最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(3)

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 From:七条葵

 To:N先輩

 件名  この場所で待っています。



 N↔?


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 これがメールの文面だった。

「何だこれ」

 いつもなら、「下らんメールを送るんじゃない」と説教の一つでも返信してやるところだ。だが、俺にはもう分かっていた。これは悪ふざけではなく、七条君が何かを伝えたくてメールを送ってきたのだと。

 七条君は件名に「この場所で待ってます」と書いている。「?」に入るのは地名、建物名、座標等の場所に関する情報であると分かる。この場所で一体、何が起こるのか。彼は俺に何を話すつもりなのか。


 ゾクッ


 悪寒がする。まるで、俺の本能が「行くな」と訴えかけているようだ。だが、俺はもう後戻りする気はなかった。

 思えば、春先の「奇妙な男」事件が発生してから、俺の日常は少しずつ狂い始めた。妙な眩暈が起こるようになったのも、丁度、あの日からだった。俺は何かとんでもない事に巻き込まれているのではないか……。そう考えると不安も募る。

 だが、それ以上に知りたかった。自分がどういう状況に置かれているのか。自分は一体、どのような存在なのか。そして、N




「ひとまず色々と考えてみるか……」

 俺はソファに座り、目を閉じた。集中力を高める為だ。少しずつ思考回路が動き出す。

 まず、問題は「N↔?」だ。つまり、「?」は「Nと対照的な物、正反対の物」が当てはまるということで間違いない。

 パッと頭に浮かんだのは「S」だ。「丑の刻参り」事件のトリックで磁石が使われたことが記憶に残っていた。N極の反対はS極。単純な答えだ。しかし、全く的外れという訳では無いのかもしれない。「S」は七条葵の頭文字の「S」とも読み取れるし、確かに俺の目的地は「七条葵の居る場所」なのだから。だが、正解とも言い切れない。もし「S」が「七条」を指しているのだとすると……。

(この場合、京都の七条に行けば良いのか? いや、彼の実家がある下鴨の方まで行けば良いのか?)

 そう、二通り考えられるのだ。「地名の七条」か「人物名の七条」の二択に。ちなみに、「地名」の方だとややこしいことになる。なにせ、東山七条、七条京阪、烏丸七条、七条堀川……。京都には七条と名の付く場所は多く存在し、何処に行けば良いのか全く分からないからだ。

 だが、それは「人物名」の方も同じだ。この場合、暗号の意図は「七条君の」が主語になる。そこまでは分かる。だが、問題はそこから先だ。つまり「七条君の実家」なのか「七条君の通っている大学」なのか。挙句の果てには「七条君がエロ本を拾った場所」なんてのも考えられてしまう。「七条君の」の先が分からなければ、結局は何処に行けば良いのか分からなくなる。

「僕、中学の頃に五条大橋の下で水面に浮かんでいたエロ本を拾ったことがありましてね。僕の思い入れのある場所なんですよねぇ。ヒント無しでも察して欲しかったですねぇ」

 なんて彼が言い出した暁には、俺は問答無用で奴を琵琶湖疎水に頭から突っ込んで溺死させるだろう。

 長々と話したが、要はヒントが足りないのだ。いや、待てよ……。俺は考え方を変えてみることにした。もしかしたら、「N」の方も考えなければならない要素があるのではないか。


(そういえば……)


 俺は思い出す。「奇妙な男」事件では「京都の環境」が、「悪魔憑き」の事件では「京都の文化」が、「ツチノコ」事件では「京都の生物」が、「丑の刻参り」事件では「京都の歴史」が……。

「そうか! 京都か!」

 思わず叫び出していた。そうだ、今までの事件では「京都」がキーワードになっていた。もしかしたら、京都に「N」と名の付く何かがあり、そこに行かなければ謎は解けないのかもしれない。俺は早速、スマホで検索を始めた。検索ワードは勿論、「京都 N」。出てきたのは、料理屋、サロン、塾……。違う。店の名前の様な固有名詞ではなく、一般的に浸透している物だ。何かの建築物や場所の名前……。

「もしかして、コレか?」

 スマホの画面を少し下にスクロールすると、「京都の市電 N電」というものが出てきた。

 N電とは、かつて京都市で路面電車を運営していた京都電気鉄道が保有していた車両のことで、京都電気鉄道が市営化した後に市が保有している1形電車と区別する為、「狭軌用」のnarrow(狭い)の頭文字をとって「N電」と呼ばれるようになったそうだ。

 じゃあ、此処に行けば良い訳か。と思ったのも束の間、話はそう簡単には進まなかった。「かつて」と書いたように、N電は既に廃車となっており、残っている場所は数少ない。一つは京都市の大宮交通公園にあったらしいが、2020年に大阪のとある霊園に移されたそうだ。

 ここである考えが湧き上がる。

「これ、もしかして方角か?」

 そう、「N」を「North(北)」とすれば、その逆は「South(南)」で頭文字は「S」になる。つまり、京都の南に手掛かりがあるのかもしれない。そして、京都府民の間では「京都駅」を基準にして、京都駅より北側を「表」と呼び、京都駅より南側を「裏」と呼んでいる。ここでの「南」は京都駅を基準にする方式で良い筈だ。

 つまり、京都駅より南側にあり、N電がある場所。そこが答えに違いない。俺は早速、スマホで検索する。該当する箇所はもはや一ヵ所のみ。

 俺はソファから立ち上がり、部室から飛び出した。駆け出した俺の脳裏にふと、疑問がぎる。


 ―――何故、七条君はこんな暗号を作ったんだ?

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