第3稿 悪魔の囁きと神々の騒めき(解決編)(4)
鞍馬の階段は下り道も果てしなく長い。流石に俺の息も切れてきた。だが、
「先輩、見えてきましたよ」
七条君が指を指す。その先には数か所の社、一番大きな社の前の床には大きな花びらの模様が描かれている。そして、その隣にはそれなりに広い池があった。小学校や家の庭にあるような小さい魚を何十匹か飼えるくらいの大きさ。中央の石の上にはカエルの親子の石像が乗っており、その近くを一匹の大きな金魚が泳ぎ回っていた。
「確か、姉小路先輩が見せてくれたインスタの写真の池ですよね?」
七条君の声に俺は頷く。彼は鞄から何かをゴソゴソと取り出した。
「余っても仕方ないし、食べてくれる生き物が居るなら丁度良いですね」
と金魚の餌の余りを池に放り込む。
だが、金魚は食べようとしない。池を覗き込むと、七条君と同じ考えの観光客が他にも居たらしく大粒の餌が数十粒、水の底に沈んでいた。小粒タイプの物もあったが、池の水と混ざって濁っている。
「そうか。これが目的だったんだな」
俺の呟いた言葉に首を捻る七条君。俺は大声で周囲に呼びかけた。
「いるんだろ? 出てきなよ。若丸君!」
後方で誰かが動く気配がした。
「N先輩!」
七条君の声で振り向く。俺の背後、奥の方にある大きな社、魔王殿。その中から彼は現れ、俺達の居る場所、不動堂に向かってくる。
思ったよりも身長が低く、痩せ細っている。丸眼鏡越しに目の下に出来た隈が目立つ。さらに手足の泥に混ざり、肘や膝には何者かに殴られたような痣も見える。
その少年は悪戯がばれてしまった時のようにばつの悪い表情を浮かべている。彼はおずおずと口を開く。
「お兄さんたちは一体? あなたはどこまで分かっているんですか?」
その言葉に俺はこう返した。
「推理の悪魔の代弁者ってとこかな。そして、俺には全てが分かっている」
少年は全てを覚悟したような表情を浮かべた。
「聞かせてくれませんか? あなたの推理を……」
俺は頷き、口を開いた。
「まず、今回の事件では大きな疑問があったんだ。若丸君に対してね。一つは何故、若丸はツチノコの出現をツイッターで拡散させたのだろうか?ということ。写真まで撮っておきながら捕まえられなかったのか? 仮にツチノコが思いの外、素早くて捕まえるのが困難だったとしても、金魚の餌が好物だと分かっているのなら罠でおびき寄せる手段もあった筈だ。しかも、大勢の人に知らせたら他人に捕まってしまうリスクが生じる。他の人に奪われる確率を高めるような真似をしたのは何故か?」
「ツチノコの事を動画にすることが目的だったからですよ。捕まえた人とかにインタビューするんです。ツチノコ一匹の賞金よりも広告収入で得られるお金の方が高いと思いますけど」
七条君は若丸をフォローしたが、俺は即座に反論した。
「いや、先程調べたが、ツチノコ一匹の報奨金は100万円以上。1000万円以上や1億円を出す地域もある。値段だけで言えば動画一本の広告収入とは比較にならないよ。確かに、成功する確率で見ればツチノコ捕獲よりも、動画一本作る方が堅実だね。だが、広告収入くらいでここまで大袈裟に騒ぎたてようとする意味が分からないんだ。彼は『やってみた』系の動画をたくさん出している。単なる金目当てなら、もっと効率の良い企画は他にもある筈だ」
七条君も若丸も黙り込む。俺は続けた。
「そして、もう一つの疑問は白黒写真だ。ツチノコを撮影したアピールをしたいのなら、何故、観察が難しい白黒写真にしたのか。七条君から聞いたが、君は白黒で写真を投稿することが多いようだね。だが、今回に限っては白黒写真は悪手だったのでは? ツチノコは今まで全く存在が確認されていなかったUMAだ。信憑性を高めたいなら、主義を捻じ曲げてでも鮮明な写真にするべきだった。だが、君はそうしなかった。それは、本当は君はツチノコなんて見ていないからだよ」
俺はスマホを取り出し、ある画像を見せる。実は本殿の入口にあった掲示物を一枚、スマホで撮っていたのだ。写っているのは―――
「この白黒写真の被写体の正体は『スミナガシの幼虫』だ。このフォルムだと5齢くらいだね。サイのような顔と言われていたのは実は尻尾で、二つに割れている尻尾と言われていたのは顔だった。白黒写真にした理由は此奴をツチノコに見せかける為だ。ツチノコの特徴は通常の蛇と比較して胴体が太いこと。スミナガシの幼虫は全体は茶色だが、胴体の部分だけは肌色になっており、白黒写真にすれば胴体は白く写る。白は膨張色だから、胴体が太く見える。だから、ツチノコに見せかけることが出来たのさ」
七条君は信じられないという顔。
「そんな! たかが蝶の幼虫をツチノコに見せかけただけなら、流石に誰かが気付きますよ!」
「勿論、これだけなら、昆虫に詳しい人間に気付かれる恐れはある。だが、若丸君はプロのユーチューバーだ。露出補正や彩度、コントラストなど様々な撮影技術を持っている。大きさが分かる物を近くに置かず、逆に見る人の遠近感を狂わせる角度から撮影したりね。膝や肘に砂利や木の枝で擦れたであろう擦り傷から、彼が膝立ちしたり伏せたりしながら長時間撮影していた様子が目に浮かぶよ。姉小路が彼の動画を見て、言っていただろう。泥だらけになりながら、ツチノコの痕跡を作っていると。そう、彼は泥や擦り傷まみれになることで、ある事実を隠したかったんだ」
その言葉を放った瞬間、若丸の顔が引き攣った。その事実には触れてほしくないという不安と怒りの入り混じった表情で俺を睨む。
「これに触れるのはもう少し後にしよう。問題は何故、彼が『ツチノコ』なんてものをでっち上げたのか?」
俺は池の中で泳いでいる金魚を指差した。
「この金魚を救う為だろ? この金魚はたった一匹で泳いでおり、この池には他に生物が住んでいるようには見えない。夏の間にたくさん食べておかなければ、冬になってから死んでしまう。そう、考えたんだろう? だから、金魚の餌を撒けばツチノコが来るとツイッターで知らせ、観光客の何人かが金魚に餌を与えてくれることを期待した。また、寺務員の人にも教わったんだろうね。観光客が多くなれば藪蚊も増えると。藪蚊が多く集まるということは、池にボウフラが大量に生まれる。金魚の餌を少しでも多く増やしたかったんだろう。彼が魔王殿の中に居たのは、金魚の様子や餌を与えてくれる観光客を確かめる為だ」
俺の推理に若丸は頷き、静かに俯いた。だが、七条君はまだ納得いかない様子だ。
「そんな筈ないですよ! だって、魚はプランクトンを食べるんだから、わざわざ人が餌をあげなくても生きていけますよ。常識でしょう! 今じゃ、小学3年くらいで教わりますよ。それに、仮に彼がそういう勘違いをしていたとして、ここまで
その言葉に若丸は悲しそうな表情を浮かべた。気持ちは分かる。真相を知っている俺からすれば、その台詞はあまりにも無神経だった。
「それは違う。彼には無かったんだよ。知識もお金も友達も。それが与えられる機会を彼の親が奪っていたのだから」
ようやく七条君は気付いたようだ。
「……それって、まさか」
俺は若丸の方に向き直り、彼に近づいた。
「そう、彼は親から虐待を受けていたんだ。七条君、君は言っていたね。『若丸の毎日、投稿される動画を見て』と。若丸君の動画の投稿頻度や撮影の技術力は小学生のレベルを遥かに超えている。それこそ本職と言えるレベルにね。だが、普通に小学校に通っている人がこのレベルに到達するだろうか? 彼は親に強制され、生活費を稼がされていたんだ。小学校に通わせてもらえずにね。小学校に通っていないのなら、プランクトンの知識を理科で学ぶこともないし、相談できる友達も出来ないだろう。小遣いも恐らく、ユーチューバーとして彼が稼いだお金は全て親に取り上げられているだろう。そして……」
俺は若丸の腕を掴んだ。彼は一切、抵抗しない。そして、泥や擦り傷に混ざり、赤黒く変色した誰が見ても殴られたと分かる痣が浮き出ていた。
「日常的に暴力を振るわれていた。流石に顔は避けていたようだが……。これを隠す為に君は泥や擦り傷を付けていたんだね?」
若丸は黙って頷いた。しかし、そこに七条君が割って入る。
「でも、動画投稿とか撮影って機材が必要でしょう? 結構な値段するんじゃないですか? 子供に生活費をせびる親がそんな物を買うわけないですよ」
しかし、その疑問に答えたのは若丸君だった。
「……貸してもらっているんです。パパが交通事故で死んでからママがおかしくなっちゃって、毎晩、いろんな男の人を連れてきて……。機材を男の人から借りたり、借金して買うこともあります。ママは働きたくないみたいで、僕は小学生で若いからユーチューバーになればチヤホヤされて稼げるからって。学校にも行くな、その時間で動画を作れって命令されました。最初はママの為にって思ってたけど。でも……」
彼はこれ以上の台詞を言うことを躊躇っている。俺は彼の肩に手を置き、優しく語りかけた。
「ここに君の母親はいない。君がどう思っているのかを全部、吐き出していいんだよ。真相を暴いた身として、その落とし前はきっちりとつけよう。僕に出来ることなら何でもする。本当の事をぶちまけて楽になりなよ。君を責める人は誰もいない。約束する」
若丸の目から大粒の涙が溢れ、心を決めたように頷いた。
「本当は学校に行きたかった! 友達と遊びたかったし、お小遣いだって欲しかった! でも、子供の癖に口答えすんなって殴られた! 本当は全て終わりにしたかったんです! この鞍馬山は家から近くて、よくパパと遊びに来ていたんです。僕の若丸って名前、本名なんですよ。パパは牛若丸が大好きで、ああいう活発で伸び伸びとした子供になって欲しいって言っていました。パパが亡くなった後も、もしかしたらパパの幽霊が居るかもって、この場所には
そして、胸の支えが降りたような顔で笑った。
「僕、誰かに相談します。実はツイッターでママの所業をバラす準備は出来ていたんです。でも、パパが死んで悲しかったのは僕もママも同じで、可哀想だから僕が耐えなきゃって思ったんです。でも、お兄さんと話したことで気付きました! 僕に若丸って名前を付けてくれたパパが、今の僕を望んでいるとは思えない。僕は牛若丸みたいに強くならなきゃいけないんだ! だから……」
彼の力強い言葉に俺も頷いた。
「分かった。俺は大学で福祉を学んでいてね。ゼミの先生の教え子に児相に勤めている先輩がいるから、連絡してあげよう。それと、大事な友達を救いたい気持ちは分からんでもない。だが、あんな嘘はもう拡散しちゃ駄目だ。嘘の情報は流した本人にその気が無くても、誰かにとって悪い影響を与えることがある。金魚の餌を境内にばら撒かれて、寺務員さんが迷惑がっていたよ」
児相の先輩の電話番号を教えながら、俺は若丸を諭した。若丸は申し訳なさそうに
「そうだったんですね……。後で謝りに行きます。お兄さんには救われました。僕の虐待の事を暴いてくれて、話も聞いてくれて、児相の人も紹介してくれたし。気持ちが楽になりました。本当にありがとう!」
俺は照れ臭くなり、適当に誤魔化そうとする。
「俺はミステリーはハッピーエンドが好きなんだ。バッドエンドも嫌いではないがな!」
きょとんとする若丸。七条君がすかさず突っ込む。
「今、それ言うことですか? 良い雰囲気ぶち壊しですよ!」
「うるさいな!」
俺達の掛け合いに若丸はクスリと笑った。その様子に俺は安心する。
「もう大丈夫そうだな。これから色々と大変かもしれないが、君が牛若丸みたいになれば何があっても乗り越えていけるさ。頑張れよ!」
「これからも君のことを応援し続けますよ。若丸君なら、強い人間になれると信じてます!」
俺と七条君の言葉に、若丸は満面の笑みを浮かべた。彼の笑顔に俺は心を打たれた。追い詰められていた人間が、こんな笑顔を見せることが出来たのだから。
涙を手で拭って、若丸は俺に握手を求めてきた。俺もそれに応じる。
「お兄さんのことは忘れませんよ。えっと、お兄さんの名前、最後に聞いてもいいですか?」
「あぁ、俺のことはNと呼んでくれ。名探偵Nと呼んでくれてもいい!」
「オタクで阿呆の大学生です。名探偵なんてとんでもない。僕は七条葵です。実家が下鴨で料亭やってますんで、落ち着いたら食べに来てくださいね」
「貴様は一体、何の恨みがあって、そういうことを言うんだ! 大体、感動の別れに実家の宣伝をするんじゃない!」
またしても、俺と七条君の掛け合いに笑う若丸。
「Nさん、七条さん。また会える日が来ることを祈っています。改めて、お礼を言いたいですし、お二人の掛け合いも見たいですからね! じゃあ、さようなら!」
それだけ言うと、彼は下りの山道を颯爽と駆け抜けて行った。
「あっ、おい! 俺達の掛け合いは見世物じゃないぞ!……って、聞いてないか」
「牛若丸みたいに走り去って行きましたね。それより、先輩。まだ、分からないことがあるんですけど」
「ん?」
「何故、若丸君は手持ちのパソコンやスマホで『金魚の餌』について検索しなかったんですかね? それにツイッターとかで助けを求めることも出来たでしょうし」
あぁ、その事か。確かに、説明し忘れていた。
「あくまで想像だが、若丸君はかなり厳しく親に管理されていたんだろう。スマホやパソコンを使える時間にも限りがあった。そして、下手な事を書かれないように母親がスマホやパソコンを厳しく管理し、動画の宣伝や撮影などで必要な場合は持ち出しを許可していたが、それ以外では母親に取り上げられていたんだ。つまり、若丸君は普段からスマホを使える時間が短く、ツチノコ計画を実行するときは焦っていて、パソコンで調べるという発想が湧かなかったんだろう。そして、助けを求めなかった理由は母親への同情だけでなく、母親からの監視もあったんだろうね。下手な事を書いて投稿すると、厳しい折檻をすると脅されていた。虐待された子供っていうのは、体にだけでなく心もじわじわと殺されるんだ。だから、逆らおうという気力が無くなるんだよ」
「酷い母親ですね」
七条君の言葉に俺は首を横に振る。
「いや、母親も父親が事故で死ななければ心が荒まなかったかもしれない。本当に悪いのは環境なんだよ。根本的に環境を変えなければ、虐待も含めて本当に苦しんでいる人は救えないんだ」
「でも、彼ならきっと戦えますよ」
七条君のこの言葉に俺は力強く頷いた。
俺は溜息をついた。ようやく、事件が一つ解決した。七条君も安心しきっている。
「ツチノコの謎も解けましたし。後は八神会長や姉小路先輩と貴船神社で合流するだけですね」
「あぁ、丑の刻参りの事件を……」
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
悲鳴が森に響いた。
俺と七条君は咄嗟に駆け出す。山道の階段を急いで駆け降りた。
嫌な予感が俺の脳裏を過ぎった。いや、まさか、そんなことある筈がない。あっていい筈がない!
しかし、その願いは打ち砕かれた。
鞍馬山の西門を出た先の朱色の欄干の橋。
その橋の真ん中で、先程まで俺と話していた少年が
「ちょっと、若丸君! 大丈夫ですか?」
七条君が若丸に駆け寄る。
「う……うぅ……痛いよ。助けて……」
若丸は痛みに悶え、苦悶の表情を浮かべている。額には脂汗が滲み出ていた。
そして、彼の右足を貫いていた五寸釘が、これから起きるあの事件の開幕を俺に告げていた。俺が救った人間を傷付けることで、俺を嘲笑うかのように……。
(第3稿 解決編 終幕)➝(第4稿 襲撃編 続行)
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