第4稿 悪魔の囁きと丑の刻参り(真相編)(3)

 俺の台詞に姉小路は一瞬、驚いた顔をした。だが、すぐに表情を戻す。そして「やれやれ」と言いたげに首を横に振った。

「いきなり何を言い出すかと思えば、馬鹿馬鹿しい。僕が田中瀬織を殺しただって? 何を根拠にそんな……」

「さっき俺に向けてきた金槌、暗褐色の錆みたいな汚れがあった。あれは血じゃないのか?」

「それはどうかな? 君の見間違いじゃないのか? まぁ、君が何処かへ放り投げてしまったから、今は証明できないな」

 成る程。あくまでしらを切るつもりらしい。だが、これで「姉小路が『申』の文字の意味に気付いていない」ということがハッキリと分かった。

 俺はその滑稽さに思わずニヤリと笑ってしまう。

「何だよ! 何が可笑しいんだよ!」

 逆上して憤慨する姉小路に俺は言った。

「あぁ、君の愚かさに思わず笑いが込み上げて来てね。普段の八神さんに推理小説の出来を褒められている姉小路は何処へ行ったんだい? せっかく、和気さんがあの時にヒントをくれていたっていうのに」

「ヒント?」

「名前だよ」

 俺は先程、彼が何かを打ち付けていた桂の木の方に歩いて行った。そこには案の定、藁人形と「申」と書かれた半紙が五寸釘で打ち込まれている。俺は五寸釘を無理やり取り外し、半紙を回収した。そして、その半紙を姉小路に見せながら説明を続けた。

「和気さんは『田中瀬織』という名前から丑の刻参りのルーツとなった『瀬織津姫』という神様を連想した。もしかしたら、田中瀬織自身もそれを知っていたから丑の刻参りを行ったのかもしれない。であれば、きっと『田中』の方にも何か意味を込めるかもしれない。そう思ったら、その『申』という字の意味が解けたんだよ」

「意味? 『田』と『中』の漢字を合わせて『申』! つまり、これは彼女の署名なんだよ! それ以外に無いだろう!」

 成る程。姉小路はそう考えたらしい。

「何故、わざわざ署名なんかする? そもそも、丑の刻参りは人に知られないように行うものだし、藁人形には呪いたい相手の名前を書くもんだぜ。これじゃあ、仮に丑の刻参りの呪いが本当にあったとしても、呪いが田中さん自身の方に行ってしまうじゃないか。まぁ、『田』と『中』の漢字を合わせて『申』という考え方は当たっていると思うよ。だが、それは署名じゃない。自身の苗字に注目して欲しかったからさ」

 俺は半紙を頭上に掲げた。

「京都は碁盤の目のような通りになっている事は知っているね。。そして、そこを『中』の縦線が真ん中を貫き、五寸釘は『申』の字の『―』の縦線と『日』の一番上の横線が交わった中心点を貫いていた。『―』の縦線は朱雀大路を表していたんだ。そして、その朱雀大路の向かう先にあった場所。かつての京の都の要所であり、京の中心。そう『大内裏』さ。平安時代の地図を見れば分かるだろうが、当時の大内裏は朱雀大路の先、平安京の一番上に位置していた。まさしく、五寸釘で貫かれている位置にね。だが、大内裏は現在の京都には無く、1331年から1869年までの内裏は現在の京都御所となった」

「ふん、歴史の授業かい? それが一体、何を……」

「猿ヶ辻の変を知っているかい?」

 急に聞き覚えの無い歴史用語を出されたせいなのか、姉小路は押し黙った。どうやら彼は歴史に詳しくないようだ。だからこそ、彼女はわざわざこのような分かりにくい形で呪う相手の名前を示していたのだし、現に姉小路はその内容に全く気付かず、彼女の死を偽装する為に行った丑の刻参りでも、そのメッセージを残していた。まさか、姉小路自身の名前が書かれているとも知らないで……。

「猿ヶ辻の変。別名、朔平門外の変とも言うが、これは京都御所の塀の北東の角部分である猿ヶ辻と呼ばれている場所でだよ。もう分かるだろ。京の碁盤の目の一番上を釘で貫いて京都御所を表したいのなら『田』という漢字だけで良かった筈。それをわざわざ『申』にしたのは『さる』と読ませて、ことを暗示させたかったのさ。名前も丁度、右近衛少将を縮めて右将だしな。それに猿ヶ辻は京都御所の丑寅(北東)の方向にあり、その位置は鬼門を表す。そして、時刻の丑寅は丑の刻に該当する。田中瀬織が姉小路右将を丑の刻参りで殺してやるって意思がひしひしと伝わってくるぜ」

 俺の台詞に呆然とする姉小路。そして、頭を抱えた。

「あぁ、そっかぁ。しまったなぁ。もっと日本史を勉強しておくべきだった……。でも、今更悔やんでも後悔先に立たずかぁ」

 だが、ふっと軽やかに笑い、大袈裟な身振りで姉小路は両手を横に広げた。その表情からはまだ笑みは消えていなかった。

「だが、それだけで僕が田中瀬織を殺したと言うつもりじゃないだろうね。今、君が証明してみせたのは『僕と田中瀬織の間に接点があった』ことと『田中瀬織が僕を恨んでいた』ってことだけさ。そこまでは百歩譲って認めても良いが、僕は人殺しなんかしていない」

 その返しも俺は既に予想していた。だから、俺は言った。

「田中瀬織の遺体がある場所なら、既に見当はついているよ」

 この言葉に姉小路の顔からようやく余裕の表情が消えた。

「そんな馬鹿な……。嘘だろ?」

 俺は首を横に振る。そして、憐れみの目で彼を眺めた。

「残念だが、本当だよ。動機は分からないが、君は大的大会の後に田中さんと何かしらの諍いがあった。そこで5月から6月まで姿無き刻参りを行った田中さんは7月に閉鎖病棟に入れられた。だが、運悪く田中さんと確執があった君の実習先が同じ閉鎖病棟だった。恐らく、そこで口論となりカッとなって殺害した。

 いくら実習生とはいえ職員なのだから病棟の内部には詳しい筈だし、実習生なら病棟内を歩き回っても見回りだと思われるから周囲に怪しまれることもない。だから、警備員は『人間は見なかった』と証言したんだ。

 それに『病院の監視カメラにも彼女は映っていなかった』と八神さんは言っていたが、映る訳がない。まさか、遺体となって外に運び出されているとは誰も思わなかっただろうからね。実習は泊りがけだから、着替えや荷物を持ってきた大きめの鞄か何かに遺体を詰め込んだのかな? それとも、リネン室にあるシーツやタオルの入った台車にでも詰め込んで病棟の外に出たのか? 見つかりにくいのは後者かな。監視カメラの映像をもう一度調べれば、田中さんの姿ではなく台車を運んでいる姉小路、君の姿が映る筈だ。そして、遺体はその中にあった。

 とにかく、人知れず遺体を運び出すことで君は『田中瀬織は閉鎖病棟から脱走し行方不明』だと周囲に思わせたかった。だから、決して遺体が見つかる訳にはいかない。だが、京都は何処も観光地で人が多く、たとえ山奥に遺体を埋めたとしても一週間も経てば誰かに見つかってしまうだろう。だから、君はこう考えた。あえて、観光客の盲点になる場所に遺体を隠そうとね」

 俺はポケットから写真を出した。先程、和気さんに見せてもらったやつだ。オーブがたくさん写っている、鞍馬山西門から貴船神社に行く途中を流れている貴船川の写真。滝が水飛沫を上げており、周囲にオーブが写っている。

「恐らく、遺体は此処にある。遺体を大きな透明なビニール袋に詰めて、袋の口を閉じる。そして、この川の滝壺にそれを沈めたんだ。水と空気の屈折率は違うから、光の屈折でビニール袋の中が見えなくなる。しかも、それだけじゃない。滝の水飛沫が上から覆い被さってビニール袋自体を見えにくくしたのさ。ましてや、此処は観光客もよく通る道だ。まさか観光客もこんな目立つ場所に遺体が隠してあるなんて思わないから、滝壺なんて注視せずに歩いて行ってしまう。良い隠し場所だと思っただろう? まぁ、この写真のようにビニール袋が日光やカメラのフラッシュを反射してオーブの様な物が写り込んでしまうけどね」

 悔しそうに唇を噛む姉小路。怒りと恐怖が入り混じった顔をしている。

「ちなみに、君が若丸君に危害を加えたのは遺体を見つけられそうになったからだ。 若丸君くらいの小学生の身長なら位置によってはビニール袋が見えてしまうからね。そして、腹いせの意味もあったんだろう。彼のツチノコ騒ぎのせいで観光客は増加し、さらに普段は誰もが気に留めない場所にもツチノコを探す為に注目するようになってしまった。遺体が見つかるのではないかと君は気が気じゃなかった筈だ。その騒ぎの当事者が顔を見せ、君は気持ちが抑えられなくなった。そうだろう?」

「……フン、くだらない。いいか、僕はずっと八神会長と貴船神社に居て、君達を待ってたんだよ。若丸だって? そんな奴に会った覚えは無い!」

 今までの余裕の表情は何処へやら。彼は逆上し、怒鳴り始めた。普段の面影からは想像できない程の凄まじい怒りの表情だった。そんな彼に俺はポツリと呟いた。

「……なぁ、お前が貴船神社で俺と七条君を出迎えた時、何て言ったか覚えてるか?」

「……は?」

 突然、何を言い出すんだとでも姉小路は言いたげだ。だが、これで詰みだ。もう姉小路に弁明させるつもりは無かった。

「俺はハッキリ覚えているぞ。『観光客の噂話を耳にしてね。鞍馬山の麓で怪我人が出たって聞いたから、心配だったんだ……』だったろう?」

「そ、それが何なんだよ?」

「分からないか? 『巻きこまれた』っていう言い方は第三者が事故や事件の当事者と関わって、渦中に放り込まれる場合を指す。現に今回の場合、怪我をしたのは若丸君で俺と七条君は巻き込まれた側なのだから。だが、観光客の噂話は『鞍馬山のふもとで怪我人が出た』だろう? 何故、んだ? 普通は『知り合いが怪我人のトラブルに巻き込まれた』と想像するよりは『もしや自分の知り合いが怪我をしたのかもしれない』と心配になるだろう。答えは一つ。お前が加害者なんだから、怪我人が誰かを知っていて当然なんだよ。お前は何らかのトリックで若丸君を五寸釘で攻撃した後、若丸君が倒れていた奥の院橋の真下にある川沿いの道を使って、全速力で貴船神社に戻ったんだ。俺たちが神社に到着した時、お前がゼェゼェと息を切らしていたのは俺らを探していたからじゃない。駆け足で鞍馬から貴船神社まで走ったからさ! さぁ、何か反論があるなら言ってみろよ!」

 俺は彼を怒鳴りつけた。いつものような爽快感のある推理じゃない。何せ、コイツとの付き合いは長いのだ。一緒に推研で活動した日々。姉小路はいつも良い奴だった。明るく、社交的で、そんな奴が事件の犯人だなんて。理屈では分かっていても、心はまだ納得しきれていなかった。反論があるなら是非、言って欲しかった。

 だが、彼は膝からがくりと崩れ落ちた。肩を震わせ、壊れたステレオのように「く……く……く」とかすかな声を漏らしていた。そして、唐突に口を開いた。

「なぁ、N。お前、僕があのガキを攻撃したトリックを何らかのって言ってたよな」

「あぁ、そこまでのトリックは分からなかった。だが……」

「だが?」

「田中さんは用意周到な人だ。弓矢と電磁石のトリックが何かの理由で駄目になった時の備えとして、別のトリックも用意していたんじゃないのか? そして、お前はそれを使っている。違うか?」

 ふぅ……と姉小路は溜息を吐いた。

「やれやれ、何もかもお見通しなんだな。その通りだ。そして、俺はそれを今、手元に持っている」

 そして、彼は白装束の背中から金属製のパイプと塩化ビニール製のパイプを複雑につなぎ合わせたような何かを俺に向けた。まるでバズーカ砲のような大きさや形をしている。パイプの穴がまるで銃口のように俺を睨んでいる。その銃口の中では五寸釘の切っ先が今にも此方に飛び掛かろうとしていた。

「エグゾーストキャノン。所謂、空気砲さ。しかもコイツは特別製でね。最大出力で1メガパスカル(約100t)の圧力で銃口の中にある物を吹っ飛ばす。まぁ、威力が凄すぎて照準がうまく合わせられないのが欠点だがな。奥宮の方だと範囲が広すぎて何処に飛ぶか分からないし、深夜二時だと本宮の階段を上がった所の門が開いていないから、わざわざ龍船閣の下の道から上空に打ち上げて、放物線を描いて手水舎や本殿の近くに当たるようにしたのさ。最も



 ―――今夜はお前を殺す為に使うがな」

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