最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(5)

 俺は彼女の隣に座り、問い詰めた。

「和気白雪……? 何故、此処に? それに、あの場には俺と姉小路の二人しか居なかった筈だが事件のことをどうして? それに『一ヶ月後』という台詞を吐いたってことは、アンタなら俺の状況を知っているんだろ?」

「シャラップ!」

 和気白雪は俺の言葉を遮ると、俺の手に持っているトレイからポテトを一つ掴み、俺の口へと放り込んだ。多分、黙っていろということなのだろう。俺は黙って咀嚼した。塩加減が絶妙でなかなか美味い。

 和気さんはキッとこちらを睨み、不機嫌そうに言った。

「あれこれ一遍に聞かないでくれます? 私は生憎、聖徳太子じゃありませんので……。それに、貴方に話があるのは彼女です」

「へ?」

 彼女が手で指し示した方を見る。確かに、彼女の隣にも人が居た。可愛らしい顔とスタイルの良さを併せ持つ大和撫子。

「あれ? もしかして花ちゃん?」

 俺の問いかけに、彼女はぺこりと会釈した。その僅かな立ち居振る舞いにも気品が感じられる。とても、小学生とは思えなかった。

 彼女は七条花。七条葵の妹で小学校四年生だ。彼女の小学校で起こった「悪魔憑き」の謎を俺が解いたことは記憶に新しい。というか、(何故だか分からないが)今となっては本当にになってしまっている。

 花ちゃんはおずおずと喋り出した。

「昨日は、ありがとうございました。お兄ちゃんに聞いたけど、我妻君の謎を解いてくれて……。私、ずっと気になってたから……」

「いやぁ、なぁに。あれくらいの謎ならスパッと解けるさ。何せ、推理の悪魔の囁きを聞ける唯一の男が俺だからね! また、何かあれば相談に乗るよ! はっはっは!」

 この台詞で向けられる二種類の視線。花ちゃんの「Nさん、凄い!」という羨望の眼差しと、和気さんの「うわぁ、何だコイツ……。中二病か」という冷ややかな視線。前者の視線は精一杯浴び、後者は完全に無視する。

「で、和気さんの台詞だと。花ちゃんは俺に何か用事があるみたいだね? 話っていうのは何だい?」

 少しキザったらしい声を出してみた。自分で言うのも何だが、2020年代に大流行した鬼を退治するアニメの主人公の声に似てなくもない気がする。花ちゃんは頬を赤らめ、和気さんは毛虫とムカデの大群を見るような目を向けた。

「何だ、その眼は?」

 俺の追及に

「声は良かったけど、顔はキモかったので。何か文句あります?」

 と和気白雪は返した。この毒舌スキル、もしかしたら七条君や八神さんより上かもしれない。

 そんな俺達のやり取りに構わず、花ちゃんは大きめのリュックサックを取り出した。かなり大荷物だ。彼女がリュックから出したのは原稿用紙の束と一枚のレポート用紙。そして、花ちゃんはレポート用紙の方を先に俺に渡す。

「メールで兄から伝言と届け物を頼まれたんです。もしかしたら、Nさんがに来るかもしれないって」

 この台詞で俺は、やはり自分の推理が間違っていたことを知る。花ちゃんから渡された用紙には「惜しい!」という言葉がシャープペンでさらりと書かれており、ご丁寧に「がんばりましょう」と書かれた朱色のハンコまで押してあった。この厭味ったらしいメッセージは間違いなく七条君からだ。

「あと、これはヒントらしいです。何だか、私にはよく分からないけど……」

 大量の原稿用紙がドサッと一遍に俺の両手に乗った。かなり分厚い。何枚くらいになるのだろうか? 400字詰め原稿用紙なので、それなりに字数も多いだろう。

「じゃあ、私はそろそろ行きます。役目も無事に終えたので……」

「ちょっと待って! 花ちゃんはお兄さんが何処に居るのかは知らないの?」

 俺が慌てて聞くと、花ちゃんは首を横に振った。

「いえ、メールでメッセージだけが送られてきたんです。荷物はお兄ちゃんの部屋に予め準備してあったので、それを持ってきました。兄の居場所は全く見当もつかないです。お役に立てなくて、ごめんなさい」

 彼女は本当に申し訳なさそうな表情で頭を下げた。俺は慌てて彼女を慰める。

「いやいや、花ちゃんはそんな事、気にしなくていいんだよ。むしろ、遠くまで重い荷物を運んでくれてありがとう。大変だったろうね。助かったよ」

 そう励ますと、彼女は向日葵のような朗らかな笑顔を俺に見せ、もう一度、俺に頭を下げると店から出て行った。本当に良い子だ。彼の妹だとは思えない。

 そんな失礼な事を考えていると、和気さんはじっと冷ややかな目でこちらを見ていた。

「ロリコンの御趣味があったとは……」

「違わい!」

 俺は憤慨して、彼女から視線を外し、手元の原稿用紙を眺めた。

「えっ?」

 俺は驚いた。驚くしかなかった。何故なら、その原稿はこんな言葉から始まっていたからだ。

 


『「うーむ……。むむむ……。あぁ、くそっ」

 場面は大学の推理小説研究会部室。床のあちこちに、読みかけの推理小説や原稿用紙、ボールペンやパイプ椅子などが転がっている。部屋の中央には、会社のミーティングで使われそうなT字脚仕様の大型テーブル。パイプ椅子も右に3つ、左に3つの計6つが並べられている。窓際には会長のポケットマネーで購入した32インチのテレビ。右側の本棚には推理小説が全段にぎっしりと敷き詰められている。本の重さで、そろそろ棚が壊れそうだ。いかにも大学の部室という感じの部屋である。

 現時点での登場人物は俺。周りの人間からは「N先輩」と呼ばれている。』

 


 この原稿の話は、

 それに、この原稿の中に登場している「俺」の台詞。これは……。

 俺はその原稿を読み進めてみた。一枚目、二枚目……。全て読んで見て分かった。俺はこの原稿の中で起きた出来事を


 ―――これは、七条君と一緒に推理した


 俺は題名タイトルを確認する。

稿 

 


「まさか、いや、そんな……。何かの偶然に決まってる! 次の話だって……」


 次の原稿用紙に手を伸ばし、俺はさらに驚愕した。

 次の物語の題名は「稿 

 信じられない気持ちで頁をめくる。だが、先程と同様に、その話の筋は祇園祭の最中に起きた。少し細部は違っており、俺は七条君からではなく花ちゃんから、カフェで話を聞くことになっていた。だが、我妻君の出来事については寸分違わずに記されていた。


 まだ、俺は信じられなかった。次の原稿用紙にも手を伸ばす。

稿 

 ……いや、何故かマジックペンで「鞍馬のツチノコ」の部分が二重線で訂正されていた。改題は「」。

 話の内容も寸分違わず……。いや、ラストでは若丸君が。右足を打ち抜かれることなく山を下山し、無事に母親と離れ、親戚の家で楽しく暮らしているらしい。


稿 

 この話も、使同じだった。だが、俺達が貴船神社に来たのは鞍馬山に行った日とは別になっているし、何より。そして、何故かになっている。



 そして、これら全ての物語の表題は

N




「……何だよ。コレ」

 俺の手は恐怖で震えていた。まだ、半信半疑だった。これは何かの盛大なドッキリじゃないかと。震えている俺に対して、「先輩! 吃驚しました? サプライズですよー♪」なんて七条君が声を掛けてくれることに期待していた。だが、


「そっか。結局、彼等はのか……」

 横から原稿用紙を盗み見ている和気白雪が呟いた。口調は今までの慇懃無礼な敬語ではなく、気怠そうな標準語へと変わっている。どうやら、こちらが彼女の本性らしい。そして、急に真剣な顔つきでこちらに向き直る。

「ねぇ、、私があなたにで語りかけたことを覚えてる?」

 その言葉に俺はさらに驚く。思わず、椅子から落ちてしまった。


 ガタリ


 大きな音が店内に響く。店員さんが心配そうな顔つきでこちらを向く。

 それに気にせず、白雪は淡々と俺に言葉を投げかける。


「あの時の私の台詞に嘘偽りは無い。貴方は本当は。貴方の存在は遅かれ早かれ、誰かを不幸にする。少なくとも、『』は貴方をそういう存在だと捉えている。用心することね。貴方は決してのうのうと生きていて良い存在じゃない」

 唐突に酷い言葉が浴びせられた。俺の存在を完全に否定する台詞だ。流石に俺も怒りが込み上げてくる。

「……は? はぁっ? 何で、お前にそんなことを……。っていうか、お前、あの夢の事を知ってんのか? それに『ハヤミ組』って何だよ? 何の権利があって俺の生殺与奪をアンタに決められなきゃいけないんだよ?」

 荒くなる口調。大学生活を送ってきて、こんなに声を荒げたことは初めてだった。だが、彼女は少しもたじろがない。無感情で台詞を続ける。

「何故なら、貴方と彼らは既にだから。N。これが私から言うことが出来る最大のヒント……」


 和気白雪わけのしらゆきの目はただ冷たかった。凍てついた氷柱のようだった。裁判官が被告人に死刑を宣告するような……。憐れみのような、憂いのような……。そんな目線がただ床に転がっている俺を刺し貫いた。

「……多分、貴方は七条君に会えると思う。だけど、気を付けて。彼との出会いは貴方を追い詰める結果になる。七条君から、決して取り乱したりしないことね」

 それだけ言い放つと、白雪は俺に背中を見せ、店の扉から出て行った。俺は一人、取り残される。ただ呆然と佇んでいる。


「あの、大丈夫ですか?」

 わざわざ店員さんが心配して、俺に声を掛けてくれた。

「あぁ、大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ない」

 よっこいしょと心の中で声を出して立ち上がり、椅子を直す。

 少なくとも、ここは七条君の言う正解ではないようだ。とすると、考え方を変える必要があるかもしれない。まだ残っているコーヒーを一気に飲み干す。

「ごちそうさま」

 店員さんに軽く挨拶をしてから、扉の外に出た。腕時計を見ると、時刻は午後1時。


「取り敢えず、適当に歩き回るか……」

 独り言を誰に聞かせる訳でもなく呟き、俺は行く当てもなく歩き出した。

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