最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(2)

 ひとまず、行き先は今出川。大学の部室だった。

 これは賭けだった。部室に七条君か八神さん、もしくは鞍馬山に来ていた部員が居れば、話を聞くことが出来ると思ったからだ。

 宇治からJRで京都駅へ、京都駅から地下鉄烏丸線で五駅目。俺の通っている大学は地下鉄の出口がそのまま構内へと繋がっている。俺は階段を駆け上り、文化部の部室棟へと向かった。


「七条君! 八神さん!」

 推理小説研究会の札が掛かっている扉を勢いよく開く。バタンッ!という大きな音が部室内に響く。いつもなら、

「何なんですか! 慌ただしいですね。僕よりも年上なのに落ち着きが無いとは、流石、洛外住みの先輩ですね!」

「N! 扉を開く時は必ずノックをするものよ。推理という知的遊戯を扱う会の一員なのに冷静さの欠片も無いわね。後輩に示しがつかないわよ」

 という七条君と八神さんの罵声が飛んでくる筈だ。しかし……

「誰もいねぇじゃん……」

 俺は力無く呟いた。部室には誰も居なかった。七条君や八神さんだけではない、鞍馬山に来ていた他の部員達も誰一人居ない。普段なら誰か一人は部室に居る筈だ。基本、八神さんは毎日居るし、七条君も家より此処の方が落ち着くといって居る頻度は多い。それでなくとも、もしかしたら山本君は居るかもしれないと期待していたが、彼も不在だった。

 俺は溜息をついて、部室の奥にあるソファへと向かった。部室での俺の定位置だ。いつも此処で昼寝をする。そうすると、何となく頭が冴えて推理小説の執筆が捗るのだ。

 ソファにごろりと横たわる。人は居ないが、相変わらずごちゃごちゃした部屋だった。あちこちの床に読みかけの本や過去の会誌、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。

「一応、電話してみるか」

 誰に言った訳でもないが、思わず口に出た。誰かを待つよりもこちらから連絡した方が早いと思ったのだ。早速、スマートフォンを取り出し、まずは七条君に電話をかける。

 プルルルル プルルルル

 なかなか出なかった。もうしばらく待ってみた。

「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていない為、掛かりません」

 お決まりの台詞が流れる。次は八神さんの番号に掛けてみた。わざわざ書く必要もなく、七条君の時と同じだった。勿論、山本君も。そして、最終手段として姉小路の電話にも掛けたが、結果は同じ。

「どうなってんだよ。一人くらいは出てくれてもいいのに……」

 俺は電話を切ってスマホをポケットに閉まった。やっぱり誰かを待つしかないようだ。暇だし、部室の本棚から適当な本を見繕って読むか。


 ポスッ


 本棚から何かが落ちた。俺はそこに目を向ける。落ちたのは一冊の本だった。近付いてタイトルを確認する。

「『Yの悲劇』か……」

 アメリカの著名な推理作家エラリー・クイーンの長編推理小説「Yの悲劇」。当然、内容も知っている。

 

 ニューヨークの大富豪が毒を飲み、海に身を投げて自殺したことから話は始まる。彼の水死体が見つかってから、その富豪の家では奇妙な事件が次々と起こる。視覚と聴覚に障害を抱えた長女の飲み物に毒物が混入し、長男の息子である13歳の少年がそれを飲んでしまい死にかけるという毒殺未遂。さらに、富豪の老夫人がマンドリンという軽い弦楽器で撲殺される。

 名探偵が調査に乗り出すと、自殺した富豪が書いた推理小説のあらすじが見つかり、その内容は妻や子供達から迫害されていた富豪が犯人となって家族を殺害して復讐するというもの。


「つまり、その殺人事件は小説のあらすじに沿って行われてたんだよなぁ……」

 俺は再び、独り言を呟く。思えば、俺が初めて読んだ推理小説もコレだった。確か、誰かに「面白いから読んでみなさい」ってプレゼントされたような記憶がある。あれは誰だったっけ?


 ピロンッ♪


 背後から電子音が聞こえ、俺の思考を中断させた。部室のデスクに設置してあるパソコンから聞こえた。今度はそちらに近付き、画面を見る。そこには……。

「七条君!?」

 俺は思わず声を上げてしまった。だが、驚くのも無理はない。

 それは貴船神社の一件から姿を消してしまった七条君からのメールだった。

 

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