第4稿 悪魔の囁きと丑の刻参り(襲撃編)(4)

 階段を昇ると姉小路が此方へ向かって走って来た。ゼェゼェと息を切らしている。

「ようやく来たね。探したよ。なにせ、観光客の噂話を耳にしてね。鞍馬山の麓で怪我人が出たって聞いたから、巻き込まれたんじゃないかって心配だったんだ……。でも、二人とも、怪我をしている訳じゃなさそうだ。無事で安心したよ……」

 ほっと胸を撫で下ろす姉小路に和気さんが背中に負ぶっている若丸君を見せる。

「怪我人はこの子です。先に社務所に行って、救急箱を用意するように言ってください」

「あぁ、はい、了解しました。えっと……」

 いきなりの台詞に戸惑う姉小路。和気さんはニコリともせずに手短に自己紹介した。

貴船神社ここの巫女の和気白雪と申します。それはともかく怪我人が居るんです。早く行きなさい」

「は……はい!」

 礼儀正しい自己紹介の後の厳しい叱責に姉小路は慌てて社務所へと駆けて行く。

「あ、今のは、僕達のサークルの副会長、姉小路右将先輩です」

 七条君が丁寧に補足した。だが、和気さんは興味なさそうに再び歩き始めた。



 社務所に着くと八神さんと姉小路が俺達を出迎えてくれた。

「今、姉小路君から話を聞いたけど……。大変だったわね。救急箱を取って来たわ。あと、神主さんに話したら、怪我人は車で麓の病院まで送ってくれるって。Nと七条君は此処で休んでなさい。応急処置は私と白雪でやるから」

「はい。ありがとうございます」

 俺は八神さんの厚意に素直に礼を言う。だが、七条君は別の事が気になるようだ。

「お二人はどういう関係なんですか? 白雪さんは『叡瑠先輩から話は伺っております』って言ってましたけど……」

 相変わらず、よく覚えている。私事プライベートに興味を持つとは失礼な。八神さんもそう感じたらしく顔をしかめた。答え難そうだ。

「えっとね……、彼女は……」

「幼馴染です。昔、受験の事で叡瑠先輩にはお世話になっていました」

 和気さんの声が横から話に割り込んできた。だが、

「えっと、どちらさま?」

 俺は唖然とした。見たことも無い少女が八神さんの隣にいつの間にか立っていたからだ。髪が寒色系灰色アッシュでショートボブの女性だ。しかも、先程、巫女服で。

「和気白雪。先程も言いましたよね」

 その少女が口を開き、呆れ顔で此方を見る。七条君も俺と同じく唖然とした表情で彼女に訊ねた。

「あれ、でも、先程まで黒髪のロングヘア―だったかと……」

「これですか?」

 和気さんは右手に長い黒髪を持っていた。ウィッグだ。

「巫女の仕事の時はコレじゃないと人前に立てないんです。灰色の髪が地毛です。鬱陶しいんで外したんですけど、何か不都合でも?」

 七条君が慌てて首を横に振る。

「いえ、大丈夫です! でも、仕事の事情であれこれ言われるのは大変ですよね。僕も実家が料亭なんですけど、外国のお客様とか京都弁に慣れていないお客様も居るから、なるべく標準語で喋るように言われているんですよ。今は慣れてますけどね。でも、そのくらいは自由にして欲しいって思う時もありますから」

 同情するように七条君は思いを吐露した。しかし、

「いいえ。仕事をする上で何かを切り捨てたり、抑制されるのは当然の事です。この髪も、神主さんから人前に出る時はウィッグを付けても良いと許可を頂いたから、こういう措置を取っているんです。もし、完全に駄目なら髪を黒に染めたり、切ることも考えていました」

 冷徹な言葉に七条君はたじろぐ。それにしても、恐ろしくドライな考えを持つ人だ。

「とにかく、少年の応急処置をするんで、二人とも外で待っていてください」

 その言葉に俺と七条君は素直に社務所の外に出た。流石の七条君も「八神先輩は社務所の中で休んで良いって言ってましたけど……」とは言わなかった。





 社務所で千円出して、御神水ラムネを二つ(俺の奢り)購入し、階段を降りて龍船閣という休憩所に向かった。遅い時間の為、俺達二人しか居なかった。境内に居る人も少なく、帰ろうとしている人が殆どだ。

「先輩! 見てください! 『貴船神社でしか聴けない音の体験』らしいですよ! やってみましょうよ!」

 無邪気にはしゃぐ七条君とは対照的に俺はぐったりと木製の横長の椅子に倒れ込んだ。

「やりたきゃ、やりたまえ。俺はここで少し休んでいよう」

 つまらなそうな顔をして、七条君は体験料三百円を箱に入れ、ヘッドフォンを耳に当てた。中々に楽しそうだ。

 ゴクリ。買ったラムネを一口飲む。美味い。清らかに透き通った冷たい水の感触と上品な甘さが喉に流れ込んだ。五臓六腑が洗われるような感覚。淡い炭酸の名残を噛み締めていると、同じラムネの瓶を持った人影が休憩所に現れた。

「よう、君らも居たのか」

「姉小路。お前もそれ買ったのか」

「まぁね。これ、美味い?」

「絶品だぜ。飲んでみろよ」

 姉小路は頷き、ラムネを口に流し込んだ。

「うん、美味いな」

「あぁ」

 しばしの沈黙。そもそも、姉小路とは部活で顔を合わせた時にしか話さず、二人きりで話す機会は今までに無かった。俺は沈黙に耐え切れずに口を開く。誰でも良いから相談したかったのだ。

「あのさ、推研のメンバーとして姉小路に聞きたいことがあるんだ」

 姉小路は驚いたように此方を向いた。

「あぁ、珍しいね。どうした?」

 俺は呟くように少しずつ話した。自分の中でもまだ言葉の整理をしていない。ゆっくりと言いたい事を纏めながら言葉を紡ぎ出す。

「君も推理小説は書くだろう? よく会誌に載ってるし」

「あぁ、書かない人も居るけど。ウチは書く人が多いね。勿論、僕も書いてるし、会誌にもよく載せて貰っている」

「ウチは出来の良い作品しか載せないからな。常連の君は本当に凄いよ。その腕を見込んで聞きたい。何故、推理小説ではが起きると思う?」

 再度、沈黙の時間が流れた。姉小路は困惑の表情になる。

「えっと、それはどういう意味?」

「すまん。言葉が足りなかった。つまり、推理小説の事件って現実の世界だと滅多に起こらないだろう? 現実は殺人事件でさえ、腹が立って殺して遺体を放置して警察に捕まるってパターンなのに、推理小説の事件では犯人達はこぞって策を弄したがる。アリバイトリックや密室トリック、想像上の化け物の仕業に見せかけるトリックもある。何故、推理小説の中では犯人達はそんなトリックを考えて実行するんだ? 何故、探偵はわざわざそれを解き明かす役目を引き受ける? ふと、そんな事を考えたんだ」

 しばらく考え込む、姉小路。

 ザァァァ

 貴船川の水の音、風が木を揺らす音が辺りに響く。

 数分程経って、姉小路がようやく口を開いた。

「そうだな。今、Nが言った事には例外もある。現実に起きた事件だって、推理小説の様に奇妙な例もあるし、迷宮入りになった例もある。逆に推理小説でも、犯人の意図から外れて偶発的に事件が複雑化したケースもあるし、探偵役だって自ら進んで引き受けるタイプが居れば、成り行きで渋々と引き受けるタイプも居る。

 だが、大体の推理小説では怪人二十面相みたいな奴が複雑なトリックを考えて、探偵がそれを解き明かすっていうパターンが多いな。この流れは現実では滅多に起きない。

 これは正解ではないとは思うけど、僕が推理小説を書く時の意見を言わせてもらう。犯人は多分、誰かに見て欲しいんだよ。努力の成果をね……」

「努力の成果?」

 俺が怪訝そうに言葉を繰り返すと、姉小路は頷いた。

「確かにNの言う通り、現実世界ではそんな事を考えて罪を犯す奴なんか居ない。だから、推理小説だけで通じる理論だと思うんだけどね……。

 例えば、小さい頃から塾で勉強している子供に母親や塾の講師はこう言うだろう。『今、頑張れば後が必ず楽になる。良い人生を送れる』ってね。なら、『頑張った子』は良い人生を保証されるべきだ。。それが道理であり正常なんだ。

 犯罪にしたってそうさ。単にカッとなって殺した短絡的な犯行はすぐに警察に捕まって当たり前だ。科学や物理、あらゆる知識を得て、細かい計画を立てて努力した犯人は何らかの形で報われなきゃいけない。警察にあっさり捕まって終わりなんて筋書きは有り得ない」

「でも、推理小説の犯人は大体が探偵に謎を解き明かされて終わるぜ」

 俺がそう反論すると、姉小路は首を横に振った。

「それすらも努力の対価だよ。素晴らしい才能を持った人物に努力の成果を批評して貰えるのだから。探偵が真相を解き明かせなかったとしても、それはそれで警察から追われずに自由が手に入る。だけど、努力をしない人間はどちらも手に入らないんだ。だから、犯人は策を弄して努力をする。ほら、僕達は関西で高学歴と言える大学で素晴らしい教育を受けている。就活でも困ることは無い。それは受験という努力すべき場できちんと努力をしたから手に入った成果だ。

 Nの問いに対する僕の答えは『犯人は成果を得る為に努力する』からだよ。そして、探偵は『犯人の努力』を認める為の役割なのさ。推理ショーというのはまさにそれだ。素晴らしい才能を持つ探偵は犯人の努力を認めて敬意を表しているから、決闘の場を用意するんだよ」

 斬新な意見だった。確かに、難解なトリックを用いて計画的犯罪を行う犯人は努力家なのかもしれない。そういう意味では犯人は一生懸命だ。姉小路の話を聞いていると、努力した犯人は報われるべき……と少しは考えてしまう。

 だが、自然と俺の口からは言葉が出ていた。

「それは違う。確かに、そういう犯罪者は努力家だ。だが、それはだ。殺人、窃盗、どの犯罪を行っても必ず苦しむ人間が現れる。現実世界では勿論、紙の上であっても犯罪者が居る以上は被害者だって居る。

 犯罪でなくてもそうだ。ある筋で何十年も努力して大成した職人が指導者になった。だが、その指導者が弟子に対してパワハラを行ったら? それに君は先程、高学歴を例に挙げていたが、高学歴の人間でも犯罪で悲しむ人間を生み出したら、それは最低な奴だ。んだよ」

 何故か、この言葉が自然に出た。特に何か考えていた訳じゃない。だが、自分の中で妙にこの意見が腑に落ちる。まるで、この台詞を自分が過去に誰かに言った様な……。

 姉小路は一瞬、今まで見たことも無い険しい顔をした様に見えた。だが、俺の見間違いだろう。すぐにいつもの和やかな顔に戻る。

「そっか。そうだね……。Nの方が正しいのかもしれない。でも……」

 姉小路が何かを言おうとした瞬間だった。

「少年の応急処置が終わりました。先程、神主さんが車で彼を病院に連れて行きましたよ。そろそろ、社務所にお戻りください。『姿無き刻参り』の詳しいお話をしたいので」

 俺と姉小路は驚いた。いつの間にか、背後に和気白雪が立っていた。全く気が付かなかった。どうやら、彼女は音も無く背後に忍び寄るのが上手いらしい。俺は両手を挙げてホールドアップで大人しく従う。

「分かりました。ほら、七条君。行くぞ」

 もう一度ヘッドフォンを耳に当てようとしている七条君を力ずくで引っ張り、俺達は社務所へと向かった。

 ふと、後ろを振り返る。貴船神社の有名な絵馬発祥の社。そこにある二頭の馬の像の目が少し濁っているように思えた。

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