつ捕獲に入れ。捕獲が難しい場合は処理も
弐朗はその声を聞きながら、数メートル先を走る対象の背中を追う。
ぼんやり白く浮いて見えるのはポロシャツ、パンツは黒か濃紺のジーンズ。性別は男、体格は中肉中背よりはやや細め。年齢は大学生程度に見える。断言はできないが「崩れかけ」ているようには見えず、普通の人間のように思う。見失う前に気配を覚えておこうと索敵を行ってみるものの、掴める気配もなく、弐朗は舌打ちした。
索敵を諦め視覚に頼ろうにも、秋の夕闇に飲まれた材木置き場は見通しが利かず、右へ左へとプレハブや資材を回り込まれる度、何度も見失いそうになる。
さすがのヨズミも遠隔地から数十センチの誤差や秒刻みの動きを見るのは骨が折れるのか、指示はおおまかなものしかこない。
無造作に積み上げられた角材から漂う、杉の香り。
夏の残り香のようなそれに少し息苦しさを覚えつつ、白のポロシャツが曲がった角材の山を回ろうとしたなら、鼻先を掠めるように黒いものが音もなく伸び、弐朗はそのまま仰け反って尻もちをつく。
角材が飛び出ていたのか。いや。あんな鋭利な角材あって堪るか。じゃあポロシャツが反撃してきたのか?
驚愕の眼差しで見上げる弐朗の目の前に、ぬ、と出てきた黒い塊が口を開く。
「なんだ。先輩ですか。紛らわしい……」
「ト、トラてめぇ……、おま、あ、あとちょっとで俺、はな、鼻が」
「よかったですね鼻が低くて。低いのは鼻だけじゃないですけどね」
虎之助がほぼシルエット状態、黒一色なのは、辺りがすっかり暗いからというのもあるが、概ね本人によるところが大きい。着ている学ランは真っ黒、頭髪も真っ黒、持っている
同じ制服を着ていても、髪は地毛ながら脱色し尽したが如き
あまりの
弐朗は尻もち状態からゴム人形のように跳ねて起き上がり、黒一色の後輩の背中を追いつつがなった。
「謝れよ!? すいませんでしたぐらい言えよ! めっちゃ怖かったんですケド! あとお前、捕獲だっつってんだろ、なんで
「何に対して謝らないといけないんですか。俺は俺の仕事をしてるだけです。先輩こそ狂い相手に丸腰で追い掛け回すってどういうつもりですか、遊んでるんですか? 捕獲が無理なら処理も已む無し。ちゃんと聞いてますよ。あとアンタうるさい。対象に逃げてくれって指示出ししてるんですか」
「何にって、俺に対して謝るんだろうがよォーーー!? ……っと」
まだまだ言い足りないことだらけだが、うるさいと言われてしまえば弐朗は慌てて口を閉じる。そう、今は逃げ回る対象を捕獲するという大事な仕事の真っ最中なのだ。陽動ならまだしも、追手が現在地を知らせながら迫れば、獲物は当然離れるよう動く。
『このままでは
弐朗と虎之助の会話を聞いていたヨズミが軽い調子でそんなことを言うが、実際何度も虎之助に刺されたり切られたりしている弐朗からしてみれば洒落にならない。
分断された自分を囲んで「派手にやったね!」と笑うヨズミに、「阿釜先輩がチョロチョロするのが悪い」と吐き捨てる虎之助、せっせと花やら謎のオブジェやらを飾る刀子。そんな三人の様子がありありと想像できてしまえば、顔も引きつるというもの。勘弁してくださいよ、と弐朗が泣き付こうとしたところで、イヤホンから響いてくるのはひどくマイペースな幼馴染の声。
『よずみせんぱぁい。なんかね、とーこのほうにきたっぽいよ? 白いぽろしゃつの人。とーこからは見えるけど、とーこはまだ見付かってないみたい。どうしよう?』
刀子の言葉はイヤホンを装着している虎之助にも届いている。前を進んでいた虎之助が立ち止まれば弐朗はその背中に顔からぶつかり、いきなり止まったことに小声で文句を言うが、虎之助がそれに取り合うことはない。
『さすが刀子クン。では報告したまえ。対象はどんな様子だい?』
『オッス! 白いぽろしゃつの大学生ぐらいのひとでね、男のひと。とくにどこも崩れてないよ。あ、でもね、おろおろびくびくしてるっぽい。とーこのほうは見てないけど、じろくん、とらくんのほう気にしながらこっそり歩いてる。これはたいそうおつかれのごようす』
『ふむ。刀子クンは今、周囲はどんな感じかな』
『とーこは丸太のベンチでお休み中です。高いとこがいいかなと思って、つんである丸太のね、上にね、座ってます。だからね、じろくんととらくんも、ぽろしゃつさんも見えてます』
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