最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(10)

「二つ目の理由。それは花ちゃんが渡してくれた、正確には君が花ちゃんを介して俺に渡してくれた原稿用紙の束。そこに真相が隠されていた。


 ようやく思い出したよ。今までに起こった四つの事件。あの事件はだ。タイトルは『悪魔の囁きとNの喜劇』。エラリー・クイーンの『Yの悲劇』に感銘を受けて、俺自身が執筆した推理小説。


 そう『Yの悲劇』。この小説の事を思い出してもらうというのが、君達が『Y』の方を待ち合わせ場所に選んだもう一つの理由だったんだ。


 そうだ、七条君。君は『Yの悲劇』読んだことはあるかい? この先を話すにはどうしてもネタバレをしなくてはならないんだが……」


 俺は不安な気持ちで彼に訊ねた。ここで「僕はその本、まだ読んでないんですよ! ネタバレしないでください!」なんて怒られたら目も当てられない程に無様だ。だが、流石に彼はそこまで薄情な台詞を吐く人間では無かった。

「僕も読んでますから、大丈夫ですよ。というか、内容を知らなきゃ、こんな暗号、考えませんよ」

 言われてみれば、その通りだった。

「そうだったな。じゃ、遠慮なくネタバレするぞ」

 後輩に再度確認し、俺は話を戻した。


「じゃあ、軽く『Yの悲劇』について説明しよう。とある富豪の家で次々と謎めいた事件が起こるのだが、犯人は『富豪の家の長男の息子、13歳の少年』だったんだよ。ただ、この少年が全てを計画した訳じゃない。実は富豪は事件開幕と同時に青酸を飲んで自殺しているのだが、この富豪が書いた推理小説のあらすじ通りに少年は事件を起こしたんだ。

 事件は二つ、一つは毒殺未遂事件。もう一つは、富豪に対して虐待に近い扱いをしていた妻が何者かにマンドリンという楽器で殴られるという殺人事件。

 この『Yの悲劇』という事件で作者のエラリー・クイーンが提示した謎は『何故、犯人はマンドリンのような軽い弦楽器を凶器に選んだのか』というホワイ・ダニット(なぜ、犯人はこのような行動を起こしたのか)だったのだが、その答えは『犯人が幼過ぎて、小説に書いてある”鈍器”という単語を”楽器”と勘違いしたから』ということらしい。

 ここで『Yの悲劇』のキーワードを幾つか書き出してみよう」

 俺は鞄から手帳とペンを取り出して、書き記す。念の為に持ってきておいて良かった。

 ちなみにキーワードは以下の通り。


 ①小説、もしくは小説通りのあらすじ

 ②虐待(それに近い扱いを富豪が受けていた)

 ③毒殺事件(富豪が服毒死、その後も毒殺未遂事件)

 ④「鈍器」を使う殺人(元々、その予定だったが計画が狂う)

 ⑤少年が犯人

 ⑥少年の勘違い(提示された謎の答え)

 ⑦ホワイ・ダニット(事件に対して『何故そうしたのか』を考える思考法)


「どうだい? 俺が書いた作品の事件と共通している部分がたくさんあるだろう? 

 『悪魔の囁きと奇妙な男』事件では、俺が『小説』を書く場面から始まる。そして、奇妙な男は実は小説家で自身の身に降りかかった事故を参考にして『小説のあらすじ』を作り上げた。

 『悪魔の囁きと悪魔憑きの少年』。あれは花ちゃんの通っていた小学校で起きた食中『毒』が発端となった。花ちゃんのクラスは我妻君のお蔭で危機を防いだが、それは我妻『少年の勘違い』によってだ。

 『悪魔の囁きと……』あえて改題の『神々の騒めき』の方を使おう。あれは若丸という『少年ユーチューバーが犯人』だった。彼はチャンネル登録数からも分かる通り、たくさん稼いでいる『富豪』と言えるだろう。だが、母親から『虐待』を受けていた。事件の発端も"魚がプランクトンを食べる"という知識を知らなかった故の『勘違い』で起きたことだ。

 『悪魔の囁きと丑の刻参り』。あの事件は一見、何の関係も無さそうだ。だが、姉小路君は田中瀬織を、つまり『鈍器』で殺害しようとした。

 そして、『悪魔の囁きとNの喜劇』。恐らく、このタイトルの話も俺は書いていた筈だ。だが、君はその話だけは封筒には入れなかった。答えがバレてしまうからね。そして、作者である俺が提示したかった謎は―――。


『何故、この暗号が作られたのだろうか?』という『ホワイ・ダニット』。


 見事に全話に『Yの悲劇』のキーワードが隠されている。つまり、『悪魔の囁きとNの喜劇』は『Yの悲劇』から影響を受けて作られた作品なんだ。


 そして、『Yの悲劇』の衝撃的な結末。犯人の正体に気付いた探偵は、犯人の少年が再び事件を起こそうとする様子を見て、毒を飲ませて殺害した。つまり、んだ。


 ところで、先程、君が送ってくれた暗号は『N↔Y』という式が当てはまるという話をしたね。それを踏まえて、この小説のタイトルにも注目しよう。


『N↔Y』

『Nの喜劇↔Yの悲劇』


 そう、ここで『Nの喜劇』と『Yの悲劇』が対照的な存在であるという式が成立する。では、何が対照的なのか。

 『Yの悲劇』では結末は『探偵が犯人を殺す』んだ。では、その逆は?

 勿論、『』だろう。

 

 恐らく、本来の俺の書いた『悪魔の囁きとNの喜劇』の筋書きもそうなっている筈だ。『N↔?』という暗号を解くことで探偵は既に自身が死んでいる存在であることに気付くという内容になっている。

 そして、偶然にも作者である俺は何らかの理由で死んでしまい、君達二人によって復活し生かされている。いや、貴船神社で姉小路君がこんな台詞を吐いていた。『この亡霊が。』とね。もしかすると、推理小説研究会全員が関わっているのか?

 まぁ、詳しい技術については分からないが、何らかの技術を用いて俺は君達に生かされており、君達は俺の執筆した小説のあらすじ通りの事件を仕組んで俺に解決させた。いや、

 俺が事件を解決する時のあの眩暈。あれは俺に閃きを与えるものではなく、俺の記憶を呼び覚ますものだったんだ。まさしく、だよ。俺は事件を推理していたんじゃない。だけだった! 君達は既に事件の内容について知っていたんだ! そうだろう? 君達は俺の原稿を読んで事件を仕組んだのだから、事件の真相が分かっていて当然だ。俺だけが何も知らなかったんだ! そんな俺を見て滑稽だと思っただろう? 喜劇役者だと思っただろう? 俺は『探偵役』だと君達に思い込まされていた。それなのに、俺はあんなに浮かれて……。まんまと騙されたよ、君達に」

 いつの間にか、俺の声は荒くなっていた。この感情は何だろう? 恐怖なのか、怒りなのか、悲しみなのか……。分かるのはこの感情が負の感情であるということだけだ。

 七条君が焦りの表情を浮かべ、俺をなだめようとする。

「先輩。落ち着いてください。僕達、決して先輩を馬鹿にしたり貶める為にこんな事をしたんじゃないんです。話を聞いてください!」

「うるさい! よく考えれば、今までの事件が仕組まれたものであるヒントは存在していた。俺が今まで居た環境には不可解な点が幾つもあった!


『悪魔の囁きと奇妙な男』事件。俺は君の話を聞いて、『謎の男が持ち歩いていた十冊の本はガイドブック』だと推理した。だが、よく考えれば、この時に君の話が仕組まれた嘘だと気付かなくてはならなかった。

 あの事件では、男の持っていた本は全て『』で鞄に入っていた筈だ。そして、君は隣の席に座って、それらが取り出される場面を見ていたという話だった。

 おかしいと思わないか。本は『そのままの状態』で入っていたんだぜ。だったら、『本の名前』が分からないのは明らかに不自然だ。ガイドブックなら、大きな文字で『京都』とか『おすすめスポット』といった文字が書かれているだろうし。隣の席から見ていたなら分からない筈がない。


『悪魔の囁きと悪魔憑きの少年』事件。原稿の内容では、君ではなく花ちゃんが俺に直接、カフェで話をしていた。だが、実際にはカフェで待ち合わせたのは七条君だ。当然だ。2086年の7月17日は水曜日。花ちゃんは小学校がある筈だからな。

 だが、本当は七条君だって、そして俺だって休みではない筈なんだよ。本来、大学の夏休みは8月初旬、遅くとも7月末から始まる。ようやく思い出したが、勧学院大学も夏休みは7月末からだ。17なんてことが起こり得る筈がない。

 まるで、俺の周囲の日程や時間が狂っている。この現象のトリックは分からないが、どうせお前らが何かを仕組んでいるんだろう。あの時におかしいと気付くべきだったんだ! 


『悪魔の囁きと神々の騒めき』事件。鞍馬山で俺は『山本』君の名前を『山田』だと勘違いした。それを君はからかっただろう。だが、俺はその事を『頭の中で』考えていて、声には出していなかった。何故、俺が部員の名前を間違えて覚えていたことを正確に言い当てることが出来たんだ?

 勘で察したなんて言うなよ。『山が付く苗字は多いですから』。あの時、お前はそう言ったんだ。百歩譲って、表情から『部員の名前を間違えて焦っている』と読み取ったとしても、この台詞はおかしい。確かに、俺は『山〇』のパターンで名前を間違えた。だが、『〇本』のパターンもあるだろう。『山本』に近い苗字だと『高本』とか『坂本』とかな。そこまでの判断が出来ない以上、『山が付く苗字は多い』なんて台詞は出てこない筈なんだよ。

 お前らには俺の思考を読む為の何らかの術がある。流石にこれは俺の考え過ぎかもしれないが、日付に妙な現象が起きている以上、この線を疑わざるを得ない。少なくとも、んだろ?


 そして、原稿のタイトルが『鞍馬山のツチノコ』から『神々の騒めき』へと変わり、『丑の刻参り』のあらすじが大幅に変更されたことも、姉小路君の発言やこれまでの推理から容易に想像できる。

 原稿の中の『丑の刻参り』事件で、貴船神社あの場所で俺と対峙していたのは姉小路じゃない。田中瀬織だ。だが、実際に俺と対峙したのは姉小路だった。そして、姉小路の『俺達の情けで生かされている』という発言。

 姉小路は『今回の件』で七条君や八神会長のグループの一員だった。だが、『鞍馬山のツチノコ』事件が起きた時点で、姉小路はグループから離脱し田中瀬織を殺害した。

 君や八神さんなどの所謂『主催者側・運営側』の人間は慌てただろうね。君達のグループの目的は『俺が書いた推理小説のあらすじ通りの事件を仕組み、俺に解決させること』だ。だが、君達のグループの一人が『次の事件の犯人』という大事な役割の人間を勝手に殺してしまったんだ。これでは『丑の刻参り』事件のシナリオへ俺を誘導することが出来ない。その状況こそが、すなわち『』だったという訳だ。状況を表した題名なんだろう。

 そして、姉小路は田中瀬織だけでなく、若丸という重要な登場人物にまで危害を加えた。あの状況でシナリオはさらに大きく変わってしまった。思い返せば、姉小路の悪行を暴いた時には例の眩暈は出なかった。それは、今回の『丑の刻参り』事件だけは姉小路が起こしたイレギュラーな事件であり、俺の書いたあらすじではなかったからだ。

 今、思えば、あの時、俺に鞍馬山で買ったお土産の木刀を貸したのも用心の為だったのだろう。俺があの場所で姉小路と対峙すると君は読んでいた。だから、武器を俺に渡した。そして、それは君の予想通り。とても役に立ったよ。お蔭で俺は殺されずに済んだ。いや、もう俺は死んでいるのか……。

 最後の記憶では、俺と姉小路はあの場所で雷に打たれた筈だ。恐らく、あれは君と八神さんの仕業だろう。俺の推理では、君達は『年月日を操作できる』し、『自由に人の記憶を読む』ことが出来る。ここまで来て、『ただの雷が俺が殺されそうになった時に偶然、犯人の頭の上に落ちてきた』とは言わないよな。あれも君と八神さんの仕業だろ?


 お前たちは何かを知っている。そして、それは『』と『今の俺を取り巻く不可解な状況』に深く関わっている筈だ。そうだろ?



 何とか言え! 答えろよ! 七条葵!」 


 俺は後輩であり黒幕の一人、七条葵の胸倉を掴む。彼は沈黙を保ち、俯いていた。表情は陰になっていて見えない。彼は俺を嘲笑っているのだろうか? 喜劇役者だと俺を馬鹿にしているのだろうか?

 彼の目からは一筋の涙が零れていた。口は真一文字に結ばれていた。真剣な顔付きだった。「伊達や酔狂でこんな事をしたのではない」と主張するかのように。

 俺は胸倉を掴んでいた手を離した。そして、問いかける。

「俺の言ったことに間違いはあったか?」

 その言葉に後輩は微かに首を横に振った。

「……いいえ。N先輩のおっしゃったことは全て正しいです。N先輩の身に今まで降りかかっていた事件は僕と八神会長、姉小路先輩、そして推理小説研究会のメンバーで仕組んだことです。ただ、先程も言った通り、決して先輩の死を貶める為にやった訳じゃないんです」

「なら何故、こんな事を仕組んだ? そして、俺とこの世界の秘密は何だ?」

 この俺の質問に彼は一瞬、躊躇う素振りを見せた。やはり、まだ俺に話すべきかどうかを悩んでいるのだろう。彼も真剣だった筈だ。だから、この場に来て、しっかりと俺と向き合っている。そんな人間に俺は「どうせ俺の事を滑稽だと思った」だの「騙された」だの・・・・・・。俺は自分をこれ以上ない程に嫌悪した。今の俺こそが「喜劇役者」に思えた。

「七条君。君は俺が信頼している唯一の相棒だ。だから頼む! 教えてくれ。君が知っていることを……。俺は真実が知りたいんだ。そして、君はいつも俺が謎を解くための手助けをしてくれた。さっきの俺の発言は全部撤回する。申し訳なかった……。俺が君を信頼しているように、君も俺の死を嘲笑う為にこんな事を仕組んだんじゃないんだろ。だったら、俺は君の話す真実を全て受け止める。その覚悟がある」

 俺は後輩の前に立って、頭を深々と下げた。

「この通りだ。教えてくれ。頼む!」

 ポンと肩を叩かれた。顔を上げると目の前には涙で目を腫らした後輩が居た。彼は目線を俺から逸らし、辺りを見回した。灰色の石畳、視界の360度四方を川が流れている。

「そうですね。分かりました。お話ししましょう、全てを。この場所は貴方の終わりの場所でもあり、始まりの場所でもありますから。この景色を見ると、いつも思い出すんです。先輩の事を……」

 その台詞が俺の耳に届いた瞬間、俺は察した。

「そうか。此処が……」

「えぇ、そうです」

 彼は人差し指で下を指差した。下にあるのは、鴨川デルタの石畳だ。



「―――N先輩、貴方はこの場所で

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