最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(6)

 ―――哲学の道。哲学者の西田幾多郎が好んで散策し、思想を巡らせたと言われている。約1.5キロの道で、沿道には樹木が生い茂っており、沿道の横には鹿ヶ谷疎水が流れている。春は桜が満開になるそうだが、今は夏。蚊の羽音が五月蠅く感じる。まぁ、ここに来る前に虫よけスプレーを買っておいたので幸い虫には刺されていない。

 何故、ここに来たのか。考え事をしたかったからだ。西田幾多郎ほど高尚な事を考えるつもりはない。俺が考えたいのは、この現状についてのみ。

 梅小路公園から京都駅に戻り、そこからバスに乗って来た。時刻は午後2時半過ぎ。

 此処は粟田山冷泉天皇陵の隣に位置する場所。ここからずっと道を歩き続けるつもりだ。鹿ヶ谷疎水沿いを辿って行けば、そのうち京都大学へ出るだろう。その先をずっと歩いて行けば鴨川デルタに、その先も歩いて行くと俺達が通っている勧学院かんがくいん大学が見えてくる筈だ。

 

 ―――そうだ。勧学院大学だ。どうして、俺はずっと自分の通っている大学のことを「御所に近い大学」だの「煉瓦造りのお洒落な大学」だの曖昧な呼び方をしてきたのだろう? はっきりと大学名を言えば済む話なのに。確か、2050年あたりだったか。少子化の影響で日本各地の大学は私立公立に関わらず対策を取らざるを得なくなっていた。その対策の一つが「名のある大学が定員割れの他の大学を買収し、学部や生徒数を拡大する」こと。教育業界はどこも生き残りをかけて必死なのだ。勧学院大学も多くの大学と合併する前は何とかって名前だったと思う。その名前は忘れた。

 問題はということだ。自分の通っている学校の名を忘れるなんて、小学生じゃあるまいし。いや、小学生だってこんな物忘れはしないだろう。


 そういえば。俺は自身の所属サークル「推理小説研究会」のメンバーの名前も覚えていなかった。四十人以上が所属する飲みサーとかなら無理もないが、十人程度が所属するサークルとなると話は変わってくる。どれだけ、名前を覚えるのが苦手な人でも苗字くらいは記憶している筈だ。ましてや、俺は三回生。入部は一回生の頃だった。三年も所属しておいて、部員の名前があやふやなのは示しがつかないだろう。鞍馬山の一件を思い出す。「山田」と「山本」。まさか、あんな間違いをしてしまうとは。七条君にも馬鹿にされる訳だ。



 キィィィン



 先程から何度も耳鳴りが頭の中で響いている。激しい頭痛が俺を襲う。眩暈で視界がグラグラする。でも構わない。もっとやれ。

 この感覚が、のだから。



 ふと、和気白雪の台詞が頭を過ぎる。

『何故なら、貴方と彼らは既に道が分かたれた存在だから。N、貴方は否定されし存在。決して、肯定されて良い存在じゃない』

 彼女はこの台詞をヒントと言っていた。何だろう? きっと、何か意味がある筈だ。

 七条君からのヒントは「N↔?」

 白雪からのヒントは「道が分かたれた」、「否定と肯定」

「Nの逆」


 





 その瞬間、眩暈が一気に激しくなる。視界が揺れ、目の前の景色が万華鏡のように乱反射する。頭の中でジグソーパズルの最後のピースがカチャリと嵌まり、パズルが完成する。

 途端に妙な感覚に襲われる。まるで走馬灯。様々な景色、風景、場面が頭の中でフラッシュバックする。



 ―――そして俺は謎を解き、

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