第4稿 悪魔の囁きと丑の刻参り(襲撃編)(5)

 ―――あれ? 此処は何処だ?

 少しずつ目を開く。社務所の中に居たのは俺一人。七条君も、八神さんも、姉小路君も、和気さんも居ない。社務所の奥の畳で俺は一人で寝転んでいた。俺の周りには、八神さんが持ってきたおにぎり、姉小路君と七条君が持ってきたお菓子類、和気さんが淹れた緑茶の湯呑と急須が置いてあった。どうやら、意識を失っていたらしい。

 何故、こんな事態になったのか。腕時計を見ると時刻は午前2時だった。丁度、だ。

 俺は数時間前の事を思い出した。




 社務所へは右端の祈祷受付所から入ることになっている。和気さんを先頭に姉小路、俺、七条君の順番で中に入った。気付いたら、この時点で時刻は午後6時。意外と時間が過ぎるのは早いもんだとしみじみ感じる。

「あら、お帰りなさい」

 八神会長が出迎えてくれた。お守りやおみくじを売っている店頭、その奥は畳になっており、俺達はそこに座らせてもらう。お守りの在庫が入れてある段ボール箱や行事等で使う道具や機材も置いてあった。

「若丸君は……」

 心配そうな七条君の声に応じたのは和気さんだった。

「大丈夫です。早い段階で止血しましたし、命に別状はありません。神主さんに電話したら、丁度、病院に着いたらしいですし。問題はありませんよ」

「それは良かった! では、早速……」

 俺が話を始めようとすると、和気さんが急須と湯呑みを人数分用意し、お茶を注いだ。それを見た八神さんがおにぎりを、姉小路と七条君が鞄からお菓子を取り出す。和気さんが淡々と話し始めた。

「分かってます。『姿無き刻参り』のお話ですね。逆にお聞きしますが、皆様はこの事件について、何処まで知っておられますか?」

 和気さん以外の四人は顔を見合わせた。ひとまず、代表で俺が口火を切る。

「まず、容疑者は田中瀬織たなか せおり。俺達と同じ大学で工学部の三回生で弓道部の部長。彼女が三十三間堂の大的大会、成人女子の部で優勝してから、何者かが嫉妬の手紙を何枚も送りつけた。それで精神が保てず統合失調症と診断され、7月上旬に精神病院の閉鎖病棟に入院することになった。そして、二週間ほど前に誰にも見つかることなく閉鎖病棟から姿を消した」

 そして、俺の後を八神さんが引き継ぐ。

「話は貴船神社の方へと移るけど、5月から6月の約二ヶ月に渡り、週一くらいの頻度で奥宮に藁人形が落ちていたり、木に打ち付けられていたこと。しかし、特に怪しい音や人影は無し。6月末にはピッタリと止んだが、今月8月、二週間ほど前から再び本宮で似たような現象が起きている。そして、どちらの事件の藁人形にも『申』と書かれた紙が五寸釘で貫かれており、どういう意図があるかは分からないが、時期的な問題から我々は田中瀬織が同一犯であるとして捜査を進めている……って感じね。何か間違いはあるかしら?」

 俺達二人の説明に和気さんは黙って聞き入っていた。そして、話が終わると小さく手を叩いた。拍手のつもりなのだろう。

「流石ですね。大変、よく纏まったお話でした。それに内容も完璧です。何も付け加えることはありません。ただ……」

「ただ……何です?」

 七条君が身を乗り出す。和気さんは近くの段ボール箱から何かを取り出した。

「皆様をお呼びしたのは、実物を見て貰った方が良いと思ったからです。これが藁人形、こちらが五寸釘と『申』と書かれた紙、他にも付近に気になる物が落ちていたので回収しました」

 食べ物やお茶の近くに並べられる曰くつきの代物。和気さんはデリカシーには無頓着なタイプかもしれない。

「これは案外、小さいわね。もうちょい大きな藁人形を想定していたけど」

 八神さんは首を捻る。俺も同じことを思った。藁人形はせいぜい手の平くらいの大きさだ。そこまで大きな物ではない。テレビの心霊特集で見た物はもう少し大きめだった。

「で、こっちは五寸釘ですね。鉄製で思っていたよりも長いですね。手首から人差し指くらいまでの長さかな。『申』って書いてある紙は習字の半紙みたいですね。でも、筆ではなくマジックペンで文字が書いてある。『申』の漢字の上の方、『―』の縦線と『日』の一番上の横線が交わる所が貫かれてますね。指で触ると穴が空いているのが分かりますよ」

 七条君が丁寧に解説してくれる。だが、俺の目は別の物に吸い寄せられていた。

「N、それが気になるのか?」

 姉小路の問いに俺は頷いた。そこには薄汚れた乾電池と導線らしき針金があった。

「森の中とはいえ、こんな物が落ちているなんて不自然だ。何故、こんな所に……」

 俺の疑問にすかさず姉小路が答えた。

「導線は流石に分からんが、乾電池の方は分かるさ。大方、夜中に悪ふざけに来た奴が懐中電灯の電池を入れ替えようとして落としたんだ。ただのゴミだよ」

 それは無いだろうと俺は思った。そんな物なら、わざわざ和気さんが取っておく筈がない。助けを求めるように俺は彼女をちらりと見た。

「いえ、『姿無き刻参り』があった後に頻繁に境内の外に落ちているんです。毎回ではないので、姉小路さんの仰る通り、ただの落とし物だとも考えられますが、それにしても落ちている頻度が多くて。何となく気になったので」

 和気さんは俺のアイコンタクトをしっかりと受け取ってくれたらしい。丁寧に解説してくれる。姉小路はじっとそれらを眺めて、黙り込んでしまった。

「それにしても田中瀬織か……。気になりますね」

 和気さんがボソリと呟く。その一言を七条君は聞き逃さなかった。

「え? それってどういう意味です?」

 唐突に追及してくる七条君に対し、和気さんは吃驚したようだった。付き合いの浅い人なら七条君のこういう所には驚かされるだろう。まさか聞かれるとは思わなかった……と言いたげに和気さんはあたふたする。

「あ、いや、単に。丑の刻参りのルーツは『宇治の橋姫』が貴船神社で参拝し、神様から指示された呪いの儀式だと言われています。橋姫は鉄輪を逆にして頭に乗せて、三つの脚に松明を燃やし、松明を口に加え、貴船の神の言う通りに37日間、宇治川に入ったとか。そして、妬ましい女を呪い殺したそうです。その宇治市にある『橋姫神社』が祀っている橋姫は川神である『』と同一視されています」

「へぇ、そうなんですか。で、それが何か?」

 しつこい七条君の追及に和気さんは不機嫌そうな顔をする。

「だから、気になっただけです。別に深い考えがあった訳じゃありません」

 冷気を帯びた視線に流石の七条君も押し黙った。これ以上は、特に調べてみても何も分かりそうにない。すると、八神さんが和気さんの肩を指で軽く叩く。

「ねぇ、白雪。あれは見せなくても良いの? 手掛かりになるかは分からないけど」

「あぁ、あの写真ですね」

 和気さんは巫女服の袂から一枚の写真を取り出した。鞍馬山の西門から貴船神社に行く道の途中にある川だ。特に何もない様に見えるが……。

「白雪さん! これ、オーブが写っているじゃないですか! ほら、滝の所、水飛沫の部分、キラキラしてますよ!」

 七条君が唐突に騒ぎ出す。俺は彼の首根っこを引っ掴んで黙らせた。

「おい、七条君。一旦、黙ろうか。いきなり騒ぎ出すから、和気さんも吃驚しているじゃないか。で、オーブって言うのは何だ?」

 ひとまず落ち着いたであろう七条君は首根っこを掴んでいる俺の手を引き剥がし、ぶつくさ文句を言う。

「まったく、N先輩はすぐに暴力を振るう癖に無知なんだから。仕方ない。僕が解説してあげますよ。オーブというのは玉響たまゆら現象とも言って、霊魂が多い場所で撮影した場合によく写る光の玉のことです。きっと、この写真に写っている辺りに瀬織さんの生霊なり怨念なりが渦巻いているんですよ。それにしても、この写真どうしたんです?」

 七条君が訊ねると、今度は和気さんではなく八神さんが答えた。

「あぁ、これは貴船神社に来た観光客の人が撮った写真ね。この場所で何かキラキラ光る物があったからポラロイドカメラで撮影したみたい。で、撮ってみたらオーブがたくさん出たってことで、この神社でお祓いをお願いしたらしいの。白雪はこれも何か関係あるんじゃないかって言っているんだけど……」

 そこで和気さんが口を挟む。

「だって、その写真が撮影されたのって二週間前なんですよ。時期的にも何か関係あるんじゃないかって疑いたくなりますよ」

「あっ!」

 また七条君が大きな声を上げる。流石に腹に据えかねたのか、和気さんは七条君をもの凄い形相で睨みつける。

「また、貴方ですか! いきなり、大声ださないでください!」

 たじろぐ七条君。

「ご、ごめんなさい。でも、この写真が撮られた場所って若丸君の足に釘が刺さった場所と近いですよね。この貴船川の小さな滝は鞍馬山西門の橋の上からでも問題なく見えますから……。それって、何か関係あるんじゃないですか……ね……」

 段々と七条君の後半部分の声が小さくなっていく。不思議に思い、彼の方を見ると七条君は白目を向きながら仰向けに倒れていく瞬間だった。

「おい! 七条君!」

 バタン!

 今度は俺の隣で誰かが床に突っ伏した。姉小路だ。そして、段々と俺の瞼も閉じていく。

 ストン

 壁際に八神さんがもたれかかる様子が目に入る。綺麗なまつ毛と少し紅潮した頬。寝顔も美しいなぁと場の状況にそぐわないことを考えてしまう。

(そうだ! 和気さんは?)

 俺が彼女の方に向き直ろうとしたが、出来なかった。俺は意識をそこまで保てなかった。

 俺の瞼が閉店間際のシャッターのようにゆっくりと上から落ちていく。

(あぁ、これは誰かに一服盛られたな……)

 そこで俺の思考は停止する。

 急に視界が暗転した。

 

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